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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
最期まで永遠に

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ミオの離脱

 ここしばらくの間、リュー・リュー様とともに公爵邸に常駐し、グラナド城を留守にしていたミオ。まさかまさか、このタイミングで帰ってきてくれるなんて……嬉しすぎて有り難すぎて、わたしの涙腺が決壊した。

 ぼろぼろ泣いて彼女に縋りつきながら、たどたどしく事情を説明する。


「ああミオ、トマスが、いきなりわたし、わたしに」

「しばらく留守にしていた間に、なにやらいざこざがあったようですね」

「う、うんそうなのそれでトマスが――わたしっ――」

「大丈夫、落ち着いてくださいマリー様。こちらグラナド公爵領の名産品、トチの実の蒸しパンです」

「ありがとうお気遣いなく、それよりトマスがぁあああ」


 わたしは泣きじゃくりながら、ミオから紙包みを受け取った。

ミオはわたしを押しのけると、倒れたトマスに駆け寄り、様子を窺う。

 顔の前に手をかざし、手首を取って、数秒……彼女はホッと柔らかな息を吐いた。


「大丈夫、ただ『落ちて』いるだけです。寝ているのと変わりません」

「そ、そう……! はあ、良かった……」


 わたしの膝から力が抜け、地面にへたり込んでしまう。


 ミオは引き続き、トマスを起こそうとしたのだろう、背中を手のひらでバシバシ叩き始めた。だが彼の復活を見届けるより先に、またグイと肩を引かれた。今度こそ、オラクルの男だった。


「そこのメイドが言った通り、そいつは平気だ。それより、早く馬車に乗れ」

「…………っ……」

「なんだ。自分も乗ると言ったんだろう」


 わたしは無言で立ち上がった。

 いいわ、どこへだって行ってやるという気持ちだった。それなのに、膝が笑った。足が震えて動かない。わたしは思い切り腿を叩いた。ビリビリと痺れるような痛みのあと、震えが止まる。よし、行こう。


「……ミオ、リサはメイド長のオードリーにお願いしてるわ。キュロス様が帰ってくるまでお願いね……」


 しかし、ミオは首を振った。


「赤ん坊には、乳母よりも母親がいてあげてください。私が行ってきます」

「えっ?」


 という、疑問の声はわたしではなく、オラクル人が漏らした。耳ざとく聞きつけたミオが顔を向ける。


「それで何か支障がありますか?」

「……いや……しかしその……」

「先ほどあなたは、マリー様の同行を許可しましたね。マリー様の代わりに私が行くと申し上げております。何か問題でも?」

「……おまえはただのメイドだろう」

「私は家政婦(メイド)ではなく侍女、そして侍従頭です。彼の雇い主ではありませんが、彼が不祥事を起こしたのならば責任を取る立場にあります」

「……しかし……先ほど城に帰って来たばかりと話していたな? 事情を知っているとは思えない」

「それはマリー様も同じです。城主や公爵夫人が、門番の手癖を熟知しているとでも?」

「…………ちっ……」


 わたしは確かにその時、男が悔し気に舌打ちしたのが聴こえた。


「それならいい。撤収する」


 そう言って、男は右手を大きく天に掲げた。それが撤収の合図らしい、背後に控えていた者達が一斉に踵を返し、各々で馬車に乗り込み始める。リーダーらしい男も鷹揚に頷いて、わたし達に背を向けた。


 えっ? トマスも連れて行かなくていいの⁉


 ミオが視線を鋭くし、低い声で問いかけた。


「余計な者が付いてくるくらいならば、容疑者の身柄すらも不要だと?」

「要らぬ。婦女子が二人その身を挺してまで案じるほどの男ならば、善良な者に違いない」

「……はあ?」


 わたしは思わず、ひどく胡乱な声を漏らした。


「それに、通報した被害者殿はお優しい方だった。貧しい門番が魔が差して、饅頭のひとつを盗んだくらい、大目に見てくださるだろう」

「な――えっ? 饅頭⁉」

「では、これにて失礼」


 男は端的に言い捨て、馬車に乗る。


 そうして、トマスとわたしを乗せていく寸前だった馬車は発進した。

 すごい速度で、あっという間に見えなくなって……。


 わたしはやっと脱力し、その場にへたりこんだ。


 ああ……。なんだか色々と、分からないことだらけ、だけど……。

 助かった……。


「引き返してくることは無さそうですね。お疲れ様です、マリー様」


 ミオがわたしに手を差し伸べてくれる。けど、その手を掴むことも出来ない。

 足が立たない。だって本当に怖かったのだ。


「ああミオ……ミオ、ありがとう。ちょうどあなたが帰ってきてくれていなければ、わたしもトマスもどうなっていたか」

「本当にたまたまでしたよ。昼食は外で取ろうかと思っていたところに、お肉の焼けるいい匂いがしたもので、馬を急がせましたから」


 ミオはいつもの無表情で、そんなことを言った。もちろんジョークだろう。まさか、厨房でラムを焼いた匂いが城門の外まで香るはずがない。

 普段なら、面白い冗談だとわたしも笑えたのだろうけど、わたしはまだ立ち上がることも出来ないでいた。


「本当によく帰って来てくれたわ……」


 ミオの手をぎゅっと握る。


「……お願い……しばらく、どこにも行かないで。どうかわたしの側にいて……」


 わたしはミオに懇願した。こんなひどいワガママを口にしたのは初めてだった。ミオにはミオの仕事があるし、彼女が心から慕い仕えているのはリュー・リュー様だ。

 こんなふうに縋るのは良くない……そう、理性ではわかっていたけれど……。

 わたしに家族がいなければ……今、屋敷の中に娘が暮らしていなければ、こんなに震えることは無かったかもしれない。だけど……今は……。


 ミオの小さな手が、きゅっとわたしの指を握り返す。


「承知いたしました」

「あ……ああミオ……ごめんなさい……ごめんなさい」

「謝らないでください。大丈夫ですよ。マリー様のご希望とおり、しばらくはそばにおります――今はまだ――」

「……え?」


 何か、猛烈な引っ掛かりを感じた。

 顔を上げたわたしに、ミオは穏やかな微笑みを浮かべた。


「リュー・リュー様のことも心配ですが、現在は少し落ち着いておりますし。この城とマリー様のほうが緊急事態のようなので――まだしばらくは、こちらを優先するつもりでいます」

「……まだ、しばらく……って……?」

「あと一年……エリーザベト様が三歳になられる頃、私はリュー・リュー様の侍女として、公爵邸に移り住みます。その日までは誠心誠意、グラナド城の侍従頭として、マリー様にお仕えいたします」



 ……わたしは、今度こそ言葉を失った。


 もう何も怖くはなかった。

 いちばん恐れていたことは、もうすでに決まってしまっていたのだから。

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