瑠璃色の痛み
丸い瑠璃色の、掌に収まるくらいの硝子玉。ひんやりとして。
その中に小さな金の鈴が入っている。硝子玉には赤と白を縒らせて紐状にした物が上部に括られていて、それを摘まんで振ると涼しげな音が鳴る。
実に私好みの優美な品を持ち込んだのは、今日の依頼主だった。
客間には依頼主である四十絡みの男性と聖、そしてパウロと、テレーゼと言う女性がいる。
テレーゼは波打つ長い金髪の、どこか人魚をイメージさせるそばかすのあるオーストリア人の女性で、パウロ同様にコトノハを多少だが処方出来る。但し、パウロと違い日本語はほとんど解らないので、客や私たちの話をパウロが逐一、彼女に通訳している。
彼らを同席させている理由は、コトノハ薬局の仕事に関わらせることで、より音ノ瀬一族に馴染ませる為である。こうした事実は一族の石頭の連中の心証にも影響を与えるだろう。全く以て人の意識を変えるというのは一国、一つの世界を変えるにも等しい難事であるという気がする。
「これを遺されたお父様のご意向をお知りになりたい、と」
リン、と目にも雅な鈴を鳴らし、私はふくよかな男性に尋ねる。
美しい瑠璃だ。けれどどこか哀しい瑠璃だ。
彼は私が吟味して淹れた玉露や聖が切った芋羊羹には手もつけていない。
ただ、私の問いかけには強く頷いた。
「こちらではそうした、故人の遺志も知る術をお持ちだと伺いました」
「……こうした質問をする失礼をお許しください。お父様のご遺志を、と望まれるのは、遺産相続に関しての貴方の願望が関係しているのでしょうか」
「いいえ。父の遺産は、もうわたくし共、遺された身内の、それぞれ納得行くように分配されております」
「それでは」
ここで男性が初めて言い淀んだ。客間に入ってきた時、パウロやテレーゼを見ても驚かなかった男性の、初めて見せた動揺だった。
「父は裕福な家庭を築き、わたくしたち子供らにも十分な愛情を注いでくれましたが、いつもどこか寂しげな顔をしていました。それは本人にも無自覚だったようで、ふと気付くと、といった具合で……。そしてその鈴を、それは大切に持っていました。父が亡くなってから改めて思ったのです。寂しげな表情でいた理由を知りたいと。そしてその理由をその鈴なら知っていると思い、持って参った次第です」
「お話は解りました。本来であればこうした依頼は異例なのですが……」
ずい、と男性が漆黒の卓の上に身を乗り出す。
「出来るのですか!」
私は微笑して答えた。
「出来るでしょう。強く思い残されていたようですし、ご本人もお出でになっています」
「え?」
男性が私の向いた方向に身体の角度を変える。
春らしい若緑色の芝草の上に、紺地の近江ちぢみ(上布の類)の着流し姿の老人が立っていた。
残る桜が降る花雨の下。
依頼主の男性に似た、温和な風貌である。
「山本雪也さんですね」
老人は笑って頷く。
残念なことに息子である男性には見ることも聴くことも出来ないので、私は代理として美麗な鈴の由来を、今は幽界の主である老人から聴いたのだった。
「硝子工房の職人さんの娘さんと、恋仲だったんですね」
客が帰ってから、結局手つかずだった湯呑や芋羊羹を台所に引きながら聖が言う。
折角なので皆でお茶にしようという流れになり、淹れ直したお茶や芋羊羹を賞味しながら先程の依頼の話をした。
テレーゼは芋羊羹を珍物のように見ていたが一口食べると気に入ったらしく、そのままにこにこぱくぱく食べてはお茶を飲んだ。日本文化に馴染んでいるようで結構である。開放的な気質なので、一緒にいて気持ちが和む。
聖やパウロにも山本雪也は見えていたがテレーゼには見えず聴こえず、パウロにも何を言っているかまでは聴こえなかったそうだ。聖にも全てが聴き取れた訳ではない。
私は聖に頷く。
「とても忘れ難い女性だったようです。話しているとこちらにまでその女性の面影が浮かんでくるようでした。あの鈴は、彼女が彼の為に父親に頼んで作ってもらった特別な品だったと」
「美しい恋の形見ですね」
「結局硝子工房が閉鎖され、二人は離別せざるを得なかったそうですが…」
その思い出は、山本雪也のその後の生涯においてもずっと忘れられないものだったのだ。
瑠璃の硝子に金の鈴。
縒り合された赤と白。
縒り合された男女の仲は、離れてしまったけれど――――――――。
死後も遺される物がある。
密やかに秘められていた父親の恋物語を聴いた男性は、肩を落とし、私を騙りと決めつけることもなく、しみじみと頷いていた。一時期、硝子工房に出入りしていたことがあると、父親本人から直接聴いていたそうだ。そうして大切そうに鈴を布に包み直すと箱に仕舞い、持って帰った。
「コトさんは、いつでも自由に亡くなった人と話が出来るのですか? と、テレーゼが訊いています」
オーストリアの公用語はドイツ語である。
全く数か国語を操るパウロの存在は有り難い。
パウロの青い目、テレーゼの茶色い目が私を見ている。
私は苦笑して首を横に振った。
「いいえ。相性もありますし、それが叶うのであれば私は――――……」
亡き父と母の姿が思い浮かぶ。生死を越えた一度きりの邂逅。
聖が気遣う眼差しで私を見ている。
「コトさん?」
「いえ、それが叶うのであればとても便利でしょうが、そう自由の利くものではありません」
それが叶うのであれば私は、父と母と何度でも逢えるだろうし、また、音ノ瀬隼人にも訊いてみたいことが多くある。
出来てさえいれば、と願うことが往々にして叶わないのが人間なのだ。
瑠璃色の美しい鈴は、私の心に僅かな痛みの痕跡を残した。




