カエデ、冥界の大地に立つ
しばらくすると、俺を包んでいた闇が消え去っていき辺りの風景が目に入ってきた。
闇は完全に消えたがそれでも辺りは薄暗く、空を見上げると、ここには月も星も太陽もない事に気が付いた。それでも人間界の夜のように真っ暗というわけではなく、世界は色で満ちている。赤黒く淀んだ空。灰色の大地。そして遠くにはまるで剣山のようにトゲトゲしい山々が影絵のようにそそり立って見えた。
気温は人間界のソレより若干高めのようだ。体にまとわりつく空気にも、どことなく重いような鬱陶しさを感じる。
そんな世界の上に今……俺達は立っている。そう、俺達は来た。自らの意思で……この冥界に。
この世界のどこかに、古の冥王デゼスの肉体があるのか。俺は振り向くとみんなの顔を見回して全員が無事である事を確かめ、言った。
「みんな、早速だけど少し歩いてみよう。ここに立ってても何も始まらないし、さっさとデゼスの情報を探さないとな」
すると、俺の言葉を受けたルナが微かに首を捻り、不安げに言い返してきた。
「それはそうだけど……そもそも情報探しなんてできるのかな? 魔族の世界なんだよ? ここ」
む……言われてみれば確かに。前にルナから聞いた話だと、グランスフィアの魔族は地球のRPGとかで刷り込まれた負のイメージがぴったり当て嵌まるからなぁ。気軽に尋ねて笑顔で返答、なんてビジョンはとてもじゃないけど想像できない。ここは自分達の力だけで地道に探し回るしかないのか?
と、早速の障害にもう足踏み状態。そうやって困り果てていると、突然リースが震える声で言った。
「って言ってるそばからあっちに灯の光が見えるンですけど……。町……なンですかねぇ……?」
リースの指差す方向には、言葉通り幾つもの灯の光が浮かんで見えた。冥界にも町があるんだろうか? ふと湧き上がった疑問をルナに尋ねると、
「うーん……文献によると冥界は、魔王と呼ばれる高位の魔族達によって幾つかの国のようなもので分けられてるらしいよ。でも、そこに町とか集落が存在するかどうかまでは……」
と、自信なさげに答えてくれた。
まぁ、いつまでもここに留まっているわけにはいかない。どちらにせよあの光が集まる場所には行ってみるしかなさそうだ。
俺はみんなに声を掛け、先頭に立って歩き出す。みんなも恐る恐るといった感じでゆっくりと後に続いた。
問題の場所に近付くにつれ、予想通りそこが町のような場所だという事が段々と分かってきた。なぜ“町のような場所”と曖昧な言い方をしたかというと、明らかに人間界の町とは違う部分があるからだ。
その違いとは、通行人がいない事。そしてもう一つ、ちゃんとした建造物が見当たらない事だ。と言っても、一応住居のようなものはある。大岩をくりぬいて作った横穴を住居と認めてしまっていいのかは甚だ疑問ではあるが。
このかまくらのような大岩はあちこちに点在し、遠くから見えたあの灯りはその穴から漏れ出したものだったようだ。
いよいよ町の入口まで来たが、やはりこの町に通行人の姿はない。だが……集落全体からいくつかの人の気配を感じる。やはり、何者かがこの町に潜んでいるのは間違いない。
「じゃ、少しお邪魔させてもらおうか。危ないかもしれないから、みんな俺から離れないようにな」
念のためみんなに注意を促しつつ、俺は町への第一歩を踏み出す。が……そこで何故か体が前に進まなくなった。バカな……未知の場所へ踏み込む事に、この俺が怯えているだと!? くそっ、動け俺! そんな事でみんなを守れると思っているのか!!
「って……。ちょっとみんな、離してくれないと俺、動けないんデスけど……」
俺が動けなくなったのは、みんなが俺に一斉にしがみ付いてきたからだった。
「だ、だって怖いんだもん」
セイラがみんなを代表してそう言うと、一同がコクコクと頷いて見せた。
「大丈夫だって。全然危なくないからもう少し離れような」
気を取り直して俺達は町への潜入を試みる。一通り歩いてみたものの、魔族とはただの一度も出会う事はなかった。おかしいな、気配は感じるのに……ひょっとして魔族達も警戒して穴に閉じ籠もってるのか?
「う~~……お兄ちゃん……ボク、何だか眠たくなってきちゃったよぉ。宿屋探そうよぉ……」
特に何も起こらない事に気が抜けたのか、目を擦りながらセイラが言う。いきなり気ぃ抜きすぎだろとも思ったけど、冥界転移前は夜だった事もあって俺も少し眠い。さっき歩き回っていた時に『INN』という看板を掲げた大きめの横穴があったのを思い出し、俺達は意を決してその穴の中に立ち入った。
「……? おや、人間かい? そうじゃないのも混じってるようだがね。魔族以外の客が来るのは久し振りだ」
俺達を迎えたのは一人の老女。しかしその容姿から、その人が人間でない事は一目で分かった。背から生えたコウモリのような翼──俺の知るものでたとえるなら、サキュバスってところか。
「あの、お婆さん、ここって宿屋なんですよね?」
「あぁ、宿屋だよ。表に看板付いてただろ? ……んっ!? お、いや……お前さん……まさか……メイガスなのかい?」
「!」
俺の顔を見たお婆さんが突然目を見開き、メイガスの名を口にする。俺とルナは驚いて顔を見合わせたが、お婆さんの驚きは俺達以上のようだった。
「どうしたんだいメイガス。地獄が性に合わなかったかい?」
「あ、いや、待って下さい。別に俺はメイガスってわけじゃなくて……」
俺はお婆さんに軽く事情を説明する。こことは別の世界からやって来た事、メイガスと思しき人物からのメッセージをエゼキエルで聞いた事、それによってメイガスが俺の双子の兄だと知った事などなど──。
「ほぉ……つまりこういう事かい。それぞれが別の時間軸に転移して、兄さんの方がメイガスになったと。ん~~、突拍子もない話だが、メイガス絡みの話となると何があっても不思議じゃないさ。そうかい……まさかあの子に弟がいたなんてねぇ」
「いやぁ~、あくまで俺の推測ですけどね。けど、こっちも驚きました。まさかメイガスが生きてた時代の人と話ができるなんて思ってもみませんでしたから」
「ふふふ、まぁ、生きてたのは本当にギリギリだったがな。魔族の寿命は長い方だが、こうして体に老化が起こり始めてからは人間とさほど変わらん。会えて嬉しいぞ」
お婆さんはメイガスとは相当に親交が深かったらしく、メイガスにそっくりな俺を随分と懐かしそうな目で見上げていた。メイガスが世話になった人なら、きっと俺にとっても恩人だ。この巡り合わせには何だか運命さえ感じるな。
「おっと、すっかり話が逸れちまったね。お前さんらがメイガス縁の一行だってんなら宿代はいらないよ。当然泊まってくんだろ?」
「わぁ~! ありがとぉ優しいお婆ちゃん! ボク、魔族って怖い人ばかりなのかと思ってたけど誤解してたよ」
今はもうそれほど眠そうじゃないセイラが笑顔でお辞儀をする。するとお婆さんは一瞬眉をひそめ、少し悲しそうな笑みを浮かべて言った。
「お嬢ちゃん、魔族のあたしが言うのもなんだけどね、魔族にロクなのがいないのは本当の事さ。……そしてここじゃあそのロクでもない奴の方が多い、覚えときな」
そんな事を言われたけど、少なくともこのお婆さんは悪い人ではないと断言できる。最初に出会った魔族がこの人で本当に良かったとしみじみ思いつつ、俺は冥界一日目の夜を安心と安眠で締めくくるのだった。




