拘泥
「僕の息子に何をした?」
レイニーが静止する。
それからゆっくりと振り返る。
大海は傘を差して茫洋とそこに立っている。ように見えた。
だがレイニーは、大海から紛れもない怒りを感じた。
遠雷が聴こえる。それは大海の怒りを表わすようで。
「今日は途中から横殴りの雨になった」
「この男の、父親か」
「辛うじて風が、隼太の危急を報せてくれた」
「に、しては若い。禁呪を使ったな」
「君と同じにして欲しくない」
「そしてお前は――――」
「隼太を害するのは許さない」
「音ノ瀬大海。音ノ瀬隼人の息子だな」
大海が高々と傘を放り投げた動作が戦端の幕開けとなった。
腹部を狙った大海の拳をレイニーが避ける。避けながら左脚で大海の首元を狙って蹴り上げる。
それを右手でいなした大海は隼太を庇う形で後退し、間合いを取った。
「縛」
「解」
「傷」
「壁」
蒼い雨の世界の中、二人の男が対峙する。
互いに譲れぬものを賭して。
「あかねさす紫野行き標野行き」
茜色の霧が大海を押し包もうとする。
「紫のにほへる妹を憎くあらば」
紫色の閃光が大海の目に向けて放たれる。
双方、受けた攻撃に対して間合いを測る。
肉親の情は、半ば狂人である大海に残された唯一の精神的よすがだ。
襟足に伸びた髪に触れる。
一つに束ねられたそれを切ってくれる磨理はもういない。
だが彼女は宝を遺した。
隼太という掛け替えのない――――――――。
彼を守る為ならば、大海は大抵のことはやる積りだ。
外法さえ躊躇わず。
雨に濡れそぼった大海の瞳は奇妙な程に澄んでいる。それはある種の狂人特有のもの
だとレイニーは認知した。なぜならばレイニー自身も精神を病んでいるからだ。
狂気といい、外法を厭わないところといい、自分たちは似た者同士だとレイニーは思う。
だが友人にはなれそうにない。友人には。
大海の薄くも厚くもない唇がコトノハを紡ぐ。それもまた外法。
「外道祭文キチガイ地獄」
「一切霧消」
大海が目を見張る。
信じ難いことに、レイニーは大海の処方した強力なコトノハを自ら調合したコトノハで中和したのだ。解毒と言っても良い。
「どうだ? 彼我の力の差が解っただろう。君も中々、複雑なものを抱えているようだ。今の音ノ瀬が疎ましくはないか、憎くはないか? 少なくとも音ノ瀬隼人は本家を忌み嫌い出奔した。君さえイエスと言うなら、私たちは君を同志として受け容れるよ」
折悪しくその誘い文句に影響され大海の頭が混乱し始めた。
今はいつだった?
磨理はなぜいない?
ここはどこだ?
花の香りがしない花の香りがしない花の香りが
稲光が閃く。
大海は頭を抱えて呻いた。
「ああああああああ」
その呻きを宥めるように、大海ともレイニーとも異なる声のコトノハが響いた。
「わが屋戸の いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも」
それに被さるように処方されるコトノハ。
「斬」
前者は私、後者は気を取り戻した隼太のコトノハだった。
私が処方したコトノハは一時的に服用した者の聴力を奪うことが出来る。加えてそのコトノハに被さった隼太のコトノハが、レイニーの胸を切り裂いた。
傷は浅い。レイニーがすんでで後ろに跳んだからだ。
私の隣には聖もいる。
私たちは二人共、風を聴いて来たのだ。この場所が私の家の近所であったのが幸いした。
敵の名前もそれで知った。
レイニー・ダーク。日本語に訳するなら雨降りの闇。
何と悲しい目をした男だ。
私と聖の二人を目に捉えた途端、レイニーの視界からは他の全てが消えたようだった。
悲しみに加え、憎しみがその目から強烈に放たれている。
「血に狂った一族が」
この場合の血に狂ったとは、血筋第一主義ということを指しているのだろう。
聴覚は取り戻されたらしい。聖がいてコトノハの効力は増している筈だが。
先程から雷の音が止まない。稲光が一瞬、私たち全員を照らし出した。
それは神の嘲笑にも似ている。
近くにドーンという音。
そこに更なる別の声が割り込んだ。
「ピンチじゃないか、レイニー」
派手な柄シャツにサングラスを掛けた男と、私と聖だけが傘を差している。
「……ジョージ」
「ここはずらかるぞ」
「縛」
「解」
「倒」
「濁れる酒を飲むべくあるらし」
聖と男のコトノハの応酬で最後に男が処方したコトノハを、私たちはうっかり服用してしまった。
酩酊したような感覚に陥る。
呂律が上手く回らず、身体も思うように動けない。
「俺の名前は戸村ジョージ。じゃあその内また、お逢いしましょう。音ノ瀬の諸君」
私たちが身動き出来ない中、一人だけ、動ける者がいた。
「つれないな」
聖が戸村ジョージを急襲した。
首に腕を掛けて締め上げる。
退散しようとしていたレイニーは躊躇した。
聖一人なら今の状況でも倒せるかもしれない。だがジョージを盾に取られている。
「逃げろ、レイニー。こいつは鬼兎だ」
私たちは数に勝る。ジョージのコトノハもすぐに効能を失くすだろう。
く、と唇を噛み、レイニーはその場をあとにした。




