お客様は異国の人でした!
座っていたソファから垂直に立ち上がり、これ以上なく明るい声で元気いっぱい迎えてくれたのは、大きな目をした少年だった。
いや、小柄な青年かな? わたしよりも少し背が低そう、ディルツの平均的な女性と同じくらいの体型だ。
少しだけ癖のある豊かな黒髪、明るい茶色の目はまん丸などんぐり目。丸みのある顔にはたくさんのそばかすで、にかっと笑った口元から魅力的な八重歯が覗いている。
なるほど、トマスの言った『弟みたい』というのも理解できた。顔は全然似ていないけど、全身で人懐っこさをぶつけてくる、太陽みたいな笑顔が印象深かった。
思いのほか元気いっぱい迎えられて、わたしは目を丸くしながら、とりあえずトマスを廊下に残し、戸を閉めた。リサを床に立たせ、深々とお辞儀する。
「ようこそグラナド城へ。わたしは女主人の、マリーと申します。子ども連れで申し訳ありません」
「ああ大丈夫ですよ、そんなに畏まらないでください。おれ達はそのような身分ではありませんから」
おれ達? 複数形なのを疑問に思い、顔を上げると、少年の向こうにもう一人男性がいるのに気が付いた。
こちらの第一印象は、『大きな人』。背丈はおそらくキュロス様以上、体重も年齢も、連れの倍ほどありそうだ。もっとも特徴的なのは、腰まで伸ばした長い髪だった。
癖が強くボリュームもあって、獅子の鬣みたいに広がっている。そして、わたしと同じ赤い色をしていた。
このディルツで、赤毛はとても珍しい。自分と家族以外で初めて見たわ……。
赤毛の男はその特徴的な外見に反して、物静かだった。わたしが挨拶をしても立ち上がることなく、一言も話さない。ただ伏し目がちな無表情で、テーブルのティーセットを見つめていた。
「ええと……あの、お二人は――」
「おっと失礼、名乗るのが遅れました。僕の名はヤン。こっちのデカいのはハドウェルといいます」
「……ヤン様と、ハドウェル様……」
わたしは記憶を辿って見たが、やはり初めて聞く名前だった。わたしは人の名を覚えるのは得意なつもりだけど、そうでなくても、絶対に初対面だと断言できる。だって二人とも、とても印象的な外見をしているもの。まして赤毛の大男とチャーミングな少年の組み合わせなんて、一度会っていれば忘れようがないわ。
それに彼らの衣装、シルエットはフォーマルなものだけど、やけに遊び心のある意匠だった。ディルツの紳士も着飾りはするが、こんなにたくさんの色や装飾は使わない。二人ともということは、個人の趣味ではなくこれが彼らのフォーマル、民族衣装なのだろう。となると……。
「あの、もしかして、オラクルの方ですか?」
わたしが聞くと、二人ともが目を見開いた。
ヤンはもともと目が大きいので、驚かされた小動物くらいになっている。
「えっ……あ……と、ど、どうしてそれを……?」
「ああやっぱり? その色使い、オラクル国で好まれている特徴ですよね。それにハドウェル様の髪の色、オラクル国には赤毛の人が多くいると、本で読んだことがあったのです」
わたしは嬉しくなって笑ったけど、なぜかヤンは顔を引きつらせていた。
……? なんだろう。オラクル人だと気付かれたくなかったのかな……?
わたしが不思議な表情をしているのに気付き、ヤンは一度「ごほん」と咳をして、にっこり笑った。
「ええ、おっしゃるとおり。おれ達はオラクル国で商売をやっている者です。そうと名乗る前に当てられたのは初めてだったので、驚いてしまいました」
「あっ、も、申し訳ありません。わたしったら不躾な真似を……」
「いえいえ。当てていただき嬉しいです。おれはオラクル人であることを誇りに思っていますから」
本当に嬉しそうに、ヤンは少し頬を染めて言った。
「それに、早めに外国人だと見抜いてもらって助かりました。おれはまだしもこっちのハドウェルは、ディルツ語の聞き取りに慣れてないんです。おれが通訳しますけど、ハドウェルにもわかるくらい簡単な言葉を使ってもらえたら助かります」
なるほど、それでハドウェルは無言なのね。
確かに、ヤンのディルツ語もところどころ片言に感じる。
そうと知れば、こちらも合わせるのが礼儀というもの。わたしはなるべく簡単な言葉を使うことにした。
「ではヤンさんも、どうぞお楽になさってください。門番からお二人のこと、オラクルから来られた商人だと聞きました。ヤンさんはまだお若いのに、国をまたいで商売をしているなんてすごいわ」
わたしが言うと、ヤンはワハハッと軽やかに笑った。
「おれ、若くないですよ! 少なくともキュロス卿よりも年上ですから」
「……えっ」
「それに、おれは商人ではなくただの雇われ通訳。商会を牛耳っているのはこっちの大男、ハドウェルなんですよ」
そう言って、彼は赤毛の大男を指さした。
「そ、それは失礼いたしました。お二人とも……」
「お気になさらず、よく間違われますから」
と、ヤンはにっこり笑って言った。でも隣でハドウェルは不機嫌そうな顔をしているのだけど……。いや、わたしが部屋に入った瞬間からハドウェルはこうして眉間に皺を刻んでいたわ。もしかしてこの表情が素?
彼のぶんを補うかのように、ヤンは朗らかに笑っている。
「このひと顔怖いでしょ? ただでさえデカいのに愛想もなくて、オラクルでも『バグベア』なんて異名で呼ばれてるくらい。そんなだからおれが矢面に立って、商談を受けているんです」
「そ、そう……ですか」
「というわけで、おれの言葉はハドウェルの言葉、事前に聞いた通りの内容です。だから奥様、商談はおれとだけで――」
その時だった。
調子よく話していたヤンが突然、「ハクショーン!」と大きなくしゃみをした。
「あら……『ご健康に』」
わたしは定例の挨拶を口にする。しかしヤンは鼻を抑えて首を振った。
「い、いやおれは健康で――です、が――はっくしょん!」
そのままハクション、ハクションと連続し、鼻を押さえて悶絶している。
な、なに? もしかして本当に風邪? だけどこんなタイミングで突然悪化するなんて。
「や、ヤンさん? どうなさったの?」
「はっくしょ……んぐ、うわああっ、ち、近づかないでくれっ!」
虫でも払うように手を振り回すヤン。何のことかと思ったら、彼のそばには我が娘、エリーザベトがいた。正確にはヤンではなく、その隣の大男、ハドウェルの足元に近付いていた。ソファに座ったまま微動だにしないその男に、リサはやけに興味を惹かれたようだった。小さな指で彼の顔を差し、何かを一所懸命訴えている。
「あか……おっきい、おっきい、あか」
「ん」
ハドウェルが短く、意味のない声を漏らす。それでも反応をもらったリサは嬉しかったらしい、にかっと花開いたような笑顔になって、ハドウェルに向かって両手を広げた。
「だっこ」
「こ、こらリサ! お客様から離れてっ! 失礼しましたハドウェルさん」
わたしはすぐさま娘を抱き上げ、回収した。ハドウェルはやはり「ん」と短く呻いただけだった。
そうして娘を回収はしたものの、ヤンの様子がおかしい。ひどくクシャミを連発して……。
「はっくしょん! マ、マリー様、もしかしてこの子、さっきまで猫を抱いてませんでした? あるいは近くにいたか、とにかく服に毛が付くくらいっ」
「猫の毛? ええ、うちで一匹飼っています。確かにさっきまで、リサは抱っこしていたけど」
わたしは改めて娘のベビードレスを目視した。ドレスが桃色のせいか、赤猫ずたぼろの毛は見つからない。ところがヤンにとってはそんな目に見えないほどわずかな獣毛も、耐えられないようだった。自分の顔を両手で覆い、逃げるように身をよじっている。
「あああやっぱりっ、お、おれ猫の毛がどうしてもだめで――ごめ、なさい。娘さんをどこかへ――ハッックション! はくしょんッ!」
顔をそむけたまま叫ぶヤン。猫の毛でクシャミ――そう言われると思い当たるところがある。世の中には猫など特定の動物に、強い拒否反応を起こす体質の人が居るって。
わたしは慌てて立ち上がった。
「――トマス! トマスまだいる!?」
扉に向かってわたしが叫ぶと、すぐにトマスが飛び込んできた。彼にリサを預け、別の場所で遊んであげてとお願いする。客人に興味津々だったリサは不満そうだったけど、こんなに拒否反応を起こされたら会話にならない。リサが部屋を出てから、わたしは改めてヤンさんに謝罪をした。
「ごめんなさい、配慮不足でした。今はどんな感じでしょう、まだお辛いですか。医者を呼んだほうがよろしいでしょうか?」
ヤンはハンカチで鼻先を抑えながら、「もう大丈夫」と首を振った。
猫の毛を吸い込まなければ問題ないらしい。わたしはこの服に着替えてから、ずたぼろを撫でてはいないけど、少し毛がくっついている可能性も否めない。気持ちだけヤンから距離を多めにとって、ソファに座り直した。
ヤンの体調は、もうかなり良くなったらしい、まだ鼻をグズグズさせながらも席に座り直した。
「う……す、すみません。あの、体調のこともありますので単刀直入に、要件のみお話しさせていただきます――と、その前に。改めまして、我々の自己紹介を。詳細に」
「……はい」
「ハドウェル商会は、世界中から宝石と貴金属を買い付け加工する、宝飾品売買業者です。グラナド商会とは部分的に、商売敵ってことになるでしょう」
……商売敵……!
思わず身構えると、ヤンはすぐに「大丈夫、大丈夫」と笑顔で手を振った。
「ああ大丈夫! ご安心ください、我々に争う意思などございません。うちみたいな弱小、グラナド商会とじゃ競争になりませんからね。むしろ下請けのような立場で、お互いうまいことやらせてもらっています」
「……えっと……ということは業務提携を結んでいる、と?」
「その通り。キュロス卿とはもう長い付き合いで、ビジネスの関係を超えた親友という関係ですよ」
「そう、なんですか……?」
わたしは納得半分、疑問半分という感じで首を傾げた。
わたしはキュロス様の仕事すべてを把握しているわけではない。だけど人間付き合いは妻として共有し、それなりに知っているつもりだ。その知識の範囲だと、キュロス様が『親友』と呼ぶような人はこの世にひとりしかいない。
それに、もしそんなに仲のいいオラクル人がいるなら、キュロス様はわたしに紹介してくれるんじゃないかしら。外国の話が好きなわたしに、いろいろと土産話をしてくれそうなんだけどな……。
ぼんやりと色々考えていると、ヤンの明るい声が思考を遮った。
「マリー様のことも色々と、酒の席でお伺いしておりますよ。それはそれは、美しくて可愛くて、愛おしくて仕方ないのだと」
「……まあっ。本当ですか!?」
ほんとほんと、と頷くヤン。
う、うわあっ、キュロス様ったらよその国の人にまでなんてことを。嬉しさよりも恥ずかしさが勝つ。わたしは耳まで赤くしていると、ヤンはまた笑った。
「そんな惚気の流れで聞いた話なんですけども、なんでも近年、マリー様をイメージした真珠製品のブランドを立ち上げられたとか」
「ええ、そうです。イプスで結婚式を挙げた頃から、オリジナルデザインのジュエリーをいくつか。ブランドの名前は」
「ブランド名は『人魚の約束』。ですよね」
すかさず、ヤンがその名を口にした。
ああやっぱり、あれについての話をしにきたのね。わたしは彼らの目的を察して、ホッとした。
『人魚の約束』は発表以来、すぐに国中で話題となり、あっという間に人気商品になっていった。イプサンドロスでの加工が追い付かなくて、商店に並べられなくなっているほど。今は完全受注生産で、注文者の元に直接納品に行く仕組みになっている。
きっとヤン……もといハドウェルは自社店舗に商品が入ってこないのに焦れて、直接買い付け交渉にきたのね。残念ながらこちらの手元にも在庫が無いので、どうしようもないんだけど……。
――なんとかそのあたりの事情をお話しして、相手が気分を悪くしないよう、ご理解いただかないと……。
と――わたしがそんなことを考えている間に、ヤンはカバンから、大量の書類を取り出した。
ニコニコと、ひなたぼっこしている子犬のような、可愛い笑顔を浮かべたままで。
「『人魚の約束』、そのブランドはハドウェル商会が買い取りました。今後はうちが自社ブランドとして取り扱うことになりましてね」
「えっ?」
突拍子もない台詞に息を呑む。
ヤンは書類の一枚目を指でつついた。ざっと見積もって百枚はありそうな、本当に分厚い冊子だ。とりあえず一枚目だけ見てみると、目がちかちかするほど小さな文字が、びっしりと並んでいる。本好きのわたしでも、これにはウッと声を漏らしてひるんでしまうほど。
「ああ大丈夫です、こまごまとした字を読まなくても、最初のページ……ここに、あなたのサインだけいただければ大丈夫」
「だ、大丈夫って、言われても。えっ、わたし、『人魚の約束』が……って、今初めて聞いた話なんですけど!」
「グラナド公爵にはすでに話がついております。あなたは何も悩む必要はありませんよ」
ヤンはそう言って、サインを書くスペースらしい場所を指さし、さらにわたしの手にペンを握らせてきた。
わたしはしばらく考えて……テーブルにペンを置き、首を振った。
「ごめんなさい。今この場で、わたしが契約に合意するサインをすることはできません」
ヤンの眉がピクリと動いた。




