前の静けさ
消えた日記帳のことは、聖にだけ話した。
聖は難しい顔をして、近日中に秀一郎たちを招集し、これを話しておくべきだろうと提言し、私もそれに頷いた。
竹林がざわめいている。
私は今、聖と楓、そして恭司を伴いふるさとに来ている。
以前から、恭司を楓とふるさとに連れて行ってやりたいと願っていたのだ。しばらく恭司が楓から離れたり、私が消えたりしていた期間があったので、またぞろ厄介事が起きない内に、と思い行動に移したという訳だ。厄介事と言うならもう起きているのだが、それは導火線の端に火が着いたようなもので、爆発するまでにまだ時間がある。
この先どう事態が転ぶか解らない、この僅かな時間を私は有効に使いたいと考えたのだ。
初めて訪れるふるさとを、恭司は興味深そうに見回している。
楓が彼を誘い、小川のせせらぎのほうに向かっている。
緑豊かで水清きふるさと。
恭司には余り馴染みのない場所だろう。
遠くへは行き過ぎないように、と私は楓たちに言って、聖と古寺の縁側でお茶を飲んだ。
風が優しく、暖かい。
しばらくすれば夏になるのだろう。
両親を見送った季節――――――――。何度でも振り返る。
「日記を持ち出したのは誰でしょう」
「キャロラインたちの敵対するいずれの諜報機関か、それか…」
「それか?」
「いいえ、何でもありません」
私は言葉を濁した。
生成り色の湯呑にはほうじ茶が香ばしい湯気を上げている。
日記には、太平洋戦争より前にアメリカに渡った音ノ瀬一族がいるとあった。
まさか彼らの子孫が今回の件に絡んではいないだろう。
いや、正直に言えば絡んでいないだろうと信じたい。なぜなら日記を盗み出したのが音ノ瀬の末裔ならば、音ノ瀬本家に必ずしも良い感情を抱いているとは限らないと思うからである。
そこにあるのは昏い感情かもしれない。
私はその考えを聖に告げなかった。否定したい思考をコトノハにしたくないと望むのは、人情だろう。その人情、甘えが許されない局面が近く来るかもしれないが。
「隼太君はどうしてこと様に日記帳を預けたのでしょうね」
「一族の変革の参考になればと言っていましたが」
「それもどこまで本当やら解りません」
「まあ、相手が相手ですからね」
「日記帳の盗難を、隼太君にも告げますか?」
「はい。本来の所有者は彼ですから」
竹林がざわめく。
透垣に設けられた戸を開けて、縁側に続く庭に楓と恭司が入ってくる。
「信じらんねえ、こいつ。俺に水ぶっかけやがった。どういう教育してんだ、音ノ瀬こと」
見れば確かに恭司の上半身が水に濡れている。ぷるるっ、と頭を振って水滴を飛ばす。
対して楓は毛を逆立てた猫のように立腹している。二人共ちょっと動物っぽくなって戻ってきたが、何があった。
「恭司君が嫌らしいこと言うからでしょうっ」
「今までの女の話を訊かれたからしただけじゃ、うわ、いてっ」
楓が恭司の背中を引っぱたいている。
やれやれ。
三十余年生きた割に、恭司は女性(少女)の扱いが解ってないらしい。
「風呂を沸かしましょうか」
「ひーくん、そんなの必要ないよ。何とかは風邪ひかないって言うもん!」
楓が頬を膨らませてそっぽを向く。可愛いなあ。あの膨れたほっぺの桃色!
これは私視点である。
「言ったな、このガキ」
もう少しこう、長閑な交流をしてくるものとばかり思っていたが、予想より彼らの触れ合いは活発だったらしい。
ともあれ、消えた日記帳に関する駆け引きの前の、良い息抜きにはなった。




