閑話 侍女は夜の酒場で謳う 【中編】
酒を飲んで気分が良くなっている男たち。酔った勢いも手伝ってか、意外なほど簡単に、流しの吟遊詩人の存在を受け入れてくれた。
やんややんやと拍手をして、私に一曲促してくる。
「おう、いいじゃねぇか。歌ってみろよ!」
「はい、お任せくださいませ」
――と、笑って言いながら、実は内心「どうしよっかなー」とか思っていた。
なぜって、リュートの弾き語りなんて教養は私には無い。当たり前だ、貴族じゃあるまいし。
しかしそうもいっていられない。とにかく彼らの興味を引きつけなければ。
「はい、では参ります。第一曲目――『てんやわんやでどんがらどん』」
適当な曲名を適当に言って、私は自信満々に、リュートを適当に掻き鳴らした。じゃんじゃかじゃんじゃか、音楽だかなんだかも分からない、何かの音が鳴りまくる。
奥で店主が両耳を押さえていた。
彼らは酒が入っているおかげでいきなり怒り出しはしなかったが、鈍くなったアタマでも、さすがに不協和音は不快に感じたらしい。何か文句を言って来ようとしたのを遮って、私は言った。
「こちらが音楽の都スフェインで流行している最先端の音楽です。いかがでしたか?」
「お……おう?」
「最先端……そ、そうか。これがスフェインの……ふうん?」
「なかなかやるじゃねえか姉ちゃん!」
……よし、信じた。馬鹿は楽でいい。
男達は笑い声を上げ、一斉に拍手を送り始めた。やれやれ、これでひとまず第一段階、接触成功。私は安堵し、軽薄に笑いながら、さりげなく空席に腰を下ろした。
「どうもありがとう、御大尽。こちらみなさん、何かの集まりで?」
「いやあ……ただの飲み仲間だよ」
さらりと誤魔化される。人に言えない集団だということだ。私はさらに追及した。
「仲間って言うと、もしかして何かの競技、それも格闘や武術の類ですか?」
「……なぜ、そう思った?」
一瞬だけピリッとした緊張感が走る。私は変わらぬ笑顔で、手を叩いた。
「あっ当たり⁉ いやだって皆さん、精悍でらっしゃるもの! そうして座って酒を煽っていても、さぞかし腕のあるかたと見てわかりますよう!」
素面なら絶対に騙されないであろう、明らかなお世辞に、男たちは相好を崩した。
あまりにも単純。彼らは武力こそあるかもしれないが、知恵が無いのだ。
……先日グラナド城で、マリー様の代わりに私を連れて行けと言った時、彼らは完全に機能を停止した。想定外――いや命令外のことが起きて、どうしていいか分からず、ただ撤退するしかできなかったのだ。
やはり彼らには頭脳がいる。この脳筋達の信頼を受け、命令通りに動かすことができる統治者が。
――突き止めたい。それができればきっと、旦那様の助けになる……。
私は再びリュートを掲げた。
「皆さんの武勇伝を歌にしたいのです。何か、最近あったことを聞かせてくださいよ」
そう言うと、彼らは顔を見合わせた。困ったように後ろ頭を掻き、首を振る。
「いやあそれは……俺達、なんでもかんでもしゃべっちゃいけねえ立場でよォ」
「大丈夫ですよ、この場でしか歌いません。みなさんの武勇伝で即興曲を作らせて戴きますので、聞かせてくださいな」
「そうまでいうなら……そうだなあ……」
男達の口元が緩んだ。
「あの、ディルツ最強の城塞、グラナド城を陥落させた話ってのはどうだ。聞きたいか」
「……素晴らしいですね。ぜひ」
私はリュートを構えて微笑んだ。
脳筋男の横にいた、細身の若者がククッと笑う。
「陥落とは、さすがに盛りすぎ。ただ門番締め上げただけじゃん」
「えっ、グラナド城の門番を? すごいじゃないですか!」
私は興奮した様子で続きを促した。
「ずいぶん勇敢なのですね。あそこの城主ってグラナド公爵、この国じゃ有数の権力者ってやつでしょう」
「だからこんな格好してるんだよ、さすがにバレたらまずいから」
「いやあ、大丈夫だろ。あの家はこれから没落していくんだし」
呑気な笑い声をあげ、美味しそうに酒を飲み干す。
私は店主を呼び、彼らにとびきりの酒と肴を出すよう頼んだ。料理が届いてから、身を乗り出す。
「グラナド家が没落? まさか、どうやって」
「正確には家というより貿易商、キュロス・グラナドの没落だ。商売を破綻させて、借金まみれにしてやるのさ。英雄ジークフリートがディルツの国境を護っていたのは二百年前、金が無くなればあんな青二才、誰も相手にしなくなる」
商売を破綻とは、どうやって――と聞こうとして辞めた。それを私が聞いても分からない。
それよりも気になったことがある。
「なぜ、それほど執拗にキュロス卿を……何か個人的な恨みでも……?」
すると、男たちはお互いに顔を見合わせた。少し黙ったあと、何かニヤリと、意地の悪い笑みを浮かべて見せた。
「そりゃあ――なにもかもあの男のせいだからな。アイツがいなくなれば、あの方は“帰ってこられる”んだ」
「“帰ってこられる”……?」
……どこに?
グラナド城にだろうか。旦那様のせいで城を追われた者……首になった従業員の顔がいくつか浮かんだが、そんな一般市民がグラナド商会に牙を剥けられるわけがない。
グラナド家……アルフレッド様の縁者、公爵の後継者候補にいた者……?
頭の中に浮かんでは消える大量の人間の顔。歴史のあるグラナド家と、国一番と言われる財力を持つ旦那様は、やはり多くの人に逆恨みをされている。
黒幕は、その中の誰かなのだろうか。だとしたら一体――。
私は目を細めて、この中にいる誰が一番口が軽そうかと見定めた。
やはり脳筋男が良さそうだ。この男、さっきから匂わせるようなことをチラチラと言っており、本当は話したくて仕方がないのだろう。
私は再びリュートを鳴らした。
「ではでは、歌詞を固めましょうかね。その御方、グラナド家に鉄槌を下す英雄殿のお名前を教えてください。とびっきりの英雄譚を作ってさしあげましょう」
「またじゃんじゃか鳴らすのかあ?」
ドッと盛り上がる男達。雰囲気がいい。よし、行けそう――と、思ったその時。
男達は店の隅、明かりの無いテーブルのほうへと声を飛ばした。
「おーい、新入りぃ! おまえ、ちょっとこっち来い!」
呼ばれた先に、一人の男が座っていた。
私は眉を顰めた。……あいつ、いつからそこに? 気配を感じなかった。
暗がりの男は、顔の動きだけで「何か用か」とこちらに問う。
「たしかおまえ、スフェイン人だろ? おまえもこっち来て、故郷の音楽に酔いしれたらどうだよ」
え――これはまずい。
スフェイン人が音楽に詳しいのは真実だ。私がリュートを適当に掻き鳴らしているのもすぐばれるだろう。一曲弾いてくれと言われたらおしまいである。
暗がりの男が席を立つ。ゆっくり、こちらに歩み寄ってくる――私は身構えつつも、冷静にその男を観察した。
年のころは三十路前後だろうか。金髪碧眼、長身に、うっすらと無精ひげを生やした男だった。その容姿は確かにスフェイン人らしいものだったが、衣装がおかしい。スフェインの文化とは明らかに違う、ディルツでは見たことが無く、オラクル風でも無かった。なんというか――奇妙な服だ。思わずまじまじと見つめてしまうほど。
どこか、遠い国の民族衣装……だろうか。袖や裾がやたらと大きい。前開きの長外套のようなものを、これもまた裾の大きなズボンらしきものに入れて、腰紐で固定している。
その恰好は果たして動きやすいのかにくいのか、どうやって着たのかすら想像がつかない。それに何より――腰元に下げている細長い物、剣のように見えるのだが……。
男は足音を立てなかった。何の音もたてず、私の側に佇んで……ニヤリと笑った。
「いやあ、拙者は確かにこの容姿で、両親はおそらくスフェイン人なれど、自身は住んだことも無いでござるよ」
ディルツ語だ。かなり流暢だが、何かおかしい。妙に古臭く堅苦しい、日常では耳にしない言葉遣いだった。




