鋼鉄の剣は曲がらず折れる
ディルツ王国、秋の日暮れは早い。
長い夜に備えて、夕食は手早く簡素に済ませるのがディルツの風習だ。気温が下がり切る前に家事を終え、自室でくつろぎ夜明けを待つ。
グラナド城もすっかり静まり返っていた。人の気配はなく、ただ篝火と月明りだけが白壁をぼんやり浮かび上がらせている。
そこへ、一頭の白馬が駆けてきた。跨っているのは黒ずくめの男。グラナド城の門が見えたあたりで、男は素早く下馬した。身をかがめ、明らかに夜闇に身を紛らわせている。
足音もなく近づいてくる男に、俺は声を張り上げた。
「ライオネル殿下! それ以上近づかない方がいいですよ!」
男は弾かれたように顔を上げた。目深にかぶったフードの下から、端正な顔立ちと白銀色の髪が見える。
「キュロス・グラナド……」
やはり……ライオネル。
俺は驚くこともなく、もたれかかっていた壁から背を離した。奴の間合いに入らないよう、警戒しながらゆっくりと歩み寄る。
「うちは商売をやっていますからね。コソ泥対策に、見張り塔には常にひとを立たせてあるのです。不用意に近づいては、見張り塔から矢が飛んできますよ」
それは今すぐ退けという、強い拒絶のつもりだった。しかしライオネルは一歩も引かず、その場に佇むのみ。俺は声を低くした。
「こんな夜更けにいかなる御用でしょう? そんなに気色ばんで駆けこまれては、侍従たちが怯えます」
「キュロス・グラナド。処す」
いきなり殺害宣言されて、さすがの俺も面食らう。そして思わず、笑い声を漏らした。
「殿下、おたわむれを――と、俺も戯れるのはやめよう。ライオネル、悪いことは言わん、本当にやめたほうがいい。ここは城塞、単身で攻め落とせるような場所じゃない。それにうちの侍従は強いぞ」
「貴様……王国を出たんじゃなかったのか」
俺は肩をすくめた。
「ああ、そのつもりだったよ。マリーとの婚姻には王家の承認がいる。どこの馬の骨が次期国王になるやら、ごたごたが落ち着くのを待っていたらいつまでたっても結婚できない。それを急ぐ理由はないが、早く妻を安心させてやりたいんだ」
「次期国王は、私だ」
俺は鼻で笑って、懐から紙切れを取り出した。
「教会でのやりとりは一通り、伝文を受けてるよ。おまえは王位継承権を外されて、とりあえず今は蟄居を命じられているはずだぞ。国王を閉じ込めていたあの塔で……」
と、言いながら、ライオネルの装いを確認する。フード付きマントは上等な生地だが、あちこち汚れて解れていた。靴は泥と砂利で擦れたあとがある。ほう、と俺は声をあげた。
「すごいな、あの高さから脱出してきたのか。やるものだ」
「壊してやる。貴様の大切なものはすべて、この私の手で」
「……会話をしてほしいものだ」
俺は諦め半分で肩をすくめた。
そしてこっそり、安堵の息を漏らす。
……戻ってきてよかった、と。
今回の騒動中、ライオネルの真意はいまいち不明なままだった。しかしいずれにせよ、王太子の権威は大きい。たとえ失脚したとしても、担ぎ上げようとする輩は必ずいるのだ。それに我が妻、マリーには瑕疵がある。シャデラン男爵の罪を、悪意ある者が掘り返せば色々と厄介なことになるだろう。
なので――逃げる。俺とマリーは異国に渡り、このディルツ以外の国王の加護を得て、王家の一存では俺とマリーを引き裂けないようにする。
それがきっと、ルイフォンを助けることにもなるはずだ。俺たちは安全な場所にいる、気を遣わずに自分のやりたいようにやれ、と。国内で出来るだけのことはやり終えて、あとは侍従たちに任せ、悠々と外界に出る予定だったが。
ライオネルの真意は、俺への個人的な怨嗟……マリーからその可能性を指摘された時、奴の脅威は最恐となった。王太子を下ろされ、保身という楔を失くした男は、俺の家族に何をするかわからない。
この国を発つより前に、決着をつけなくてはならない。
ひっそりと生唾を呑んだのを隠し、俺は飄々と肩をすくめて見せた。
「ちょうどいい機会だったんだ。実はうちの細君は、異国文化がたいそう好きでね。身の軽いうちにあちこちを見せてやろうかと」
ギリッ――ライオネルが奥歯を噛み締める音が聞こえた。俺は声を立てて笑う。
「なんだ、不謹慎だとでも言いたいのか。仕事や外交もちゃんとするぞ。もともとそれが必要だからこそ、早く身を固めたかったんだし」
俺の口上を闇ごと切り裂く白銀の軌跡。ライオネルが剣を抜いていた。
「キュロス・グラナド。貴様はいつも私の邪魔をする」
剣よりも鈍く殺意に光る双眸。俺は後ろ脚を引き、身構えた。
「邪魔? 何の話だ」
「私は王の代行という職務を果たそうとしていた。国営の兵器工場を作り、最新の科学を投じて腕利きの職人を呼び寄せて……。しかし頓挫した。働き手は市場に居つき、私の呼びかけには答えなかった」
「……職人は戦後の貧しさの体験者が多い。兵器工場なんていくら金を積まれても働きたくないだろうさ」
「貴様のせいだ。貴様が腕利きの職人を抱え込んだせいで、質の悪い素人しか集まらなかった。貴様が市場にジャムだの流行りの服だの流さなければ、市場は廃れ、職人は食い扶持を失くし仕事を選んでいられなくなるはずだった」
俺は眉をひそめた。思わず目つきが険しくなる。
「民が食い詰めるのを望むか、王太子が」
さらに近づいてくる。
刃物の煌めきに、本能が恐怖を覚える。だが俺は不敵に笑った。
「言っておくが、市場が廃れてもどうにもならなかったと思うぞ。職人はたとえ農民になってでも、兵器工場には寄り付くまい。十分な給与と休日、そしてやりがいと、心地のいい環境を用意しなければ人材は集まらない。おまえが俺に経営術で負けたんだよ」
「私が負けるわけがない」
鉄面皮をはりつけたまま言い切るライオネル。俺は肩をすくめた。
「妄言だな。むしろ俺に勝っているところなど何もないだろう」
ライオネルの表情が変わった。ざりっ――石床に踏み込んだ足が、ライオネルの激情を表している。やっぱりマリーは賢いなあと思いつつ、俺はひそかに、相手の間合いを測っていた。……まだ届かない。
「学園の成績も、剣術大会の記録も。おまえの過去の記録は大体俺が塗り替えた。しかし可笑しいとは思っていたんだ。王太子の伝記には、いつまでたっても『国内最高記録保持者、いまだ破られず』と書かれたままだったから」
押し込むように近づいてくる凶器と狂気。
その様子に、俺はマリーの仮説が正しかったことを確信した。
マリーに言われるまで、俺が個人的に恨まれる要素など何もないと思っていた。伝記が書き換えられないのも、王太子は過去の栄光などにすがらない、どうでもいいからこそ放置しているのだと思っていた。後続の記録も知らないのだろう――俺自身がそうだから、気にもしていなかった。
ライオネルが俺に勝ることなどいくらでもある。王弟の末裔である公爵の庶子に対し、あちらは王太子だ。ディルツ人らしい白肌に端正な顔立ちのライオネルはさぞ女性受けがいいだろう。商才で劣っていて当たり前だ、俺は商人で彼は王になるのだから。俺を蔑みこそすれ、嫉妬する必要はなにもないんだ。
だが――ライオネルの歩みは止まらない。まっすぐに俺を睨んだまま、間合いを詰めてくる。
……仕方がないな。
俺は外套をめくり、腰元の剣を引き抜いた。ライオネルの前に切っ先を突きつけ、静かに言った。
「賭けよう、ライオネル」
「賭け……だと」
「そう、商売や成績なんて軟弱なもので、勝った負けたといわれては納得がいかないだろう。聞くところによると、おまえは自分の剣技にたいそうな自信があるとのこと。ならば直接刃を交えて、雌雄を決せばもう文句はないだろう」
「ふ……なるほど、自分の命と引き換えに家族を守るか。いいだろう、貴様を殺したらグラナド城の連中は生かしておいてやる」
「賭けだと言っただろうが、おまえそうやってひとの話を聞かないから人望ないんだぞ」
ライオネルの額に、太い血管が目に見えて浮かぶ。顔面をひくつかせながら、それでもライオネルはどうにか紳士の仮面をかぶっていた。凄絶な笑みを浮かべて、
「私は貴様の首以外に欲しいものはない。ただ死ね」
「……では俺が勝ったら、大人しく国から出て行け。王権はリヒャルトかルイフォンにでも譲るんだな。案外、ディルツ史上初の女王レイミアというのもいいかもしれないが」
「ハッ、私のほかに王が務まるものか!」
ライオネルは高らかに笑った。白刃を水平に構え、地を蹴る音は一つ、一瞬で間合いが詰められる!
「私はディルツで最強の――!」
切っ先は彼の叫びよりも先にやってきた。音よりも早い一閃、そしてそれよりも速く、俺の剣が跳ね上げる。
ガキン! ――と、鋭い音。
ライオネルの手から剣の柄がすっぽ抜ける。下から掬われた剣は宙へと打ち上がり弧を描き、ガチャンと大きな音をたてて落下。少し遅れて、白銀の刃が続く。
澄んだ音を立て、斬り分けられた刀身が石床で跳ねる。
ライオネルは……ただ目を見開いて、からっぽの手と、折れて落ちた刃を見下ろしていた。
立ち尽くす彼に、俺は最期の言葉を告げる。
「ルイフォンの剣は俺よりも強いぞ」
反論の言葉もなくし、ただ茫然と佇むライオネル――次期国王であったその男に、俺は背を向けた。そして二度と彼の姿を見ることはなかった。
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