見抜かれた色
沢口真葛視点の番外編です。
音ノ瀬本家に尽くすのが副つ家の務め。
真葛は幼少からそう言い聞かされて育った。骨の髄まで沁み入るように。
そしてその教えにそう反発を感じることもなく、従順に応じたのは、本家の跡取りとなる少女があどけなく、けれどそれと矛盾してどこか諦観めいた表情をしていたからかもしれない。
自分が副つ家の宿命より逃れられないのなら、彼女――――音ノ瀬こともまた宿命より逃れ得ないのだと知っていたから、ことの力になりたいとも思った。
尤も、彼女は専ら聖のほうによく懐き、聖もことの相手をするのに喜びを感じているようだった。
聖とは異なり外の世界に馴染んだ真葛は、高校まで進んだ。
爽やかな風が吹き、夏がもう終わりを告げようとする時期。
真葛は自分を頻繁に見ている視線に気付いた。
同じクラスの男子生徒だ。余り喋ったことはない。
真葛の白髪と赤目は、人目を惹かないよう目眩ましがされている。
それでも注目されてしまったことに、真葛は危機感を抱いた。
「沢口君。私に何か用?」
早くも紅葉を始めた桜の樹が植わる校庭の、正門前。沢口勇樹の所属するバスケ部が休みで、彼は真葛の跡を追うように歩いていた。
勇樹は束の間、視線を泳がせたが、やがて正面から真葛を見た。
「いや。用って言うか……髪と目が綺麗だなと思って……」
やはり彼は目眩ましを超えて、真葛の真の姿を意識に捉えていた。
真葛の白髪と赤目を、特別なものと感じたのだ。
それは稀有なことだった。真葛は内心の動揺を抑えて言った。
「……ありがとう。でもあんまりじろじろ見ないで」
「ああ、ごめん。音ノ瀬。お前さ」
「何?」
「何か身に余る問題でも抱えてるの?」
真葛は驚き、問い返した。思い当たることであれば多くあるが、まさかそれを勇樹に指摘されるとは思いもしなかったのだ。容姿の特殊であることに着目したことといい、彼はどれだけ真葛を観察していたのだろうか。
「どうして?」
「……何となく、そんな気がしたから。俺で良ければ相談に乗るよ」
勇樹の掛けている眼鏡の縁が日光に反射して光る。
それで真葛は、彼が思いの外涼しげな顔立ちをしていることに気づいた。
一対の目からは誠実な人柄が感じられた。
彼が真葛を特別視したように、真葛も勇樹を同じく特別な人だと思った。
真葛は自分を見抜かれることを恐れていた。けれど同時にずっと、音ノ瀬一族以外で自分を見抜いてくれる誰かを待ってもいたのだ。渇き、飢えるように。心の奥底が、勇樹のコトノハに歓喜した。
じわり、と胸が熱くなる。
時を経ずしてそれは恋心となり、二人は付き合うようになった。
勇樹が大学に進学し、真葛がふるさとに留まっても付き合いは続いた。
「君の家が難しい家だということは解っている。でも俺と、結婚してくれないか」
ことが音ノ瀬家当主となった時期と前後して、社会人として数年を経た勇樹が真葛にプロポーズした。
真葛は勇樹の気持ちに応えたいと切望したが、音ノ瀬一族からは猛反対された。
「仮にも副つ家の者が一般の人間に嫁ぐなど」
「異類婚ではあるまいに」
「許される筈もない」
「そもそもこの非常時に」
彼らのコトノハはそれぞれがまるで礫のように真葛を打ったが、最後の非難は、特に真葛の耳に痛かった。
当時、音ノ瀬隼人の血を継ぐ者が犯罪行為をしているという情報があった。
ことの両親はその真偽を確かめる為、娘に家督を譲ってから旅立った。
そうしてそのまま帰らない。何かあったのではないか、と一族が騒ぎ出している最中だった。不謹慎と罵られても仕方ない。本来なら先代当主たちの帰還を待つのが筋だが、真葛はもう長く、勇樹に返事を待ってもらっていた。これ以上は心苦しいという思いが、真葛を決断させた。だが一族重鎮たちの態度は真葛の予想を上回り頑なだった。
「ともかく、この申し出は聴かなかったことに、」
「――――否」
数々の反論の声が上がる中、客間の上座に座る、ことが口を開いた。
「真葛の好きなようにするが良い」
「御当主!?」
「軽率な御判断をなさいますな! 貴方様はまだ当主となられて間もないゆえ、こたびの重大さがお解りでないのです」
ことが彼らの顔をちらりと一瞥した。
「重大さならば解っている。――――真葛が、惚れた男と添い遂げられるかどうかの瀬戸際だ」
「そのような意味ではっ。それは、女子供の甘い考え方でございますぞ!」
「そう。私は女ゆえ、このような考え方をする。真葛」
ことが明朗な声で真葛の名を呼ぶ。
「はい」
「副つ家を出て、沢口の家に入るが良い。現当主である私が許す」
現当主、という部分をことは強調した。
「御当主っ」
「以後、この件に関して口出し無用」
ぴしゃり、とことが言い置き、騒いでいた面々を黙らせた。
まだ歳若い、しかも女当主の威厳が、重鎮たちに勝ったのだ。その凛とした面に、同じ女の真葛でさえ一瞬、状況を忘れて見惚れた。
真葛の両親はとうに他界し、唯一の家族である聖は、複雑な顔で、しかし真葛を応援してくれた。副つ家の重責を放棄する姉を。
彼が複雑な顔であった理由は解っている。
ことの父である先代当主なら、きっと真葛が外の人間と結婚するのを許さなかっただろう。真葛の僥倖は、現当主がことであるからこそのものなのだ。そしてことが現在、当主であるに至った経緯は決して安穏としたものではない。
姉の結婚を祝福したい思いと同時に、そうした背景が絡むゆえ、聖の心境は単純なものとはならないのだ。
真葛もまた、それを承知していた。
承知した上で勇樹に嫁げる身の上を喜ぶ自分に、罪深さを感じていた。
嘗てはことの力になりたいと望みもしたのに。
だからこそ、願うのだ。
ことの幸福を。
無理を押してまで、自分の懇願を聴き容れてくれようとする人の幸福を。
そして弟に願いを託す。
虚空の吹き曝しに、ことを独り、立たせたままにしないように、と。
身勝手と知りながら。
――――時は晩夏。
夜だと言うのに蝉の声がまだ鳴り響いていた。




