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異界剣勇伝‐鋼‐  作者: 天笠恭介
第一章
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4.契約の真意



 姿勢は文句のつけようがない。エルの構えは柊吾の知識にあるどの構えとも異なる独特な構えだが、その染み付き方や堂に入った美しさから見て確実にまともな指南を受けて会得したものであろう事に疑いの余地はなかった。

 まともな訓練を受けずに正しい基礎を積む事のない自己流では、よほど才に恵まれでもしなければこうも見事な構えは取れないだろう。


 ――あっちと比べりゃ一目瞭然だもんな。


 柊吾の視線を向ける先。剣を構えるエルを見ても少しも怯む様子を見せず、むしろ抵抗してくれる事に下品な想像を働かせているであろう野盗たちは、その剣の持ち方からしてド素人も甚だしい。

 おそらくは絶対的な弱者ばかりを相手にしてきているためだろう。戦うためというよりは相手に脅しをかける事を念頭に置いた身のこなしが染み付いてしまっていた。あれではちょっと腕の立つ相手と対峙した瞬間に人生が終わる。


 ――まあ、そういう相手とは戦わないで逃げてきたんだろうけど。


 先ほどまではナイフ一本という武装であったためにエルと野盗たちの間には圧倒的な戦力差が存在したが、今のエルには相手に対抗するに十分な武器を手に入れている。

 たったこれだけの事で戦力差は拮抗レベルにまで変化しているのだが、野盗たちもせっかくここまで追い詰めた手前引くに引けないところがあるのだろう。三対一という優位性を過信して、エルの力を完全に見誤っていた。


「アヂロチフンネソイソメテラトモウィクブ。ニンナサヒホック。エエナゲカウレカム」


 三人の中では一番ましな構え方をしている痩せぎすの男が残りの二人に何か話しかけた。すると話しかけられた二人は目をらんらんに輝かせたりぺろりと舌を出したりしはじめる。

 それに呼応してエルの表情にわずかな怒りが混じったところを見るに、柊吾は相手の言葉をこちらをあなどる類のものであると推測した。


 ――っても、なんであっちの三人の言葉は分からないのにエルの言葉だけ分かるんだ?


 正直なところ柊吾にとってこの勝負の結果は大方予想が付いているので、大して緊張する事もなくあれこれと別の思考を巡らせていた。

 さしあたって言葉が分からないというのはかなり困る。かの友人の場合は『渡った時の影響』で異世界の言語を理解し話せる様になったという事であまり深くは考えていなかったのだが、いざ自分がそうなってみるとそういうわけでもないらしかった。

 さてさてどうしたものかと柊吾が悩み始めたところで――


「エラカクッ!」

「アアヒフッ!」


 痩せぎすの男の声にあわせて、一番好戦的そうだったノッポの男がぎらついて欲情した目を見開きながらエルに斬りかかって行った。それにワンテンポ遅らせて左右から痩せぎすと小太りの二人が続く。


 ――そう来るか。


 パキパキとクリスタルの踏み割られる反響音を聞きながら、柊吾は三人組の取った戦法をみて彼らの評価を一段階上方修正した。てっきり適当に襲い掛かるだけかと思ったら、三人組である事にちゃんと意味を持たせていたらしい。


 初撃のノッポは基本的に囮。本命は小太りの大上段と痩せぎすの横薙ぎだ。

 ノッポの攻撃を受け止められれば追撃の二人が相手を斬り殺し、左に回避されれば痩せぎすの横薙ぎが、右に回避されれば小太りの大上段がそれぞれ瞬時に追撃を放つ。当然、後方へ逃げても直ぐに追いつめられる事になるだろう。

 なかなか理に適った波状攻撃と言えた。


 ――けど、それって弱者の回避行動を的確に捉えるためのものなんだよな。


 防御も回避も不可能なように見える波状攻撃が迫る中、剣を構えていたエルの取った行動は――


「ふっ!」


 ()()だった。


「アアン!?」


 急激に間合いを詰められたノッポが驚愕の表情を浮かべ、浮かべた時には突進と同時に突き出されていたエルの剣がそのひょろっとした首を半分程度切り裂くように刺し貫いていた。

 一拍を置いて噴水のように鮮血が吹き出し、エルを赤く染めていく。


「イナンッ!」

「イオ!」


 エルが喉を刺し貫いたノッポに体当たりをして前進を続けたため、彼の反撃に驚いた痩せぎすと小太りはまさに中央突破されるような形で狙いを外され、何も出来ずにすれ違う結果となった。

 慌てて二人が柊吾に背を向けて振り返った時には、すでに事切れたノッポに一瞥をくれる事もなく、赤く染まった剣を構えるエルの姿があった。


 わずかに差し込む光が血に塗れた銀髪を煌かせ、場違いなほどに美しく幻想的な雰囲気を醸し出している。手に持っているのが赤に染まった武器でありながら、その様は絵画の題材としては申し分ない迫力があった。


 ――ってか、普通に殺すんだな。


 ついその光景に見とれた柊吾だったが、綺麗な顔をした同年代くらいの子供が容赦なく真剣で人の喉を貫く様を思い出して身震いをする。

 それは柊吾の望んだ本物の世界。元の世界では決して叶わない、ここが力を捜し求められる世界である事の証左だ。


「オスクッ!」

「ウオイスキフク!」


 仲間を一人殺された事でいきり立ったのか、痩せぎすと小太りが手の色が変わるくらいに強くショートソードの柄を握り締めている。全身にも無駄な力が入りまくっており、これでは先ほどよりも数段劣る動きしか出来ないであろう事は明白だった。


 ――まあ、戦士としては素人な野盗ならこの程度だよな。


 冷めた目で見つめる野盗たちの背中の先、油断なく構えたエルの表情は凛々しかった。他人の血を貼り付かせたままなど気持ち悪いだろうに、そんな感情はおくびにも出さずに眼前の敵を睨みつけている。


「……エラカクッ!」

「オオッ!」


 痩せぎすの掛け声にあわせて、再び小太りが大上段でエルに切りかかっていった。それにやや先んじる形で痩せぎすも再び横薙ぎの構えで襲い掛かる。

 先ほどと同じような攻撃に見えて、その実今回は中央のノッポがいないために防御はもちろん左右にも前後にも回避する事は出来ない連続攻撃となっていた。おそらくは今度こそ野盗たちは自分たちの勝利を確信している事だろう。


 だが、それは明らかに間違った選択だった。彼らは仲間を一人殺されたせいで大事な事を一つ忘れてしまっている。ゆえに――


「っ――」


 二つの凶刃が迫り来る瞬間、エルは躊躇する事無く後方への回避を選択した。まずはこれによって痩せぎすの横薙ぎは確実に回避出来る。


「エニフス!」


 しかし斬撃のタイミングを図れる小太りの大上段は後方へ逃げたエルを追い、一歩踏み込んだ場所で死の颶風(ぐふう)を巻き起こそうとしていた。


 対してエルは回避直後のため、防御体制をとったとしても小太りの一撃でその場に釘付けにされてしまう事は避けられない。そうなれば痩せぎすの追撃でその身を切り裂かれてしまうだろう。

 おそらく、いや、間違いなく小太りと痩せぎすの頭の中にはそういう展開が描かれているはずだ。だからこそ彼らには後方へ逃げると同時にエルが右手に持っていた剣を左手に持ち替え、開いた右手を腰の後ろへ回した事に気が付かない。


「しっ!」


 小さな気合の声とともに背後に回されていたエルの手が振られた瞬間、


「アグッ……」


 大上段に構えていた小太りが剣を振り下ろす事無く身体を傾け、突進の勢いのままに水晶郡を蹴散らしながら床を転げた。場違いなほどに軽やかな破壊音を奏でながら地面を転がる小太りが停止した時、柊吾はそのぶよぶよと肉の付いた喉に一本のナイフが突き立っている様を確認する。

 それはエルが最初から持っていたナイフだ。剣を手にする時に背中側のベルトにでも挟みこんでおいたのだろう。それを襲い来る小太りに投擲したのである。


 ――お見事。


 今は叩く手もないのだが、柊吾は感覚の上ではエルに快哉の拍手を送っていた。

 瞬く間に二名を仕留めたエルは、残り一人に対して再び剣を構える。一対一になってしまえばもうエルに負ける要素はなかった。

 実際、最後に残る羽目になった痩せぎすは目に見えて腰が引けている。さすがにここまで来ると相手との戦力差を見極める事は出来るらしい。


「オスク……オスク……オオスクッ!」

「あ……」

「お」


 とっさの事でエルも反応が遅れたと見える。なにやら悔しげに叫んだ痩せぎすは、次の瞬間には仲間二人の死体を残して一目散に逃走を図っていた。

 エルの空けた大穴から闇の中へ飛び込み、そのまま足音が遠ざかって行く。しばらくその場で待ってみたが、戻ってくる気配はなかった。


「……ふう」


 その事を確認して緊張の糸が切れたのか、エルが剣を杖のように地面に立てて大きな溜息を吐き出していた。


「ご苦労様。やっぱり突き技主体の剣技みたいだね。流派とかはあるのかい?」


 柊吾はふよふよとそんなエルに近付き、自分の見立て通りに野盗を撃退した彼に声をかけた。

 すると、声をかけられたエルがなぜか剣呑な目つきになって不思議妖精姿の柊吾を睨みつけてきたかと思うと、


「……なにかこう、もっと他に言うべき事はないのか?」


 口を尖らせて不平を述べてくる。

 その様子に柊吾は自分の感覚の上では目をぱちくり――実際には光る身体をわずかに明滅――させ、どうも相手が労いの言葉か何かを期待していたのだという事に気が付いた。


「実力差から言って勝って当然だと思ってたからね。まあそれでもよく頑張ったんじゃないの? 無傷だし」


 相手の期待に応えようと、柊吾は自分なりに相手をほめる意味でそんな言葉を口にする。

 だがエルはそんな柊吾の言葉はお気に召さなかったようだ。


「……はあ」


 彼はこれ見よがしに盛大な溜息を吐き出している。そうして外套を使って自分の顔や髪についた返り血をを乱暴に拭うと、次いで剣に付着した血も拭き取り始めた。

 人間を切った際に付着する血と脂は刃物にとって汚染物質以外の何物でもない。出来うる限り早急に拭き取らなければすぐに切れ味が落ちてしまうのだ。


 ――っても、あの手の武器は斬るよりも叩いたり突いたりだからあまり気にしなくてもいいんだよな。


 そんな感想を抱きつつも、野暮なので柊吾はエルが手入れを終えるまで沈黙を守る。

 やがてどうにか手入れと身支度を整えたエルは、続いて自らの仕留めた野盗たちの身包みをはぎ始めた。

 それに驚いた柊吾が何をしているのかを問うと、エルは『何を言っているんだ?』と怪訝な表情になる。


「使えそうなものを失敬するだけだ。人を襲う輩が返り討ちに遭ったんだからな。なにをされても文句はあるまいよ」

「なるほどね……」


 考えてみれば別段おかしいものでもない。柊吾とて相手を殺さないまでもカツ上げを仕掛けてきた不良を煉と二人で返り討ちにした際、全員の懐から財布をくすねて勉強代を失敬した記憶がある。

 エルの格好は実に質素なものだし、旅をしているのならここで何かしら足しになるものを手に入れようと考えるのは極々普通の思考であると言えるだろう。


 ――けど、こいつがそういう事をしてるのってなんか違和感があるんだよなぁ。


 正直なんと言っていいのか柊吾自身分からない。だがエルという少女と見まがう少年には、衣服では判断出来ない気品というか、オーラに近い物が存在しているのだ。それがどういった類のものであるのかはまだ分からないが、少なくともただの旅人だと言われて素直に頷けない程度の違和感を柊吾は覚えている。


「むむむ。ろくな物を持っていないではないか。もしや逃げたやつが金銭の類を持っていたのではあるまいな」


 柊吾が悩んでいる間に死体漁りは終わったらしく、釈然としない感じのエルがぶつぶつと文句をたれていた。どうやらお目当てのものは何も手に入れられなかったようだ。


「なあ、一つ聞いてもいいか?」

「む? 何だ?」

「この世界って旅人がこういった野盗に襲われるのは珍しい事じゃないのか?」


 ふと生じた柊吾の疑問に、エルは少し考えるような素振りを見せたかと思うと、


「ふむ。治安の良し悪しだな。そもそも野盗の類が存在するという事は領主の内政に歪みがある証拠でもある。私の領――んん、私もつい最近になって旅に出たばかりだが、ここまで本格的に襲われたのは――その、初めてだ」


 一部引っ掛かりを覚えるような答えを返してくる。その上、明らかに言葉尻で目が泳いでいた。


 ――こいつ何か隠してるな。


 相手の態度にピンときた柊吾は、しかしそこに対する追求を保留した。会って間もないという事も理由の一つだが、ここで関係をこじらせて連れて行ってくれなくなりでもしたらたまったものではない。

 自由に動ける身体を手に入れたとはいえ、相変わらずまともに話せるのがエルだけである事を考えれば、今はその関係を良好に保っておくのが上策というものだ。


「そっか。いやほら、僕ってこっちの世界に着たばかりで勝手がぜんぜん分からないからさ。姿もこんなものになっちゃってるし、契約通りしばらくエルについていっても構わないかい?」


 感覚の上では笑顔全開で柊吾はエルに話かける。その実ただふよふよ浮いているだけなのだが、それでも言葉のニュアンスは伝わったようで、


「構わない。シューゴは言葉通り私の身体を奪うような事はしなかったしな。契約は守ろう。しばらくはよろしく頼む」


 エルがそっと左手を差し出してきた。


「……ん? エルは左利きなのか?」


 どうやらそれが握手を求めているものなのだと理解した柊吾は、この世界にも握手の習慣がある事に驚きつつ、利き手と見ていた右手ではなく左手を差し出された事に感覚の上では首を傾げた。


「いや違うぞ。相手と手を握り合う時は利き手ではない左手を差し出すのが習わしなのだ。しかしその反応を見るに、シューゴの世界にもこういう習慣はあるようだな。そちらではなんと言うのだ?」

「握手だ。僕の世界の言葉で手を握るという意味がある」

「アクシュか。私たちの世界では確手(かくしゅ)というぞ。手で確かめるという意味だ。差し出された手を握れば味方であるという証明になる。手を握らずに払えばそれは敵対を意味するわけだな」


 左手を差し出したままのエルがそんな説明を行ってきた。柊吾の世界でもそれは同じ意味を持っている。異世界でありながら同じような習慣があるという事実を、柊吾は少しだけ嬉しく思った。


「改めてよろしく。エル」

「こちらこそだ。シューゴ」


 シューゴはふよふよと移動して、差し出されたエルの左手の上にぴとりと着地する。今の柊吾に出来る精一杯の握手というやつだ。


「……ん? なあエル。君ってそんな指輪嵌めてたっけ?」

「え?」


 すっと動かされた手から飛び立った柊吾は、再びふよふよと宙に浮きながら己の左手の薬指に嵌った指輪をまじまじと眺めているエルに近付いていく。


「私はこんなもの知らないぞ」


 そういうエルの指にかっちり嵌められた指輪は、彼の髪と同じく美しい銀色をした指輪だった。精緻な細工が施された見事な指輪だが、残念な事になにかしら宝石が収まっていたと見られる部分はぽっかりと空いており、細工が見事なだけに実に惜しいと思わせられる。


「でもぴったり嵌ってるよな。この――」


 そんな事を言いながら、何の気無しに柊吾がちょんと指輪に触れた直後だった。


「うわっ!」

「なん――」


 何かに吸い込まれるような感覚を覚えて柊吾は思わず声を上げ、それに驚いたのかエルもまた声を上げたかと思うと、柊吾は全身に急激な重圧を感じて思わずその場で()()()()()()()

 足元で踏みつけられた水晶群が澄んだ音を奏でる中、どうにか踏み留まった彼は大きく息を吐いて今の一瞬で額に浮かんでしまった汗を拭う。


「…………は?」


 汗を拭って、柊吾は自分の視界に移り込むわずかに赤黒い汚れの付着した白くほっそりした指と手をまじまじと眺めてしまった。そして――


『何だこれはどうなっている!?』


 突然頭の中に響き渡った声に不意を打たれ、今度こそ耐え切れずにその場で尻餅をついてしまった。


「痛っ!」

『痛っ!』


 脳内で響く声と全く同じ事を言って、柊吾は立ち上がりながら強かに打ちつけた尻を撫でる。妙に柔らかくて張りのある尻だった。


『このっ――どこを触っているのだ!』


 再び耳をつんざくどころか脳に直接叩きつけられるような声を聞いて、ようやく柊吾はその声がエルのものである事に気が付く。


「この声エルか? 何で僕の頭の中で――」

『たわけ! 貴様の頭の中ではない。私の頭の中だ!』

「は?」


 柊吾は何をわけの分からない事をと反論しようとして、はたと先ほど自分の額の汗を拭ったほっそりした手の事を思い出した。


 ――そういやこの手ってもしかして――


 ある事に思い至った柊吾は急いで地面に突き立てられている元自分の容れ物へ顔を寄せ、そこに映るものを確かめた。そして、その正体を知る。


「嘘だろ……」


 剣身に移り込む姿は、紛れもなくエルのものだった。




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