商売敵との戦い方①
わたしはあれから、ハドウェル商会について調べていた。
ハドウェル商会――当主はハドウェル・デッケン三十二歳。
ヒグマの体に雄獅子のような赤い鬣。金の瞳は梟のごとく、闇に隠れた獲物も逃さない。付いたアダナは邪悪の魔獣バグベアー。その大きな手で、己の意にそぐわぬ商談相手を掴み頭からばりばり喰ってしまう――。
……という、逸話に反し、事実の人物史は地味というか、堅実だ。
生まれはオラクルの郊外にある炭鉱村、多くの村人と同じく炭鉱夫を生業とする家に、第四子として誕生。たまに父が持ち帰る小さな金鉱石や輝石、化石に興味を持ち、独学で加工技術を習得する。その技術と目利きを買われて、街の宝石加工職人に弟子入り。
さらに腕を磨き、二十六歳で独立した。『石屋ハドウェル』はすぐさま評判となり、上級貴族の耳にまで届いた。後援者を得た石屋はハドウェル商会と名を変えて、宝石、貴金属の仕入れと加工、卸までを取り扱う組織になった――と。
「いわゆるたたき上げだな。低い身分に生まれた職人が名を上げて、やがて金持ちの貴族に召し抱えられるってのは、世界的によくあることだ」
「姉の養父、スミス・ノーマンに似た感じかしら」
わたしの問いに、キュロス様は「そうそう」と頷いた。
「それでいうと庭師ヨハンや湯番のチュニカ、料理長のトッポも……いや程度の差はあれ城の侍従はみな似たようなものだ。実力があって俺が気に入れば、身分など関係なく雇い入れているからな」
どこか楽しそうに語る彼。わたしは思わず眉を顰めた。
「……そんな風に言われたら、気を許してしまいそうになるわ。やめてちょうだい」
わたしがそう言うと、彼はハッと息を呑み、
「そうだな。すまない」
真剣な声で謝罪する。そして、テーブルに置かれた手紙の書面を、苦々し気に睨みつけた。
『親愛なる友人、キュロス様。先日はお世話になりました』
手紙は、そんなふざけた文言から始まっていた。
『ハドウェル商会は、グラナド商会様とは友好な関係を結びたく存じます。つきましては、グラナド商会が現在イプサンドロスから買い付けている貴金属資源一切のお取引を中断し、貿易の権限をハドウェルに譲っていただきたい。その代わりに、当社は御社の主力商品である織物については一切の取り扱いを中断いたします』
「……これって、織物を人質に、貴金属の商取引をやめろと脅している……ですよね」
「まあ、そういうことだな」
キュロス様が頷くと、背後に控える執事が歩み寄ってくる。
ウォルフガングはこの手紙を持ってきて以来、初めて口を開いた。
「やはり、織物の仕入れを独占しているのはハドウェル商会の者だった、ということですね」
「にわかには信じがたいけどな。ハドウェル商会は宝石商であって、織物取引のノウハウは無いはずだ。それに、うちの倍の値段で買い占められるほど資金があるとは思えない」
「ハドウェルのパトロン、オラクルのダッチマン公爵家が出資しているのでしょうね。確かあそこの娘がシャイナに輿入れしております。シャイナの生糸農家と何かしら縁があったのかもしれません」
「……提案はあるか?」
「では、僭越ながらいくつか申し上げます」
キュロス様は執事に問うた。ウォルフはすぐに言葉を並べる。
「まずひとつ、あちらの要求を呑むこと。貴金属はグラナド商会にとっても大きな利益ですが、織物類ほどではありません。メインの商品に打撃を食らうくらいなら、利益の少ない商品を譲ってしまうというのも一つの手です」
キュロス様は静かに首を振った。
「いや……却下だ。利益ではなく、取引先との信用問題で。年間の予定通りの数を卸さないと、グラナド商会の評判が下る」
「はい、おっしゃる通りです。それは織物類も同じことですが」
キュロス様の答えが分かっていたのだろう、ウォルフガングはどこか嬉しそうに頷いた。
「他の手段としては、あちらよりも更なる高額を提示し買い付ける。グラナド商会の資産ならば不可能ではありません。一時的には赤字になりますが」
「それも駄目。一度上げた金額を下げるのは至難の業だ。ハドウェルが撤退したあとも永遠に赤字になるぞ」
「ではもうひとつ――あちらの資金が尽きるのを待つ」
「それでいく」
今度は迷わず、キュロス様はすぐに頷いた。
「ハドウェル商会は、発足五年程度の個人商だ。いくらダッチマン家に資産が有り余っていようとも、そんな個人商に大金を投資するとは思えない。いずれ限界が来る」
「はい。それにダッチマン家よりもグラナド商会のほうが資産は上、たとえあちらが身を亡ぼす覚悟で全額投資しても、うちが勝ち残ります」
「耐久戦だな。とはいえ決着の日はすぐ近くのはずだ。一週間……いや、現時点ですでに尽きている可能性も高い。この手紙は嘘だろう」
「僕も、それで正しいと思います。計算上は」
「……この脅迫状は無視をする。それで何事も無く市場が回復すれば……」
最後、キュロス様は言葉を濁した。先ほどまで厳しく眉を吊り上げていたのを、ふと緩める。自嘲気味に苦笑をして、
「……と、そう上手くいかないような気はしてるんだよな。正直言うと」
「僕もそう思います」
ウォルフガングも笑って言った。
彼らは自信が無いのではなく、危機感を持っているのだ。何かがおかしい――平常と違うことが裏で起こっている予感。
「商売人の勘は当たるものです。とはいえ、今はその手しか打てない状況……様子見するしかありませんね」
ウォルフガングは深く一礼して部屋を出て行った。
――商売人の勘は当たる――とりわけ悪い予感ならば、確実に。
そう言われている通り、事態は悪い方向に転がった。




