ことはりや
手土産のシュークリームを持って、秀一郎は音ノ瀬千秋の家を訪ねた。
音ノ瀬大海、佐々木恭司を預かってくれている細やかな礼である。
実際のところ、祖父母と三人暮らしだったところに男が二人も転がり込めば、食事の支度を初め、何かと大変な筈なのだ。最初は隼太を含め三人だった。さぞかし手間だっただろう。
それを快く引き受けてくれた千秋とその祖父母らには、ことも秀一郎らも感謝していた。
「やー。ありがとう、秀一郎兄!早速、紅茶淹れるね。あ、コーヒーのが良い?」
オレンジの髪と同じくらい明るい喜色満面で、シュークリームの箱を受け取った千秋が訊いてくる。
「紅茶で。最近、コーヒーはある喫茶店のものとどうしても比べてしまってね」
「へえ、そんなに美味しいんだ」
「うん。ことさん御用達の店だよ」
秀一郎は居間に胡坐を掻いて座った。
千秋は台所でぱたぱたと動き回っている。
闊達な性格が所作や音に出る娘なのだ。
「先日逢ったけどね。俊介君も元気そうにしていたよ」
「……別に興味無いけど?」
「そうか。彼も出逢った頃に比べると随分、男振りが上がったよ。花屋敷の一件が、そうさせたのかもしれないな」
千秋が俊介に想いを寄せているらしいことは、ことたちの間で周知の事実となっている。
作ったような無表情で、千秋がティーセットをトレイに載せて運んでくる。
「そ。さあ、どうぞ」
「大海さんたちは?」
そう秀一郎が訊いたのと同じタイミングで、大海が二階から降りてきた。
紅茶の匂いに釣られたと言う。
「恭司君は外だよ」
「外? 楓さんのボディーガード?」
「さあ」
どこを見ているかいまいちよく解らない瞳で答え、大海はシュークリームにかぶりついた。
「どうせだ。大海さんにも手伝ってもらおうかな」
「何をだい?」
口の端にクリームをつけてきょとんとした大海に、秀一郎はにっこり笑った。
車で秀一郎が大海を連れて行ったのは、もうここ何十日も雨が降っていない町だった。
「このままだと渇水対策が必至なんだ。近くのダムも残り僅かで、今から貯水用のポリバケツを購入している家も多い」
町を一望出来る小高い丘で車を降りて、日光を手で遮りながら秀一郎は語る。
田んぼは無残に干上がり、白茶けた大地を晒している。
幾つかの建物に貯水タンクが見えるが、それもこの状況では焼け石に水だろう。
道を行く人たちも、暑さと渇きに打ちひしがれているように力無い歩みに見える。
「それで、どうするんだい?雨乞いでもする積りかい?」
「そうだよ」
「〝ことはりや〟か……」
秀一郎が微笑する。
「やはり知っていたね。そうだよ。その昔、彼の小野小町が京都の神泉苑で雨乞いに歌った和歌だ。和歌の徳が請雨に期待された訳だね。彼女が音ノ瀬ならば雨が降る確率は高かっただろう」
「実際に降った、という話は聞かない」
「そうだね。だから僕らが今から、実際に降らせてみせるのさ。ここの役場を通して僕のところに依頼があったんだ。手伝ってくれないか?」
「良いよ。確かにこのままじゃ気の毒だ」
「僕と重なるように詠んでくれ」
「うん」
合図は目線で行われた。
「ことはりや 日の本ならば 照りもせめ さりとてはまた 天が下とは」
二人の音ノ瀬の男の声が、朗々と響き渡った。
ことはりとは理。
理屈から言っても国が『日の本』だから日照りになっても仕方ない。しかし、世界を『天が下』とも言うのだから、雨を降らせてくれないだろうか。
そういう解釈の和歌である。
二人は二度、三度、とそれを唱えた。
行き交う人から奇異の視線で見られても仕方ない。
しかし、やがて白茶けた大地に一滴の水が沁みた。
一滴はやがて二滴となり三滴となり、数え切れない数の雨になった。
秀一郎が予め持ってきていた傘を差し、二人はみるみる潤っていく大地を見る。
ここに来るまでは怪訝な目で見られた傘だが、きちんと用を成してくれた。
「……程々に潤してくれよ」
秀一郎が天に向けて言う。
コトノハが効き過ぎて洪水にでもなったら困る。今度は雨を収めるコトノハを使うことになる。調節は難しいのだ。
「成功したなあ」
大海がはしゃぐでもなくぽつりと呟く。
「ああ。貴方が来てくれて助かったよ。僕一人では自信が無かった」
「そうかい? 本当かな」
いつの間にか肩に烏を留まらせて、大海は微笑んだ。
雨が降る。
草木を潤す。
やがて再び雨乞いの和歌が詠まれる時が来ることを、二人はまだ知らない。




