宝子
翌日、本家を訪れた秀一郎は、隼太の目論見を聖に話し終えた。
美装のランプが下がる室内で。今は昼間なので、淡い水色に乳白色の水玉模様が刻まれた硝子の中心に灯りは点っていない。差し込む陽光だけが日向と日陰の明暗を分けている。
二人共、椅子には座らず、秀一郎は立って、聖は出窓に腰掛けている体勢だ。
「考えることは変わらないな。隼太君も、宗吾さんも」
「ああ。子供を利用して音ノ瀬を乗っ取ろうと考えるあたり、どちらも同じだ」
話を聴いた聖に秀一郎が相槌を打つ。
「君はこの件をどう落着させるべきだと思う? 秀一郎君」
「……意地の悪い質問だな。最善なのはやはり、君とことさんが結婚して楓さんを養女に迎え入れることだろう。恭司君は楓さんを慮って離れている。それなら易々と隼太君に取り込まれもしないだろう。事実、彼は今、隼太君の命令に背いて自分の意思で動いている。問題と言えば楓さんに憐憫を感じることさんの心と、僕のことさんへの恋着だろう」
淡々と秀一郎は語る。聖はその横顔を見て付け加える。
「少し問題が足りないな。楓さんに憐憫を感じるのはこと様だけではない。僕も、そして秀一郎君、君もだ。幼少から次代当主となるべく育てられたこと様を知る僕らは、その負荷がどれ程のものかを知っている。まして当主の重責はそれに比べるべくもない。楓さんに自由な未来を――――。その想いが問題を混迷させ解決し難くさせている」
「……僕は隼太君に甘いと言われたよ」
聖が笑う。
「それを言うなら僕もだな。一緒に暮らす内に楓さんを可愛いと感じるようになった。我が子のようにとまでは行かないまでも、僕なりに大事にしたいと思っている」
「僕らの逡巡は正当化されて良いのかな?」
「良いだろう。明快な糸口が未だ見えないとしても。人とはそういうものじゃないか」
秀一郎が安堵ともつかない溜息を吐く。彼なりに思い詰めていたようだ。
話の内容が楓への今後の対応に関わるデリケートなものになる為、ことのいないところで話したのだ、と聖には解った。秀一郎は何でもそつなくこなせるようでいて、その実は不器用な苦労性という側面を持つ。
恭司と会わなくなって、楓は口数が減った。
そしてその瞳にはどこか諦観の色が浮かぶ。
私はその目を知っている。昔の私のそれと同じだ。
私は両親たちの厳しさや、いずれ音ノ瀬家の当主となる必然性から諦観の表情を得たが、楓の場合は恭司と離れる事実に対する諦観のようだった。あの子は知っているのだ。理由は判然としなくとも、恭司が自分の為に距離を置いたことを。家督相続の有象無象の厄介さえ無ければ、今も恭司は何の彼のと文句を言いつつ楓の傍にいただろう。
私は楓に申し訳ないような思いになった。
「楓さん。今日は一緒のお布団で寝ましょうか」
「良いの?」
楓の顔に久し振りの笑みが浮かぶ。
「少しずつですけど、冷えてきてますしね」
違い棚には蝉の抜け殻とビー玉、おはじきが、季節にそぐわぬか否かを無視して年中、並べて置かれている。そこだけが光り輝く夏の残滓を表わしているようだ。何も思い悩まずに済んだ過去を表わしているようだ。私の布団に、楓がいそいそと入ってくる。身体を猫のように摺り寄せられると、髪の毛が首に当たりくすぐったい。
普段の楓はここまでの甘え方をしない。やはり恭司の不在が大きいか。
「――――……楓さん」
「なあに、ことさん」
恭司が好きか、本家を継ぎたいか、訊くべきことは多々あるが、今、この時間にそれをするのは無粋に思えた。草花が透かし彫りされた木の電灯の、豆球だけを点けたこの薄闇の中では。
楓の身体を緩く抱く。
この、温もりの尊さ。
「楓さんの幸せを、いつも願っていますよ」
「うん……。知ってるよ?」
言わずもがなのコトノハだったようだ。けれど、言わないよりは言ったほうが良い。そんなコトノハはたくさんあるのに、現代人は昔よりその処方に不器用になった気がする。
私は宗吾やカレン、隼太の顔を思い浮かべる。立ち止まる余裕はない。一手一手、最善の手をその時々で尽くすしかないのだ。
それを積み重ねた先に明るい展望が開けると信じて。
しばらくして、腕の中から健やかな寝息が聴こえてきた。
私は楓の髪を梳いた。
「貴方は私の宝ですよ」




