ステンドグラス
矢倉の御舘を訪問する日が来た。
副つ家や千秋の家には度々赴くのに、矢倉の御舘だけを避けるのも不自然だろう。私に同行するのは楓と聖、秀一郎だ。楓を連れて行くのは気が進まないのだが、宗吾がたってと希望するので仕方なく同行させることにした。そして話が次代後継になった際、楓をフォローする頭数は多いに越したことはない。それに秀一郎は私の従兄弟であり、家の格で言うと矢倉の御舘にも決して劣らないのだ。聖は言うべくもない。この顔触れであれば矢倉の御舘を訪れる資格は十分にある。
「楓さん。気を張ることはありません。行くのは私の親戚のお宅ですから」
それでも楓はやや緊張した面持ちで頷く。この子なりに、うちの一族の特殊さや自分が後継者問題の当事者であることなど、解ってきているのだ。
――――胸が痛む。
なぜ楓がこんな負担を強いられなければならないのか。
うちが普通の家であればどんなにか良かっただろう。けれどそれでは私たちは出逢えてもいないのだ。
隼太の目論見を、聖が簡潔に伝えてくれた。
楓と恭司を利用して音ノ瀬本家の権限を掌握する。彼であればそのくらいのことは考えるだろう。図らずも隼太と宗吾の狙いは同じなのだ。大人の思惑に子供が巻き込まれているという点も――――。
秀一郎の運転する車が止まる。
矢倉の御舘に着いたようだ。眼前には重々しい洋館が聳える。離れのほうは、と視線を転じるとそこには純和風の木造建築があり、母屋との大きな落差を感じさせた。そして母屋と離れの間の奥まったところに蔵がある。
今日は風の穏やかな、美しい秋晴れの日だ。最近は気温が上がったり下がったり一定しないが、もう間もなく着実に訪れる冬の前の数少ない秋日和だろう。
玄関の両開きの扉には、濃い緑に白い花を咲かせた鈴蘭の意匠のステンドグラスが嵌まっている。記憶に違わず壮麗だ。
呼び鈴を鳴らすと、扉を開けたのは宗吾本人だった。私に対する礼を尽くす為だろう、服装も仕立ての良い背広だ。
「ようこそお出でくださいました、御当主」
「お邪魔します、宗吾さん」
私の羽織る消し炭色のコートを宗吾自ら脱がせて引き取り、コート掛けに掛ける。
「お邪魔します」
私に続いて言った楓を、宗吾が検分するように見る。だが彼は楓の茶色いコートも私と同じように取り扱った。それから聖と秀一郎を見て、私たちの布陣を察して軽い笑みを浮かべた。聖も秀一郎もそれぞれ宗吾に会釈するだけに留める。
「……副つ家の聖さんにまでお出でいただけるとは光栄です」
思ってもいないだろうことを宗吾が言うと、聖が微笑した。
応接間には既にお茶会の用意が整っていた。
サンドイッチやスコーン、ケーキが載った皿、ジャムやバターが添えられたアフタヌーンティーだ。そして応接間にも華美なステンドグラスの窓が並んでいる。空を飛翔する鳥、駆ける鹿、川に跳ねる魚など躍動感に溢れ、自然を題材にしたそれらは見事な芸術品だ。野趣溢れる若草色や薄紅、紫や青、言い尽くせない無数の色硝子が多用されて絵画が大きなスクリーンに投影されているような効果を与えている。
私の右側に楓、左側に聖、その隣に秀一郎が並んで座り、向かい合う形で宗吾とカレンが座った。カレンは相変わらずビスクドールのようだ。今日も着飾るであろう彼女に合わせようと、私は楓にもきちんとした服装をさせた。
濃緑色のワンピースのカレンと、青いワンピースの楓。
音ノ瀬の後継者候補という土台に身を置くまだ幼い少女たちは、私に哀れしか催させない。ともあれ、着飾る彼女たちがこの場に溶け込み、見栄えがするのは確かだ。
白いテーブルクロスの上には他にも薔薇がマイセンの花瓶に活けられ、頭上には花屋敷の応接間より豪奢な煌めきを放つクリスタルのシャンデリア。
これがただのお茶会であれば楽しめただろう要素ばかりだった。
私より先に聖が紅茶に口をつける。万一の、毒見の為だろう。それを見た宗吾が微苦笑した。彼は無害であることを示すように、自らも紅茶を飲んだあと、天候の話や自分の手掛ける事業についてなど当たり障りない話を少しした。
それからカチャリ、とティーカップをとても丁寧な仕草で置くと、本題を切り出した。
「御当主。本日、お越しいただいたのは他でもありません。音ノ瀬次代当主に誰がなるか、という件についてお話したくお招き致しました」
始まった。何口目になるか、私も紅茶を口に含んだ。円やかで美味しい紅茶は、上等の茶葉が使われているのだろう。そして宗吾に倣うようにゆっくり、ティーカップをソーサーに置く。ティーカップの持ち手には白い蔓薔薇が立体的に象られ、私の人差し指に浅い跡を残した。
「その儀についてはまだ時期尚早でしょう」
「しかし、いつ先代方のような不測の事態が起こるやもしれません。念には念を入れるべきかと」
くすり、と私は笑う。
「私も若死にするかもしれませんし?」
「不敬ですよ、宗吾さん」
私の言葉に聖が続き、宗吾は話を急ぎ過ぎたと気づいたようだ。
しかし言い募る。
「――――カレンではいけませんか。この子にはコトノハの才があります」
カレンの自信ありげな緑の目が私を見る。
私は嘆息して首を横に振った。
「貴方は当主の責の何たるかをご存じでない。ただコトノハを使えれば良いというものではないのです。ご自分の娘に足枷を着け、重圧に長年耐え続けろとお思いですか?」
「カレンには覚悟が出来ています」
「十歳にしてですか。それが本当であれば、悲しい話ですね。宗吾さんの奥様は、カレンさんが次代の当主になることに賛成なのですか?」
「……反対しています。ですからあれをアメリカに残してきました」
「御当主、私なら大丈夫です。ちゃんと立派な跡取りになります」
父親の援護をしようとしてだろう、強気に言い切るカレンに、寧ろ憐憫の情が湧く。
私はステンドグラスに目を逸らしてから言った。
「……失礼。お手洗いをお借りします」
「はい。ああ、御当主」
「はい?」
「お気をつけて」
「? はい。どうも」
私は席を立ち、廊下に出た。こういう展開になると解ってはいたが気が滅入る。
記憶にある矢倉の御舘の化粧室は廊下の隅にあった。
立派な木製のドアをノックし、反応が無いことを確認してから金色のノブを掴みドアを開け、足を踏み出す。
――――――――踏み出した先には床が無かった。
天井も壁も床も無い暗闇の空間に、私は放り出された。




