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第5話:幸せの中で




 花がそよぐと仄かに風香が鼻腔をくすぐり、妖精(ピクシー)の小躍りや歌声が聞こえてきそうな森閑とした家の中に小さな風が舞う。

 窓辺からは水棲馬(ケルピー)が佇んでいそうな、清く澄んだ清冽(せいれつ)な湖を一望できる。

 差し込んだ陽の光に目をやられそうになりながら、そっとカーテンを占める。

 安らかな午後だ。私はアンティークのカップを持ち、ゆっくり茉莉花(マツリカ)のジャスミン茶を口に含む。


 ここは、目を閉じれば鮮明に脳裡に浮かぶ血生臭く酸鼻きわまる原風景とは真反対の、長閑(のどか)な場所だ。


 最後の戦争から、もう何年経っただろうか。


 結局、私は死ぬことができなかった。


 40年以上戦争に身を投じ、死なずに生き残った。

 戦争は終わってしまったらしい。地獄の中で生きている人々はまだ多くいるというのに。

 片田舎の小さな一軒家のベッドの上で、今日も私は生を嘆く。

 あの頃に戻りたい。戦場を駆け回っていたあの頃に。血と鉄が支配する荒野に投げ出され、救い終わるまで戦い続けたあの場所へ。

 もっと殺しておけばよかった、救い足りなかったのだ。

 スラムや村で、あの世へ送った人数は数千になるだろうが、それでも足りなかった。

 これは罰だ。死ぬことが許されなかった、罰だ。


 60の歳を超え、すっかり指揮官としても機能を果たさなくなった、私という”個”は軍を抜けた。

 軍、といっても治安部隊のようなものだ。いがみあっていた両国は統一され、今では戦争のない、苦しい生活が続いている。

 私の存在意義(レゾンデートル)は戦地にしかなかった。誰も救われない世界に、私の居場所などない。

 そう思い至ってから、私は田舎に住むことにした。使命を果たした気になり、自分が救われる日まで、自分に与えられた人生(じごく)(くるしみ)に向き合おうと。そう思った。


 随分長くこの家に住んだ気がする。慣れた部屋の風景は、静かに私の視界に浸透していく。

 するとふと、部屋に入り込んだ風が車椅子に積まれた本のページをパラパラとめくる。

 ここにある本は、すべて部下がセレクトした作品だ。


 最後に読んだ本は、私をモデルにしているのかと思うくらいに、主人公の思想がそっくりだった。

 人を殺すことは、人を救うことである。そう信じて、たくさんの人を殺していた。

 血みどろの殺人鬼はある日、一人の女性に出会い、恋に落ち、その女性をどうしても殺せないことに煩悶していた。

 そして自分が殺人鬼だと打ち明けた男を受け入れた女と結婚し、子を産み、命を育む中で、様々な人と触れ合う中でその生命の尊さを知っていく。

 殺戮者の心は少しずつ融解していき、最後は今まで殺した人に償うためにも、家族と3人で幸せに暮らすことを決意する。そんな”感動モノ”として知られる作品だった。


 私も強く心を動かされた。

 強い、激情の念に蝕まれた。


 あり得ない。

 この男は、人を救う使命を授かりながら、それを途中で放棄したのだ。

 愛などというまやかしに、恋などという悪魔の囁きに、無意識のうちに堕ち、人を救うことをやめた半端者だ。唾棄(だき)すべき愚か者である。

 こんなものを読んで、人は感動するのだ。異常だ、異端だ。

 こんなものを感動作と銘打ち世に放つ社会は、明らかに間違っているのに、誰一人としてそれに気がつかない。盲目の中で掴み取らされた物は、全て都合良く作られ改竄(かいざん)された偽物ばかり。

 だけど、その社会を、間違った世界を変えられない。その力は、今の私にはもうない。


「隊長。ご飯、できましたよ」


 すると何十年と耳に馴染んだ声がした。戦場で共に戦い続けた部下の男だ。こいつも私と同じく、死にそびれたらしい。

 男は盆に乗せて運んで来た昼餉(ひるげ)を台に置き、その食事を箸で私の口へ運ぶ。


「お身体は?」

「随分とマシになった。もう、左腕も思うように動く」

「ようやく、ですか」

「そうだな」


 軍をやめ、二人で田舎に引っ込んでから療養も兼ねて長くここに住んで来た。


「今朝、遺嘱(いしょく)の書類を現元帥に届けました。おそらく今夜には私たちの死体を部下が迎えに来るでしょう」

「助かる」

「いえ。……あと、旧元帥が他界なされたようです。自室の床で、衰弱死だと」

「そうか。先生も、ようやく救われたのか。……良かった」

「そうですね」


 部下の男はそう返事をしながら食事を私の口へ運ぶ。人生で最後の食事だ。思えば不味い物ばかり口にしてきたが、部下の男が作った飯は幾分か美味かった。

 世話になった先生が他界し、ついに私の思想を理解する者は目の前の部下の男一人になった。他の部下は、最後の戦地で皆救われた。


……最後は、私の番だ。

 いつの間にか住み慣れたこの地獄(せかい)とも、おさらばだ。


――今日、私は死ぬ。

 この手で、天国へ向かう。


 救いが足りないかもしれない、使命を果たせていないのかもしれない。

 だけれど、きっと私の役割はもうない。この意志を、使命を受け継いでくれる者がいるに違いない。


「片腕じゃあ、人を救えないものな」


 最後の戦争で失って以来、通さぬ右袖を風が軽く靡かせる。右腕は、最後の戦場へ置いて来た。

 左眼には、暗闇しか映っていない。植物状態のまま歩くことを忘れた脚も長らくこの状態のままだ。あの世ではまた思い切り走り回ってやろう。


 一人では生きられない。確かに、その通りだ。二人で生活してきて、何度もそう感じた。

 するとふと、部下の男が問うた。


「どうですか、これからあの世へ逝く気分は」

「悪くない。でも、ずっと望んでいたはずなのに、高揚感が湧かないんだ」


 そう答えながら、これまでの人生に想いを馳せる。

 長く生きて来た中で学んだ事があるとすれば、人一人が一生をかけて救える人の数は限られているという事だ。

 この国の他にも、まだまだたくさんの国があり、何億人という人々が生きている。

 あの青空の向こうに、誰にも救われずに、苦しみの中で生きている人々がいる。

 私のやってきたことなど、本当にちっぽけなことだ。私は、人々のために救いを施してきた。それでもまだ、足りなかった。


……あぁ、でも。もう充分だ、よく頑張った。


 だからもう、私は苦しまなくていい。

 ずっと自分を殺し(すくい)たかったのに、今までずっと踏みとどまっていた。

 ここで死ねばこれから先、私が救うはずだった人々がどうなるかを考えると自殺なんて出来なかった。


 だけど、もういいのだ。考えることはやめた。きっといつか人が真に救われる、何度も求め続けた世界が来るはずだ。

 樫材(かしざい)の丸机の上に、死を迎えるまでの終末期に私の人生と思想を全て書き止めたエンディングノートが、最後の一ページを白紙にしたまま置いてあった。羽ペンはすっかり乾いている。もう思い残すことはない、私の全てをこの一冊に残した。


 そして、私は手に持つ。二発の弾丸が込められた、一丁の拳銃を。

 部下の男が言った。


「隊長、私が先に逝きます」

「済まないな、最期まで。よく、ここまでついてきてくれた」

「いえ。これが私の仕事でしたから。それに、貴女の貫き通した信念に、その姿に、憧れていたんです」

「そうか」

「さあ、撃ってください。先に逝って、待っています。最期は、貴女自身で自分を救ってください」

「ありがとう」


 もう、この男と語ることはない。

 そう思った矢先、部下の男が口を開いた。


「……結局、最後まで貴女の名前を呼べませんでしたね。それが、たった一つの後悔です」

「何度も言ったろう、私には名前がないと」

「ええ、ですから考えたんです。貴女の名前を」


 そして、男がゆっくりとその名を紡いだ。


「”エテルノ”。……意味は、永遠に続くもの」

「この、苦しみの地獄がか?」

「……いいえ、貴女の幸せが」


 最後に男は、笑顔を見せて私の名を呼んだ。


「エテルノ。

 私は、貴女を、愛ーー」


ーーパン。


 撃った。

 何十年の苦楽を共にした部下の男を、戦友を、この手で救った。最後の言葉は聞き取れなかったが、私の名を呼んで死んだのだ。男は、願いを果たして死んだ。部下の男の表情は、これ以上ないほど清々しかった。

 静謐(せいひつ)に、時が流れた。


「……エテルノ」


 ふと、無意識にその名を口にしていた。何故かはわからない。「エテルノ」という名を、私は何度も反芻(はんすう)した。


ーー良い、名前だ。


 名づけられたばかりのその名前に、何かが、心に芽生えた気がした。それが何かは分からない。けれど、何処か温かい。

 私はふと思い至って、羽ペンを取り、真鍮(しんちゅう)のインク壺に浸す。そして、エンディングノートの最後のページに”エテルノ”と書き込んだ。

 そして、脳裡に浮かんだ題名(タイトル)を表紙に記し、そっと綴じた。

 この一冊の本が、誰かに()まれることを願って。


「……さて」


 一息つく。飲み残していた茶を最後に口に含んだ。


 私は……、生きた。たくさんの人々を救った。だから、もうあの世へ逝ってもいいのだ。この切符をつかっても良いのだ。


「私も……、ようやく報われる時が来た」


 そう呟いて顳顬(こめかみ)に銃口を充てがう。

 冷たい。先だった人々の遺骸よりなお冷たい鉄の温度。


 死に場所は戦場でと決めていたが、誰もいない静寂の中であの世へ旅立つのも、悪くない。

 退屈しのぎにたくさんの悲劇の物語を読んできた。生きたまま終わる結末に、幾度となく涙した。

 だけど、私の最後はそうではない。

 私を育ててくれた先生は安らかに先立ち、最も長く時を共に過ごした戦友を救った。

 そして最後に、自分の手で、自分自身を救済できる。


 こんなに、幸せな事があろうか。


 小鳥の(さえず)りが聞こえる。

 入り込んだ風がカーテンを揺らす。窓際に飾っていた、部下の男に渡された花の葉は、すっかり枯れている。

 差し込んだ太陽の光が、先に旅立った男の赤い血を美しく照らす。


 17エテルノの弾丸は、死への切符へと形を変える。


 旅立ちだ。


 これが私の求めた、幸せな終わり(ハッピーエンド)だ。





 そして私は、静かに引き金を引いた。












ーー『17エテルノの弾丸』完ーー

主人公の私、もといエテルノの思想は『命の価値と死』というテーマに対する挑戦でした。長期連載にして色々書きたい話がありましたが、余り長引かせてもクドいと思い5話にて幕引きです。

このキャラでしか描けない物語は多々ありますが、心の中に閉じ込めておこうと思います。


この作品は、高校生活最後の作品にするつもりです。

読んでくださった皆様、ありがとうございます。

間が空きますが、次作もよろしくお願いします。


活動報告を更新しているので、よければ。(2017.4.23更新分)

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