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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
家督相続編 第三章
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離れたゼンマイ

 隼太が滞在するホテルは外観こそビジネスホテルのように味気ないが、内装は近代的に垢抜けて気が利いたデザインだった。

 一度死にかけたとは思えない顔で、隼太はホテルのロビーに姿を現した。

 話によれば血に塗れたという紫陽花色のコートは元のまま、その主と何ら変わりない。余程に優秀なクリーニング店に出したのだろう。だがそのぶん、やや紫陽花色が褪せたようだ。

「何の用だ、音ノ瀬こと」

 緑の野原のようなロビーの絨毯に傲岸に立つ紫陽花。

 この男のこういう尊大な態度は小面憎いが、一方で健全なのだと安心させられる。

 私が消えていた時期、その理由等は風か恭司にでも聴いたのだろう。

「明けましておめでとうございます、隼太さん。今日は貴方にお付き合いいただきたいところがありまして伺いました」

 続く私の話を聴いた隼太は、露骨に嫌そうな顔をした。

「お前、消えてる間に甘さとふてぶてしさが増したんじゃないか」

「そうかもしれませんね」

 私はしれっと答えておいた。


 そして私たちは連れ立って矢倉の御舘にやってきた。

 冬の木枯らしがぴうと吹き、道の端には雪の名残りもあるが、晴れた良い天気だ。

 聴くところによれば宗吾はあの一件から御舘に閉じ籠ったきりで、カレンも父の傍を離れないらしい。

 呼び鈴を鳴らすと、使用人の男が出て、私たちを見てはっとした表情になる。

 それから恐縮した態度で年始の挨拶をして、宗吾への面会を希望するのかどうかを尋ねた。

「いいえ。今日はカレンさんお一人に、お話があって来ました」

 カレン一人、という部分を強調すると男はまた驚いた様子で一度引っ込み、再び出てきて私たちを二階の一室に案内した。その間も隼太は辟易した顔で怠惰に歩いている。応接間の廊下側の窓硝子は一部、隼太に撃ち抜かれたと聴いたが、その後修復したのだろう、記憶と違わず駆ける鹿の意匠の硝子が鮮やかだ。それを鉄砲で狙う猟師の姿も象られているのは皮肉なものである。


「……音ノ瀬の御当主、何の御用ですか」

 カレンの部屋は真紅の天鵞絨(ビロード)の布を基調としてまとめられている。

 隼太が忌々しそうに片頬を歪める。彼の流した血を思い出したのだろう。

 カレンもまた、隼太の顔を見た瞬間、凍りついたように動かなかった。

 私が促さなければ私たちは小さな円卓に着くことも叶わなかっただろう。

 ――――哀れなビスクドール。

 失意の父親はもう彼女のゼンマイを巻かない。

 父親は王国を失った。

 カレンは今まで見た中で最も質素な洋服を着ていて、まるで魔法の解けたシンデレラのようだった。だが、一年を経た彼女の容貌はその年月の分、大人びて、憂いと憔悴のある美しさを呈していた。

 白い布が掛けられた円卓の上には紫と黄色のビオラが活けられていて、その小さな華やぎがカレンの日々の暮らしの僅かな余裕を思わせ、私を少しだけ安心させた。

「まず。カレンさんは隼太さんに言うべきコトノハがありますね?」

 カレンが俯く。

「貴方の処方したコトノハで、危うく彼は死ぬところでした」

「……それは。だってこの男がパパに銃を向けたから」

「だからと言って、いきなりあのコトノハは、過剰防衛、やり過ぎですよ。解っているでしょう」

 隼太は無言、無表情でカレンを見ている。

「ごめんなさい」

 予想外にはっきりした声でカレンが謝罪のコトノハを口にした。

 隼太も少し目を大きくしている。

 本来は素直な気性の持ち主なのだろう。野心溢れる宗吾に育てられたのが災いした。

 私はカレンに微笑みかける。

「よく言えましたね。今日はそれから、カレンさんにお願いもあって伺ったんです」

「パパにじゃなくて私に?」

 ここで私は目線を少しきつくした。

「宗吾さんは当主の座を退かれました。その代行を務められるのはカレンさん、貴方です」

「…………」

「現在、隠れ山の花屋敷やロッジにはコトノハを処方出来る人々が集っています。その多くは外国人で、音ノ瀬の人間ではありません。これから人数は増えるでしょう。そうなった時、この矢倉の御舘を、彼らの受け容れ先の一つとしていただきたいのです。もちろん、それについて掛かる費用は一族が負担します」

 カレンが椅子から立ち上がる。

「嫌よ! 音ノ瀬でもない劣等種をここに住まわせるなんて!」

 金切声のそのコトノハこそが、宗吾をしてカレンに間違えた認識を刷り込ませた何よりの証だった。

 奇しくも彼女は敵視した隼太と同じ、選民思想の持ち主なのだ。

 であればこそ、私はこの申し出をした。

 カレンの将来の為にも、彼女は変わらなくてはならない。

「……カレンさん。外国人の血を引く貴方を、それだけの理由で当主に相応しからずと言う一族の人間もいるのですよ。しかし貴方が望むのであれば、私は次代音ノ瀬当主が貴方であっても良いと思っています。少なくとも、候補であっても」

 カレンの頬が紅潮する。しかし彼女が強い期待を抱く前に私は素早く言った。

「けれどそれは、貴方から宗吾さんの影響が抜けたと判ってからです。そして、音ノ瀬でない、コトノハを処方する人たちと、いえ、処方しない人たちとも交流出来るようになることが最低条件です。……アメリカにいるお母様を呼び寄せられたが良いでしょう。親子三人で、今後の暮らし方を検討してください」

「ママと……。ママはパパが隠居させられてから、こっちに来たがってた。けどパパが、惨めな自分を見せたくないって拒んでたんです。でも……」

 でも私は、ずっとママに会いたかったと言って、カレンは大粒の涙をこぼして泣いた。カレンの理屈で言えば母親も「劣等種」となる筈だが、さすがにそこは別格のようだ。

 まだたった十二歳の少女だ。自業自得とは言え絶望した父親の傍に一人、居続けることは相当な重荷だっただろう。私の心に憐れみが湧いた。

 その憐れみのまま、私は立ち上がって目線の高さを合わせてから、カレンを抱き締めた。

 必要なのだ、この子には。温もりが。今すぐにでも。

「宗吾さんは私が説得します。では、私のお願いを聴き容れてくださいますか?」

 カレンはこくんと頷いた。顎が私の肩に柔らかく当たる。

 その時になってやっと、私の目には彼女がビスクドールではなく、生身の少女と映ったのである。



挿絵(By みてみん)




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