ふるさとを君に
風が騒いでいる。
大切な人間が連れ去られたと、私に告げている。
私の髪と心を乱すこんな不穏な風を、両親が旅立ってからも聴いた――――。
俊介が帰ったあと、釣忍の音が、私に危急を知らせた。
聖も聴き取ったようで、私の顔を見た。
「こと様。恭司君が――――」
私は頷く。
「ええ。隼太さんと連絡を取る必要がありますね。楓さんの迎えは、聖さんが行ってくれますか」
「はい」
「お願いします」
私は浴衣から平服に着替えた。風邪気味だなどと言っている場合ではない。
どうやら、隼太の作戦が裏目に出たようだ。
完膚なきまでに撃退された敵は、コトノハの力にますます興味を抱いてしまったらしい。
恭司を拉致することで、コトノハを利用しようと考えているのだろう。
楓ではなく、彼が狙われるとは私にも、恐らく隼太にも盲点だった。
私には音ノ瀬一族を庇護する義務がある。そして今では楓は言うまでもなく、恭司も私にとって一族同様、庇護の対象となっている。
取り戻さなければならない。
私は黒い電話に向かった。
隼太はすぐにうちに来た。彼も風の報せを聴いたらしい。
その表情は苦渋に満ちているかと思いきや、平静に凪いでいる。この男はおおよその物事に動じない。
「恭司の油断だ」
開口一番、隼太は言った。インクブルーの切子硝子の茶器を見ながら。
「ですが、助ける必要はあります」
「そうだな」
そこで一拍、間が開く。
チリーンと釣忍が鳴る。
「助けられないようなら、あいつは殺す」
私は自分の耳を疑った。
「何を仰ってるんですか、隼太さん」
「耳が遠くなったか? 当然だろう。虜囚となった恭司のコトノハが良い様に利用される事態こそを最も忌避すべきだろうが。そんな自明の理も解らないのか」
「だから彼を殺すと言うのですか」
「そうだ。助け出せないくらいなら、いっそな。そのほうがあいつの為にもなるだろう。……恭司はプライドが高い。敵に利用されるくらいなら、死を選ぶさ」
隼太の言うことが全く理解出来ない訳ではない。
しかし私には受け容れ難いコトノハだった。恭司は実年齢を鑑みてもまだ若い。隼太に伴われて動いていたこれまでとは違う、もっと自由な生き方をこれから選ぶことが出来る。楓も彼と絆を育みつつある。明るい世界に羽ばたく幸いを、知るべきなのだ。今からが彼の人生にとって肝要なのだ。利用されない、ただそれだけの為に死なせるようなことがあってはならない。そして図らずも今の発言で、隼太は自らに人の殺害が可能であるということを私に露呈した。もう隠す必要もないと開き直ったのか。
「……キャロラインとも連絡を取ります」
「ああ、そうしろ」
私は聖に目顔で、隼太が早々に立ち去らないよう頼んだ。聖が小さく顎を引く。
キャロラインともすぐに連絡がついたが、うちには来られないと言われた。その代わりに恭司を攫ったであろう相手についての情報をもたらしてくれた。
『ごめんなさい、コトさん。今回ばかりは私たちが貴方がたを巻き込んだようだわ』
「どういう意味ですか?」
『その少年を攫ったのは、うちと競合している諜報機関よ。花屋敷やロッジに潜入した犯罪者グループとは別。でも手段を選ばない点では共通してるわね』
「彼らは恭司さんをどこに連れて行く積りですか。今、彼はどこに?」
『……そこまでは解らないわ。ただ、相手はきっと船を使う。今夜にでも港から出るコンテナ船に乗せる筈。船を特定出来たらまた連絡するわ。向かえそうだったら私もそちらに行くから』
私の耳は、キャロラインのコトノハ全てをありのままには受け取らなかった。
彼女は恭司がどこに運ばれるのか知っている。ただ、言うのは憚りがあるから誤魔化した――――――――。
それから二言、三言、キャロラインと言葉を交わし、私は受話器を置いた。
振り向けば隼太が観察するような眼差しで私を見ている。
「恭司さんを攫ったのは、キャロラインたちの競合相手だそうです」
「他の情報は?」
「……お教え出来ません」
彼に恭司を殺させはしない。
「では、こちらは勝手に情報を集め、動くぞ」
「…………」
「それが嫌なら情報を寄越せ。協力し合ったほうが計画は円滑に進むだろうが」
「恭司さんを助けることを第一義に考えてください」
「無論だ。俺だってみすみすあいつを殺したくはない」
先程までの言い様より、穏便な物言いになっている。私を懐柔する為だろう。
だが、私はキャロラインから得た情報を隼太にも伝えた。隼太本人も言っていたように、荒事であれば隼太程頼れる人間もそうはいないのだ。いざとなれば私や聖が隼太のストッパーになれば良い。これから忙しくなる。秀一郎にも連絡を取り、大海にも来てもらう必要があるかもしれない。楓のことは千秋に頼むしかあるまい。
――――楓。
あの子にこの事態を説明しなくてはならないと考えると気が重い。
万一、恭司が死ぬような結果になれば楓は泣くだろう。
楓の涙を見ない為にも、恭司を無事に取り戻さなければならない。
恭司は既に、私たちの生活の中で欠かせないピースになっているのだ。
首尾よく恭司を助け出すことが出来たら、私は彼をふるさとに連れて行ってやりたい。
郷里というものを持たないであろう恭司が、楓と共にふるさとで戯れる姿を見たい、と私は思う。




