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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
家督相続編 第二章
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ブルーベル

 恭司は歯軋りする思いだった。唐突に意識を奪われ、気付けば船のコンテナにいたのだ。

 屈辱としか言い様がない。敵にとっての好餌が楓でなく自分であっただけまだましではあった。しかし猿轡を噛まされ、手首と足首を縛られた状態では、如何に恭司でも戦いようがない。コンテナの底はざらついていて、不快だ。

 更に不快感を煽るのが、目の前に立つ男の優越感に満ちた顔。

「お目覚めかい、坊や。今から君には我々とちょっとした航海に出てもらうよ。君には不思議なコトノハとやらの力で役に立ってもらおうと思っている。何、今は嫌だと思っていても、その内すぐに言うことを聴くようになる。さ、ちょっと痛いけど我慢しておくれ」

 欧米人に見える男は、ご丁寧にも恭司に解るように日本語で得々と語り掛けると、一本の注射器を取り出した。恐らく麻薬の類だろう。恭司は抵抗の術なく、それを腕に打たれた。

 昔は密貿易で密輸船に荷を運び入れたりもしていた自分が、今は荷そのものになっていることが皮肉だ、と思ったところで、恭司の意識は途切れた。


 夕刻、キャロラインがうちに来た。

 その前には秀一郎も大海も既にうちに参着していて、恭司が攫われたあらまし、隼太の思惑等を話しておいた。大海は隼太の考えについて、「あいつらしい」とだけ述べた。近頃の大海は、以前より正気でいる時間が長くなったように感じられる。

 キャロライン曰はく、恭司を乗せて運ぶ船の目安がついたそうだ。

 ビクターが地図を取り出し、港の場所、船の停泊場所を指し示してくれた。

「でも私には解らないわ、コトさん」

「何がですか?」

「あの少年は言わば組織の末端でしょう? 貴方は組織のトップとして、一人くらい切り捨てる非情さも必要なんじゃなくて?」

「キャロライン。彼は今となっては、私たち音ノ瀬一族の一員なのです。郷里を同じくする同胞のようなものなのです。彼はまだ、そうは思ってくれていないでしょうが、私は彼とそうなれたらと願っているのです」

 聖に付き添われて帰宅した楓に、恭司が攫われたと告げた時、楓は泣き出しそうな顔になった。楓だけではない。私にとっても、恭司は失えない人間になりつつある。恭司の奪還は楓だけでなく自分の望みでもあった。

 キャロラインの唇がおもむろに動く。

「……コトさん。私の故郷はね、イギリスの湖水地方なの。知っているかしら。ランカシャー。美しいところよ。五月には青いブルーベルが一帯に咲き乱れるわ。淡い青の霞に取り囲まれている気分になる……」

 そこでキャロラインはお茶を飲み、唇を湿した。

「ビクターも同じ。ランカシャーの出身なの。同じ故郷を持つことで生まれる連帯感は、組織に属していても特別なものよ。否めるものじゃないわ。コトさんにとっては、キョウジという少年も、同じ。特別になってしまっているのね」

 キャロラインが自らの経歴に触れることを話したのはこれが初めてだ。

 語る間、彼女の表情はいつもより柔らかく、穏やかだった。

 キャロラインの人間味ある一面は、恭司を取り戻さねばと逸る私の心にささやかな余裕をもたらしてくれた。同時に、彼女とビクターとの間にある見えない絆の所以が理解出来た。

 隼太は来なかった。きっと彼は彼なりのやり方で、恭司が監禁されている船や出航時間、港の場所を掴んだだろう。ここからは時間との戦いだ。

 隼太に先んじて、恭司を見つけ出さないといけない。私は秀一郎の運転する車で聖、大海と共に港に向かった。楓の守りは千秋に頼んだ。港までは車で二時間弱掛かる。キャロラインたちは別働隊として動いている。


 深夜の港は静まり返っていた。目当ての船は予想より大きく、すぐに見つけることが出来た。港中央には人工芝が敷かれ、その周囲を曲がりくねった鉄の短い棒が囲んでいる。昼間にはデートスポットにでもなるのかもしれない。陽のもとでは青く輝いて見えるだろう海が、今は暗く私たちを呑み込みそうに佇んでいる。海風の冷たさと独特の潮の香りが、私の感覚に人間の卑小を知らしめるような海の存在感を訴えてくる。

 出港したての船に、私は聖と秀一郎、大海を連れて飛び、船尾楼甲板に着地した。

 眼下を見ると小型船が並走している。キャロラインたちだろう。恐らく縄梯子を降ろす役割を負った人間をこの船に潜り込ませている。

 甲板に降りた私たちに、当然のことながら見張りの男たちが銃口を向けてきた。

 すい、と大海が前に進み出る。長身痩躯が作る細長いシルエット。

「外道祭文キチガイ地獄」

 大海がコトノハを処方すると、彼らは一斉に銃を下げ、前後不覚の状態に陥った。

 今から悪夢の幻覚を見るのだと思うと、少々同情しないでもないが、それよりも恭司だ。

 吹きすさぶ海風が、彼は階下にいると教えてくれる。秀一郎と聖と、緑の階段を音高く駆け降りて、恭司が監禁されていそうなコンテナを捜す。廊下の天井には白く太いパイプが曲がりくねって、まるで生き物のようにへばりついている。

 恭司の所在は、コンテナの前に倒れている男の姿によって知れた。

 中に踏み込むと恭司が手首と足首を縛られた状態で倒れていた。口には猿轡まで噛まされている。生きてはいるようだ。

「恭司さん!」

「遅かったな、音ノ瀬こと」

 そこには既に隼太がいて、動かない恭司に今にも触れようとしているところだった。恭司は意識のない様子で目を閉じている。顔立ちが整っているだけに、そうしていると痛々しさがより増す。

「隼太さん。恭司さんから離れてください。この船は我々がほぼ制圧しました。恭司さんを殺す必要もないでしょう」

 これは半ば、はったりだった。私たちは操舵室までは占拠していない。私の言葉はキャロラインたち頼みの希望的観測だ。

 だがひとまず隼太は恭司から離れ、私はほっと息を吐いた。

「薬を使われたな」

「え?」

「恭司を思い通りに操る為だろう。腕に注射の跡もある」

「…………可哀そうに」

 私は恭司に手をかざし、「()」と唱えた。

 操舵室の前で、私たちはキャロラインと落ち合った。彼女は隼太の姿をちらりと見たが何も言わず、あとは自分たちに任せて船から脱出しろと私たちに言った。今回の件を、自分の組織の手落ちの一つであるとも考えているのだろう。

 私は彼女の言葉に甘えることにした。

 甲板に出たところで、敵の新手が出てきた。操舵室を押さえてもまだ抵抗する者はいるらしい。

 秀一郎と聖が前に出る。

(ばく)

 二人同時に処方されたコトノハに、抗える敵はいない。

 金縛りにあったように動けないまま、彼らは悠々と甲板を横切る私たちを見送った。

 それから私たちは宙を飛び、ようやく陸地に戻ることが出来たのである。

 恭司の薬の後遺症も考慮して、私は彼を千秋の家ではなく我が家へと連れ帰った。

 楓は寝ずに待っていて、恭司の姿を見ると今度こそ本当に泣き出した。

 恭司の身体に縋りついて、泣きじゃくっている。

 それが悲嘆ではなく安堵の涙であることに、誰より私こそが安堵したのだった。



挿絵(By みてみん)





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