3.変異
旅人の言葉を聞いた瞬間、柊吾は自分の身に今ここにはいない友人にもかつて起こったと聞かされていた現象が起こってしまった可能性を認めた。認めた上で、
「……え? どこって、あー、いまいち……自分がどうなってるか分からないけど、君と同じように頭があって体があって手が二本に足が二本あるじゃないか。細部は多少違うかもしれないけど、根本的には同じ姿をしているだろう?」
それでも一縷の望みを欠けて再度旅人に問いかけるが、
「……さっきから何をわけの分からぬ事を言っている。お前のその姿のどこに頭と体と手と足があるというのだ」
やはり旅人は柊吾の望む答えを返してはくれなった。
柊吾はその時点で覚悟を決め、嘆息するように大きく息を吐き出す。
「分かった。それじゃあ、もう一つだけ質問しても良いかな?」
柊吾の言葉に旅人は答えない。だが拒否も拒絶もしなかったので、彼はそのまま話を進める。
「君には……僕の姿がどう映っている? 出来ればなるべく詳細に言って欲しいんだけど」
覚悟を決めたせいだろうか。柊吾は実に落ち着いた声で喋っていた。それは先ほどまでの焦りの色濃い無様な声ではない。
そんな柊吾の変化を旅人も不審に思ったのか、やや崩れていた構えが再び隙の無いものに戻っているものの、ピンと張りつめていた空気の一部がやや緩んでいる様子だった。
しばらく無言で対峙し続けていると、不意に旅人が構えを解いて身体の力を抜いたのが分かる。彼はナイフを手に持ったまま、
「……いいだろう。どうにもお前は妙だ。私も少し興味が涌いたぞ」
にやりとした笑みを浮かべ始めた。
「まず、私の目の前にあるものは『剣』だな」
旅人が簡潔な一言でもって柊吾の問いに答える。そして、
「刀身は鋼色とも銀色とも見える。やや幅広だが、大剣というには長さが足りんな。重量次第では分からんが、まあおそらくは片手剣で間違いないだろう。鍔や柄にはこれといって特徴も無いな。ああ、いや、柄頭に赤い宝玉がはまっているのが特徴と言えば特徴か」
その後に続けて注文通りに詳細な内容を告げてきた。
柊吾はただ黙って旅人の言葉を聞き終え、
「……了解。それじゃあ最後だ。君、鏡とか持ってない?」
すぐさま自分の目で告げられた内容を確かめるための物品を所望する。
「鏡……? いや、さすがに今は持っていないな」
柊吾の要求に困惑する旅人。ないと言いつつもなにか代用出来るものはないかと律儀に探してくれる彼が動くたびに、その手に持つナイフが水晶の発する青い光を反射していた。
「あー、じゃあそれ。そのナイフ。見たところ手入れは行き届いてるみたいだし、たぶんそれでも代用出来ると思う。だからそれで僕の姿を映して見せてくれないか?」
柊吾に言われ、旅人がまじまじとナイフを眺めている。大きさから考えてかなり相手に近づいてもらう必要があるのだが、旅人は少し考えてから問題ないと判断したらしい。
「……いいだろう」
そう言って、彼はパキパキとブーツで水晶を踏み割りながら柊吾に近づいてくる。
「そら、見えるか?」
柊吾はやや屈んだ旅人によって差し出されたナイフの腹に映る自分の姿を見て、
「……何だよこれ。待て待て待て待て。いや待てまじでなんだこれどうなってんだこれ!?」
腹の底から絶叫を上げた。
ナイフに映された姿は確かに旅人が述べた通りのものであった。柊吾の注文通り、これでもかというくらい正確に詳しく伝えられていると言う事を確認出来てしまっている。
「さっきから忙しい奴だな。魔剣自体実物を見るのは初めてだが、お前のような魔剣の話は聞いた事が無いぞ」
絶叫を上げた柊吾に対し、とっさに耳を庇っていた旅人があきれたような声を出す。
「ふっざけんな! 僕は魔剣じゃない! 僕は浪江柊吾っていう、れっきとした人間だ!」
「ナミェシューゴ? ずいぶんとおかしな名前だな。それと、何度も言うがお前はどこからどう見ても剣だぞ?」
「そりゃそうなんだけど実際には違うんだよ。僕は元々人間だったはずで、どういうわけか今は剣になってるんだ」
「……いやその、なんだ。もう少し分かるように言ってくれないか?」
お前は何を言っているんだというような表情をされてしまったが、それを無視した柊吾は今に至るまでの経緯を懇々と旅人に説明した。こことは違う別世界から来たという事に加え、自称異世界の魔術師である煉やら彼の構築した結界式について話が通じるかがやや不安だったが、意外にも旅人はそういったところに突っ込む事は無く、ふむふむとたまに相槌を打ちながら黙って柊吾の話を聞き続けていた。
「……なるほど。お前の弁が本当だと仮定すれば、魔術師の結界式で別の世界へ行こうとしたら気を失って、気が付いたらここでそんな姿になっていたという事か」
旅人が腕を組み、ふーむと一際大きく唸る。柊吾の言葉を反芻して、再度確かめているようだった。
「仮定も何もそれが真実なんだって。実際、ここは日本じゃないんだろ?」
「ふむ。ニホン、というのがどこの国なのか分からないが、ここはグラーデン王国のフィルニアの森にある洞窟だ。一応、ミフト男爵領内という事になるか」
柊吾の聞いた事が無い国名と地名が旅人の口から述べられる。すらすらと飛び出てくるそれらは旅人にとっての常識に含まれる知識からの言葉であって、それ故に真実である事に疑いの余地は無かった。
「うん。逆に僕はグラーデン王国という名前を聞いた事が無い。僕の知り得る限り地球上には存在しない国だ」
「チキュウ? それは世界全体を指す意味で使われるのか? だとすればやはり違うのだろうな。我々はこの世界の事をアルマレウムと呼んでいる」
再び飛び出してくる、紛れも無い異世界の名称。だが、その名前は柊吾の知り得る唯一の異世界の名前とは違ったものであった。
「アルマレウム……? そうか。それじゃあここはツェルフィステスじゃあないんだな……」
「ツェルフィステス? ああ、それな――」
「オザチ! アヂフコック!」
旅人の言葉に被さって、突然柊吾のものでも旅人のものでもない男の声が辺りに響いた。
真っ先に反応した旅人が弾かれたように振り替えるのと、柊吾が旅人の転がり込んできた大穴付近に三人の男の姿を確認するのはほぼ同時だった。
三人は横一列に並んでおり、左から痩せぎす、小太り、ノッポというどこぞのコメディアン三兄弟の様な風体である。
「エヘフ。エザテムチオオッタユオイ?」
「オ。アキフシエスヌゴンオコニクラツシルク。アナクキエットリヒニレアク」
「アハヒフ。アノヤドンニイエッタイ? アノヤドンニイエッタイ?」
口々に何かを言っているようだが、柊吾には相手が何を言っているのか全く分からなかった。とりあえず分かる事といえば、それぞれに錆の浮いたショートソードを持ち、薄汚れた簡素な皮鎧を着込んで下卑た笑みを浮かべているという事くらいである。
しかしながらその姿と言動のニュアンスから判断して、柊吾は相手が野盗の類であろうとあたりを付けた。
「くっ……」
柊吾に対して背を向けた旅人が、悔しそうに身を硬くしたのが分かる。
端的に見て野盗の狙いが旅人であるという事に間違いはない状況だ。つまり、この旅人は野盗から逃げてこの場に至っていたのだろうと柊吾は推測する。
黄色い歯をむき出しにしながらじりじりと旅人との間合いを詰めようとしている野盗たちの挙動を見るに、柊吾の見立てでは正直なところ旅人の方が確実に腕が立つはずだった。
だが旅人の武器はナイフ一本であり、さすがにショートソード装備の野盗三人に対抗出来るのかといえばかなり部の悪い話である。
せめてもう一本ナイフがあれば先手必勝にかける事も出来るが、旅人の身なりを見る限り武器はまず間違いなくあのナイフ一本だ。まさに絵に書いたような危機的状況と言えた。
「エライエライ。アノヤテルケッタワメギンナズナス」
「アガド、アヅオイルナクムニヌカユオイエベロク」
「アハイフ。エザヂミソナトエドノス」
これも相変わらず何を言っているのかまるで分からないが、まあろくな事は言っていないだろう事は柊吾にもよく分かる。
勝利を確認したものがやりがちな、獲物を前にした舌舐めずり。
柊吾はそんな三人組を見て思わず溜息を吐き出した。さっさとかかれば目の前の旅人など大した抵抗も出来ずに終わるのだが、無駄に時間をかけてくれているおかげで柊吾が付け入る隙は十二分に存在していた。
だから――
「おい。そんなナイフじゃどうしようもないだろう。ここで会ったのも何かの縁だ。ここを無事切り抜けた後で僕を連れて行ってくれるなら、僕を使っても構わないぞ」
「何だと?」
ちらりと、旅人が柊吾の方へ視線を向けてきた。
「ン?」
それに反応した痩せぎすの男が怪訝な顔になったかと思うと、
「エアモイオ。ウリエッテバイソテラド?」
ピタリと動きを止めてショートソードを構え直していた。他の二人も釣られて停止したところを見ると、三人組のリーダー格が痩せぎすの男ということなのだろう。
なんにしても向こうが足を止めたのはさらなる行幸だ。これ以上の機会は今をおいて他にない。
「向こうの事は注意だけ払って無視しておけばいい。それで、もう一度言うけど条件を飲めるなら僕を使え。一対一ならナイフでも君が勝つだろうけど、さすがに三人を相手にするんならそのナイフともう一つくらい武器が必要だろう?」
「何を言っている。そんな事を言って、もう一度私に触れさせて今度こそ精神を乗っ取るつもりだな」
しかし、肝心の旅人が柊吾の話を聞き入れない。柊吾にしてみれば言いがかりも甚だしいが、ここが異世界である以上は自分の常識はこの世界の常識ではない。
とにもかくにも今この場で認識出来る事実だけを用いて相手を納得させる必要があった。
だから柊吾は今まで見てきたものの中から事実と思われるものを類推しつつ、根気よく旅人に話しかけ続ける。
「選択肢はないと思うんだけどね。君の構えは本来刺突を中心としたレイピアか通常よりも細身の剣なんかを用いる剣術のものだろう? 今の僕みたいな剣は扱い難いかもしれないけど、それでもナイフよりかはずっとましなはずだ」
「――っ!」
柊吾の言葉に旅人が息を呑んだ。肩越しにこちらを見る目に鋭さが宿る。
今の言葉は当然あてずっぽうではない。旅人が見せたナイフの構え方。あれは柊吾の世界で言うフェンシングに近いものがあった。挙動から推測される腕の筋肉量から見ても、鉄の塊を振り回すというよりは最小限の動きで敵を仕留める戦闘スタイルである事に間違いはないと考えたのだ。
だからこそなおさら、三人と対するには最低限相手と同等のリーチか複数の武器が必要になる。
「それに、このままだと逃げ場もないしどうしようもないよ? このまま抵抗も出来ずに辱められた後に死ぬか、僕を使ってこの場を切り抜けるか。好きにすればいいさ」
世の中には可愛ければ性別を問わない人種がいるというのはどこの世界でも変わらないらしいと柊吾は思った。
少年とはいえ見目麗しい旅人は、三人組の野盗にすれば生娘も同然なのだろう。明らかに殺しに来ている雰囲気の他にもそっちの臭いがぷんぷんしている以上、どうあっても旅人が生き残るにはあの三人に勝つしかないのだ。
「ぐぐ……しかし――」
「けど、僕個人としては後者にして欲しいな。その野盗連中でも僕をここから連れ出してくれそうだけど、どうせなら君みたいな面白そうな人に連れて行ってもらう方が良いと思うんだよね」
それ以上を言わさず、柊吾は旅人に選択を迫った。
先ほどからやや様子見をしていた三人組も、どうやら旅人の頭がおかしくなったかなにかしたと判断したようで、止めていた歩を再び進ませ始めていた。
「……――だ」
「え?」
三人組へ注意を向けていた柊吾は、ぼそりと聞こえて来た旅人の言葉を聞き逃してしまう。なんと言ったのかを聞こうと柊吾が口を開きかけたところで、
「私の名前はエルだと言った。シューゴとやら。どうせこの場で果てる命だ。出来る事ならこの身体、奪った後でここよりさらに南へ下った場所にいるアドノフ伯爵の元へ届けてくれ」
旅人――エルがやけくそになったように言葉を吐き出した。相変わらず柊吾は魔剣だのなんだのと思われているらしい。
「いやだからそんな事は出来ないって言ってるだろ。まあいいや。それじゃあ契約成立って事で。ちゃんとこれが終わった後も僕を連れて行ってくれよな。エル」
柊吾が彼の名前を呼ぶや否や、軽くバックステップで後退して来た彼が左手で柊吾を掴んだ――途端。
「なっ!?」
「うおっ!?」
「アウ!?」
「アドナン!?」
「イヒフ?」
眩い閃光が洞窟内を一瞬にして白く焼き尽くし、柊吾はその光の中で急に身体が軽くなったような錯覚に陥った。
――な、な、なんだなんだ!?
そしてその感覚は次第に水の中で浮いているようななんとも言えない浮遊感に変化し、それは白い光が消え去り視界が戻って以後もなくなる事はなかった。
「なんなんだよ今――の?」
気分を落ち着けるために声を出して、柊吾は自分の声が洞窟内でやや反響している事実に気が付いた。つまりは、今の柊吾の声はこの世界で認識されているという事になる。
「くっ。何だ今の光は……」
横合いから声が聞こえたので柊吾がそちらへ視線を向けると、左手に剣を持ったエルがナイフを持ったままの右手で目元を抑えながらも必死に目を慣らそうとしている様子が見て取れた。
「って視界動いてんじゃん!」
自分が起こした行動の結果を理解して、柊吾は一人ツッコミを入れる。発声と視界変更、加えてどうやら移動する事も出来る様で、彼は水中を泳ぐような感覚ですいすいと軽く動き回ってみた。
――んー……今の僕ってどうなってるんだ?
ひとしきりすいすい動き回ったところで、柊吾はようやくぱちぱちと瞬きを繰り返して視界を取り戻したと見えるエルに近付き、その左手にある剣の腹に自分の姿を映しこんでみた。
すると、ぼんやりと剣身に映し出された物が淡い赤色の光を放つ玉のような物体である事が分かる。なんというかゲームに出てくるお助け妖精みたいなビジュアルであった。
――剣の次は妖精かよ……
やはり人間の姿ではない事に落胆を覚えるが、ひとまず自由に動き回れるような形になったのは歓迎すべき事だろうと考え、
「おいエル」
「なんだシュー……ゴ?」
紫水晶の瞳がまん丸に見開かれてきょとんとした表情になっている。なんというかまじまじと見てみれば顔のつくりが少年というよりも少女のような気がして、柊吾は意味もなく心臓の鼓動が早まるのを感じた。
――いやいや落ち着け僕。僕にそんな趣味はない。
自分にそう言い聞かせ、柊吾はいまだ驚き顔のままのエルに対し、
「言いたい事は結構あると思うけど、先に向こうをやっつけないと不味いぞ。あっちも目眩ましから立ち直ってきた」
人間の状態でなら顎で示すようにふいふいと一方へ移動したり戻ったりしてやり、エルがそちらへ目を向けるのと同時に自分もそちらへ向き直る。
そこには目の辺りを押さえていた三人組がそれぞれに頭を振ったりしながらも油断なく武器を構えている姿があった。
「さてこうして動けるようになったとはいえ、悪いが僕は戦力にならないぞ。まあ、君の実力ならその剣一本でもあいつら程度どうにかなるだろ?」
「ふん。お前に私の何が分かるというんだか。しかしまあ、確かにこんなところで負けるつもりはないがな」
柊吾の煽りでムキになったわけでもないのだろうが、エルは左手に掴んでいた剣を右手に持ち直すと、すっと水平に突き出すような構えを取った。
いつの間にか右手から消えているナイフの時と同じく、剣身の一直線上に自分自身を隠すような構えだ。片手で悠々と構えているところを見るに、どうやら元シューゴであるあの剣はずいぶんと軽いらしい。
――お手並み拝見、かな。
ふよふよと宙に浮かびつつ、柊吾はエルと野盗三人組の戦いを見物する事にした。




