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第14章 都市飛躍 市民生活篇(その1)

 シレンティウム商業区、青空市場


 ルキウスとプリミアが2人並んで歩く青空市場は今やシレンティウムの名物であると共に市民生活にとって無くてはならないものとなっていた。

 麦はその年に収穫された全量を一旦シレンティウムの行政府が買い上げてから市場へ放出しているため、価格や供給量も安定しており売り切れの心配は無い。

 その他の野菜や穀物は自由に売り買いが為されているが、シレンティウムの農業生産が始まったことで概ね廉価で購入することが出来、種類や量も豊富でこちらも買いそびれることはまずあり得ない。

 “シレンティウムで揃わないのは貴族だけ”と言われるまでに発展した青空市場は今日も大盛況である。


「ふ~ん、それでどうしたんだ?」

「ええ、お客様にお願いして客室を変わって貰ったんですが……調べてみると……」


 他愛も無い会話を笑顔で楽しみつつ買い物をする2人はどこからどう見ても仲の良いカップルかもしくは夫婦である。

 市場のおばさん達が2人の様子を見ては目を細めている。

 種類豊富な食材を買い入れた大きな籠をルキウスが持ち、その隣でプリミアは軽いパンや官営旅館で作成する書類に使う紙やペンを持っていた。

 そうして一通り食材などの買い物を終えた2人が向かったのは、デニス雑貨店。


 今日の2人の本来の目的はデニス雑貨店で公衆浴場の備品を発注することであった。

 公衆浴場で使われる衣類入れの籠や、貴重品保管箱、木桶に掃除用のブラシやモップなどの用具は全てデニス雑貨店が請け負っている。

 それ以外の官営旅館の備品についてもデニスが造ったり仕入れたりしており、官営旅館はデニス雑貨店の得意先の一つなのだ。


「いらっしゃいませ~…あ、りょかんのおねえちゃんとおにいちゃん!」


 会計台を拭き掃除していたマークがプリミア達の姿を見て愛想良く迎える。


「こんにちは、マークくん。お爺さんはいらっしゃいますか?」

「うん、ちょっとまってて!」


雑巾を近くの手桶へ放り込むと、マークはデニスを呼びに店の奥へと行ってしまった。


「うふふ、いつ見てもマーク君は可愛いですね」

「そうだなあ、なんかこう、癒やされるって言うか…子供を見ているとそんな気持ちになるよなあ」


 大荷物を一旦会計台の脇に置きながらルキウスが言うと、プリミアは少し考え、ルキウスを見つめながら言葉を継いだ。


「…ルキウスさんは子供が好きなんですね?」

「ああ、がきんちょは好きだ、見てて飽きない」

「……そうですか……」

「ん?」


 プリミアが見せた顔を赤くしながらの反応に、少し思い当たる節のあったルキウスが向き直ると同時に、デニスとマークが店の奥から現われた。


「いや、お待たせ致しましたですのう、今日はどのようなご用件ですじゃろうか?」

「は、はいっ、あ、その、その、公衆浴場で使う脱衣入れの籠を補充したいんですけれども、前のと同じものはありますか?」


 デニス達の登場に慌ててプリミアはルキウスから視線をそらすとつっかえながらも注文を述べる。


「おお、ございますとも、数はいかほど入り用で?」

「えっと、30個お願い出来ますか?」

「分かりました、10日程お時間戴けるじゃろうか?」

「はい、大丈夫です」

「では、10日後に公衆浴場の方へお届け致しますじゃ」

「宜しくお願いします」


 デニスの回答に対し、丁寧に頭を下げて依頼を果たすとプリミアは踵を返す。


「お、終わりか?」

「は、はい……」


 目の前にいたルキウスとばっちり視線が合ってしまったプリミアは、思わず赤くなって視線を下に落とす。


「じゃあ行こうか」


 荷物を持ち直し、先に歩き始めたルキウスの背を熱っぽい視線で見つめるプリミア。

 その後ろ姿を見送ったデニスとマークが笑顔のままでひそひそと話し合う。


「りょかんのおねえちゃん、あのおにいちゃんのことスキだよね?」

「おお、間違いなかろうの」


 デニスが自分の言葉に頷きながらそう言うのを聞き、マークはうんと頷いてから言葉を継ぐ。


「さっそくオルトゥスくんにほうこくだ!」

「気を付けて行くのじゃぞ?」


 祖父に見送られ、マークはルキウスとプリミアの先回りをすべく店の裏手から官営旅館に向けて走り出すのだった。




 シレンティウム商業区・繁華街、居酒屋「北方辺境」


「おっちゃん!席空いてる?」

「おう、ヘーグリンドの坊主じゃないか、まだどこでも空いてるぞ、好きなとこへ座ってくれ!…おやレイルケンの旦那!いらっしゃい」

「お邪魔するよ」


 元気よく入ってきたへーグリンドに続いて入ってきたレイルケンの姿に、店長である帝国人の親父は目を丸くして声を掛けてきた。

 今日は戦後の慰労会ということで非番のレイルケン十人隊は全員でヘーグリンドの行きつけである、シレンティウムで最も古い居酒屋の一つ、その名も居酒屋“北方辺境”へやって来たのである。

 ぞろぞろと入ってくる巨漢の北方軍団兵達。

 姿は支給されている帝国製の貫頭衣だったり、クリフォナム風のズボンとシャツ姿だったりとまちまちだが、頭髪は短く刈り揃えられ、筋肉がくっきり浮き上がる程鍛えられた身体、そして右手の剣ダコを見れば直ぐに兵士だと分かる。


「今日のおすすめ何?」


ヘーグリンドの質問に、親父は注文取りの木板を出しながら答えた。


「そうだな…今日はソーセージがあるな、後は地鶏、野菜の素揚げ、キャベツの酢漬けもあるぞ、最近北からチーズと乾し肉もたくさん入ってきてる」

「じゃ、取り敢えず今のやつ全部と麦酒ね!」


 ヘーグリンドが注文すると、それを受けて木板へ料理名を書き付けた親父が言葉を継ぐ。


「おう、分かった人数分で良いな?……パンはどうする?」

「どうしますか隊長?」

「そうだな、少し貰おうか」

「あいよ」


 レイルケンが頷くと、楽しそうな笑顔を残して親父が厨房へと引っ込み、入れ替わりに親父の妻であるクリフォナム人女性が笑顔で小さな酒宴用のパンを籠に入れて運んできた。


「しかし、普通の日でもパンが食べられるなんて…すごいよな」


 兵士の1人が小さなパンを手に取りつぶやくと、直ぐに同意の声が全員から上がる。

 挽き臼が未発達のクリフォナムでは、手で回す石臼しか製粉方法が無く、パンは贅沢で貴重な食べ物だったのである。

 祭りや祝い事などで出される以外は、不味くは無いのだが美味くも無い粗挽きした麦の実を水や家畜の乳で煮た麦粥を常食としているのだ。

 今も兵営で出されるのは麦粥であるが、シレンティウム軍も帝国軍に倣って戦場では保存の利く塩味の強い堅焼きしたパンやビスケットが支給されており、これも原料は麦の粉である。

 いずれにしても、水車動力で巨大な挽き臼を常時稼働させている大規模な製粉所が幾つもあるシレンティウムであるからこそ、これ程大量の小麦粉や大麦粉が供給出来るのだ。

 出来たてのパンを食べられる幸せをかみしめつつ、レイルケン達は次いで運ばれてきたクリフォナム伝来の麦酒がたっぷり入った木製のジョッキを打合わせた。


「「辺境護民官とシレンティウムの勝利に!」」


 全員で唱和してからぐいっと呷るように杯を上げ、たちまち麦酒を飲み干すレイルケン十人隊の面々。


「たあー、いいねえっ」

「いや、最高だな!」

「これのために働いてるようなもんだからなっ」

「おい、ヘーグリンド、もう一杯ずつ注文してくれ」

「あ、おれは葡萄酒が良いな!」


全員が笑顔で酒を飲み干し、たちまち始まる居酒屋の騒ぎ。


「お待たせしました~」


 しっとりした声と共にクリフォナム人の奥さんが料理をテーブルへと並べてゆく。

 酢漬けキャベツ、焼きたての香辛料を練り込んだソーセージ、塩と刻んだ香草をふんだんに振り掛けチーズを載せた鶏肉の焼き物、玉葱と葉野菜の素揚げ、鹿の乾し肉の炙りものがそれぞれ皿へ盛りつけられ、テーブルいっぱいに置かれた。

 香辛料はシルーハから運ばれたもので、塩は東照帝国西方府は塩畔で産する岩塩である。

 香草はシレンティウム周辺で産するものをサックスが農場で生産出来るようにしたため、ふんだんに使用出来るようになったのだ。

 玉葱や葉野菜、キャベツはもちろんシレンティウム産である。


「「うおおおお~」」


 感嘆の声を上げる北方軍団兵達の様子をにこやかに眺める親父と奥さん。


「冷めてしまうぞ、どんどん食べろ」


 レイルケンの言葉を待つまでもなく、兵士達は料理を匙と肉叉で早速取分けて食べ始めた。

 肉叉も帝国からもたらされたもので、昔は手づかみでの食事が当たり前だった。

 たちまち半分以上の料理が兵士達の胃袋に消え、それでも無言で夢中になって料理を食べ続ける兵士達の様子に苦笑するレイルケンが追加注文をする。

 空になった皿を引き上げられると同時に、今度は豚肉の塊と人参や蕪などの根菜類を塩と香草で味付けしてじっくり煮込んだ料理が固いパンと共に出された。


「行儀は悪いが、あんたらお馴染みの戦場風だ、パンは汁に漬けて食ってくれ」


「「むおおおお~!」」


 しかし戦場で食べるものと比べれば数段美味い煮込みとパンに感動する十人隊の面々。

 酒を飲み、料理を平らげ慰労会とは名ばかりの食事会と化してしまう。

 時が過ぎ、あらかた料理を食い尽くした十人隊の面々、周囲は他の客で随分と混んでも来ている。

 ぱんぱんになった腹をさすり、ちびりちびりと葡萄酒や葡萄蒸留酒を飲みながらゆったりくつろいでいる時、ヘーグリンドがぽつりと言った。


「兵営もこんな飯ならなあ…」

「…ありがたみが無いだろう、それじゃ」


 先輩兵士の1人が苦笑しつつ言うと、酔ったレイルケンも頷いた。


「飯が楽しみになって、戦いがおろそかになってしまうな!」


「「いやいや隊長、それはないない」」


 真っ赤な顔をして言い切ったレイルケンの言葉に、顔の前で手を振る十人隊の面々であった。

 

 


 シレンティウム工芸区、工芸長官工房


 工芸長官工房という正式名称がついてはいるが、誰もがスイリウスの基地と呼ぶその場所に、スイリウス以下工芸庁の職員数名と工芸区の武器工廠の職長や職人達が居並んでいた。

 その前にいるのは、今回イネオン河畔の戦いで大勝利の立役者ともなった工兵隊の面々である。

 工兵隊長を筆頭に、今回火炎放射器を実際に使用した工兵達がスイリウスに呼び出されて実地使用における問題点の検証をすることになっていたのだ。


「そう……秘密兵器は役に立ったみたいね?」

「はい、お陰様でハレミア人の猛攻をしのぎ、反撃につなげることが出来ました」


 スイリウスの質問に工兵隊長が答えると、うっすらと笑みを浮かべたスイリウスは更に質問を重ねる。


「……問題点があれば…教えて欲しい」

「そうですねえ…敢えて言うとすれば、燃料を直ぐ使い切ってしまう所でしょうか?」

「うん……それは確かに前から問題になっていた…でも戦場で可燃性の高い液体を扱うのは危険…だからといって燃料槽を大きくすると取り回しが不便……難しい」


 工兵隊長が言った問題点というか、むしろ運用側からの要望としての意見は、実は実用化の前から出ていたものであった。

 しかしながら、技術的な問題点と運用の兼ね合いを最大限摺り合わせた結果あの形状の火炎放射器が配備されたのである。


「そうですね、今回は相手が投射兵器をほとんど持っていませんでしたから良かったですが、投石弾の直撃を受けでもしたら大変です、大きくなればそれだけ当りやすくもなりますしね」


 少し眉を曇らせた工兵隊長が述べた意見の通り、万が一自陣で暴発するような事態になった時、その被害は兵器が大きくなればなるほど酷いものとなる。

 兵器は廃棄したり、遺留したりしてしまうことも考えなくてはならないため、下手に装甲を付けて破壊に失敗し、敵の手に渡るような事態に陥っても困るため、それこそぎりぎりの線で構造や大きさは調整されたのであった。


「課題は多い…まだまだ頑張る……貴重な戦場の意見、ありがとう」

「いえいえ、これくらいならおやすいご用です、強い兵器が出来れば、それだけ味方の損害が減るんですから、いくらでも協力しますよ!」


 スイリウスの謝辞に、工兵隊長や工兵の面々がにこやかに答えると、スイリウスもにっこりと微笑んだ。


「……ありがとう、またすごいのを開発するから……今度もお願いする」

「「え゛?」」


 濁った返事を返す工兵達から視線は遙か彼方へと外れ、呆気に取られている工廠の職人や工芸庁の職員を余所に、スイリウスはつぶやくように言葉を継ぐ。


「……今度は…爆発力を使った兵器を開発したい……敵をぶっ飛ばす…」

「「………………え゛?」」


 今度はその開発を担わされる事になるだろう工廠の職人や工芸庁の職員が濁った声を出した。


「味方もぶっ飛ぶすごいのを……」

「味方はぶっ飛ばない、なるべく穏便なヤツをお願いします…」


 夢見るような口調で手を胸の前で合せているスイリウスに、工兵隊長が冷や汗をかきながら注文を付けるのだった。


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