花の宴
私は久し振りに花野重音嬢の自宅を訪ねていた。
重音嬢は、隼太が起こした竜巻に煽られて倒れた自転車に巻き込まれ、額に傷を負った。
残るかもしれないと言われていたその傷痕を、私は彼女に知られぬようコトノハを処方して消した。しかし重音嬢に不要な負傷をさせてしまったのは事実だ。隼太が起こした竜巻とは言え、これは私の責任の範疇なのだ。
「ことさん。また、難しい考え事をしてらっしゃるの?」
ティーカップを私に出しながら、重音嬢が問う。
エミール・ガレの模倣と見られる葉模様の花瓶に、今日は黄色い薔薇の花が活けてある。
「いいえ。今日は、重音さんをお誘いに参りました」
「まあ、何にかしら」
「飲み会です」
私が言うと、重音嬢は初めての単語を聴いたように、澄んだ目をしばたたかせた。
「大将、とりあえず豚バラ、ゲソ、白みそ、牛さがり、ベーコンのチーズ巻きを九本ずつお願いします」
「はいよ!」
恐らく生まれて初めて来たのであろう居酒屋を、重音嬢は珍しいものを見るようにきょろきょろと眺めている。
大切なお嬢様を野蛮な店になど行かせられない、と言う執事の柴本を説得するのには苦労した。
最近は足が遠のいていたが、ここは私の気に入りの居酒屋なのだ。
食べ物も飲み物も美味い。
人数が人数なので、私たちはカウンター席ではなく座敷のほうに上がらせてもらった。
顔触れは私、重音嬢、楓、聖、秀一郎、俊介、千秋、大海、恭司、の九名である。
座敷の中でも、最も大きなテーブルに各々着席した。
私は大海の表情をさりげなく窺う。
一度、死に損ねた者はそうそう二度目を望まない。
それは聖が言ったことだが、私はまだ大海が心配だった。
二度目を望む人間もいると思ったし、共に飲んで食べ、その不安を払拭したかったのだ。
また、この飲み会には別の意図もあった。
「大学で飲み会には誘われないんですか?」
楓を除く初対面の全員が重音嬢に自己紹介したあと(正確には重音嬢と聖、俊介はうちですれ違ったことはある)、秀一郎が重音嬢に訊く。
「お嬢様だから、と敬遠されているようで……。それと、たまにお誘いを受けても柴本が反対するんです」
さもありなん、と思いながら私はカルピスチューハイを飲む。
恭司も飲みたそうな顔をしているが、何せ見掛けは未成年なので飲酒させる訳にも行かない。
まず運ばれてきた豚バラとゲソ、牛さがりを食べる千秋と俊介は隣り合って座っている。
これは私の差配だ。
秀一郎が重音嬢と隣り合って座っているのも同様。
つまり今回の飲み会は、密かに合コンでもあるのだ。
聖や秀一郎は私の意図に気づいているようだが、それを言い指すことはしない。
よしよし。
好い歳をした独身男性と独身女性が一つテーブルを囲んでいるのだから、何がしか芽生えるものがないかと私は期待している。
もちろん、美食美酒を楽しむことも忘れない。
遅い暑気払いとしても良いだろう。
この豚バラの、噛むとじゅわ、と出てくる脂の味わいが堪らない。
「ぷっはー」
「こと様」
おっと、いかんいかん。聖にひっそり名を呼ばれて我に帰る。
楓もいるのだ。余り弾け過ぎても良くない。
楓は大人しくウーロン茶を飲みながら牛さがりをもぐもぐと食べている。頬が緩んでいるところを見ると美味しいようだ。
大海は、と見ると、こちらも大人しくビールが入ったジョッキを傾けている。
その表情はぼんやりしているようで、何等かの感情を見て取ることは難しい。
少しは生の喜びを見出してくれていると良いのだが。
――――――――例え胸の奥深く、絶望を抱えていたとしても。いや、いればこそ。
「俺、つくね食べたい。あとレバーと砂ずり!」
「恭司、あんたちょっとは遠慮しなさいよね」
「良いんですよ、千秋さん。私も砂ずりは食べたいと思っていましたし」
「僕は自分の分は自分で支払いますから」
「あ、俺も」
「いえ、秀一郎さん、俊介さんも。ここは私持ちで。私の顔を立ててください」
私は美味しい物を食べ美味しい酒を飲むと常より寛大になる。
それ以前に、この(密かに)合コンを企画した時点で、全ての支払いを自分ですることを決めていたのだ。
「そうですか、ルネ・ラリックがお好きなんですね」
「ええ。エミール・ガレやラリックの品はうちに数点、ありますの」
「ラリックと言えば先日、白い小鳥のペーパーウェイトを見ましたよ。一点で驚く程の高値でしたが、さすがに精巧な作りの美品でした」
重音嬢と秀一郎は話が弾んでいるようで実に結構である。
「肉ばっか食べてないで付け合せのキャベツも食べなさいよ。胃に良いんだから」
これは千秋から恭司と俊介に向けての言葉。
「千秋さんは甲斐甲斐しいですね」
「本当ですね。お袋を思い出すなあ」
俊介、この莫迦。
ここで母親と千秋を重ねる奴があるか。案の定、千秋の眉間に皺が出来ている。
「甲斐甲斐しいのはある男限定じゃないのー?」
ここで恭司がにやにやと茶々を入れる。
滑らかな秀一郎と重音嬢の会話に比べて、どうもこのあたりの面子は凸凹している。
注文した品を食べ、それも尽きてまた注文して、を繰り返したあと、締めにはお握りと焼きお握りを注文した。
お握りもさることながらここの焼きお握りは、程良くついた焦げも香ばしく、その上には溶けつつあるバターが乗せられた逸品だ。
私たちはその味に舌鼓を打ち、店をあとにした。
重音嬢は柴本の車で送られ、秀一郎と俊介、大海と恭司、千秋とも途中で別れた私たちは、ゆっくりした足取りで家路を辿っていた。
今回の企画が成功したかどうかは解らないが、それぞれの親密さは増したと私は思っている。
空には満月が昇っていて足元は明るい。
坂道を上ると家が迫り、鍵をポケットから取り出そうとした私は、ようやく周囲に満ちる殺気に気付いた。少し飲み過ぎたかもしれない。
私と楓と聖を取り囲むように、男たちが立っていた。




