嗚呼、哀愁のカスタネット
可愛い宿の扉を開くと、これまた可愛い出迎えがあった。
「いらっしゃいませ、ようこそ『テンダーさんのお宿』へ。お待ちしておりましたっ!」
元気な声で、全力満開の笑顔。
年はまだ十歳くらいかしら。小麦色の髪に明るい茶色の目、奥歯が見えるほど大きく開いた口の端に、魅力的な八重歯が見える。
……なんだろう? 初めて出会ったはずなのに、なぜか懐かしい気持ちになる。特徴が無いのが特徴のような朴訥とした顔立ち、それに髪や目の色に既視感があった。
「やあイサク。ちょうど一年ぶりだな。ずいぶん大きくなった」
キュロス様が頭を撫でると、さらにニコニコする少年、イサク。
「えへへっ、頭ひとつぶん背が伸びました。お隣は奥様の、マリー様ですよね? 初めまして、ぼくの名前はイサク。テンダーママの三番目の子どもです。よろしくお願いします」
ビシッ! と綺麗な一礼。
「まあ、ご丁寧にありがとう。しっかりしているのね」
と、わたしも彼を撫でようと手を伸ばして……ふと気が付いて、確認する。
「テンダーママ? この宿の女将さんは、名前をテンダーというの?」
「はい、パパが亡くなってからは、ここはママの宿です」
「……ええと、イサク。もしかしてお兄さんか親戚に、トマスっていう……ディルツ本国で働いているひとがいたりしない?」
「はい! ディボモフ兄さんですね!」
イサクはあっさり頷いた。ディボモフとは、トマスのミドルネーム――というより本名。ディルツで働くための通名ではなく、生まれ故郷での名前だ。
ということは、これからわたし達がお世話になる宿は、トマスの実家ということ? キュロス様に確認すると、彼は悪戯っぽく笑って、頷いた。どうやらわたしを驚かせようと、わざと黙っていたらしい。
「ルハーブに商談で立ち寄るたび、お世話になっている。イサクの下にあと三人いて面白いぞ」
「兄さんからのお手紙で、マリー様のことも聞いています」
イサクは胸を張ってそう言った。
「ぼくは島を出たことがないけど、島の良いところはいっぱい知ってます。もし観光をなさるのならばお任せてください――でも、まずは客室に案内しますね。さあどうぞ、ごゆっくりおくつろぎくださいませ」
イサクはニカッと会心の笑顔を見せると、扉を大きく開いた。
その瞬間、支えを失った砂山みたいに、どさどさっと子ども達が落ちてきた。どうやら扉にもたれて聞き耳を立てていたらしい。
全員男の子。年はそれぞれ七歳、五歳、三歳くらいかな。同じ顔が少しずつ小さくなっていっていて、たまらなく可笑しい。
彼らはわたしと目があうと、ニカッ!と 明るい笑顔になった。
「はじめまして!」「いらっしゃい!」「こんにちは!」
と、違う口から同時に発射。
わたしは誰から順に答えようか迷ってしまった。
「こらお前たち! いきなりお客さんを取り囲むんじゃないよっ!」
子供たちの後ろから、大きな声が飛んでくる。こちらが彼らの母親――すなわち宿の女主人、『テンダーママ』だろう。顔立ちはあまりトマスには似ていないけど、髪は同じ小麦色。顔なじみであるキュロス様が、よう、と軽く手を上げる。
「女将も久しぶり。二泊三日の世話になる。よろしく頼む」
「はいはい伯爵様、いらっしゃい。相変わらず男前だね。そちらの美人が奥様かい? ようこそいらっしゃい、ルハーブ島へ! あたしが女将のテンダー、あんたたちのお世話をさせてもらうよ」
「マリーと申します。トマスさんには、いつもお世話になっております」
わたしが深々と頭を下げると、女将さんはアッと声を上げ、眉を垂らした。
「そうだいけない、ごめんなさいよ――ええと、すみません。ルハーブの言葉には、敬語ってものがなくてね。貴族様相手の言葉はよく分からなくて……お話はイサクとしてちょうだい、あの子のほうが勉強家だからさ」
「わたしは平気です、お気になさらないで」
「そうかい? なら良かった!」
わたしが言うと、女将さんは即行で笑顔になった。
「お腹空いてないかい? 今、夕食の仕込みをしていたところだよ。 出来上がるまで客室でくつろいでな。お茶を持って行かせるよ」
そう言いながら、広間の奥を指さした。ちなみにこの広間、玄関を開けてすぐの空間には大きなテーブルとたくさんの椅子、タンスやデスク、床にはオモチャが転がっている。なるほど、これが民宿……家族の生活スペースと、客室が続き部屋になっているのね。
お言葉に甘えて、客室へ荷物を入れさせてもらった。
客室は、建物外観と同じく可愛らしく素敵な部屋だった。やはり白い壁と床に、賑やかな柄のタペストリと絨毯、大きめのキャビネットが一つ。あとは大きなベッドが一つあるだけ。
大きな窓からは、すっかり夕日に染まった空が見えていた。
「こっちの扉は何ですか?」
「開けてみな」
キュロス様に言われて、小さな扉を開いてみる。するとその先は大きなテラスがあった。さっき通った庭園につながっていて、緑の芝と、色とりどりの花が見える。テラスにはガーデンテーブルのセットがあってとても素敵。ここで風を感じながら読書をしたら、とてもいい気持ちだろうなあ。気持ち良すぎて転寝してしまうかも。
……ああでも、あそこに見えるハンモック……。お昼寝だけでも、ちょっと使わせてもらえたりしないかな……。
未練がましく眺めていると、ちょうどイサクがお茶を持って現れた。せっかくなので彼も誘って、三人でガーデンテーブルを囲むことにする。
「この香りは青リンゴ……いや、カモミールティーかしら?」
「はい、あたりです! スフェイン語でマンサニージャって言うんですよ」
イサクがそう教えてくれた。
リンゴに似た香りに、はちみつが加えられているのだろう。爽やかな甘さだ。同じくマンサニージャの茶葉を練り込んだカップケーキとばっちり合う。
「おいしい……」
ほっとして、体が蕩けていくような味わいだ。わたしの隣で、同じく目を細めていたキュロス様がふと、カップから顔を上げた。
「夕食はここで食べるのか? 俺は今夜、島長と会談する約束を取り付けているんだ。商談中は、子ども達が騒がないようにしてほしいんだが」
「あっそうだ忘れてた。島長から伝言です。今夜は来られないって!」
キュロス様は表情を曇らせた。
「なんだって? 体調でも崩したのか。島長も良い年齢だから――」
「いえ、新作のカスタネットを手に入れたそうで」
こてっ、と真横にコケるキュロス様と、ついでにわたし。
か……かすたねっと? って、あの、スフェインの……二枚貝の形に重ねた木片を叩いて鳴らす、楽器のことよね?
「ぼく、沖にグラナド商会の船があるのが見えた時、浜までお迎えに行くより先に島長へ知らせに行ったんです。だけどカスタネットの練習に夢中だから、家から出られないんだって。商談は明日の夜にしてくれって言われました」
「そ、それで、いきなりキャンセルか……」
ここまでずっとおおらかだったキュロス様も、さすがに驚いたらしい。脱力した体を何とか起こして、頭痛を抑える仕草をする。
「二カ月も前に手紙を出したのに。……島の経済をひっくり返すほど金が動く、大事な商談だと、書いて送ったはずなのだが……?」
「仕方ないです。カスタネットだから。新作だから。それも栗じゃなくブナの木を使ったもので、珍しいので」
「…………ああ……」
「ぼくも少し叩かせてもらいました。あれですね! やっぱり違いますね! 栗と違って音がこう、柔らかいと言うか、歌を邪魔しないというか。ついつい隣で歌いたくなっちゃうと言うか」
「おまえらルハーブ人は伴奏が無くても勝手に歌ってるだろ」
「そうですね! ああカスタネット、カスタネット~なぜなぜ鳴くの。鳴かねば叩かれなくて済むのに~」
高らかに歌い出したイサクに、今度はわたしがコケた。




