マリー・シャデランという女性
色とりどりに咲き誇る花の庭園。夏特有の、強い緑色を背景に、白皙の麗人がたたずんでいる。
長かった赤い髪はまとめて帽子の下。男性平均程度の背丈は、ヒールによって見上げるほどの長身に。ただでさえ長い足はさらに伸び、こぢんまりとした頭部が遠い。
騎士のような衣裳は、男性服というわけではないらしい。マリー・シャデランの女性らしい体つきに合わせ締めるところは締め、豊かなところにはゆとりをもたせ、凜々しくあるべき肩や首は上手く隠す立体裁断になっている。
そうして出来上がった男装の麗人は……ああ、なんというか……なんというのだろう? 美女? 美青年? 男装ではあるが男に見えるというわけではない、しかしわたくしと同じ性にも思えない。なんというの? ただ「麗しいひと」以外に、表現が思いつきませんわっ!
ポーッと見つめるわたくしに、マリーは簡単に歩み寄ってきた。わたくしの手を取り、軽く引く。
「レイラ様、その花にはトゲがあります。けがをするほどではありませんが、痛い思いをなさいますよ」
「えっ、え、ええ……気をつけるわ」
素直に生け垣から離れたのに、なぜわたくし、トゲに刺されたように胸が痛むの? ああ。ああ……。
なんですの、この気持ち……。どうしていいか分からない……。
「それでは、館の中をご案内しましょう」
マリーに導かれるまま、幽鬼のように黙ってついていく。
途中、マリーはわたくしに、庭園について語ってくれた。
華やかさはやはり計画的にデザインされているらしい。寄せ植えの組み合わせはもちろん、生け垣の高さや東屋との距離に工夫を凝らし、さらに同じ花でもより鮮やかに色づくよう、土から作られているというから驚きだ。
マリーはそうわたくしに説明したあと、その総括をしている、庭師の男を紹介してくれた。もしかしたら外国人かしら……あまり愛想の良い男ではなかったけど、マリーが間に入ってくれたので、いくつか質問もすることができた。
豊かな髭をもそもそさせて、ぶっきらぼうな話し方。
「もし、ガーデニングに興味があるなら、わしに言うといい。土と肥料を分けてやろう」
しかし実は親切な男のようだった。
「ありがとうございます、ぜひ!」
わたくしが言うと、日焼けした顔がくしゃりと皺を刻んだ。あっやっぱり、笑うと優しい目をしているわ。
庭園から、回廊へと戻る。館の玄関に入ったところで、わたくしはふと気がついた。
……あれ? わたくしさっき、使用人相手に礼を言ったような?
マリーが、庭師をまるで貴族の友人や家族のように、丁寧に紹介してくれたからかしら……。
颯爽と前を行くマリー。男装のせいだろうか、その背中は凜々しく堂々として見えた。頼もしさすら感じる。
しばらくぼんやり見とれてから、ハッと覚醒する。
な、なに? 見とれるってなんですの!?
このひとは女性、いやそれ以前にわたくしにとってライバル、キュロス様との恋のお邪魔虫ですわ。そうよわたくしが好きなのはキュロス様……!
「ここがわたしの、今寝泊まりしているお部屋です。どうぞ」
マリーが開けた扉に、わたくしは足を踏み入れた。わぁ……なかなか良い部屋じゃない? 王宮で暮らすわたくしがそう思うのだから、どの国の要人を通してもそう思われるに違いない。心地よく過ごせる程度に広々として、絨毯や壁の模様もうるさくない程度に華やか、それでいて調度品は最高級品質だと見て取れる。むやみに飾りを重ねるのでは無く近代的なセンスで作られた素敵な部屋だ。
わたくしは満足して頷いた。うん、この部屋ならば、王宮から嫁入りしても問題ないわ。むしろ今すぐ、あのティーテーブルに腰掛けてお茶のひとつも出していただきたいところですわね。
わたくしの前に立ち、マリーは一礼した。
「レイラ様。本日は、侍女の仕事の研修ということでしたね。わたしの一日の過ごし方と、侍女にしてもらっていることをお見せしますね」
……はっ、そうだった。そういう設定で来たのだったわっ。
「え、ええ、よろしくお願いいたしますっ。朝の支度からですわね?」
「はい。といっても実はわたし、出来ることは自分でしてしまうのですが……」
マリーはそう言いながら、ブーツを脱ぎ、ベッドに腰掛けた。掛け布をめくって、下半身を滑り込ませる。
「一応、決まりとしては侍女に起こしてもらうことになっています。わたしが寝ている真似をしますので、廊下で扉をノックするところから実演していただけますか」
「分かりましたわっ」
わたくしは元気よくうなずき、廊下に出た。他人を起こすなんて生まれて初めてだけど、ふだん自分がされているとおりにすればいいのよね。楽勝ですわ。意気揚々と部屋から出ると、すぐそこにリヒャルトがいた。部屋に入らなかったらしい。
「なにをしているのお兄様」
「……女性の部屋に入れるわけないだろう」
「だけどお兄様も従僕見習いというていで来ているのだから、頑張ってくださいまし」
「おれが嫌だってだだをこねてるんじゃない、夫や父親以外、貴婦人の部屋には入れないものなんだよ。使用人なら執事長クラスでないと」
あら、そうなのですね。わたくし個人の従僕は女性しかいないので知りませんでしたわ。
わたくしは納得し、外から扉をノックした。
「えーと……マリー様、おはようございます! 入りますわ!」
わかりやすく宣言し、扉を開くと、ベッドの中のマリーは微笑んでいた。人差し指をたて、自身の唇に押し当てている。
「もうすこし、お静かに。そして主が自分で起きて、着替えている最中かも知れません。まずお目覚めですかと声を掛け、少し待ってから細く扉を開けて、滑り込むように入室してください」
「は、はいっ。なるほど」
わたくしは納得し、言われたとおりにリトライ。すると今度は、マリーはベッドに寝転がり、目を閉じていた。今度はまだ寝ているバージョンなのね。わたくしは忍び足で近づいて、彼女の前で立ち止まる。
……ええと。これからどうしたら……。
「あの……マリー様……おはようございます。起きてくださいまし……?」
呼びかけても動かない。仕方なく身を屈め、マリーの肩を揺さぶってみた。わたくしに押され、ゆらゆらと揺れる赤い前髪。白い肌に、長い睫毛が影を落としている。数秒後、彼女は目を開いた。至近距離でばっちり視線が合う――寝転がったままわたくしを見上げ、男装のマリーは、甘い微笑みを浮かべて見せた。
「――おはよう、レイラ」
「……っ!」
わたくしは慌てて後退した。それを追いかけるようにベッドを出るマリー。思わず逃げようとするわたくしの肩を掴まえて、彼女はグイと自身へ引いた。
「は、はわぁっ……!」
「起こしてくれてありがとうございます。このとき、侍女は廊下にワゴンを用意していて、わたしの目覚めを確認すると、ワゴンごと部屋へ引き込んできます。顔と口を濯ぐ湯と、メニューによっては朝食を一緒に持ってきていることもあります」
「ふわ、あ、あい」
「本来、わたしの飲食中はそばに立ち続けるのが使用人のつとめですが、わたしは可能な限り同席をお願いしています。給仕が終われば侍女も食卓に着き、軽食をつまむこともあります。食後のお茶は、かならず一緒に楽しむ習慣です」
「侍女と、いっしょにお茶を飲むんですの……?」
「ええ。時には執事や料理長、門番や庭師が座ることもありますよ」
ずいぶん面白い冗談だと思ったが、マリーの表情は極めて普通。えっ、ほんとにほんとなの? だってさっきリヒャルトは、男は貴婦人の部屋に入ることも出来ないって言ってたわ。 マリーは扉口を振り向いた。そこにたたずむ兄に手招きをする。
「そういうことですから、どうぞ、リッチモンド様もお入りください」
兄は一瞬だけ狼狽したが、それでも黙って従う。マリーは本当に平気そうに、今度はわたくしに向き直り、
「これから、ドレスに着替えます。レイラ様、他人に着付けをしたことはありますか?」
無い。在るわけが無い。自分の服、寝間着や下着すら自分で着たことが無い。わたくしがぷるぷる首を振ると、マリーは「ではまたあとでお教えしますね」と引いた。え? マリーって他人のドレスの着付けもできるの……?
尋ねてみると、彼女は当たり前のように頷いた。
「シャデラン家には侍女がひとりだけでしたので、姉や母の着付けを手伝っていました。……しかし、わたしが着たことはなかったので、自分自身での着方はよく分からなくて。わたしも来賓や式典用の礼装は、侍女に手伝ってもらっています」
そう言って、彼女はふと思い立ったように、わたくしを振り向いた。
「一日の流れとして、着付けもまねごとだけやってみましょうか」
「えっ、え、ええ。……そうね?」
首をかしげながら、歩み寄る……。マリーはわたくしの正面で、両腕を少しだけ左右に広げ、「どうぞ」とばかりに立っている。ええと着付け、着付け……自分がドレスアップするとき、メイドがしていた作業を思い出す。ええとまずは、コルセットを……?
わたくしは空っぽの手で仕草だけ、マリーの腰に腕を回した。背中側でなんとなく指を動かす。これで背中側を絞って、それから腰紐を前に回して……。
「うっ!?」
わたくしは呻いた。なんて腰が細いの!? ただ痩せているのではなく、引き締まった腹筋と背筋と側筋で蜂のようなクビレ。思わず後ずさると、今度は視界いっぱいに豊かな膨らみ。マリー・シャデランは背が高い。彼女の双丘はわたくしの眼を突き刺さんばかりだ。わたくしは再び呻いて後ずさりながら、こっそり自分の胸と腹に手を当てた。ううっ、清々しいほどになだらか……!
ま、マリー・シャデラン……貧乏貴族、男並みの長身とあってあなどっていたわ。よもやこんな、破壊力のある肉体美の持ち主だったとは!
ぐぬぬと呻いてにらみつけるわたくしに、マリーは首をかしげながら、優しく微笑んだ。
「本番は、背中側に立った方がやりやすいかと思います。ありがとうございました」
どぉいたしましてっ。
わたくしの心を知ってか知らずか、ニコニコしているマリー。そこへ、男の声が飛んでくる。
「この本はあなたの読み物なのか」
リヒャルトだ。震えて悲鳴じみた声でもない、かといって大声でも早口でもない。普通の口調で、手に持った書籍を掲げて見せる。マリーは頷いた。
「はい。といっても借りているだけです、ここの図書館から……。今朝読み終えて、これから索引をつけるところですね」
「図書館? 索引?」
「グラナド城のすさまじい蔵書を、閲覧しやすいよう整理中なんです。もしよろしければ、ご案内しましょうか。リッチモンド様がお好みになりそうな本もたくさんありますので」
マリーの提案に、リヒャルトは頷いた。さっそく立ち上がり、城塞のほうへ戻り出すマリー。
うぐぅうっ……やはり後ろから見ても、スタイルが良い……足が長くてまっすぐで……。
歩き方が、とても綺麗……。
最初のうちは、悔しさで奥歯を噛みしめながら睨み付けていたはずなのに、気が付けばすっかり見とれてしまっていた。慌てて頭をぶんぶん振って、マリーを視界に入れないよう、兄の後ろに隠れて進む。ああっこれではさっきまでと逆ですわ!
そう、兄はもう怯えて足を竦ませてなどいなかった。マリーの後ろに黙って続き、時折ふりむいた彼女と、視線が合っても逸らさない。短い会話も成立している。
わたくしはこっそり兄に話しかけた。
「良かったですわねお兄様。自ら女性に話しかけるところなんて、わたくし初めて見ましたわ。これからは王宮のメイドにも男装をさせましょ」
「……いや。おれには、彼女が女性にしか見えてない」
ぼそぼそと呟くように応える兄。ならばどうして、というわたくしの問いは、黙殺された。
マリー・シャデランとの出会いは、お兄様のなかでも何かを起こしているようだった。
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