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第14章 都市飛躍 政策篇

 シレンティウム行政庁舎、大会議室


黎盛行、クリッスウラウィヌスとの会談を終えたハルは、素早く手配文書を書き上げてしまったシッティウスと共に次いで大会議室へと移ることになった。

 大会議室の扉を開けると、目の前には様々な民族からなるシレンティウムの官吏達が笑顔でハルを迎えた。


「「「お疲れ様でした」」」

「あ、ありがとう」


 目を丸くしているハルに、声を揃えて挨拶する官吏達。

 辛うじてお礼を返したハルに対して笑顔を深くした官吏達が、その後扉から出がけにハルの身体をぺたぺたと触ったり、握手を求めたりしては親愛の情を示しつつ立ち去ってゆく。

 ハルが呆気に取られている間に全員がそれぞれの部署へと戻り、部屋には各長官だけが悪戯っぽい笑みを浮かべながらハルの着席を待っていた。

 シッティウスがハルの脇を通り、自席へ着くとハルもようやく我に返って用意された席へと向かう。


「彼らは?」

「ここシレンティウムの行政庁舎で戦場を思い、日々その後方支援に心を砕いていた者達です、アキルシウス殿のお帰りを一日千秋の思いでお待ちしていた者達でして、是非一度ご挨拶申し上げたいと、ここで粘っていたのです」


 ハルの質問によどみなく答えるシッティウスの言葉で、ハルはようやく納得した。

 今回の後方支援に当ってはシッティウスが統括し、各部署から人を引き抜いて事に当ったと聞いている。

 彼らの手によって戦いに必要な食糧や消耗品、医薬品、生活用品に武具の修理物品が確保され、輸送手段が手配されて滞りなく戦場へと送られたのだ。

 また、戦場から送られてきた傷痍兵を引き取って薬事院へ運んで治療を受けさせ、壊れた重兵器や武具を引き取って修理して再び戦場へ送り出す。


 口で語るのは易しいが、実際にこれを行った者達の辛苦は察するに余りある。

 その者達が今日解散の日を迎えて、ハルが来るまで居残っていたのだ。

 ハルはじんわりと胸に湧く温かいものを感じて長官達を見回すが、誰もが笑顔で見つめるばかり。

 最前線の命の遣り取りとはまた異なる様々な苦労や骨折りをしてハルの背を守り、後方支援を最後まで果たしきった官吏達。


 しかし遺憾なく発揮された官吏達の能力と不断の努力と遂行力も素晴らしいが、きっと尋常では無い様々な困難や危機もあっただろうに、それを微塵も感じさせなかった彼らの姿にこそハルは感謝以上の尊敬に近い念を感じたのだ。

 そしてそれらの陣頭指揮を執ったのは、今ここに残っている長官達である。


「皆さん、ありがとうございました。皆さんのおかげで食糧不足に陥ることも、物資不足に悩まされる事も無く、無事帰還することが出来ました」

「いえいえ、戦場の苦労に比べれば何ほどのこともありません。今は皆さんのご帰還と無事を祝うばかりです。それに彼らは誇りを持って、後方にてアキルシウス殿と共に戦場にありました、その思いを汲んで頂けるだけで官吏冥利に尽きるというものです」


 ハルの言葉に、シッティウスが淡々とではあるが、非常に感慨深い様子で答えた。

 



「では、改めまして、大変お疲れ様でしたな」

「お疲れ様ですわ、アキルシウス殿。また逞しくなられましたね…益々イイ男に…はあ」

「わはは、戦勝おめでとうございます!お陰様で市場は大盛況です!」

「……秘密兵器……役に立った?」

「間近で見ましたが、用兵の妙冴え渡りましたな!」

「素敵です…素敵すぎますアキルシウス殿……!」

「やれやれ、これで肩の荷が下りたぜ、まあ、よく頑張ったな」

「首を長くしてお待ちしておりましたぞい、アキルシウス殿」


 口々に言う各部署の長官達に笑顔で応じ、ハルは議事を進行すべくシッティウスを目で促した。

 黙礼を返しつつ席から立ち上がったシッティウスが、資料を片手に口を開く。


「それでは……只今よりシレンティウム行政府会議を始めます、まずは夏頃に生まれる予定のアキルシウス殿とエルレイシア殿の子供について……」

「ちょっと待った!」


 シッティウスが取り出した議事について待ったを掛けるハル。


「何ですかな?」


 無表情のまま首を傾げるシッティウスに、ハルは焦って言葉を継いだ。


「そ、それは今回の議題から外して下さい」

「そうですか?残念ですな、名前などを考えようかと思ったのですが…」

「いやいや、それはここで話し合うことではないですよ?」

「そんなことは無いと思いますが」

「いや、止めておきましょう」

「まあアキルシウス殿がそう仰るなら……」


 イマイチ表情の読み切れないシッティウスがぴくりと片眉を上げて議事進行を断念して別の資料を取り出すと、長官達は心底残念そうな顔で机の上の資料をめくる。

 戸籍長官のドレシネスなどは、新しい戸籍原簿を実に残念そうな顔で資料の一番下へと差し込んでいた。

 全員の資料がアキルシウス家の子供の名付けについてと記された物から、新同盟戦略と記された物へと変わったのを確認し、シッティウスが口を開く。


「では改めまして……拡大したシレンティウム同盟の概況についてですが、この度北部諸族が加わり、東部の数部族を除くほぼ全てのクリフォナム人がシレンティウム同盟に参加しました、一応の北方辺境統一業はこれをもちまして成立とし、これからはこの域内の発展と西方への拡大を目指したいと思います、が……早くも西方のオラン人が動いてしまいました…先日、オラン人の代表としてアレオニー族長クリッスウラウィヌス殿がシレンティウムを訪問され、王位授与と同盟参加の打診がありました。アキルシウス殿はこれを受ける旨の回答をしております」


「時期尚早ではないでしょうか?」


すかさずカウデクスが発言すると、シッティウスが一つ頷いてそのまま発言を続けるよう促した。


「では僭越ながら…未だ財政基盤の脆弱なシレンティウムがこれ以上の負担を背負い込むというのは感心出来ませんわ。セデニア、ポッシアの両部族に対する復興支援、コロニア・ポンティス造営、フレーディア都市改良事業、同盟域内の街道敷設、これだけでも相当の負担となっておりますの。幸いにも莫大な引き継ぎ金がありますお陰で、直ちに財政難へ陥るということはありませんけれども、3年後に予想されるシレンティウムの税収や事業収入から勘案しましても健全とは言えない財政支出、私は収支均衡を目指す財務長官の立場から、反対をさせて頂きますわ」


普段の艶やかな笑みを消し、厳しい表情で言うカウデクス。

 その言葉が終わると同時に、今度は商業長官のオルキウスが挙手をして発言を求めた。


「おう、では失礼をして…」


 シッティウスの許可を得ると、オルキウスはそう言いながら席から立つと両手を自分の目の前に小さく広げた。


「今、シレンティウムの経済市場はこのくらいの小さなものですが、幸いにも今は帝国と東照という広大な市場へ連動しておりますが故に、経済活動は非常に活発です。しかし、帝国の争乱が予想され、東照も本国が危ないとなれば、あまりこの2つの市場に頼りすぎるのは考えもの、シレンティウム同盟も北へ広がったとは言え、まだまだ北の地は未知の市場です。しかしオラン人は帝国との付き合いも長く、貨幣や文化も随分浸透しておりますので、これを取り込めれば伸び代が確保出来ます。帝国が争乱状態になれば、オラン人はそれまで帝国に依存していた物品をシレンティウムから購入するようになるでしょうから、そう言った意味でも私はオラン人を取り込むべきと考えますな」


 最後には両手を大きく広げてそう主張すると、オルキウスは席に着く。


「良いですかのう?」


 次いで発言を求めるのは戸籍長官のドレシネス。

 シッティウスの許可を得たドレシネスはよっこいしょと席から立つとゆっくり発言を始めた。


「今回は戸籍長官と言うよりは、1オラン人の立場から言わせて貰うと、是非シレンティウム同盟に我々を参加させて欲しいのじゃ、というのも、オラン人は長い争乱の果てに勢力圏を大きく減じてきた。クリフォナム人にエレール河畔を明け渡し、帝国に南半分を族民ごと併呑され、ハレミア人に北から脅かされ、同胞であるはずの島のオラン人からも攻め立てられている始末じゃ。オランの地は各勢力から攻め立てられ酷く疲弊しておる。このままではオランの族民達は滅ぶのを待つばかり、いずれ帝国の一部になるにせよ自然消滅などと言う不名誉な結果にはなりたくない。出来ればシレンティウム同盟に参加し、名誉ある同盟者としてその一翼を担うことで未来に希望を繋ぎたいと考えておるのじゃな」


 ドレシネスは一旦言葉を切り、全員が熱心に聞き入っていることを確認して少し微笑むと静かに言葉を継いだ。


「どうか亡国の民と呼ばれるオランの民に今一度名誉ある役目を与えてやって欲しいのじゃ」

『だが、それによってシレンティウムの軍事的な負担は一気に脹れ上がるのである』


 ドレシネスの発言が終わると同時にアルトリウスがいつの間にか現われて言った。


「先任…」


 振り返ってつぶやいたハルを余所に、アルトリウスは滔々と述べる。


『シレンティウム同盟により帝国とクリフォナムからの圧力は無くなり国境は画定されるであろう、それにハレミア人はハルヨシが退治したのでもう心配は無い。たがオラン人を最も悩ませている島のオラン人や海賊退治は為されておらぬ。海から来るこの脅威に対処するには艦隊の創設が急務であるが、今のシレンティウムにその様な余力も能力も無い。それに艦隊の維持には莫大な費用と訓練された海軍兵士に加えて優れた提督が必要であるが、これもない。今のシレンティウムにオランの地を完全に守る術は無いのである』


 アルトリウスの言葉に腕を組むと、ハルはぽつりとこぼす。


「艦隊ですか…でもいずれは持たなくてはなりませんね」

『なんと…!』

「アキルシウス殿は、オラニア海経由の西方交易を考えておられるのでしたな」


 アルトリウスが驚き、オルキウスが頷きながら応じると、ハルは口を開いた。


「はい、河川航路を開き、エレール川の河口からオラニア海を経由して西方諸国へと航路を繋ぐことが出来ればまた新たな交易路が構築出来ます。それには海賊や島のオラン人は邪魔ですから、艦隊をつくって排除しなければいけませんね」

『正気かハルヨシ?我であってもそこまでは考えなかったのである……』


 驚き呆れるアルトリウスを見たハルは笑みを浮かべていった。


「今はまだ無理です、人もお金もありませんし、船を造る場所も資材も技術もありません。でも、いずれは必要になるのですから、今から集めておいても良いですよね?」

『ううむ、まあ、そうであるな…』


唸るアルトリウスを余所にハルはシッティウスへと向き直ると、再び口を開く。


「オラン人の条件付き参加を認めることは既に通知してありますが、秋を目処に正式な参加を認める事を知らせましょう」

「承知しました」




 シレンティウム行政庁舎、ハルの執務室


 ハルは会議が終わった後、太陽神殿へエルレイシアとアルスハレアを呼びにやらせるとアルトリウスを執務室へと誘った。

 官吏に案内されてエルレイシアとアルスハレアが現われると、ハルはまずヴィンフリンドから献上された大神官杖を2人へと見せる。


「まちがいありません、これは私が奪われた大神官杖です」


 アルスハレアがその杖を手に取り言うと、ハルは安堵してそれを一旦返して貰い、エルレイシアへと手渡した。


「……これがここにあると言うことは」

「…デルンフォードとシャルローテは新しいフリンク族長が討ち取った、余程の覚悟だったとは思う」

「そう…ですか」


 ぎゅっと杖を握りしめて答えるエルレイシアの背をアルスハレアが優しく撫でる。


「…それほど縁があったわけではありませんでしたが、兄姉には変りありません、ましてや従弟に討たれたのです……戦場の習いとは言え、悲しいことです」

「………」


 顔を歪めるエルレイシアの手をそっと取ると、ハルは静かにエルレイシアが落ち着くのを待つのだった。





『で、話とは何であるか?』

「そうですね」


 エルレイシアが落ち着いた所で、アルトリウスとアルスハレアがハルに尋ねる。

 ハルはしばらく悩んでいたが、もう1人呼んでいた楓が部屋に到着した事で意を決して口を開いた。


「…先任の首がダンフォード王子を助けてシルーハの方へ逃れました」

『………』

「……そうでしたか、あの首が」


 ハルの言葉に絶句するアルトリウスと、来るべき時が来たという覚悟の表情のアルスハレア。


「知っているんですね?」


 ハルの質問に無言で頷くアルスハレアへ、部屋へ入ってきた楓が息せき切って尋ねる。


「…なんなのあれ?すっごい不気味だったよ!」

「あれは間違いなくアルトリウスの首です。アルフォードが落とし、槍の先に掲げて北方辺境関所へと迫った時のものに間違いありません。ただ、呪物として使われないよう私が封印したのです」

「叔母さまが?」


 エルレイシアの言葉に再び頷くアルスハレア。


「アルフォードは首を箱に入れ、私にアルトリウスの身体と一緒に供養するように言って渡したのですが、しばらくして首は真っ黒に変わりましたから何者かがアルトリウスに呪いを掛けたことが分かったのです。こうなっては下手に葬った結果、何らかの理由で盗み出されて誰かに悪用されるかもしれません。私は首が覚醒する前に封印し太陽神殿の奥に保管しましたが、首の呪いを聞いたアルフォードが興味本位で持ち去ってしまったのです。封印は最近まできちんと機能していましたのに、どうしたことか緩んでしまったようですね……」

『封印が緩んだのは我の呪いが解かれた影響であろう…我の力が強まった事と相まって首の封印がほころんだのであるな』


 アルスハレアの説明を補足したアルトリウスは、悔しそうに床を見つめて言葉を継ぐ。


『我が死ぬ直前に見たのは絶望と希望であった…この地に後継者が現れて我の事績を引き継いでくれるだろうという漠然とした予感と希望、それから志半ばにして果てる無念とそれをもたらし、約束を破った帝国や貴族、皇族に対する言いようのない憤りと怨嗟による絶望、幽霊になってみて今思えば、我にあるのはどうやら希望の要素が強い、恐らく絶望の要素はこの都市から離れていた首により濃く出たのであろう』


 アルトリウスの言葉を聞いていた楓が、首を一回捻ると、恐る恐る質問する。


「…あのさ、前から気になってたんだけど、アルトリウスさんあんまりクリフォナムの人とかに恨み持ってないよね?何で?」

『あん?当たり前である、我の遠い祖先を辿ればクリフォナムに行き着くのである、尤もかなり古い時代に帝国の支配下に入った一族であるがな。親近感はあるのであるが、そもそもクリフォナムの大反抗とて帝国がその領域へ入り込んだ故の騒動であったのだから、クリフォナムの民を恨むのは筋違いであろう?』


 あっさりとしたアルトリウスの答えに驚きつつ、楓が更に言葉を継いだ。


「そ、それはそうだけど…その、アルフォード王には…その、殺されたんでしょ?」


『あん?戦いにおいて敗れたからとて一々相手を恨むのか?そもそもその論理なら我なぞ何人恨まねばならんのだ!我は生涯負け続けであるぞ?そんな所行は武人でも何でも無いただの武人気取りの弱虫へたれである!恨んで居る暇があるなら捲土重来を期し、負けた原因を探り、再戦を挑むのが武人である!決定的に敗れたからには清々しく散るのが本懐、自分の努力不足を棚に上げ、負けたからと相手を恨んで化けて出るなどそれこそ筋違いも甚だしい!我が心残りであったのは任務を果たせなんだ事と約束が守られなかった事に対してである!断じてアルフォードを恨んだからでは無いっ!貴様我を馬鹿にしておるのかっ?!』


 楓の質問内容が癇に障ったのだろう、アルトリウスは一気に言い切ると楓を脅かした。


「ち、ちがうよ~ボクそんなつもりで言ったんじゃないよっ」


 すごまれた楓はふるふると首を左右に振りながら涙目で後ずさる。


『ふん、我を見くびるのでないわ』

「まあまあ…それで、首への対処なのですが…どうすれば?」


 ハルが肩にすがって震える楓の頭を撫でつつアルトリウスを宥め、質問する。


『今はどうしようもないのである』

「そうね…ここへ持ってきて貰えれば、私が浄化してしまえばよいのだけども……帝国皇帝の呪いが緩んだ今なら、浄化術も効くと思うわ」


 アルトリウスに続いてアルスハレアが顎に手を当てて言った。


「今の段階では打つ手無しと言うことですか」

『であるな』


 ハルの結論に頷くアルトリウスであった。


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