熱燗
楓を送り届けたあと、千秋の家までの帰途に就いていた恭司は(距離の割に道が入り組んでいて、当初は道順を憶えるのに苦労した)、暮れなずむ道の向こうに俊介の姿を見つけた。歩道を心ここにあらずといった風に歩いている。雑貨を置く商店の店主と俊介は懇意で、店先を通る時は必ずにこやかに挨拶しているのだが、今日は店の前を素通りし、店主はもの寂しげに首を捻っている。
空からは白いものがちらほらと落ちてきた。俊介はそれに構う様子もなく、蛍光イエローの地に赤で防犯パトロール実施中と書かれた旗の横を通り過ぎる。
「おい、俊介」
「…………」
「おい」
「…………」
「おいっ」
「あ、ああ、恭司君か」
「恭司さんと呼べ。俺はお前より年上だ。……何かあったのかよ」
恭司の問いかけに俊介はいやあ、と言って頭を掻いた。
笑っているが、今にも泣きそうにも見える。
「ことさんに、俺にとっては最大級の賛辞を貰ったんだけどね」
「何だ、のろけか」
声を掛けるのではなかった、と恭司が後悔した時。
「逆に――――――――解ってしまったんだ。やっぱり俺には完全に脈がないって」
「……」
「これはきついなあ」
粉雪が、俊介に同意するように降ってくる。
暗い陰影に沈む町中に、ぽつぽつと街灯がささやかな暖色を添える他は、墨絵に白い点が散るような光景だ。
恭司は黙って俊介のダウンコートの袖を掴むと、入り組んだ道を通り抜けて千秋の家まで導いた。途中でおいこけんなよ、と言いながら。
千秋は俊介の顔を見て何事か察するものがあったようで、玄関先で黙って彼を迎え入れた。恭司にも何も苦情めいたものは言わなかった。
丁度、夕飯の準備をしていたらしく、味噌の煮えるような匂いが鼻を突く。家に入る前からその匂いは付近に漂っていた。
「二人で飲みたいんでしょ?」
そう言って、千秋は普段、恭司が起居している部屋にさっさと折り畳み式テーブルを出し、肴と日本酒の熱燗まで用意してくれた。
肴は鯖の味噌煮と胡桃の白和えだった。
「……泣きたきゃ泣けよ」
恭司が俊介の盃に酒を注ぎながらぼそりと言う。
はは、と俊介は笑い、そして、彼の目からぽろりとこぼれ落ちる雫があった。
「認められた瞬間に徹底的に脈なしと悟ったんだ」
両目を右手で覆って、それでも声だけはやたら明るく言う。
「そんなもんか。女に拒否られたこともないし解んねえ」
くい、と恭司が盃を空にする。
「さらっと嫌味だね……」
しばらく二人は黙って飲んでいた。鯖の味噌煮の味付けは絶妙だった。千秋の奴、良い嫁になるな、と恭司が独りごち、俊介は沈黙を通した。
そこにひょっこり大海が襖から顔を出した。襖の下半分には紺地に薄の絵が描かれているので、大海の顔は月とも模すことが出来る。
「来てたのかい、俊介君。ここの襖が閉めてあるからどうしたのかと思ったよ。二人で飲んでいるの?」
「そうだよ。大海も一緒するか?」
「じゃあご相伴に預かろうかな」
そう言って大海も加わったものの、自ら何かの話題を提供するでもなく大人しく飲んでいる。
「恭司君は楓ちゃんとは仲良くしてるのかい?」
「…………意味深な言い方やめろ」
「だって意味深に訊いてるんだから」
恭司はつっぱねようとしたが、俊介の目尻にまだ涙の跡があるのを見て、一つ溜息を吐いた。
「何も変わっていない。俺は念の為のあいつのボディーガードだ」
「肉体年齢の成長の理由は?」
恭司は舌打ちした。失恋の憂さを人の恋愛沙汰で晴らそうとするのは趣味が悪い。日頃の俊介であればしなかったであろう。つまり、俊介は今、それ程に打ちのめされているのだ。恭司は妥協してやることにした。その前に寒いな、と言って暖房の温度を上げる。
それから酒を呷った。
「多少はまっとうになろうと思ってみてな」
「どうして?」
こう尋ねたのは大海。
「お天道様の下に出てみたくなったんだよ。いずれは音ノ瀬の伝手で後ろめたいところのない仕事をしたいと思ってる」
「誰の為に?」
次は俊介が尋ねる。
恭司は阿呆らしくなってきた。
「お前ら、俺様を肴にしてんじゃねえよ。喰え、飲め」
盃を振り回す。
若いって良いねえ、と大海が評し、俊介はそれに同意すべきかどうか悩んだ。




