新しい風
私は一年も姿を消していた(らしい)。
何はともあれ当主として無事であるところを見せねばと、一族への顔見せと事情説明を行った。客間のそこここから大きな安堵の溜息や無事で良かったとすすり泣く声が聴こえ、私は彼らに申し訳なく思った。
その後、目覚めてから一週間の間に色んな来客があった。
まず面食らったのが、私が客間に姿を見せるなり、康醍が足元に平伏した時。
彼は肩を震わせていた。
「ようお戻りになられました、御当主」
ようお戻りになられました、と繰り返したあと、小さく、儂はもう駄目かと……、と呟いた。普段は気丈な老人なだけに、これには驚いた。顔見せの時にも平然として見えたが。妻の実加も目を潤ませ、千秋に至っては体当たりするように私に抱きついてきた。
「こと姉――――!」
「御心配をお掛けしましたね、千秋さん。康醍さん、実加さんも」
私は彼女の肩を抱き返しながら言う。
「本当に、良かった。おじいちゃんじゃないけど、あたしも、もうこと姉には会えないんじゃないかって思った」
千秋のセミショートになったオレンジ色の髪からは、以前はしなかった香水の匂いがする。成る程、時が経つとはこういうことなのだ。いつもなら千秋の不作法を叱責しそうな康醍も、今ばかりは黙っている。
「すみません」
奇しくも、俊介と秀一郎は同時に我が家を訪ねてきた。
これまた面食らったのが、秀一郎の反応だ。
「ことさん……」
彼は私の名を呼んだきり、私を抱き締めたのだ。白く肌触りの良い、上質のカシミアの背広に圧迫されてもがく私の目に、聖が珍しく硬直しているのが見える。唖然としていた俊介が先に我に帰り、秀一郎を私から引き離した。日頃から鍛錬を欠かさない秀一郎が私をしっかと抱き締めていたから、引き離すのには相当の腕力が要っただろう。そんな場合でもなかったが、私は俊介に感心した。俊介は秀一郎にどこかずれた苦情を叫んでいる。
「抜け駆けはずるいですよ、秀一郎さん!」
「そういう問題でもないよ、俊介君」
すかさず聖の突っ込みが入り、私は苦笑した。
記憶より大人びた重音嬢は、いつぞやと同じ店のモンブランを手土産に持ってきた。こういう折り目正しいあたりは、記憶と違わない。だが以前より洗練された化粧や立ち居振る舞いにはやはり時間の経過を感じる。
そして彼女は口紅を品良く艶めかせながら言うのだ。上目遣いに。
「内緒よ? ことさん。ここだけの話にして頂戴ね? あのね、わたくし、真夜中に起きた時、ことさんが帰って来られなくなるんじゃないかと思って何度か泣いてしまったの。子供みたいでしょう。直に社会人になるのに、恥ずかしいわ」
そう言ってもじもじと淡い紫のフレアースカートを手でいじる。正座してのその姿はひどく子供じみて見えた。大人びたかと思いきや、まだまだ令嬢らしい幼い面は残っているようだ。彼女はこの春に大学を卒業し、家が経営する企業の系列会社に就職が決まっているという。彼女の将来に幸あれかしと願うばかりだ。嘗ての居酒屋での(私が企んだ)合コンで、秀一郎と良い雰囲気に見えたのだが、両人の様子を見る限り、あれ以上の発展はなかったらしい。残念だ。私が消えていた間の経過をどう説明しようかと悩んだが、重音嬢は私が無事であれば何も聴くことはない、という鷹揚な雰囲気を漂わせ、私の気苦労を軽減させた。
意外にも恭司と大海、そして悟の組み合わせの見舞いもあった。
この三人で来るとは思わなかった。
「一年も家を空けるなんて、人騒がせな女だなあ」
悟や学校、近所には、私が病気療養の為、しばらく余所の土地に行っている、という言い訳を聖たちがしていたらしい。恭司は真相を知っているが、悟の手前、口実に合わせた物言いをしたのだ。いや、実際そう思ってもいるかもしれない。
「恭司君、そんな言い方しないで」
何だか前にも聴いたような遣り取りを恭司と楓がしている。この二人の仲が果たして今、どうなっているのか、私には窺い知れず、また、是非とも知りたいところである。
秀一郎や俊介もそうだが、一年経ったと言われてみれば恭司たちにも加齢の印象がない訳ではない。悟は体格が明らかに大きくなり、恭司の顔立ちはより尖鋭に、背は二人共伸びているがまだまだ恭司のほうがかなり優位だ。……こう言っては語弊があるかもしれないが、恭司は綺麗になった。月日が余分なもの(幼さや傲慢さなど)を削ぎ落としたぶん、元来の整った顔立ちが鮮明になったようだ。そうなる過程に楓は絡んでいるのか。楓は今の恭司をどう見ているのか。考えはやはりそこに戻る。母親代わりとしてはどうにも気になるところなのだ。
大海は手に花を携えていた。
そこはさすが音ノ瀬一族と言うべきか、元々の顔の造りが端整な部類なので、水仙と山茶花、ピンクや黄色の薔薇などとりどりの花が彼の容姿に映える。
「これ、お見舞いの花だよ。磨理は花が好きだったんだ」
この台詞だけでは、私を磨理と混同しているのかどうか判断が難しい。
「ありがとうございます。花屋敷の花ですか?」
「うん。家は燃えたけど、残っていた花と、隠れ山に自生していた花を集めたんだ」
家を燃やした張本人だが、大海が余りに邪気なく、屈託なく言って花束を差し出すので、私も自然な態度でその彩りを受け取ってしまった。薔薇の棘が着ていたセーターに引っ掛かり、少し掌にも痛いが、私は平気な振りをした。
「花を摘んだり伐ったりするのには、恭司君や悟君の手も借りたんだよ」
「……そうですか」
にこにこと大海は言うが、隠れ山は本来、部外者立ち入り禁止だ。恭司はともかく悟までわざわざ連れて行ったのかと多少、呆れた。悟もよく行く気になったものだ。それでもまあ良いか、と思ってしまうのは、やはり大海が無邪気なせいだ。精神の均衡が危うい彼であるからこそ、得している点があるのかもしれないと私はこっそり思った。
キャロラインは珍しくビクターを伴わずに来て、私の顔を見ると軽くハグして無事を簡潔に祝う言葉を述べ、帰った。事情を説明する暇もあらばこそ、だ。相変わらず仕事に追われているようだ。私事としてうちに足を運んでくれただけでも感謝すべきなのだろう。
そして最後に我が家を訪れたのは真葛だった。
惜しいことに丁度聖が買い物に出ている、日曜日の昼下がり。太陽も微睡んでいるかのようなまったりとした時間帯。
珍しく息子の瞳を伴ってきている。彼女が瞳を我が家に連れてきたのはこれが初めてだ。
真葛もまた私を抱き締めたが、それは余人と異なり母のような抱擁だった。
柔らかく大らかな海に包まれているようだった。
「……よくお戻りになられました」
そう言って微笑する顔は、聖に似ている。真葛や大海、恭司や俊介ら私の顔見せに参加出来ない面々には、今回の私の行方不明の原因が宗吾のコトノハの副作用にあるものだろうという見解を聖が個別に伝えている。宗吾が両親に仕出かした暴挙も。真葛にも思うところは多いだろうが顔には出さない。そういうしなやかな強さと気遣いを併せ持つ性分なのだ。
六歳になる瞳は見る物聞く物全てに興味を示す年頃だ。落ち着かず、始終客間をうろつこうとしては真葛に窘められていた。髪と目の色こそ違うものの、瞳の顔立ちには真葛の面影がある。それはそのまま幼少期の聖はこのようだったのではないかと私に連想させた。
途中から楓が客間に来て、瞳の相手をしてやっている。楓はソリティアの丸い盤を持ち出し、瞳と遊び始めた。まるで姉弟のようだ。
真葛は目を細めて二人を眺めている。
そして私は真葛が瞳を同伴してきた理由を察した。
聖との間に、子を作っても良いのではないかと彼女は言いたいのではないだろうか。そこまで押しつけがましくなくとも、将来の可能性を暗示しているのかもしれない。無論、私の為を思えばこそ。
私の考えを裏付けるように真葛が言う。
「後継に関しては、もっと皆、緩やかに考えて良いと思うのです。当主の負担に関しても」
「と、言うと?」
「例えば合議制にして広く皆に権限が行き渡るようにするとか」
「合議制ですか……」
今でも一族に関わる重要事項は重鎮たちと諮るようにしているが、真葛が言うのはより軽輩も交えた垣根の低いものだろう。
月桃香の匂いが濃厚だ。窓硝子で閉め切られた縁側は更に障子で閉められているので、私は透かし模様のある南部鉄器の香炉を客間に置いている。蚊の出る季節ではないが、この匂いがあると落ち着くのだ。
戻ってきた、という感慨も湧く。
「無論、当主の絶対的威光は暫時そのままで。私が言ったのも一つの案に過ぎません。けれどこと様が行方不明になられた間、私は考えたのです。御当主の双肩に掛かる、重過ぎる負荷を軽減すべき時期が来たのではないかと。そして音ノ瀬一族をもっと伸びやかな血族として変革していけはしないだろうかと」
チリーン
釣忍が寒風に揺られて鳴る。
陽光を背負った白髪の女性のコトノハは巫女の託宣じみている。
真葛のコトノハは新鮮だった。そして私自身、自分の心の内奥を探れば似たような構図を思い描き、望む自分がいたと気付いたのだ。
業も柵も権力欲も負の要素の全て。
私の代から少しずつ変えていこう。
それは私が宗吾のコトノハの副作用で一族の歴史を旅したからこそ、猶更に強く思うものだった。




