1.エルの秘密
以前にもこの近くへ来た事があるというエルの記憶を頼りに獣道を進む事一時間弱。柊吾の目の前にはさらさらとしたせせらぎが心地良い小川が出現していた。
見た目さして深さも幅もなく、丸い石のひしめく河原もない森の中の小川といった風情である。流れる水は修行のためにこもっていた山の源流にも勝るほどに透き通っていた。
「うむ。記憶していた通りだな」
「ふーん。綺麗な川だな。綺麗過ぎて魚が一匹もいないけど」
水清ければ魚棲まずと言うが、離れた場所からでも川底の様子がくっきり見える。水深はおそらく腰程度までだろうが、泥や砂が混じって当然の環境でここまで澄んでいるというのも珍しい。ともすれば本当に水が流れているのかと疑いたくなるほどの透明度だ。
「さて、では手早く汚れを落としてしまうか」
言って、エルがてくてくと小川に近づいていく。彼は水際に立って一度キョロキョロと周囲を見回すと、道中の木々から失敬した蔦で背中に固定していた抜身の剣を外して地面に置き、次いで外套を脱いでその上に被せた。
「……時にシューゴ」
上着のボタンへ手をかけたところで、突然エルが柊吾の方へ顔を向けてきた。なにやら神妙な面持ちのため、柊吾はふよふよと漂うのを止めて彼の目の前で静止する。
「なに?」
「洞窟では細かくまでは聞かなかったゆえに今改めて尋ねるのだが、シューゴは元の世界では『男』だったのだな?」
「そうだけど、それがどうかしたのか?」
いきなりの妙な質問に柊吾は首を傾げた。確かに自分が異世界の人間である事は伝えただけで性別に関しては特に言及していなかったが、今ここで改めて問われるというのもおかしな話である。
しかしエルにとっては至極重要な事だったようで、
「ふ、む……。そうか。男……なのか」
柊吾の答えを聞くや否や、彼はやや焦ったようにして目を泳がせ始めた。ボタンを外そうとしていた指が本人のためらいを示すようにぐりぐりとボタンを擦り、やけに落ち着かない状態だ。
――うん?
その豹変振りに柊吾は首を傾げてしまう。先ほどからのエルの態度があまりに不可解であるせいだ。
「その、だな……シューゴ。すまぬが、しばし剣の中に戻っていてはくれぬか?」
「え? なんで?」
「だからその……身を清めている間の姿を見て欲しくないというか、その……」
もじもじと、エルが頬を赤らめながら視線をそらす。
その姿にまた心臓の鼓動を早めてしまった柊吾は必死になってその気持ちを静めつつ、相手の言葉の意味を正確に理解して、
「…………ああ。つまり裸を見られたくないんだな?」
エルの言わんとしている事を端的に言葉にした。
途端、彼の顔が一気に真っ赤になり、あうあうと声にならない声を出しながら口をパクパクさせ始める。どうやらそっちの方面に対する耐性が著しくないらしい。まるで生娘か何かのような反応だった。
その反応に軽く笑いながら、柊吾は相手の緊張をほぐしてやろうと軽口をたたく。
「別に男同士の裸を見たって何にもないんじゃないか? 僕は同性好きってわけじゃないぞ」
「………………男、同士?」
不意にエルの雰囲気が変わり、さっきまで真っ赤になっていた顔が一気に冷めたかと思うと、次の瞬間にはものすごく剣呑な目付きになって柊吾の事を睨み付けて来ていた。
「え……?」
洞窟を出る直前に間抜け発言をしてしまった時と同じく、柊吾は何かしらの地雷を踏んでしまったようだと即座に理解する。
「……シューゴ。お前は二度も私の身体に入り込んだというのに、全く気が付かなかったのか?」
「えっと……」
そう言われても、正直な話柊吾には今の流れの中で何が地雷だったのかまるで分らない。頑張って考えるのもありだったが、このままエルの不機嫌状態を継続させておく事は好ましくないと考えた彼は、素直に謝罪を口にしてから何がいけなかったのかを尋ねてみた。
すると、ジロリと睨み付けて来ていたエルがやれやれとばかりに盛大なため息を吐き出し、その後でちょっと拗ねるように口をとがらせたかと思うと、
「いいかシューゴ。私は男ではない。女だ」
言葉尻は可愛らしくぷいっと視線をそらしながら、柊吾にとって驚天動地の宣言をしてきた。
「………………」
柊吾は目を瞬かせる代わりに激しく明滅し、完全に言葉を失っていた。直前に驚きの宣言がなされたというのに、感情のメーターを一気に振り切ってしまったために脳がフリーズして感情による反応までストップしてしまっているのだ。
しかしそれも徐々に解消され、ようやく脳のフリーズが止まるや否や、
「嘘おおおっ!!」
柊吾は全力全開の絶叫を上げていた。
「そ、それほど驚く事もないだろう。無礼な奴だな」
「え? え? 嘘マジ? そ、そりゃ確かになんか身体のバランスが変だなとか妙に胸が苦しいなとか、あるはずのものがあるべき場所にない気がするなぁとは思ってたけど、え? なに? エルって女の子?」
ふよふよではなくひゅんひゅんとエルの周囲を飛び回り、柊吾は彼――ではなく彼女をつぶさに観察する。
よくよく見てみれば男で旅人というにはほっそりし過ぎている足。きめ細やかな肌を持つ手。外套を脱いだ事であらわになった形の良い尻と腰のくびれが織り成す造形美。胸はストンとまな板のようだが、憑依した際の胸の苦しさから考えるにサラシか何かを巻いている可能性は十分にある。
そして羞恥に耐えるように頬を染めた顔。少年にしても綺麗過ぎると思っていたが、少女と言われれば普通に納得であった。
「むむむ……」
「あ、あまりじろじろ見るな。……それで、どうだシューゴ。納得したか?」
尋ねてくるエルに、柊吾はうなずく代わりにゆっくり明滅する事で肯定の意を表現する。
「ああ。そういう事なら全部納得だ」
正直なところ自分の性癖を疑う一歩手前だったのだが、エルが女の子という事であれば実に正常な反応を示していた事になるだろう。
「いやしかし、最初に見たときからずいぶんと綺麗だなとは思っていたが、男に綺麗っていうのもあれかと思ってたんだよな。そっかそっか。うん。エルが女の子だっていうならそのさらさらの銀髪とか見てて飽きない紫水晶の瞳とか、そういうところをべた褒めしてもよかったんだな」
会った時に抱いた感想を口から駄々漏れさせている柊吾は、その都度気恥ずかしそうに身をよじっているエルの態度には気が付かない。
彼――もとい彼女はしばしその場で悶えていたのだが、
「……シュ、シューゴ」
「うん? ――むぎゅっ」
ついに耐えられなくなったのか、いきなり手を伸ばしたかと思うと赤い発光体である柊吾を鷲掴みにした。
「ちょ、エル何を――」
「い、いいからさっさと剣に戻らぬか! これではいつまでたっても身を清められんではないか!」
柊吾の言葉を遮ったエルはそう言い放って身を屈め、地面に置かれた剣にぐいぐいと彼を押し付け始めた。
その顔は不自然な程に赤くなっているのだが、柊吾の位置からではその様子を伺い知る事は出来ない。それ以前にそれどころではないというのもあった。
「つぶ……また潰れる!」
「ならばさっさと戻るがいい。大人しく剣に収まるか、ここで潰されるかどちらかを選べ」
「いきなりだなおい!」
ツッコミを入れつつ、潰されるのは御免だと柊吾は大人しく剣の中に入り込む。一瞬にしてぽっかりと穴の開いていた柄頭に赤い宝玉が出現し、彼は一番自由の利かない剣の中に宿った。途端、何かに視界を塞がれて暗闇の中に閉じ込められる。
「あれ? おーいエル。なんだこれ?」
「私の外套だ。まかり間違ってもお前がノゾキなどせぬようにきっちり巻いておくのだ」
「あれー? なんで僕そんなに信用ないの? まだ何もしてないよね?」
出会った時からの記憶を掘り返しても、何かしら彼女に無礼を働いた記憶がない。ラッキースケベの類すらないというのに、なぜこうもいきなり信用値が皆無なのだろうか。
「メルが言っていたのだ。男はみな獣だとな。どんなに紳士的な男でも、女の裸を見れば獣になって襲い掛かってくるというではないか。済まぬがシューゴが男である以上、最低限の警戒はさせてもらう」
「なるほど」
どうやら彼女にはいろいろと世話焼きの誰かさんが付いているらしい。話し方からすると友人か何かだろうか。いずれにせよ、なかなかのしっかり者のようだ。多少なり教え方が過ぎている気がしないでもないが。
「これでよしと」
満足そうな吐息が聞こえてきたかと思うと、次いでシュルリと肌の上を布が滑る音が聞こえてきた。今まさにこの闇の外、光溢れる世界では神々しいまでの光景が展開されているのだろうが、悲しきかな目隠しをされた柊吾にそれを見る事は叶わない。
――別にそこまでしてみたいわけでも……ないないない。
ほんの一瞬だけ不埒な想像を働かせた柊吾は頭を振ってイメージを霧散させた。
「……ん」
水音とともにエルの小さな声が聞こえてきた。周囲の気温から考えて、水の温度は浸かるにはやや冷たいはずだ。しかし全身に返り血を浴びてしまっている以上、浸かって落とさない事にはさっぱり出来ない。
今の柊吾に出来る事は、せいぜい彼女が風邪でも引かない事を祈る事くらいだ。
「いつっ……」
少しして、エルが痛みに耐える様な声を漏らした。
それにピンときた柊吾は、特にする事もなく暇だったために気になっていた事を尋ねてみる事にする。
「なあエル」
「む? なんだシューゴ」
「腕、痛かったりしないか?」
「っ……」
すぐに返事はなかったが、わずかに息を飲むような声は拾えた。おそらくここに至るまで一切の素振りを見せていないのになぜ分かったのかとでも思っているのだろう。
「シューゴ。お前もしや、見えているのではあるまいな?」
「いやいやこの状態で見えるわけないから。ただ単に君の身体で鋼一閃流の技を使ったから、無茶がかかってるだろうなって思っただけだよ」
「ハガネイセンリュー?」
その言葉からして、柊吾はエルがきょとんとなって首を傾げている様を想像する。
「ふむ。そういえばあの時、シューゴはデュナミス卿の剣を完全に破壊していたな。剣が木端微塵に砕け散る様など初めて見たぞ。あれはいったい何なのだ?」
「あれは僕が修めた剣術の奥義の一つだ。まあ奥義とは言うけど、そもそも鋼一閃流に技というものは六つしかなくて、その全部が奥義扱いだけどね」
「ふ……む?」
柊吾の言葉に対し、分かったような分からないような答えが返ってきた。
眉をひそめてむむむと考え込む彼女の様子を想像して、柊吾は思わず噴き出しかけた。
「ああ、ごめんごめん。最初の説明にしてはおかしかったかな。えっと、そうだな。エルが使う剣術って何か名称とかはないのかい? あれって誰にかに習ったものなんだろ?」
「うむ。あれは我が家に代々伝わる由緒正しき剣術だ。私は私の父から手解きを受けている。シューゴの言うような特別な名称はないが、強いて言うのであれば家名がその名に当たるのだろうな」
不思議とその家名の言及を避けているような節があるが、柊吾はとりあえず余計な詮索は抜きで会話を進めていく事にする。
「君の修めた剣術に一応なり家名の名前があるように、僕が修めた剣術には『鋼一閃流』という名前があるんだ。込められた意味は『鋼』を『一太刀』の『閃光』でもって断ち斬らんって事みたいだね」
「鋼を……断ち斬る……?」
「そうそう。この流派の真髄はありとあらゆるもの、金属すら『斬』る事にあるんだ。まあ、さっきのは『斬』るんじゃなくて『打』って壊したんだけどね」
柊吾はそこで一度言葉を切り、気配からエルの様子をうかがった。
彼女はぶつぶつと何やら口の中で呟いていたようだが、それがピタリと止まったところで柊吾は再び口を開く。
「鋼一閃流には『斬の型』と『打の型』の二系統があって、斬り裂くか打ち壊すかの違いがあるんだ」
「ふむ……。しかしだなシューゴ。武具として優秀な金属がそう簡単に斬られたり壊されたりしたらたまったものではないぞ。お前の世界の戦士は皆そのような強者ばかりなのか?」
「まさか。これに関しては僕がちょっと特殊なだけさ。そもそも僕の世界では同じ金属製の武器でも全然違うものが発達しちゃってるからね。剣術なんて私闘でさえ使えるかどうか微妙だよ」
柊吾の世界、事に日本において剣術が生活の中に生きていたのはせいぜいが幕末までだろう。それ以降は近代兵器の台頭によりいかな達人であっても剣で御し切れるものではなかった。
鋼一閃流にしても時代時代の物好きがたまたま継承していたがために今は柊吾の手に有るが、おそらくこれを元の世界で次に伝える事など決してないだろう。
「むむむ。ならばなぜシューゴはそのような珍妙な剣を覚えたのだ? 必要のないものなのではないのか?」
「必要ならあったよ。僕は元々、ツェルフィステスっていう世界に行きたかったんだ。そこは僕の元いた世界とは異なる世界で、これくらいの力がないと生きてはいけない世界だと思った。だから僕は剣を覚えたんだ」
柊吾の父親が彼に出張と偽って頻繁に赴いている世界。そこには辿り着きたい、追い付き追い越したい強さの境地がある。
ただの一度も届かせた事のない背中を思い出し、柊吾は思わず声に感情を込めていた。
「僕は――」
「時にシューゴ」
「いつか絶対に――え……? な、なに?」
盛り上がってしまった感情を言葉にして発しきれないままに制され、ものすごい不完全燃焼感を抱える羽目になりながらも、柊吾はエルの言葉に応じた。
「うむ。洞窟では途中で邪魔が入ったゆえ、その後伝える機会を完全に逸していたのだがな。シューゴの言うツェルフィステスという名前だが、それは世界ではなく国の名前ではないか?」
「…………え?」
それは思いもよらない言葉だった。ツェルフィステスという名称は父親の魔法陣を解析した煉が引っ張り出した物で、行き先として設定されているものだと教えられていた。
だからこそ、柊吾は魔法陣の行き先がそういう名前の世界だと思っていたのだ。
しかし、言われてよくよく考えてみれば行き先が世界そのものの名前というのはいかにもおかしい。もっと明確な行き先が設定されていると考える方が自然だった。
「えっと、まあ確かにそういう考えも出来るかもしれないけど、なんでエルはそう思うんだ?」
「うむ。なぜも何も、ここグラーデン王国の東。霊峰ダナントスを頂点とするダヌー山脈を挟んだ隣国にツェルフィステスという国があるのだ。偶然の一致とも思えぬし、シューゴが目指していた場所はそこなのではないかと思ってな」
「マジか」
完全に予想だにしていなかった展開である。最初は来るべき世界を間違えたのかと落胆したが、場所を間違っただけとなればいずれ行く事は出来るだろう。
いや、隣国であれば戦争でもしていなければ交易があるだろうし、いくらでもやりようはあるはずだった。
「な、なあエル。僕をその国に連れて行ってくれないか? もちろん今すぐじゃなくてもいいから」
気持ちの盛り上がりを隠しきれない。柊吾はやや上ずった声でエルにそう言った。――のだが。
「うむ。連れて行ってやりたいのはやまやまなのだがな。その、今この国はいささか面倒な事になっておってな。どこの隣国とも一時的に国交が断絶しておるのだ。面倒事さえ片付けばすぐにでもどうにか出来るとは思うのだが……」
やや辛そうなエルの言葉を受けて、柊吾ははっと我に返った。思いがけず情報を得た事で興奮してしまったが、良く考えてみれば今はしゃいでいられる状況ではない。
なにしろこの世界のこの国へ来てまだ一日と経っていないが、柊吾にはこの国が抱える厄介事というものに心当たりが出来てしまっているのだ。
「…………なあシューゴ」
「なんだい?」
「どうして、聞かないのだ? 私が野盗や……あの近衛騎士に追われていたのはなぜなのかと」
「………………」
その質問に対し、柊吾は即答を控えた。まさか自分で振ってくるとは思っていなかった事も理由の一つだが、本当にそれを聞いてしまってもいいものかと考えた事の方が大きい。
コンベールと名乗ったあの近衛騎士の言葉から推測して、エルは今いるこの国から追われているお尋ね者である可能性が高い。詳細は不明だが、国家の中枢に影響力のある者が絡んでいる事は間違いないだろう。
その理由如何によっては、非情に面倒な厄介事に巻き込まれる危険性がある。そこに首を突っ込むべきか否かの判断を決めかねたのだ。
「……って言っても、もう半分突っ込んでるようなものか」
「え? なんだシューゴ。何か言ったのか?」
「いや、なんでもないよ」
自嘲気味に笑って、柊吾は小さくため息を吐いた。
「……まあ、君が聞いていいって言うなら聞くけど、なんでエルは襲われてたんだい?」
「………………」
自分で質問を誘っておいて、いざ聞かれたとなると答えに躊躇しているようだ。柊吾としてはおいおいと言いたくなるが、あの年齢で当然のように人を殺さなければならない事情を考えれば急かす気にはなれなかった。
あるいは単に信用されていないだけという事も考えられるが、それならそれで彼としては構わない。会ってすぐに築ける信頼関係などあるはずもないのだから。
「なあエル。言いにくいなら別に無理して言う事はないぞ。話してくれる気があるんなら話せる時でいいよ」
「……すまぬ。私の命を救ってくれたお前を信用していないというわけでもないのだが――」
「だからいいって。そもそも僕と君が出会ってからまだ一日だって――あー、日が沈んでからまた昇って、もう一回沈むくらいの時間も経ってないんだ。互いに警戒するのは当たり前だろ?」
わざと軽い調子でそう言って、柊吾はこの話題が取るに足りない何でもないものである事を強調した。
それからしばらくエルの返事はなかったのだが、いきなりクスクスと小さな笑い声が聞こえてきたかと思うと、
「ははは。そうか。そうだな。うむ。シューゴの言う通りだ」
彼女の大きな笑い声に混じってバシャバシャと水を叩く音が聞こえてきた。どうやら川の中で暴れているらしい。
「あんまり暴れると足を滑らせるぞ」
「大丈夫だ。心配ない。……ああそれとだ。先ほどのは普通に一日と言ってもよかったのだぞ? 日が昇って朝を迎え、日が沈んでから月夜を迎えて再び日が上る。それをこの世界でも一日というのだ」
「へえ。時間の概念も僕の世界と似通ってるのか」
エルの説明に柊吾は軽い驚きを覚えた。部分部分での差異は当然としても、今まで判明している事柄だけでも地球とアルマレウムには共通するものが多い。
「なあエル。せっかくの空き時間だし無駄にするのもあれだから、少し確認の質問をしてもいいか?」
「うむ。許そう。私もシューゴの世界の事に興味がある」
やけに尊大な了承を得て、柊吾は地球での常識や規格に関しての言葉を並べて行く。二つの世界で共通するもの。言い方が違うだけで中身が同じであるもの。まったく異なるものや互いの世界にはない概念など、おおよそのところで話し合った。
その結果、やはり地球とアルマレウムではかなりの部分で似たような性質を持っている事が判明する。見た目上で大きく異なるのは地球で言う『週・月・年』の概念だが、よくよく聞けばこれは単に地球の二倍あるというだけであり、基本的な考え方はほとんど同じだった。
しかし誕生日は一年(地球で言う二年)に一度しかないため、エルの年齢は現在八歳となるらしい。つまり地球換算では柊吾の一つ下の十六歳というわけだ。
一番複雑なのはお金に関しての部分だったが、現状の柊吾にはどう考えてもお金の必要性がないため、エルにまともそうな金銭感覚が存在する事が分かった時点で早々に保留にしてある。
他にもいろいろな事についての話をして、それとなくアルマレウムの事に関して柊吾が理解を深めた頃だった。
「ふむ。さすがにそろそろ上がるとするか。話が過ぎてやや冷えてしまった」
「あ、悪い。ちょっと調子に乗り過ぎた」
「いや、構わない。楽しかったのは私も同じだ」
本当に楽しげなエルの声に混じって、ザブザブと彼女が川の中を移動する音が聞こえてきた。そして――
「きゃっ!」
悲鳴とともにひときわ大きな水音が聞こえて来て、
「エル!」
驚いた柊吾はとっさに剣の中から抜け出していた。
「くっ……」
それまで暗闇の中にいたため、急激な光量の変化に視覚が対応出来ずに世界が真っ白に焼かれる。しかしどうにかすぐに目を慣らし、柊吾は川に視線を向けて――固まった。
「痛たた……」
そこには一糸まとわぬ姿で尻餅をついたエルの姿があった。どうやら川から上がる直前だったようで、足首程度までの深さしかないところで滑ったために溺れる事はなかったようだ。代わりに浅い場所で尻餅をついたためにそれなりのダメージを被ったと思われるが、それでも水を飲むよりはましである。
だが問題なのは、彼女がそのようなところで尻餅をついてしまったという事と、不可抗力に近いとはいえ柊吾が目隠しなくその姿を視界に納めてしまっているという事である。
まして川の水は恐ろしいまでの透明度を誇り、彼の位置からでは陽光の反射すら視界を遮る役割を一切果たさない。つまりは生まれたままの状態の彼女のほとんどを余すところなく視界に納めてしまっているわけで――
「あ……」
「あ……」
柊吾とエルの目があった。途端、エルの顔が瞬間沸騰し、首元まで真っ赤に染まる。
「ご、ごめん! 悲鳴が聞こえたから……」
全力で回れ右をした柊吾は、直前まで視界に納めていた神々しいまでの光景を必死になって頭から振り払おうとした。
水に濡れた透き通るほどの白さを持つ肌。しっとりと濡れてその肌に張り付く銀の房髪。
服の上からでも十分に見て取れたプロポーションは、一切の邪魔を配された今完全な形でそこに体現されており、異性のみならず同性の目さえ引くであろうほどに美しかった。
極めつけは最後まで確信がなかった究極兵器。いったいどれだけきつく胸を締め付け押さえればあれがまな板になるというのだろうか。メロンは行き過ぎにしてもグレープフルーツくらいの実りがあるはずだ。憑依した時の胸の苦しさにも納得である。
「ってああああっ!」
忘れようとしているはずがその実明確にイメージしながら回想している自分に気が付き、柊吾は雄叫びを上げた。
「…………シューゴ」
「っ!」
背後から聞こえてきたエルの声に、柊吾はピタリと叫ぶのを止める。
「……見たな?」
「………………」
柊吾はなにも答えられない。背後で乱暴に服を着る音がしているが、当然にして振り返る勇気などなかった。いっそこの場から遁走したところだが、剣から五メートル離れれば自動的に引き戻されるという事実が足枷となってそれを許さない。
衣擦れの音が止み、サクサクと草を踏み擦れる音が聞こえてきた。
近付いて来ている。それに気が付いた時、柊吾はぐわしと全身を鷲掴みにされていた。
「なあシューゴ。覚悟は出来ておるのだろうな?」
それはまさに女王の言葉。逆らえる余地などありはしない。これより後に我が身に降りかかるであろう事を想像し、柊吾は一人恐怖に震えた。
「……お、お手柔らかにお願いします」
「さて、な」
そんなエルの返答を耳にするのと、柊吾を鷲掴んだ手に力が込められるのとは、ほぼ同時だった。




