セイラ・シルフィード
昼食を終えると、俺達は再び街を練り歩いていた。ただし、今は単なる観光として、だ。
酒場で裏ルートについての情報を探るにしても、効率で考えれば、それは夜の方がいい。武器屋を回るのは、その……まあ緊張感のない言い方をすると飽きてしまったので、観光でもしながら夜を待とうという事になったのだ。
う~ん……何だかこうしていると、ちょっとしたデートをしているような気分になってくるな。いや、シチュエーション的にはまさにそれだろう。年頃の男女二人(と獣一匹)が楽しく街を歩いているわけだし。
俺は気取られないように注意を払いながら、ルナの横顔をこっそりと窺う。
……正直、可愛い……と、思う。すれ違う人々の中にも振り向く人間がチラホラ居たし、他の人の目から見てもそうなんだろう。何だか一緒に歩いている俺が、どうしようもなく釣り合っていないような、そんな気さえしてくる。
あ~……いかん、無性に気になってきた。周りの人達の目には、俺達はどう映っているんだろう? 親子……はさすがにないだろう。なら、友達? 兄妹? 親戚? それとも……恋人?
いやいやいや! それこそあり得ない。単なる“旅仲間”、だろ? それ以外の何に見えるってんだ。やれやれ、全くどうかしてるな。
「うん? ねえねえカエデ、あれ、何だろうね?」
突然ルナに話を振られ、俺はぼうっとしてしまっていた事に気付く。固まっていた思考を働かせ、状況を確認する。ルナの指先と視線と興味とが向いている方向に目をやると、そこには何やら結構な人だかりができていた。
……何だろう? 気になるといえば気になるけど……厄介事は歓迎できないぞ。
近付こうかどうしようかと迷っている内に、止める間もなくルナが人の輪に駆けていってしまった。
──好奇心旺盛……っと。俺は脳内メモ帳に新たに分かったルナの性質を書き込んで、リピオと並んで群衆に突入していった。
──人だかりの中心には、俺に言わせればあまりにも陳腐な光景があった。
まだ幼さを残す顔に険しい表情を浮かべる一人の少女と、それに下卑た目を向ける三人の男達が互いに熱い火花を散らしている。……まあ、要するに喧嘩だ。
その光景自体は呆れるくらい取るに足らないものだ。しかし俺は少女の背にあるモノを見て一瞬我が目を疑った。
──少女の背には、翼が生えていた。
真っ白な、鳥のような翼。しかし翼は片側しかない。右側の翼が、根元から欠けている。あれでは飛ぶ事は無理だろう。
「お嬢ちゃんよぉ、いい加減諦めてくれねぇかなぁ? そろそろウザいんだけどよぉ」
三人組の一人──おそらくはリーダーであろう男が、重力を無視して逆立った自分の髪を撫でながら大儀そうに言った。
「それはこっちのセリフだよっ!! 絶対ボクが先だったんだからねッ!!」
対する片翼少女──天使を思わせるドレス風の白い衣装にかかる長い金髪が印象的な少女が叫ぶ。俺の聞き間違いじゃなければ、今自分の事を「ボク」と言ったような……お兄さん、ちょっと興味が湧いてしまったぞ。
辺りを見回すと、喧嘩しているのは馬屋の前だという事が分かった。一頭しかいない馬、それをどちらが買うかを争っている……大方そんなところだろう。
「どっちが先かなんてカンケーねんだよッッ!! とっとと退きやがれガキィがッッ!!」
先程とは別の、無造作に伸びた髪を襟足で乱暴に束ねた男が今にも掴みかからんばかりの勢いで怒鳴る。甲高い声だけど、ドスの利いた声とはまた違った迫力があるかも。
「ひぅっ! ~~っど、どかない、もん……ボクが先なんだから……」
すっかり気圧されてしまった少女が弱々しく返す。そして助けを求めるように潤んだ視線をギャラリー達に向けたが、ギャラリーは一斉に目線を逸らした。……あ~……こういう無情なところはグランスフィアも地球も変わらないんだなぁ。
「あ~あ、ラチあかねぇや……時間切れだ。ついでに俺様の堪忍袋の緒も切れた。お仕置きだ」
最初の男が、一段低い声でそう言いながらクイクイと人差し指を折る。それは、何かの合図だったのか。他二人の男が少女を取り囲むように移動した。
「え……? あ、あの……ちょっと、皆さん?」
不安そうに胸の前で指を組む少女が、ライオンとチーターとハイエナに囲まれた野兎のように震える。うん、それは言い得て妙な比喩だ。って、感心してる場合じゃない。──出時があるとすれば、それは今をおいて他にないだろう。幸いというか、あの三人、見たところ大した事もなさそうだし。ルオスで強化された今の俺になら……やれるはずだ。
「そらっ! まずは一発だッ!」
逆毛の男が大きく腕を振りかぶる。事態を“文字通り”見守っていた群集が、わずかなざわめきを漏らす。
パシンッ!
直後響く、乾いた快音。
ざわめきが止み、代わりに静寂が辺りを支配した。
恐怖からか、それとも次に我が身を襲うはずの衝撃に備えてか。きつく瞳を閉じていた羽の少女が、恐る恐る瞼を開く。その大きなブラウンの瞳に映り込んだのは、逆毛の男と自分との間に割って入ったこの俺……ハヅキ・カエデの後ろ姿だ。
「女の子一人相手にコレは、人としてちょっとどうかと思いませんか?」
男の、容赦なく振り下ろされた拳を掌で受け、俺は静かに問う。対する男は幾分うろたえながらも声の調子は変えずに言った。
「あぁ~ん? ……おう兄ちゃん、邪魔するっての?」
「ええまぁ。必要とあれば」
「ほほぉ~? で? 必要な事態ってのは、たとえば何よ?」
「あなた達が、今すぐこの場を立ち去らなかった場合ですね」
「……あぁ、そうかい。……なら遠慮しねぇぞッッ!!」
俺が掴んでいた拳を強引に引き剥がし、男は再び腕を振りかぶる。先程との違いは、その狙いが少女ではなく俺だという点。どうやら、話し合いは決裂という事らしかった。
力強い踏み込みと共に無造作に伸ばされる男の右腕が、ゴゥッという風切音を伴って俺の顔面目掛けて繰り出される。
俺は半身を開くだけの少ない動作で、それを難なくかわす。と同時に男の懐に潜り込み、低い姿勢から左の掌底を放つ。それがガラ空きの鳩尾に惚れ惚れするくらい綺麗に入り、男は身悶えする間もなく地面に伏した。
その一連の出来事は、男達にとってあまりに予想外だったようだ。残る二人の男は状況を理解するために幾ばくかの間をおいた後、半ば自棄になって俺に襲い掛かってきた。
それは群れをなす者の脆さか。
リーダー格の男を失った二人の動きはあまりにも雑で、統率というものがまるでない。二人掛かりという利点を活かそうともせず、闇雲に突進してくるのみだ。
俺は先に間合いに入った男の首をすり抜けざまに掴み、その足を刈る。バランスを崩した男をそのまま後方へ押し倒し、後頭部を地面に叩きつけて闘争心を根こそぎ削いでやった。
瞬時にして“数での優位”が覆され、残った大男は唖然として動きを止める。蒼白となった顔からは冷や汗が噴き出し、見ていて哀れに思うほどだ。
「退かなければ実力行使──これがあんたらのやり方なら、文句もないだろ? ……さっさと消えろ」
俺は静かに、それでいて激しい怒りを込めて、言い放つ。
大男は呻きとも悲鳴ともつかぬ声を上げると、倒れた二人を小脇に抱えて走り去っていった。
辺りを埋め尽くしていた野次馬達が、事態の収拾と同時に一斉に散っていく。俺はそんな様子を溜め息混じりに一瞥し、次いで後ろでぺたりと座り込んでいた羽の少女を見る。
惚けたような顔で俺を見上げる少女。俺は視線が同じ高さになるように屈み、
「あ、大丈夫? 怪我はない?」
などと、お約束的な台詞をできるだけ優しく投げかけた。
「…………」
女の子は依然として黙ったままだ。ん? ひょっとして、言葉が通じてないとか……? と、いい加減不安になってきたところで少女は飛び跳ねるように立ち上がり、あたふたとしながらもようやく喋りだした。
「あッ、あのっその……えと。どうも、あ、ありがとぉ。お陰で助かったよ……ぁぅあ! たッ、助かり、ました!」
「はは、無理に畏まらないで、別に普通でいいよ。それにしても……何が原因かは知らないけど、無茶し過ぎだよ」
俺は眉根を寄せて、やんわりとたしなめるように言う。すると少女は素直に謝ってから、急に怒ったような、それでいて困ったような顔になり答えた。
「でもでも、本当にボクが先だったんだよ! あ、ボクお馬さんを買おうとしてたんだけどね。揉めてたのもそれが原因なの」
そのセリフから、どうやら俺の立てていた予想は見事に的中したらしい事が分かった。まぁ俺の場合、どちらが先でどちらが後だろうと、最終的にはやっぱり女の子の味方をしたんだろうけど。なぜなら俺は正義の味方じゃなくて、美少女の味方だからだ。
「あ、あのぉ……」
少女が、何やらモゴモゴと口ごもる。胸の前で両手の人差し指をくねくねと弄ぶその仕草が、何とも可愛らしい。
「あ、あのボク、セイラっていいます。セイラ・シルフィードです。それで、もし良かったらお兄ちゃ、さんの名前……」
「あぁ。俺はその……カエデ。カエデ・ハヅキです。いや、ですってのは……変か」
かすかに頬に朱が差しているセイラにつられてか、俺もつい緊張してしまう。
──セイラ・シルフィード……か。
名前を知ったからだろうか。俺はここで、改めてセイラの容姿を確認する。
二重の瞼に栗色の大きな瞳。まだ幾分幼さを残すものの整ったその顔立ちは、綺麗系の女性にありがちな険のある雰囲気を微塵も感じさせない。
腰まで届く艶やかな長髪は、比喩などではなく金色に輝き、額部分の前髪だけが赤みがかっている。地毛なのだとしたら、かなり特徴的な髪色だ。
そして、それよりもさらに目を引くものがある。それは、背中から生えた大きな白い翼。左の翼しかないのが気になるところだ。グランスフィアにはこんな人間もいるのか、と自然に納得してしまうあたり、俺もかなりこの世界に馴染んできたように思う。
「も~カエデ! いきなり飛び出して~、ビックリするじゃない。大丈夫?」
隣にやってきたルナが、怒りながら心配するという、器用な真似をして言った。でもルナの事だ。もし俺が飛び出さなければ、きっとルナ自身が飛び出していた事だろう。
ルナは俺に怪我が無い事を確認すると、俺の隣にいるセイラに向き直った。小さく唸りながらしばらくセイラを観察していたルナだったが、
「その翼……あなた、“天空の民”よね? 何でこんな所に、しかも一人でいるの?」
と、幾分訝るような調子で言った。その質問にセイラは少し困ったように俯いて、結局は沈黙した。
「ルナ。旅の目的なんて、人それぞれだろ? 言い難い事なのかもしれないし、その辺は察してやらないと……」
見かねた俺が、そっと助け船を出す。ルナは一瞬ギロッと俺を睨み付けると、もう一度セイラに言う。
「別に旅の目的が知りたいわけじゃないの。ただ……その翼じゃその……飛べないでしょ? 飛べないフェルマス、しかも女の子がこんな所に一人で居て、いい事なんてないと思う。何かよっぽどの事情があるんじゃないかなって思っただけなの。嫌な思いさせちゃったなら、ごめんね」
助け舟を出したつもりが、どうも余計な横槍を入れてしまったらしい。ルナはルナで、セイラの事を心配しているようだった。セイラも誤解をしていたらしく、ちょっと照れたようにはにかむ。
──それにしても、ルナが口走った単語……フェルマス。
聞き慣れない言葉だけど、背中の翼を見て言った事から、大体の見当はついた。意味合いとしては、『有翼種族』といったところか。
結構色んなゲームや小説に登場するから、そこら辺に詳しい人には有名な種族だろう。当然、俺も見た事がある。そして俺の偏った知識によると、有翼人は基本的に機動力が売りであって、戦闘能力は下手をすれば人間以下。ルナの口振りから察するに、フェルマスもその認識からそう大きくかけ離れてはいないだろう。
空を飛べないフェルマスの女の子。争いになった場合、逃げる術も、抗う術もない。そんな子が単独行動をしていたら、ルナが心配するのは無理もない。
「……ありがとぉ、心配してくれて。いい人達なんだね、二人共……と、ワンちゃん」
目を閉じて、穏やかな顔と静かな声でセイラが言う。
ふと流れる、一陣のそよ風。風が通り過ぎた時、セイラの顔から不安や警戒の色は消えていた。セイラが、ぽつりと呟く。
「ボク……今まで一人ぼっちですごく不安だったから……キミ達が助けてくれた時はすごく嬉しかったんだ。あの、キミ達さえ良かったら、聞いてほしいの。ボクの……旅の理由を」
その言葉に、俺達は無言で頷く。その過去を、セイラがゆっくりと語り始めた──。




