混ざり合わない
万一、容態が急変してもすぐに気付けるよう、私は恭司の寝床を客間に隣接した部屋に設えた。幾ら声を掛けても眠ろうとしない楓の隣に私もまた付き添い、そしてそんな私たちを聖が見守り、三人で眠らぬままに朝を迎えた。恭司は朝日のしらじらした光が部屋を明らめようとした頃に目を覚ました。それをすぐに察したのは楓だった。
「恭司君! 大丈夫?」
恭司はしばらくぼんやりと楓の顔を見ていたが、やがてぽつりと言った。
「恭司さんと呼べ。何で泣いたんだ、ガキ」
楓の顔にある涙の跡を目敏く見抜き、尚且つ名前の呼び方を指示するあたり、彼は極めていつも通り、正常なようだ。私は聖と目線を交わしてそのことを確認し合い、安堵した。それからキャロラインに恭司の意識が無事に回復した旨を、電話で伝えた。
困ったのは次だ。
楓が、今日は学校を休んで恭司についている、と言い張ったのだ。
私や聖が諭しても、恭司自身が迷惑がっても意思を変えようとしない。妙に頑固なところがある、と常々思ってはいたが。
「こと様に似ていますね」
聖はそう評したが、私には少々不本意だった。ともあれ、根負けした私は、徹夜明けでもあることだし、楓が学校を休むことを許したのだった。許しはしたものの、私が心配顔であるのには理由がある。
庭の桜の樹が紅葉している。釣忍を鳴らす風は涼やかなものとなり、楓が育てている盆栽の小さな楓も、黄色から愛らしい赤に変じつつある。夏にはどこから湧いて出るのかと思っていた羽虫たちや蝉も鳴りを潜め、今では赤蜻蛉が見られるようになった。
楓の紅葉――――。
それ自体は喜ばしいのだ。
だが。
「何を思い悩まれていますか」
縁側に並んで座る聖に問われる。彼の白髪の向こうには、高い天の青が見える。白い雲が一つ二つと浮かび、それらはますます青を鮮明にする役割を果たしている。
「楓さんの紅葉について、です」
この言い方で聖には通じるだろうと私は思った。
「……恭司君との件ですか」
「はい」
やはり通じていた。私の思い違いでなければ、楓は恐らく恭司に恋愛感情に近しいものを抱いている。恭司のほうは判らない。そこは中身が三十を過ぎた大人の男で、自分の想いを易々と他に知らせるような愛嬌は持たないからだ。
「想いを縛ることは誰にも出来ません。それは私が痛い程よく知っています。ですが……」
初恋の相手とするには、楓には恭司は荷が勝ち過ぎているのではないかと思うのだ。彼は犯罪に長く関わってもいた。
果たして聖はあっさりと言った。
「なるようにしかなりませんよ。こればかりは」
「それはそうですが……」
「今はまだ楓さんも幼い。心が移ろう可能性も大きいでしょう。それに、例え楓さんが恭司君を恋い慕ったとして、恭司君が軽々しくその想いを受け容れるとは思えません。歳の差云々の理由ではなく、彼もまた楓さんを恋うていれば、楓さんの為に想いを返すまいとするのではないでしょうか」
「……楓さんのことを何とも思っていなければ?」
「それはそれでさりげなくあしらうでしょう。彼も大人です」
いずれにしても楓は悲しむ結果になるのだろうか。
私は何とも複雑な気持ちになった。母となれば、こうした問題でやきもきすることも出てくるのか。この問題の答えばかりは、風も教えてくれない。
そんな問答をしている内、徹夜した私たちはもたれ合って眠り込んでしまった。
楓の大きな目が恭司の顔から離れない。まるで目を離せば恭司が消えてしまうのではないかと怯えているかのように。昨夜は一睡もしていないと聴く。眠れよ、と思いながら、恭司は楓の目が鬱陶しくて、水を飲みたい、と言って一時的に楓を部屋から追い払った。
楓がインクブルーの切子硝子の茶器に水を入れて持ってくる。
恭司はそれを一息に飲み干すと、勢い余った握力で茶器を割り砕いてしまった。
粉々に煌めきながら飛び散る、青い欠片。
楓が息を呑む。
恭司はしかし何でもないことのように、血が流れる自らの右手をぺろりと舐めた。
青と赤。相容れない二つの色。
そして横目で楓を見る。傲岸な眼差しだった。
楓が思わず伸ばした手は払いのけられる。
「癒」
自分の傷を自分のコトノハで治癒した恭司は、楓に背を向ける形で再び布団に横になった。そこには拒絶の空気が色濃く漂っていた。




