第4話:正しさの中で
街が嫌いだ。極端に言えば街に住む人が嫌いだ。
私は壁に囲まれた鬱屈とした掃き溜めを、馬車に揺られながら目的地へ向かっている。
隊長の私は、帰還が本隊と遅れたことも踏まえ、戦争の報告をしなければいけないらしく中央行政区を目指している。当然だが、報告をするのは隣に座る部下の男だ。
太陽は少しずつ傾き、馬車の窓は徐々に透過率を下げていく。
街は夜の支度に取り掛かっていた。ポツポツと街灯が点灯し始め、浴場に人が列を作る。
売れ残った安値な商品を買い叩こうと商店街には人が多くいる。家族で散歩をしている者、仕事を終え仲間と帰路につく者。
たくさんの人がこの街に犇めき合っている。
その誰もが、幸せそうな顔をしている。苦しそうな顔をしているものなどいない。笑って1日の終わりを迎えている。
……ほら、見たことか。
彼らは、忘れている。いや、目を背けている。
もしかしたら、死ぬことが出来ないから、誰も救えないから、その苦しみの感情が麻痺してしまっているのかもしれない。
憐憫の情はとどまることを知らず、ただ私の意志を更に強く、堅固なものにしている。
その気になれば私の私財を尽くし、街中に爆弾を設置して一晩で街の国民全員を救済することは大変容易い。
だが、それではダメなのだ。一人一人私の手で、私の使命を共にする者の手によって救わなければならない。
せめて私が救った人の最後の姿を、この世で生きた証をこの眼に焼き付けておきたいではないか。
それに。せっかくこの地獄から抜け出せることが出来るのに、見送る人が誰もいないなんて。そんな寂しいことがあるだろうか。
せめて、私たちが見届けてあげなければ。この手で、救ってあげたのだから――。
晩課の鐘が鳴った。
街の象徴とも呼べる高い教会は、滑稽な人々を見下ろしながら薄気味悪く嘲嗤っている。
夜の祈祷をせんと信徒はその足を教会に運んでいく。
なんて、愚かなことなのだろう。人の瑕疵を無視し、命の光などというまやかしの呪文で錯綜させ、地獄へ繋ぎ止める枷を心にはめられるだけだというのに。
信じ込んでしまえば最後、彼らは老いて死ぬまでこの地獄を生きねばならない。
人を救うことすらままならず、人に救われることすらできずに。
救わねばならない。神の啓示を受けたこの私が。
地獄という虚構の中で足掻き藻搔く人々を。妄執の中で苦しみに痙攣し、感覚を失い、ついぞ煉獄の中で笑うまでに狂い堕ちた人類を。
目の前に国の法廷施設が見えた、ここら一帯は政府の施設が多く建造している。目的地も近い。
ああ、そうだ。いくら私一人が託つたところで、この世界はなにも変わらない。
正しい人間の意見など、誰も聞き入れてはくれない。
人の上に立つ者が、その使命を全うせねばならないのに。正しい道に人々を導かねばならないのに。彼らの定める法が、その正しさの中にない。
彼らの独裁の中で、異端の者はすぐに排斥される。その思想が広がらぬようにと。都合よく、社会から抹殺される。
なぜ、人を救っただけで罪に問われるのか。本来、讃えられるべき栄誉だろう。人を救った者の声を聞き届けないなど、おかしいではないか。彼らは私たちと同じ、神の使命を受けた代行者だ。
死を決めるのは人の定めた法などでは決してない。
死刑制度など可笑しな話だ。有り得ない。そんなことで、地獄を抜ける切符を簡単に渡してはならない。
何故人を救った人間を裁く。生きていることそのものが罰であるというのに。死をもって、その罰が許されるというのに。
どこまでも、傲慢だ。
人は皆、戦地へ赴くべきだ。あの場所にて初めて人は洗礼を受けることができる。
戦場に立った者には等しく死ぬことの許可がある。
戦争とは、互いが互いを、この苦しみに溢れた地獄から解放するための儀式だ。確かに、戦場に立つことは恐い、本当に救うことができるのか? 人を救う前に自分が死んでしまわないだろうか?
そんな死への恐怖と焦りがさらに撃つ手を早まらせる。
相手を撃てば、一人救える。たくさん殺せば、たくさんの人を救うことができる。
何度も戦場を生き残った私の使命だ。人を殺し、殺戮にてこの世界を救う。
殉国の英雄とまで囃し立てられるようになったこの身を捧げて。
しかしいつの間にか国民に私の事が膾炙し、知名度も相応に高まってきているらしい。
冷血の殺人鬼、巷ではそういった二つ名が多々つけられているそうだ。興味本位で調べさせたが、私の背負う名の中に”救済''の二文字を示すものは、一つとしてなかった。
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本部への報告を終え、次の日に昇格式を行った。聞き慣れた常套句を聞くだけの退屈な式だ。
だが、それが終わると突然。元帥に昇格祝い、と食事に誘われた。
そうして今。人気のない横町を軍の元帥、大将の二大トップが歩いている。
「こんなところに、飲食店などあるのですか?」
「ああ。俺の行きつけだ。ここの空気は悪いが店内は快適だから我慢しろ」
「戦場に比べて仕舞えば取るに足りませんよ」
そんな軽口を交わしながら、私は慣れない道を歩く。思えば戦地の本部で弾丸を買い取って以来、元帥とは話していなかった。
夜の横町は物騒だ。安酒場の粗悪な蒸留酒で泥酔したゴロツキがそこら中で喧嘩しており、金目当ての殺人や追い剥ぎも跡が立たない。ニコチンとアルコールの臭いが充満し、耳鳴りのような怒号が絶えず鳴り響いている。
ここも、あのスラムと同じだ。街から隔絶されていなかろうと変わらない、ゴミの掃き溜めだ。
険悪な顔つきで睨まれているが、誰に襲われた所で拳銃があれば彼らなど敵ではない。何せ遠距離で一度引き金を引くだけで命を奪えるのだ。裏路地でそういった小競り合いをしている貧乏連中には一生をかけても買うことのできない高価な殺人兵器だ。
そんな裏路地を元帥は慣れたように歩き、小狭な隘路を曲がり急な勾配を持つ階段を降りると、怪しげな扉がそこにはあった。
貿易商が営んでいるのか、見たこともない怪しげな観葉植物、東洋芸術を思わせる置物と暗緑色のランプ。取っ手の装飾は怪奇的で、店主の趣向が伺える。
元帥が迷うことなく店の扉を開くと、カランコロン。と、陽気な音を立てて店の入り口は姿を見せる。
「いらっしゃいませ」と無愛想な接待に迎えられる。元帥は迷うことなくバーテンダーの真ん前に座り込み、私を手招きする。随分とこの店に慣れているようだ。
カウンターチェアーに座る。酒棚にはズラリと酒瓶が陳列し、暗紫色の照明が怪しく照らしている。
「本日はどのように?」
バーテンダーが聞くと、元帥は少し悩んで答えた。
「そうだな、今日はキツめの奴を頼む。苷蔗酒なんかがあるといい」
「畏まりました。では、アイ・オープナーを」
そう言ってラムにオレンジ・キュラソー、リキュールや砂糖をシェークする。
しばらくしてバーテンダーが黄金色のカクテルをグラスに注ぐ。
「そちらの方には?」
「そうだな。赤ワインの飲みやすいものを」
「畏まりました。では、キティを」
そう言うと赤ワインとジンジャー・エールの等量を氷を入れたゴブレットに注ぐ。随分と手馴れた手腕だ、長年の研鑽が見て取れる。
しばらくすると、カクテルを私の目の前に差し出す。綺麗なグラスだ。
そして、元帥がカクテル・グラスを持ち上げ祝詞を唱えた。
「それじゃあ、昇格祝いに。乾杯」
元帥と視線を合わせ、僅かにグラスを傾ける。
目を伏せながら、飲み慣れない赤ワインを口に含んだ。思った以上に甘い。
濃くて深い、赤紫色のルビー色をしている。透き通った綺麗な色なのに、連想されるのは血の赤ばかりだ。
ヴィンテージを重ねるごとに古酒の色調は変わるそうだが、こういった上品な酒は普段飲まないので見ただけでは分からない。
昇格祝いと称して訪れたことの無い洒落たバーに入ったものの、作法も何も分からないため、全て元帥に任せてある。しばらく互いにカクテルを味わっていると、元帥が話を切り出した。
「しかし、お前も登り詰めたな。まさか大将にまでなるとは。軍の人員不足が嘆かれる」
私はその話の穂を接ぐ。
「仕方ありません。私より優秀な者は皆死にました」
「そうだったな。二十年以上付き合いがある奴で生き残ってるのはお前くらいだ」
「そうですね」
「あの時、まだたった5歳のお前を軍に入れて、正解だった。こんなに優秀な兵士になるなんて、思ってもみなかったよ」
「私も感謝しています。元帥があの一族の生き残りである私を生かしてくれたおかげで、人を救う使命を全うすることができました」
「何、どんな思想や使命を帯びようが使えるヤツは登用する。それだけだ」
「ですが、殺しの腕を叩き込んでくれたのは元帥です」
「昔の話だ。あと、今は二人だ。昔の呼び名でいい」
そう言われてホッとする。どうにも元帥という堅苦しい呼び名には慣れない。
「では、先生」
「懐かしいな、その呼ばれ方は」
「私もです。随分と昔のことのようだ」
「あぁ。だがまあ、過去を振り返っても死者の顔しか浮かばない」
「素敵なことです」
「だろうな。そういえば、お前のために編成した部隊はどうだ?」
「とても使いやすいです。よく動いてくれる。ですが、先日の戦争で半数救われました」
「それは何より。ああ、それと一人、部隊の異動願いを出していた奴がいたな。優秀な奴だから中央に置きたかったんだが。お前を無差別殺人鬼だとまくし立てていたから保留にしたよ」
「その者なら先日部隊から外しました。二度と戻ることはありません」
そう言うと先生は「またか」と言いながらカクテルを口に含む。
先生もまた、私の使命を理解してくれる同志だ。
「私は、まだまだ戦い足りません。まだ、救い足りないなのです」
「そうか。次の戦争は、いつになるかな」
「早ければ、早い方が良いですね。その方が救われる人々が地獄に足掻く日も減る」
「まあ、お前はただ最前線で人を救っていればいい。俺の仕事は王サマに勝利を献上することだけだ」
「そんなに、勝利することが大事ですか?」
「当然だ。戦争に負ければ、思想も制度も貨幣でさえも統一される。
''永遠”なんて意味で発行されたばかりの紙幣も皮肉に嗤われ一蹴される。この戦争に負ければ即撤廃だからな。信頼も何も、あったもんじゃない」
「そうですか」
戦争の勝利、国の趨勢。私には縁遠いことだ。ただ、人を救えればそれでいい。私には、戦場さえあれば。
それから話の接ぎ穂がないまま、静かに時が流れる。
バーテンダーがカクテルをマドラーでかき混ぜる音だけが、静寂を僅かに破る。店には他に、旅の音楽家らしき人物がいるだけだ。
二人は無言で酒を呷る。
しばらくすると、ポツリと。何かの堰が切れたように私は沈黙を破った。
「先生。私は、時々思ってしまうのです。真に人を救うとはどういう事なのかと」
「ほう」
「人は死ぬ事で救われる。その考えは変わらない。だけど、それを誰も受け容れてくれないのです。国の上に立つ者でさえも、真逆のベクトルしか持たない。本当に、これが正しい事なのか。時々不安になってしまう」
「正しい、か。また、難しい事を言う」
「誰も、私の救済を讃えてくれない気がしてならない。今のこの世界では何が正しいのか、分からない。私の使命は絶対に間違ってはいないはずなのに……」
「何が正しいかなんて、誰にも分からないさ。正しさや正義なんて、その信念を最後まで貫き通したヤツだけが口にして良い言葉だ。お前にはその権利がある。この国を牛耳る政治家より、よっぽどお前の信念の方が強い」
「ですが、その信念に社会が賛同しない。1日でも早く、この地獄を抜け出したいはずなのに、死への切符を手に入れたいはずなのに」
「難しい論題だなあ。倫理や哲学は俺には分からない。お前の悩みも共感は出来ないが、理解しようとはする。
まあ俺は個人の価値観を他者に押し付けるのが嫌いでな。だから、社会の常識ではなく、俺の価値観でお前を起用している」
「そうやって私の使命を理解してくれるのは、部下の他に先生だけです」
「ずっと昔から聞いてきたからな。異端者が弾かれる世の中じゃ忌み嫌われるだろうが、その思想は戦争では使える」
「異端者でも何でも構わない。誰が何と言おうと私は救世主。元来、真に人を救う者たちは孤独です」
「救う、か。ならなぜ、俺を救わないんだ? こんなに、長く親しんだのに。その気になれば、いつだってお前の17エテルノの弾丸一発で俺を殺せる。命の価値は皆一緒のはずだ。やはり、何かしらの情が殺しの歯止めに……」
「いいえ、先生にはまだ手伝ってもらわないと困ります。私の使命を」
「そう、か。そうだよなあ」
酔いが回っているのか、二人ともいつもより饒舌だ。入店してどれ程経ったかはもう忘れた。
「それと、貴方が設定した17という数字。忌み数の”私は死んでいる”という皮肉だったんですね」
「はは。何だかお前が、生に迷い込んだ死者の様に見えてね」
「私は救世主です」
「そうか。それにしてもお前がこれに気づくとはな」
「いえ、部下の男が」
「あいつは、本当に頭が切れる。それに、運もいい」
「あの男も、私の正しい道を歩む者の一人です」
「正しさ、か。……まあ、俺は別にお前を正しい道に導こうなんて考えていない。自分の道ってのは自分で決めるものだ。俺ができるのは、お前の道の決め方を導くだけだ」
先生の言葉は、陶酔した脳に心地よく響いた。
そして、一つ間を置いて、先生が言った。
「なあ、もう”お前”なんて呼ぶのも飽きた。そろそろ名前くらいあっても良いんじゃないか? 結局俺は、お前に戦場しか与えられていない」
「要りませんよ、そんなもの。名前は、地獄に繫ぎ止める鎖にしかなり得ない。私が名前を欲するのは、死への切符を使う時です」
「それは、まだか」
「ええ。私は人を救い足りない。もっと、殺さないと。神は私を生の罰から許してくださらない」
そこまで言い切って、不意に意識が飛んだ。どうやら随分と飲んでいたようだ。目の前には頼んだ記憶のないグラスもある。
「酔いやすいな、お前は。まあ介抱くらいなら幾らでもしてやるからもう眠れ。永らく休んでいないだろう」
目の前がボヤけてきた。随分と眠い。
そのままコックリとしながら目を瞑った。
霞む意識の中で、微かに先生の言葉が聞こえた。
「まだこれは機密だが最終決戦が決まった。全軍投下だそうだ。最前線は熾烈なものになる。そこでお前はまたたくさんの人を救える。それにもしかするとお前が、そこで救われるかもしれない。もう悩まなくて済む」
最終決戦。死に場所。最前線。
ああ、先生はいつも私の欲するものを与えてくれる。
とても、楽しみ……だ――。
⌘ ⌘ ⌘ ⌘
それから1ヶ月経った。私はまた、戦地へ赴く。
最終決戦、だそうだ。これで領土がどうなる、権利がどうなると訳のわからないことを言っていた。
そんなことは、どうだっていい。
人は皆、死に場所を求めている。
長い戦いが終わると国民は歓喜していた。
私もようやく、死ぬことが出来るのかもしれない。
最悪、これが最後のチャンスになったとしてもおかしくないのだ。
戦争の終結が見え、兵士もどこか張り詰めた空気の中に安堵を感じる。
だけど、私の胸中は不安や焦りでいっぱいだった。もしも死ねなかったら、私は戦地に立つことができずに生き続けなければならないかもしれない。
握り締めた死への切符を握り締めて、私は馬を駆る。少し遠出だ。
部下の男も後ろを走る。「共に死ねるといいな」と。そう、目があった時に伝えた。
「はい」と、淡白に部下の男は答えた。
28度目の戦争。
28度目の最前線。
28度目の死へのチャンス。
逃すものか。
たくさんの人を救って、最後に私も報われる。
それで、ハッピーエンドだ。
私は力強く走り出した。
築き上げた屍の上で、静かに死にゆく姿を心に描き。
死への切符を握り締めて――。




