空蝉比丘尼の憂鬱 その1
薄暗い部屋の中で裸の女たちが悶える。
淫らに切実に容赦なく己を慰めながら懇願し続ける。
「お願いします……薬を……薬をください……ぁぁ……」
「ほしいの……くすり…あはっ……おねがい……」
「ぁぁ……もうっ……げんかいなのぉ……くすりっ!やくぅぅ!」
泣きながら己で慰めているのが蜻蛉太夫。
花散里を姐さんと呼び、愛嬌ある笑顔で慕ってくれていた彼女は、もはや自我すら怪しいほどの快楽と狂おしいほどの肉欲に苛まれて、床に伏せながらも必死に己を慰め続けていた。
その横で絶頂に達しようとするのが雲隠太夫。
花散里と同じ時期に傾城町に来た彼女は花散里の友人の一人であり、太夫として競い合う仲でもあった。
いつもは大人びた笑みを浮かべる彼女は、今や痙攣しながら涙を流し腰を高く上げてあさましくひたすら薬を求め続けるばかりで、もう理性など欠片も残っていないのだ。
この二人は先に阿片の抜け荷で潰された出島屋平蔵の店の太夫だった。
その阿片をひそかに手に入れた町奉行小原正純よって阿片の味を覚えさせられた。
そんな二人と絡みながら悶える女がいる。
蜻蛉に舌を絡め、雲隠を手で慰めているのが花散里だ。
まるで自分の肉体を見せつけるように二人の裸体に己の裸体を擦り付けるその顔は恍惚としていて、花散里の体には汗と共に蜜が溢れ二人の女の肌を汚す。
同じく小原正純よって阿片の味を覚えさせられた彼女は、まだ覚えが薄かった事もあって、阿片が切れて苦しむ二人を慰めるように抱きながら自らも耐えているのである。
しかし、彼女たちの声に答えるものは誰もいない。
三人の太夫たちの痴態を面をつけた裸の男たちが眺めるだけである。
女たちは果てた後で男たちに気づき懇願する。
「おねがい……苦しいの……私たちを……」
「……助けて……楽にして……欲しいの……」
「めちゃくちゃにして……いいの……何でもいいからぁ」
遊女として男を喜ばせていた筈の自分たちが、見知らぬ男に縋る光景に、もはや正気をなくしたような状態で快楽に溺れていく。
面をつけた裸の男たちが女たちを嬲る。嬲る。嬲る。
快楽に身を狂わせながら、女たちはなお、薬を、阿片を求めようとする。
それは、あまりにも残酷だった。だが、それ以上に惨いものがあり、なによりもそれしか道がなかったのである。
女たちの喘ぎは三日三晩続き、三日目の夜にはついに快楽に狂いながらも阿片を求める声は聞こえなくなったのである。
そんな快楽に溺れ切った女たちは、獣のようにただ貪りあうだけの哀れな姿を晒し、涙を流しながら許しを乞い、誰か分からぬ男のもので果てて気を失ったのである。
「気分はどうだい?」
「……最悪……けど、阿片に狂うよりはましね」
起きた花散里に声をかけたのは尼寺、紗灯尼庵の庵主、空蝉比丘尼。
元は花散里と同じ源氏太夫の一人で、花散里が堕ちる前の傾城町でその名前を轟かせていた女性である。商家に身請けされて退いたが、旦那に先立たれたのを機に出家してこの尼寺の主になっている。そして、今でもその短い髪を揺らしてこの紗灯尼庵で客を取っている。
そのため、遊女たちの駆け込み寺にもなっており、また比丘尼姿で春を売る私娼たちの元締めの一人でもあり、傾城町とは微妙な関係になっていた。
(……とはいえ、そのおかげで私たちは助かったのだけどね)
そんなことを思いながら花散里は空蝉比丘尼のほうを見る。花散里は裸で床の上に臥したまま起き上がることができない。
左右には同じく気を失った蜻蛉と雲隠がおり、三人とも精の跡が生々しく残る酷い状態だった。
それもそうだろうと彼女も思う。何せ、彼女の身体は三日三晩嬲られてとっくに限界を超えているのだから。
紗灯尼庵は都から少し離れた里山の頂にある尼寺であり、麓には都に通じる街道とその宿場町があった。
小高い山頂の為か空気は澄んだ感じで宿場町の喧騒はここには聞こえない。
「阿片の依存を絶つとはいえ、無茶をしたわね。
しばらくはおとなしくしてなさい」
「そうさせてもらうわ。で、あとの二人は?」
「見ての通り。寝息は穏やかよ」
空蝉比丘尼の言葉に花散里は安堵のため息を吐く。
力を入れて起き上がろうとすると、空蝉比丘尼が支えてくれて上半身をゆっくりと起こす。
そして、濡らした手拭いで花散里の精の跡を拭きながら告げる。
「しばらくは商売あがったりよ。旦那衆だけでは足りず、麓の集落の男や旅人、乞食にまで声をかけたのだから。さすがにあのありさまではねぇ」
「支払いはするわよ。体を売ってでも」
「その体を味わった連中が多いって言っているの。麓で客をとっても食べやしないでしょうよ」
軽口の叩きあいにようやくいつもの調子を取り戻したところで空蝉比丘尼が小さく笑う。
こんな会話ができるようになったことが嬉しいのだろうと思いながら花散里は小さく頷き、もらった手ぬぐいで蜻蛉と雲隠の精の跡を拭く。
あの日。町奉行小原正純の所で阿片を吸わされてこのままだと阿片で狂ってしまう事を察した花散里は、ここ紗灯尼庵の庵主空蝉比丘尼に助けを求めたのである。
自分たち三人を救った方法は確かに過激ではあったが正解だったのだから、今更文句はない。
あのような有様になった三人を救う手段はこれしかなかったのだから。
「で、町奉行小原正純は?」
「あんたの読み通り、死んだわ。
病死だそうよ」
感想を言うのも面倒な花散里は視線をそらした事で返事をする。
降ってわいた金と阿片に狂って野心をたぎらせた男が幕閣に睨まれない訳がないのだ。
花散里は助けを求めた代わりに奉行の話を空蝉比丘尼に告げ、空蝉比丘尼が幕閣に告げ口したのだろう。
これで当分の間は安泰だろうが、問題はまだ山積みなのである。
「それで、次の町奉行様は?」
「さすがに聞いていないわね。
幕閣のお歴々も色々思惑があるみたいで、すぐに決まるわけじゃないみたいだし」
「…………でしょうね。奉行所だってそんなに甘いわけがない」
今回の騒ぎに関わりがない廓も結構あったのだが、下手すればその店の女郎たちまで阿片漬けになって使い物にならなくなっていた可能性に奉行所の役人たちは今頃頭を抱えているのだろう。
下手に取り調べを行えば南洲家が絡む阿片の抜け荷の件まで芋づる式に出るかもしれないのだから当然と言えば当然だ。
花散里たちもそんな馬鹿な真似をするほど頭がおかしくなったわけではないし、深入りすれば己の首が飛びかねない。
だからこそ、花散里は傾城町と微妙な関係であるここ紗灯尼庵に逃れて助けを求めたのである。
「あんた、どこまで関わっているの?」
「関わっていたら、奉行の所でまぐわったりしていないわよ」
空蝉比丘尼の言葉に花散里はとぼける。
かつて将軍を巡る争いで、南州家から幕閣に流れた金は一万両はくだらないだろう。
それを稼ぎ出したのがご禁制の阿片の抜け荷。
取り仕切っていたであろう出島屋平蔵がいなくなった今、残った阿片と金の行方が分からなくなっている。
(……そうなれば、私たちの首なんて簡単に飛ぶのよね)
そこまで考えたところで、考えることを放棄する。
もはや、花散里にはこれ以上関わるつもりはないからだ。
所詮、自分は傾城町の太夫であり、男に体を売る遊女でしかない。
それ以上のことに首を突っ込む義理はないと考えていたのだ。
「とにかく貸しができたわ。
なんなら、私たちしばらく比丘尼として客をとりましょうか?」
「傾城町の掌侍様のお役に立てて何より。 いつか使わせてもらうわ」
花散里の提案をあっさりと受け入れるあたり、彼女としても今回の件は非常に有意義だったのだろう。
そうでなければ手を貸さないだろうし、実際にここまで面倒見がいいからこそ花散里たちは救われたのだから。
「私の勘だけど、まだこの件裏があるわね」
「比丘尼様のありがたくないお言葉が当たりませぬように」
そんな茶化した会話は悲しい事に的中する事になる。
そして、当然のように花散里は巻き込まれるのだった。
「おはよう。蜻蛉。雲隠」
「おはようございます。花散里姐さん」
「おはよう。花散里」
翌日の朝。
花散里は、一緒に嬲られていた源氏太夫の二人である蜻蛉と雲隠に挨拶をする。
互いに互いの顔色を見るに、阿片の毒は抜けたらしい。
花散里としては二人が無事でほっとした所ではあるのだが、このまま現を抜かす訳にもいかないだろう。
「体は大丈夫かい?」
「とりあえず、姐さんの前で無様を晒さない程度には」
「その口が花散里に叩けるなら大丈夫だよ。蜻蛉は」
「あんたはどうなのさ? 雲隠?」
「見ての通り。今は男より飯が欲しいさね」
「はいはい。持ってこさせるわよ。尼寺だから精進料理だけど?」
「わかってますとも。その尼寺で男と馬鍬っていたのは……」
「朝飯抜きにされるわよ。雲隠」
「はいはい。触らぬ仏に祟りなしっと」
二人とも軽口が叩ける程度には元気になったらしい。
阿片を吸わされたのが花散里より多いが、依存して狂う所までではなかったのだろう。
襦袢姿の花散里が起き上がって、三人の朝食を用意する。
一汁一菜の朝食に手を合わせて食べようとした所で周囲の慌ただしい声が耳に届く。
(本当に面倒くさいことになってきたわね……)
そう思いながら着物を整えていると、廊下の奥からどやどやという足音共にこちらに近づいてくる気配があった。
足音が止まると同時に襖を開けて入ってきた空蝉比丘尼の顔は険しい。
「何かあったのかい?」
花散里の問いかけに空蝉比丘尼はため息交じりに応じ、その表情を見て何となくではあるが事情を察する花散里。やはり、面倒事は舞い込んでくるものなのだろうと思わずにはいられなかった。
「殺しだよ。
この紗灯尼庵の麓で男が一人切り殺されていた。
出島屋の忘八者で勘次って男だそうな」
その忘八者は花散里が体を交わし、西国に行くと言って旅立った男の名前と同じだった。




