ダンシング
隼太にとって物事は常に流動的だ。既存、固定の観念はいずれ変化するものであるし、状況も一定したままで形を変えないということはない。
それが人の世であると彼は考えている。停滞は腐敗や淀みを招く。音ノ瀬一族もまた然り。自分が介入することにより、あの古くから連綿と続いてきた一族の暗部を利用してやろうと思う。切除でも変革でもなく、これまでの膿に便乗するのだ。だが、それを成すのが自分である、という事実は音ノ瀬一族にとって看過し難い変化だろう。音ノ瀬を嘗て出奔した本家嫡流筋の男。しかも先代当主夫妻の死に間接的にだが関与している。
いずれ首尾よく恭司が楓の婿養子に収まれば、恭司の実質的後見であった隼太が影の当主として君臨するのも非現実的な話ではない。反発は力で封じ込め、ねじ伏せれば良い。
それが隼太の描く絵図だ。
ホテルのルームサービスのメニューを見ながら、花屋敷が燃えたのは惜しかったと思う。
あの家は隼太にとって呪縛でもあったが特有の情趣は気に入っていた。大海が起こした火事により、貴重な蔵書も応接間も隼人気に入りの揺り椅子も全て燃えてしまった。大海を強く責める気持ちはないが、恨み言の一つくらいは言いたい気分だった。
隼太が滞在している部屋はモダンで調度品など洒落てはいるが殺風景で、年月を経た重みがない。
――――矢倉の御舘はどうだろうか。
副つ家にしろ矢倉の御舘にしろ、旧家、名門ならではの権威を隼太は嫌うが、建築物そのものについてはその限りではない。
そして今週末、ことが矢倉の御舘を訪問するという情報は風に聴いていた。
「…………」
隼太は座っていた真紅のラブソファから立ち上がると、部屋に備え付けの電話の受話器を取った。白い電話はつるりとして手に冷たい。
「フロントか。シャンパンと生ハムを持ってきてくれ」
畏まりました、という答えの後半部に、があ、という烏の声が重なった。受話器を置いて部屋の窓を見ると大海が隼太と名付けた烏がそこにいた。隼太は思わずぷっ、と噴き出す。
「狙ったようなタイミングだな。生ハムが喰いたいのか?」
そう言いながら隼太が窓を開けてやると、烏は嬉々とした様子で部屋に舞い降りた。
昼過ぎ、恭司は千秋の家の庭で命じられた落ち葉掃きをしていた。欅の大木が植わる庭には、芝草の上に赤茶や黄色などの葉が散り積もっている。毎日掃いても追いつかないのだ。晴れてはいるが、空気はうすら寒い。鼻をひくつかせればどこかで焚火でもしているのか、何かが燻り煙る匂いがする。
ざかざかと音高く恭司が落ち葉を掃いていると、竹箒の先に影が差した。
見上げればロマンスグレーの紳士がにこやかな笑顔を浮かべて立っている。恭司はこの手の上品さというものを信用しない。腹の底に何を隠しているか解らないと胡散臭く感じ敬遠していた。ここまで近づかれるまでに気配を察知出来なかったという警戒心もある。
「誰だ、あんた。客なら俺はこの家の人間じゃないぜ」
「これは失礼。私は音ノ瀬宗吾という者だ。佐々木恭司君。君に話があって寄らせてもらったんだ」
「――――本家の後継者候補の父親か」
無表情の恭司が竹箒を握る手に力が籠った。
「それが俺に何の用だよ?」
宗吾が寛容で鷹揚な表情を形作る。子供の、物知らずゆえの無礼を大目に見ようという完璧な笑顔。
「そう構えずに。私は君と楓嬢の仲を応援しているんだ。例え多少の困難はあれ、想い合う者同士は共にあるべきだ」
「俺はあんなガキを相手にはしないよ、おじさん」
宗吾の表情が変わる。抜け目ない計算を働かせていることが、その双眸から窺い知れる。
「……一族の反発を気にしているのかな? だとすれば心配しなくて良い。私は矢倉の御舘という、音ノ瀬ではそれなりに名の知れた家の当主だ。私が君の後押しをしよう。楓嬢と君が離れずに済むように――――――――」
「ははあん。それで、元犯罪者の俺といて疵物になった楓は次代当主に相応しからず、という状況を作り出そうって魂胆か。おっさん、性質悪いぜ」
恭司の指摘に、如何にも心外だという顔を宗吾は作る。
「それは誤解だ。私は君たちの為を思えばこそ、」
「そこまでにしなさいな、宗吾さん」
割り込んだ声は家の主・音ノ瀬康醍のものだった。頭髪はほぼ白く薄く、顔には無数の皺こそ刻み込まれている老人だが、手を後ろ手に組み、しゃんと背筋を伸ばした威厳ある佇まいは矢倉の御舘当主と並んでも引けを取らない。少しく欅の大木に印象が似ていなくもない。
「仮にも矢倉の御舘当主ともあろうお人が、こそこそうちに忍び入った揚句、若者を唆すもんじゃありませんよ」
宗吾は何か言おうと開いた口を閉じた。今の状況で自分が劣勢にあると察したのだ。
「……どうやら康醍さんも私を誤解されているようだ。黙って庭に入ったことは謝ります。確かに、矢倉の御舘の名に相応しからぬ行いでした。康醍さんのご不興も買ったことだし、今日はこれで退散するけれど、恭司君。私の話をよく考えておいてくれ」
表面上では謝罪しながら、宗吾は矢倉の御舘という権威をちらつかせてから去って行った。
その後ろ姿が見えなくなるまで、恭司は内心で宗吾を睨みつけていた。表面上は蚊が周囲を煩く飛んで不快だったという程度の表情だ。表情を取り繕うのは宗吾だけではない。
(楓の奴……。あんな海千山千を相手にしなくちゃならないのかよ)
無論、楓にはことという絶対的な庇護者や、聖や秀一郎といった味方もいるが、到底、一筋縄では行かない男と見える宗吾の存在は、恭司を不安にさせた。楓の傍についていてやったほうが良いかと考える。しかしそれでは宗吾の思う壺だ。
「恭司よ。お前さんが何を考えているのか、大体解るがな。物事は所詮、なるようにしかならん」
懊悩する恭司に、からっとした口調で康醍が言う。図らずも聖がことに言ったのと同じ言葉だ。
「それでも考えろ。考え続けることをやめるな。停止は悪い風を招く。何が一番良い道なのか、ようく見定めるんだな」
言うだけ言うと康醍はさっさと家に入って行った。康醍の言葉に、恭司は泣き腫らした目の楓を思い出す。
(俺のいないところであいつが泣くのか。あいつにとってそれが幸福なのか。……音ノ瀬ことの庇護下にいれば、それで楓は幸福だと俺は思っていた)
楓にとって、ことの存在がどれ程大きいか恭司は知っている。
(けど、それだけじゃ足りないのか――――)
必要なピースの一つに、自分も数えられるのか。
風が吹いて、掃き集めた落ち葉が飛ばされても、恭司はまだ考えていた。




