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異界剣勇伝‐鋼‐  作者: 天笠恭介
第一章
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6.鋼一閃流




「デュナミス卿。卿が今回の刺客だったか」

「ええ、その通りです。どうもお偉方は早急に事を終わらせたいようでしてね。父上がご機嫌取りのために私を差し向けたのですよ。まったくもって、面倒な役回りを押し付けられたものです」


 どうやらエルの既知と見えるその男は、大仰な動作で肩をすくめて溜息を吐き出した。

 短くまとまった髪はくすんだ金色をしており、青空を表すような碧眼には見下すような色が見て取れる。鼻筋の通った色男な風貌ながら、口元に張り付くいやらしい笑みが同性の柊吾をしてとても不愉快な気持ちにさせてくれる相手だった。


 ――ってか、今刺客とか言ったか?


 ふよふよと一定の高さを維持したまま浮き続ける柊吾が視線を向けると、それに気が付いたエルが無言でコクリと頷いた。どうもそういう事らしい。


「デュナミス子爵家の次男。コンベール・デュナミスという近衛騎士だ」


 ひそひそとエルからそんな説明を受け、柊吾は再度目の前の男――コンベールを観察する。

 見た感じ筋肉で膨れ上がった体躯をしているわけではなく、それでいて頑強そうな鉄鎧を着込んでいる割には鈍重な印象が一切ない。


 ――そういえば、あの剣もずいぶん軽そうだったよな。


 ふと、柊吾は自分が憑依出来る剣の事を思い出し、もしかしたら自分の知っている金属とはまるで異なる物質なのかもしれないと思い至った。なにせここは地球ではない。存在しない物質が存在している可能性は十分にあった。


 ――まあそれはさておき、ちょっとやばいな。


 柊吾をそんな気分にさせるのは、コンベールの佇まいだ。その絶対的な余裕の態度は自分自身の勝ちを確信しているとしか思えない。腰に吊られたやや柄の長い剣を構える姿を見ない事には正確な強さは測れないが、それを含めて柊吾はコンベールの強さが現時点でのエルを凌駕していると推測した。


 実際、コンベールに対するエルの表情は硬い。明らかに苦しい状況である事を物語っている。


「まあ、こちらの事情はどうでもいい事です。私はただ――おや? そういえばそこに浮いている赤いのはなんですかな。光蟲にしてはずいぶんと大きいようですが」


 言葉を切って軽く首をひねったコンベールが、関節の稼動域が確保されたガントレットに覆われた指を柊吾に向けてくる。


「む……。これは、だな……」


 それに対してエルがどう返したものか悩み始めた。まさか異世界から来た元人間などと説明するわけにもいかないせいだろう。かといって当然精霊などと言うわけにも行かない。

 ただし、それはあくまでエルの口からという話である。


「我はこの者と契約した剣の精霊――」


 悩むエルに代わり、柊吾は若干声音を変えた低い声でそこまで言って、


「――って、あれ? なんで僕言葉が分かるんだ?」


 しかし途中で気が付いた違和感に思わず素に戻ってツッコミを入れてしまった。そのせいで柊吾の行動はなんとも中途半端で意味不明なものに終わり、


「っ! 妖魔の類か!?」


 エルとは異なる声を聞いたコンベールが一瞬だけ驚愕の表情を浮かべたかと思うと、彼は即座に腰の剣を抜き放った。鞘に収まっている状態では分かり辛かったが、白い金属光の美しい幅広で肉厚のロングソードだ。柄が長かったのは両手で掴みやすくするためだったらしい。


 ――へえ。


 武器を抜かれた事で他の全てを忘れ去った柊吾は、相手の構えを見て自分の推測が正しかった事を悟る。

 刀の構えで言えば青眼の構えに近い形だが、コンベールの持つ重厚な両刃剣は切り裂くというよりは叩き斬る攻撃に向いている。おそらくはそのリーチと重さを生かした斬り下ろしによる必殺型の剣術使いと考えられた。

 それも人間の首を一太刀で跳ね飛ばせるだけの実力者とくれば、確実にエルの敵う相手ではないだろう。


「シューゴなぜしゃべったのだ! 剣を抜かれては戦う以外になくなってしまうではないか!」

「どうせ格上の相手から逃げるのは難しいよ。なんかあの鎧、頑丈そうな割に軽そうだしね。身長もあっちの方が高いんだ。それでも走って逃げられたと思う?」


 エルの非難に柊吾がそう返すと、彼はその綺麗な顔を苦しそうに歪め、


「いや……」


 小さい声でそう言ってきた。感情の高ぶりを即座に抑えて冷静な判断を下せる辺り、自分の力量はよくよく分かっているようだ。


 ――まあ、だからこそ戦わないで逃げる方法を考えてたんだろうけどね。


 柊吾とてエルの考えは分かっていた。だが、先ほどエルに対して言った事もまた変えようのない事実だったのだ。

 単独でこの状況は打破出来ない。それでもどうにかして切り抜けるために柊吾がしなければならない事はすでに決まっている。


「そこな妖魔。いや、精霊と言ったか? まあどちらでもいいが、貴様はずいぶんと見る目があるようだな」


 唐突に、コンベールの言葉が柊吾とエルの会話に挟まってくる。事情を知らなければ見るからに怪しいだけの発光体に話しかける辺り、この世界の人間は意味不明なものに対する躊躇というものが欠如しているのではないかと柊吾は思った。

 しかし会話になるのなら出来うる限り相手の情報を手に入れるべきだろうと考え、


「見る目も何も、エルの強さは洞窟の中で見せてもらったからね。それとあんたの構えを比べれば一目瞭然なだけだよ」


 すでに演技する事を放棄した柊吾は普通通りの声でそんな分析をコンベールに話してやる。


「ほう? それではまるで私の実力が分かっているとでも言っているように聞こえるが、気のせいか?」

「さてね。どう取ってもらっても結構だよ。ただ、僕がその手の剣の扱いに関して門外漢とはいっても、剣術を修めた身の上としては相手の実力を測る程度の目は養ったつもりさ」


 実際、鋼一閃流はそれ以上の目を要求される剣術流派である。相手の実力一つ測れない様では、そもそも修める事など不可能だ。


「くははっ。妙な事を言うな精霊よ。その身でどうやって剣を振るうというのだ。それとも、伝承の通り剣に宿って一戦交えるとでも言うのか?」

「残念だけど剣に宿っても僕は一人じゃ動けない。だから――」


 言いながら、すいっと柊吾は空中を移動してエルの左側面に回り込む。そして、


「エル。借りるよ」

「え? なにを――」

「てい」


 柊吾はエルの左薬指に嵌る指輪に触れ、その身と意識をエルの身体の中に滑り込ませた。途端に全身にのしかかる重力を感じるが、今回は最初から覚悟をしていたために無様に尻餅をつくような真似はしない。

 頭の中で身体を乗っ取られたエルが騒いでいるが、今この時は完全に黙殺した。


 自分の身体を操るようにエルの身体を操る柊吾は、そのまま大きく息を吸い込み、肺を満たした空気を静かに吐き出す。

 さすがに他人の身体だけあっていろいろと違和感や勝手の違う部分も多いが、それに勝る感覚が柊吾の身体を包んでいた。

 全身を駆ける血の巡り。鼻腔をくすぐる土と緑のむせ返るような匂い。吹き抜ける風が肌を撫でる感触。

 人間とは、世界とはこれほどまでに鮮烈なのだという事実を思い出させてくれる一瞬を経て、柊吾はすっとコンベールを睨み付ける。己のものであって己のものではない双眸で、剣を構えるコンベールを射抜いた。


「っ! 貴様、その目は何だ! なぜ目が赤い!」


 驚愕の声を発しながらも構えを崩さない、いや、どころかより隙のない構えをとるコンベールに指摘され、柊吾は右手に持った剣に自分の顔を映した。

 血に汚れてしまった銀髪。少女のような顔。それはまさしくエルのものだったが、その瞳の色だけが変化している。紫水晶ではなく紅玉。それは指輪に嵌った宝石の色。最初の時はあまりに焦っていたせいで気が付かなかった変化だ。


「……なるほどね。この状態だとこういう変化が出るのか」


 その身に起きた変化に柊吾がふむふむと頷いていると、


『ああああっ! さっきから私を無視するな! シューゴ! 一体何のつもりだと聞いておるのだ!』


 ついに癇癪を起こしてしまったエルの叫びが頭の中に響き渡る。その煩さに柊吾はやや顔を歪める。


「何のつもりも何も、エルじゃあいつを倒せないだろうから僕が代わりに戦ってあげるってだけだよ」


 柊吾は相手の実力がエルを上回っていると判明した時点で考えていた事を説明した。


『は?』

「なんだと?」


 頭の中でエルが。そして対峙した場所でコンベールが。それぞれに疑問符を点灯させた。


『ちょっと待て何を言っているのだシューゴ。あのコンベールという男はただの近衛騎士ではないのだぞ!?」

「そうか。貴様さっきの精霊だな? ふん。人の身にも宿れるという事か。それではまるで精神を犯す魔剣の類ではないか」

『あの男はグラーデン王国十傑の一人に選出されている。先ほどの野盗とはわけが違うのだ!』

「しかし私を倒すとはまた大きく出たものだな。見たところ瞳の色以外に変化はないようだが、その私よりも弱い身体を乗っ取って何をしようというのだ?」


 同時に二人から話しかけられた柊吾は、早々に返事をする事を放棄して無言のまま相手の言葉を聞き続ける。


『おいシューゴ聞いておるのか!?』

「ふん。大口を叩いたくせにだんまりか。まあいい。さっさと――終わらせてもらおう!」


 無言のままの柊吾にそれ以上の興味を失ったのか、ロングソードを構えたコンベールがいきなり襲い掛かってきた。

 立ち位置ではそれなりに距離があったはずなのだが、爆発的な踏み込みと長いリーチを生かした攻撃のため、まだ構えてすらいなかった柊吾はほんの一息で相手の間合いに入れられてしまったのだ。


『あっ……』


 頭の中に響くエルの驚きの声。おそらくはコンベールの動きに反応出来ずに思考停止状態に陥ったのだろう。棒立ちになった今のままでは、強烈な斬り下ろしを頭から叩き込まれてとてもえぐい事になってしまう。


「ふぅっ――」


 ただ幸いな事に、今のエルの身体を操っているのは柊吾だった。柊吾は迫り来る斬撃をしかとその赤眼で捉え、見た目に反してやはり相当に軽い剣を残像を発生させる動きでもって振り――


「なっ!?」

『……え?』


 金属同士がかち合う甲高い音が鳴り、驚愕のあまり目を見開いたコンベールの声に頭の中に響くエルの声が続く。

 コンベールの放った勝利を確信していたであろう一撃は、狙い通りの場所へ打ち込まれる瞬間に軌道を逸らされ、そのまま地面を叩いてしまった。


「くっ!」


 コンベールがすぐさま身を翻して構えた先。そこには無傷で剣を構えるエルの身に宿った柊吾がいる。


 ――外したか。でもこの剣、重さがぜんぜん違うのにすごく手に馴染むな。なんか、ずっと使い込んできたみたいな気分だ。


 剣を持つ柊吾はその感触にわずかばかりの驚きを感じていた。刀とはまるで違うはずの両刃剣。しかしまるで違和感がないのだ。そしてコンベールの一撃をいなした時に持ち手に伝わったしなやかさと頑強さにいたっては、柊吾の愛刀そっくりというおまけ付である。

 慣れない身体に慣れない武器ではやや面倒かもしれないと覚悟していた柊吾だったが、よもや武器の方に懸念がないとは思ってもみなかった事だ。


 ――うん。これなら次は十分狙えるな。


 柄を握る手に力を込め、柊吾はかっと目を見開いてコンベールの全身を観察する。相手の顔にはまだ驚きの色が残っており、なぜ自分の攻撃が外されたのか理解出来ていないのだろう。

 それは単純に柊吾の剣術とコンベールの剣術の性質の違いによるものなのだが、当然わざわざそれを説明してやる気はない。


「……貴様、今何をした? なぜ私の剣をかわせる!」


 コンベールが吼える。どうやら今の一撃を柊吾にかわされた事が気に食わないようだ。確かに先の一撃は見事だったと柊吾も認めざるを得ない。おそらくは剣道の世界王者ですら一切の反応が出来ずに一本を取られただろう。


「さあね。僕は剣筋が見えたから【結果的に】いなして払った。それだけだよ」

「ふざけるな! 私の攻撃を見切ったとでも言うのか!」

「どうだろうね。まあ、気になるなら試して見ればいいじゃないか」


 安っぽい挑発だと柊吾は思わず自嘲的に笑う。半分は誤解してくれればちょうどいいという考えだ。

 そんな事をしていると、頭の中で心配そうなエルの声が聞こえ始める。


『お、おいシューゴ。なぜそう相手を挑発するような――』

「この……舐めるなぁっ!」


 エルの予感が的中。シューゴの笑みを予想通り自分が笑われたらしいと誤解したコンベールが、先の一撃よりもさらに速い一撃を放ってきた。頭上より迫り来る死の風切り音を耳にしつつ、柊吾はすでに剣を左横手に配する構えを取っている。


「鋼一閃流、打の型――」

「死ねえええっ!!」

『きゃあっ!』


 がら空きの頭部を狙って振り下ろされるコンベールの剣。受けに行っても押し込まれ、切り裂かれる前に衝撃で頭がトマトの様に弾け潰れるであろう様を想像したエルの悲鳴を無視し、柊吾は神速の勢いで剣を振り上げた。


「――壊鋼(かいこう)!」


 振り下ろされるロングソードの剣身、柊吾は狙い定めた一点にほぼ真横から己の剣を叩きつけた。それは先の受けと体捌きを合わせたいなしではない。完全なる撃墜を狙った一閃だった。

 その結果、コンベールの剣は柊吾の剣と激突した瞬間にひどく澄んだ音を奏でて粉々に砕け散る。それは打点部で圧し折れたわけではない。ロングソードの長い剣身、切っ先から根元に至るまでその全てが粉々に破壊されたのだ。


「っ……」


 鍔と柄のみになってしまった自分の剣を見て限界まで開かれたコンベールの碧眼が震え、絶句した口は開かれるだけで何も吐き出す事はなかった。

 あまりの出来事に硬直してしまった彼の絶対的な隙を逃さず、


「ふっ!」

「っ! ぐあああっ!」


 柊吾は相手の鎧の隙間――関節稼動部から覗く黒い鎧下を狙って剣を突き出し、瞬く間に左膝と右肘を貫いた。手加減したために致命傷にはならないが、これでしばらくは剣を持つ事も追跡してくる事も出来ないだろう。


「ふう……」


 額に浮いた汗を拭いつつ、柊吾は意識を集中してエルの身体から抜け出した。そうしてまた赤い発光物体へと変化する。身体中に感じていた重さから解放され、水の中にでも浮かんでいるような状態になってふよふよと空中を移動し、身体を取り戻してぺたんとへたり込んでいるエルへ近付いていく。


「シューゴ!」

「むぎゅっ!」


 いきなりわし掴みにされた上にかなりの力で握り締められ、全身を絞られるような感覚に柊吾は悲鳴を上げる事すらままならなくなった。


「エ、エル。つぶ……潰れ、潰れる……」

「このっこのっ、たわけが!」

「うわっ! 痛っ!」


 ぶんと投げ捨てられ、柊吾は地面にべちゃりと激突する。その時になって初めて、柊吾は握り締められる以外に叩きつけられても痛いという事に気が付いた。微妙な収穫だった。


「まったくお前は、人の身体で何をしておるのだ! 一歩間違えば死ぬところだったのだぞ!」

「いや、死なない自信があったからやったんだって。現にほら、結果はこの通りだろ?」


 柊吾の示す場所ではコンベールが苦痛にうめいて両膝を突いている。しかし彼は殺意と憎悪に燃える碧眼で柊吾を睨み付けたかと思うと、


「こ、殺せ!」


 こういった場面にありがちな言葉を口にし始めた。

 誇りに殉じるという考え方もまた、柊吾の世界と同じようなものであるらしい。


「どうするのだシューゴ。この者を倒したのはお前だ。お前が決めるべきだ」


 エルがちらりと柊吾へ視線を向けて来る。変則的な方法とはいえ、あくまでコンベールを打ち破ったのは柊吾だ。それゆえにエルは口出しをしないという事なのだろう。


「殺せ! こうして敗れた以上、どうせ俺は咎を受ける事になる。そのような屈辱を受けるくらいならこの場で死んだ方がましだ!」

「…………まったく、この辺りは異世界でもあまり変わらない事を言うもんなんだな」


 大きなため息を吐き出して、柊吾はふよふよと膝を突いたコンベールへ近づいていく。


「お、おいシューゴ」

「大丈夫だよ」


 不用意に敵へ近付いて行くように見えたのか、エルが注意を呼び掛けてきた。しかし柊吾はそれに軽く応じるだけで止まる事はせず、しかし相手の腕がギリギリ届かない間合いで静止した。

 そうしてコンベールの碧眼をまじまじと覗き込みながら、


「まあ、嫌だね。すくなくとも今の僕ではあんたを殺しはしない」

「な……」


 コンベールが絶句する。しかし彼はすぐさま我に返って柊吾に対して喰って掛かろうとしたのだが、


「別に僕は人殺しが駄目だとかそんな事を言うつもりはないよ。わざわざこんなところに来てまで僕が求めている強さの中には、当然そういう事も含まれているからね」


 その事を予期していた柊吾の言葉によって機先を制され、ぐっと言葉を飲み込んでしまった。

 それを確認して、柊吾はその場を歩き回るようにふよふよと適当に飛び回る。


「何の因果か、今の僕は僕であって僕じゃない。こんな成りじゃあんたを殺すにはエルの身体を借りなきゃいけないわけだけど、それじゃあ他人に殺させるようなもんだ。僕が殺したとは言い難い」


 現状、柊吾はエルの身体なくして剣を振るう事は出来ない。それはつまり、何をなすにも彼の身体を借りなくてはならないという事だ。

 例え魂が己のものだとしても、血に塗れるのはあくまで借り物の身体だ。どれだけ主張しようと、業も咎も借り物の身体に刻まれてしまう。


 それは柊吾にとって、到底許容出来るものではない。


「だから僕はあんたを殺さない。この先も、僕が僕に戻れるその時までは誰も殺すつもりはない。さすがに生かしておくに危険な相手だったら二度と襲って来れないようにはするけどね」

「くっ。だったらどうする。俺の腕か足、あるいはその両方を切り落とすか?」


 コンベールが口の端を吊り上げて笑う。それは虚勢ではなく、このまま五体満足に生かしておけば必ず殺しに行くぞという宣言だ。

 確かに柊吾の与えた傷は浅くはないが深くもない。きちんとした治療を受ければ一・二週間程で回復するだろう。

 それを分かっているがゆえのコンベールの言葉なのだろうが、柊吾にとってそんな事は至極どうでもい事だった。なぜなら――


「そんな事はしないよ。だってあんたは俺よりもずっと弱い。あんたは僕の脅威の対象にならない。だから今は追いかけて来れなくなる怪我をさせるだけで十分だ」

「っ!」


 今度こそ本当にコンベールは絶句した。限界まで目を見開き、言葉を失った口が小刻みに震え、それが伝播するかのように鎧を着たままの身体も震え始める。

 柊吾はがっくりと俯いたコンベールから離れてエルの下へ戻ると、ちょこんと彼の左肩にとまる。


「お、おいシュ――」

「早く行こう。もうここに用はないんだ。長居をすればするだけ無駄だよ」


 エルの言葉を遮って、柊吾は彼に対して早くこの場を立ち去るように進めた。わざわざ相手の肩にとまったのは、さっさと行動に移させるためである。


「……分かった」


 柊吾の有無を言わさぬ言葉にエルが小さく頷き、彼は今一度うなだれるコンベールを一瞥してから完全に背を向けて歩き出した。

 それはともすれば相手に決定的な隙を与える行為だが、当然にして柊吾は背後への警戒を怠らない。彼はもしここでコンベールが妙な動きを見せるようであれば望み通りに手足の一本や二本を落とすつもりではあったが、相手の性格から考えてその可能性は限りなく低いだろうとも思っていた。


「――しょう……」


 うなだれたままのコンベールが何かを言っていたが、柊吾はそれを黙殺し、エルもまた足を止める事なく森の中を進んでいく。

 そうしてコンベールの姿がすっかり見えなくなった頃。


「ちきしょおおおっ!!」


 柊吾たちの背後から絶叫が響き渡り、周囲の木々から鳥たちが一斉に飛び立った。




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