2.悪友再会(一)
その街並みは近代的な趣が一切皆無であり、石と土と木で出来た至極真っ当な田舎町といった風情が漂っていた。主要な道路にだけきっちりと石畳が敷かれているが、その他の道はただ黄土色の乾いた土に覆われている。
それでも街の造りが上手く風を制御しているのか、しっかりと空気の流れが確保されている割には砂っぽい感じがない。せいぜいが人の往来で若干舞い上がる程度なものだった。
「どうだシューゴ。ここがアドノフ伯爵領の最北端にある『トリポルテの街』だ。なかなか活気があるだろう?」
「そうだな。ここらの辺りは店も多いみたいだし」
方々で商店が開かれており、怒号にも似た宣伝合戦が展開されている。それを活気というのであれば、確かにこの街は活気に溢れていた。
人ごみの中で下手にはぐれるのも面倒なため、柊吾はエルの肩に落ち着いてたまま周囲をキョロキョロと見回している。彼女の方はといえば、フードを被って目立つ銀髪を隠した状態でスイスイと街の中を移動中だ。
とりあえずの目的地は食堂であるらしく、洞窟で拾ったクリスタルキノコを買い取ってもらうついでに食事をする予定である。
「市場で買うよりも旅人の持ち込みの方が安く済むのだ。こちらとしても多少の儲けを出しつつ腹も満たせてちょうどいい」
「なるほど」
エル曰く、山菜の他にも野生動物を仕留められた場合は肉や毛皮などを売る事も可能なのだという。ただし当然のごとく買い叩かれるらしいが、もとより商売をする気のない者にとってはそれでも貴重な臨時収入になるらしい。
「需要と供給とバランスか」
「ジュヨーとキョーキューのバランス? なんだそれは」
「ああ。まあなんだ。なにかを欲しいと思う人にその欲しいと思うものを渡す事が出来るかどうかの按配って事だよ」
「ふむ。経済における物価の話か。シューゴの世界では面白い言い方をするのだな。ジュヨーとキョーキュー。うむ。少し言いにくいな……」
ぶつぶつとエルが呟いているのをよそに、柊吾は再び周囲の観察へ戻った。
街行く人々は普段から見慣れていた『人間』となんら変わる事はない。服装は民族衣装の様だったり普通に洋服だったり、ゲームとかファンタジー世界にありそうな布の服だったりと統一性があまり見られないが、少なくとも何か奇抜で特別という感じではなかった。
やはり地球とアルマレウムでは似通った面が多いのだろう。それは一般常識や言い回しなどに限らないという事だ。
また、洞窟の中でエルが言っていた通りに方々の人々のそばでは柊吾と同じような姿をした小さな光蟲がうろちょろしており、その色も青や白や黄色となかなかにカラフルな印象である。
「……ん? なあエル。あっちの広場に人がいっぱい集まってるんだけど、あれってなんだい?」
「む?」
ふと足を止め、エルが柊吾の示した方向へ顔を向けた。そうしてやや目を細めたかと思うと、
「ふむ。どうやら何かしらの見世物でもやっているらしいな。おそらくは旅の一座か何かが来ているのだろう。王都ほどの都市でもなければこういった地方の街に娯楽は少ないからな。ああやって旅の一座が立ち寄る時には多くの人が見物に行くのだ」
「ふーん……」
いわゆるサーカスという事だろう。特段珍しくもないが、何か惹かれるものがあった柊吾はエルに頼んで先にそちらへ足を延ばしてもらう事にした。
エルは多少抵抗を見せたが、柊吾がどうしてもと言うとしぶしぶながらも広場へ向けて歩を進め始める。なにぶん彼の剣は彼女の背中に固定されているので、一緒に来てもらわない事には離れようとしても自動的に引き戻されてしまうのだ。
そんなこんなで人だかりに近づいていくと、
「さあさあ皆様お待ちかね! 本日最大の目玉の登場です。これからお見せいたしますのは、かの禁断の地より我々が命からがら捕獲し連れてきました、あの『竜』の子供になります!」
ステージの上で大仰な動作で何やらパフォーマンスをしている男の威勢のいい声が聞こえてきた。途端、周囲の人々がざわざわと騒ぎ始める。
「竜、だと?」
エルもまた聞こえてきた声に反応を示し、怪訝な表情になった。
「竜って、エルが話してくれた妖魔の竜の事か?」
「今しゃべっていた男の言葉を信じるならばそうなるが、いや、しかし子供とはいえ竜の子供を捕獲し持ち帰るなど……」
うむむと彼女がうなり始める。
多少なりともエルから話を聞いていた柊吾もまた、彼女と一緒に唸るより他にない。
そもそもこのアルマレウムにおける『竜』というのは妖魔の一種であり、人を遥かにしのぐ力と知性を有している存在なのだ。聞き及んだ姿形はまさに地球の伝説上に存在するようなものであり、人が分け入るにはあまりに困難な山岳地域や谷に居を構えているらしい。
はたして、そのような場所にただの旅一座が潜り込んで生還など出来るだろうか。
そんな事を考えている間にも事は進んで行き、
「さあ皆様どうぞご覧下さい。これが竜の子供です!」
ステージ上の男がいつの間にそこへ運ばれていたのか布がかけられた箱のような物体に近付いていき、躊躇なくその覆いを取り払った。
中から現れたのが頑丈そうな鉄の檻。そしてその中には――
「あれが、竜……」
「……ふむ」
見た目に赤い鱗で覆われた翼のあるトカゲのようで、明らかにそういったものとは異なる生物が臥せっている様を柊吾は目にする。
大きさはちょっとしたぬいぐるみ程度で、確かに子供の竜と言われればそう見えなくもない感じの生き物だった。
「……元気がないな」
見た感じ、檻の中の生き物は衰弱しているようだった。臥せっているのは眠っているのではなく、おそらくは起き上る気力がないせいだろう。
「……ん?」
不意に、柊吾は檻の中の子竜から視線を向けられた。爬虫類の様に縦に細くなった目。その緋色の瞳に妙な既視感がある。
「まさか……」
「あ、おいシューゴ」
ふよふよとエルの肩から飛び立って、柊吾は彼女の静止を無視したまま檻へと近付いた。
「お? なんだこの光蟲。やけに大きいな」
ステージの上で声を張り上げていた男が檻に近付く柊吾を見て怪訝な表情になり、
「あらまあ。何かしらあの光蟲」
「赤色の光蟲なんて珍しいじゃないか」
「あの竜も赤いし、もしかして何か関係でもあるのか?」
周囲の人々も檻の子竜へ近付く赤の光蟲に興味を示し始めていた。
そんな周囲の声を全て黙殺し、柊吾はふよふよと檻の周りを飛び回る。そうして二周三周と廻ったところで、唐突に檻の中の子竜が鎌首をもたげてきた。
「目障りな奴め。このようなところに閉じ込められていなければ丸呑みにしているところだ」
子竜は目を細めながら柊吾を一瞥するなりフンと鼻を鳴らした。独特の凄みがある声は、妙に威厳のあるものだった。
その声を聞いて、柊吾は自分の中に生じた疑問を確信へと変える。
「なあお前。もしかして煉か?」
「なに……?」
柊吾の問いかけに、子竜が細めていた目をかっと開いた。その次の瞬間には檻の格子に飛びつき、衝撃でガシャンと大きな音が鳴る。
「ひっ……」
それに驚いた観客から悲鳴が漏れ、周囲に緊張が走った。
「み、皆様ご安心ください。この竜は常に空腹状態で力を出せないように調整しております。こいつにこの頑丈な檻は壊せません」
はははとやや乾いた笑いをステージの男が発し、それにつられた観客たちからも微妙な笑いが起こる。彼らの顔から怯えが消え去ったわけではないが、日常の中の非日常というスリルを楽しむ余裕は残っているようで、誰一人としてその場から去ろうとする者はいなかった。
「貴様、なにゆえ我の名の一つを知っている?」
「なに言ってんだよ煉。分からないのか? 僕は柊吾だ。お前と一緒に異世界渡りをした浪江柊吾だ」
「柊……吾?」
竜のきょとんとした顔を、柊吾は初めて見た。今の見た目がリアルなぬいぐるみのようでもあるため、やけに愛嬌がある。声を聞かなければこれがあの厳つい大男のなれの果てだと言われても信じられなかっただろう。
「そうだ。どうも僕にも君と同じ事が起っちゃったみたいでね。今はこんな成りをしているけど、僕は間違いなく地球の日本で君と十年以上友人をやってた柊吾で間違いないよ」
「なん……だと……」
本物しか知り得ない単語と事実を混ぜ込みつつの説明に、子竜と化した煉の表情が驚愕に染まる。表情の一切が見えない柊吾と違って、竜の姿では意外と感情表現が出来るらしい。
「ってかお前、なんでこんなところで捕まって――お? むぎゅっ」
突然背後から影がかかったかと思うと、次の瞬間には柊吾は野太く脂ぎった手に鷲掴みにされていた。いい加減慣れてきてしまった感覚だが、不意を打たれると妙な声を出してしまうのは止められない。
加えて、掴まれどころが悪いせいで柊吾は声を出せない状況に陥ってしまった。
「なんなんだこの光蟲は。さっきからわけの分からん声で煩い奴め」
くるりと手が返され、同時に変化した柊吾の視界の中にステージに立っていた男の顔がドアップで出現する。どうやら彼が柊吾を掴まえているらしい。
「おい貴様。我の友人を離せ」
檻の中から煉が男に声をかけるが、それが聞こえているのかいないのか男は手に掴まえた柊吾を品定めするようにじろじろと眺めてくる。
「聞いているのか貴様!」
煉が鱗に覆われた頭を檻の格子にぶつけ、その衝撃でまたもガシャンと大きな音がした。
「ああん? 今日はやけに威勢が良いな。言葉は分からなくてもその檻を壊せないって事は十分に理解してるだろうに」
侮蔑の視線を檻の中の煉へ向けた男は、フンと軽く鼻を鳴らした。どうやらこの男に煉の言葉は理解出来ていないようだ。おそらくは最初期の柊吾と同じような状態なのだろう。
「しかし赤い光蟲か。青白黄色のはよく見るが、赤いのは初めてだな。へへっ、なかなかいい商品になりそうだ」
どうも子竜と同じく見世物か何かにでもするつもりであるらしい言葉を吐き、彼はそのまま柊吾を連れ去ろうとした。
普通に考えればかなり不味い状況なのだが、今の柊吾はエルの持っている剣から十メートル以上離れれば自動的に剣へと戻る事が出来る。つまり剣とセットでなければ誘拐などされる心配はない――はずだったのだが。
「貴様。我の友人から――」
「その手を離さぬか下郎!」
そんな事を知らない煉が声を上げるのに被せて、それを知っているはずのエルがひらりとステージの上に飛び乗ってきてしまった。おかげで十メートルの制限範囲外への移動は叶わず、柊吾は未だ男の手に囚われたままである。
――うへ。なんでここで来ちゃうかなエル。
おそらくも何も彼女としては彼が連れ去られそうになっているのを見過ごせなかっただけなのだろうが、今の場合は完全に裏目であった。
「な、なんなんだあんたは。勝手に上ってきたら駄目じゃないか」
「黙れ。そこな貴様。その手に掴まえたものをどうするつもりだ」
ビシッと指を突きつけるエルの動作に気圧され、とこが一歩足を引いた。そうしてすぐさま柊吾を掴まえている手を身体の後ろに回して隠すと、
「これは今俺がここで捕まえたものだ。それを俺がどうしようが勝手だろう」
ずいぶんと身勝手な言い訳を展開し始める。
「ふざけないでもらいたい。その光蟲は私の旅の友だ。さあ、返してもらおう」
その態度に腹を立てたのか、いまだしゃべれない柊吾の耳にエルの怒りに満ちた声が届いた。視覚的な情報はないはずなのだが、柊吾には眉を吊り上げて怒りをあらわにするエルの顔が想像出来る。
「そっちこそなにを言っているんだ。あんたの友だって? はっ。そんな事を言って、この珍しい赤い光蟲を俺から取り上げようって腹だな」
「な、何を言うか! 私はそのような下種な真似はせん。ただ私は正当な主張を――」
「ええい煩い煩い! これは俺が掴まえたんだ。だから俺のものだ!」
じりじりと、男が後ろに下がり始める。思いっきり逃げる気満々といった動作だ。
だがおそらく、エルにもそんな事は分かっているだろう。男が背中を向ければ即座に飛びかかって取り押さえるか何かをしてくれるに違いない。
――あれ? でもこの場合って逃がした方が僕は簡単に解放されないか?
ふとそんな事に柊吾が気が付いた時、
「座長~。さっきから何をやってるんだな~」
一触即発のその場にそぐわない間の抜けた声が聞こえてきた。




