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第12章 シレンティウムの一年 冬・北の戦い(その10)

若干補正しました。

最後の突撃前後です。

宜しくお願いします。

 翌日、イネオン川北岸、シレンティウム軍兵営


「……そうか、先任の首が」


 ボロボロになった楓からその情報を聞いた、ハルは楓の肩を軽く押さえて優しく言った。


「大変だったな、よく休め」

「ハル兄……」


 フレーディア城から逃れ、追っ手の攻撃を振り切った楓と陰者は夜を徹して馬を飛ばし、兵営に戻ったのである。

 もう1人の陰者は残りの仲間達に急を知らせに避難民の集落へと戻った。

 陰者達はそれぞれフレーディア城の近辺に隠れ潜み、シレンティウム軍の進軍時まで各々の場所で情報収集に当たることになっている。



「堂々と正面切って進軍します、先任相手に小細工は通用しません。幸い相手のダンフォード軍は3000弱、対する私たちは5万もの兵を要していますから、フレーディアを包囲してしまいましょう。包囲さえなれば後方のシレンティウムから補給を受けることも可能です」


 楓を医務所に見舞った後、ハルは兵営中央部の兵営本部へ戻るなりそう告げた。

 楓からの報告は難民を視察していたハルを除いて既に全員が聞いている。


「いかにも!アルトリウス殿とは言え何の準備もなしに包囲されては為す術はありますまい」


 アダマンティウスがハルの意見を後押しした。


「部族戦士の皆さんは大丈夫ですか?戦いが長引くことになってしまいますが…」

「フリード族は問題ない、全員が戦士です」

「わしらも問題は無い」

「ベレフェスの戦士は退かない…」


 次いでハルは族長達に従軍意思を確かめると、全員がフレーディア攻城戦に加わる意思を明らかにする。


「では、明日、フレーディアに向かって進軍します」


 静かに、しかし力強くハルが宣言すると全員が無言で頷いた。





 3日後、フレーディア城


「ダンフォード様!帝国の野郎どもが攻めてきましたぜ!」

「な、なにっ!?」


 城門警備を行っていた戦士からの注進でシレンティウム軍の来襲をようやく知ったダンフォード。

 慌てて城の塔から外を見てダンフォードは絶句した。

 フレーディアをみっしりと隙間無く囲みにかかる5万の大軍を遠望して気が遠くなりかける。

 そのくずおれそうなダンフォードの精神を引き戻す声が黒い箱から発せられた。


『お主…まさか斥候を放っておらんかったのか?あれほど情報をぬかりなく集めて置けと言っておいたのに…』

「そ、そんな余裕は無い!戦士は2500しか居ないんだ」


 ダンフォードが言い訳じみた叫び声を上げると、黒い箱のアルトリウスは呆れたように言葉を返した。


『そう言う問題では無い、敵の出方や戦力を知り情報を集めるのは戦の基本ぞ。これを見る限り敵は恐らく蛮族に完勝しておる。4万から5万の戦力がほとんど目減りしておらぬ故にな、こう隙間無く囲まれてしまうと容易には打ち破れぬぞ?』

「なっ、あ、あんたの言うとおりにしたんだぞ!!せ、責任を取ってくれっ」

『責任とな、我がか?』


 思いがけないダンフォードの台詞に黒い箱が驚きの声を出す。


「そうだっ!あんたの言うとおりすれば勝てると言うから、乗ったんだ。勝てないんだったらあんたが責任を取れっ」

『……何と、我の言うとおりになぞ少しもしておらぬくせに、よくその様な世迷い事を…街の住民を慰撫したか?なるべく人死にを出さぬようにしたか?宮廷官や敵の戦士を無闇に処刑せずに取り込んだか?』


 次いで出たダンフォードの言葉に対しては遠慮無く叱責するような響きが籠る。

 いずれも黒い箱のアルトリウスが助言としてダンフォードへ与えた言葉だったが、ダンフォードは何一つとして守っていない。

 むしろやったのは全て正反対の施策である。

 痛いところを突かれたダンフォードが叫んだ。


「うるさいっ俺の勝手だ!どうするんだ!さあ言えっ」

『ダンフォードよ…名誉ある死も時には選ぶ必要があるぞ』

「ふざけるな、出来ないんだったら俺は逃げる!」

『………』

「次はどうするんだ!」


 ダンフォードの無茶苦茶な主張と論理にすっかり反論するのを諦めたのか、一瞬沈黙した黒い箱は、ダンフォードが箱を揺さぶったことでようやく渋々といった風情の声を響かせた。


『どうもこうも無いわ。城に籠って戦う他無かろう』

「そして城を枕に討ち死にか?ふざけるな!」

『ふざけてはおらん……よもや周辺部族への広報を忘れてはおるまいな?』

「………」


 ダンフォードの沈黙で黒い箱はこの馬鹿王子がフレーディア奪還後に何の手も打っていないことを知った。

 散々助言をしてやったというにもかかわらず、である。


『まさかお主、フレーディア陥落の報を周辺に知らしめておらんのか?…よもやこれ程愚かだとはな、あきれたものだ、それでよく王になど……』

「うるさい!終わったことはイイから、さっさとどうすれば良いか言えっ!!」


 黒い箱の説教臭のする言葉を遮り、ダンフォードが再び絶叫した。

 反論するのを止め、黒い箱が言葉を紡ぐ。


『……逃げるというのならそれも良かろうが…仕込みが必要である、いささか敵を悩ませねばならん』

「どこへ逃げるって言うんだ!」

『南のシルーハが良かろう』


 黒い箱の言葉に、ダンフォードはしばらく考えた後に回答する。


「…帝国はどうだ?」

『お主にとってはそれもよいかもしれんな…帝国の貴族どもであればお主の使い方を色々考えるであろう。しかし道行きは全て敵、おまけに関所がある。遠くともシルーハへの行程の方が敵を避けられよう』

「……そうか」


 揶揄するような声色を出した黒い箱に、ダンフォードは少し沈んだ声を出した。

 しかし顔は憎々しげに歪んでいる。

 確かに黒い箱の言うとおり、帝国へはシレンティウムを通り、コロニア・メリディエトとなった北方辺境関所を通過せねばならず、また北辺大山脈の抜道は険しく2500もの兵が通れる程でも無い。

 帝国へ行くよりシルーハへ脱出した方が道行きは安全だ。


『いずれにせよ、我の言うとおりしばらく戦え、でなければ脱出もままならん』

「……分かった」


 黒い箱の言葉に頷きつつも、苦虫を噛み潰したような顔を消せないダンフォードであった。




 フレーディア正門前


 かつて木で造られていたフレーディアの市壁は石造りの立派な物へ改修されている。

 城門は今だ木造ではあったが、要所要所に銅板が貼り付けられた頑丈な物へと交換されていた。

 ハル達はフレーディアを包囲すると、野戦陣地を構築するべく測量に入った。


 突然フレーディアの正門が開く。

 飛び出してきたのは1000余りのフリード騎兵。

 そしてフリ-ド騎兵は、着陣したばかりで準備の整っていない第21軍団の正面に向かって一気に突撃を掛けてきた。

 慌てふためく第21軍団の前線を易々と押し破り、北方軍団兵を蹴散らしたフリード騎兵は、ハルが号令を掛けて軍団の混乱を収拾し始めるとさっと踵を返してフレーディアへと戻っていく。


 他の城門でも同じような攻撃が繰り出され、シレンティウム軍は一時的な混乱に陥った。

それから数刻間、シレンティウム軍は不意に行われる騎兵突撃に悩まされ続け、思うように陣を張れず、また測量や陣地造成も進めることが出来ないまま不本意な戦いを強いられる事になった。




 最後の騎兵突撃直前、フレーディア正門


 フレーディア城の正門前には、ダンフォードが率いてきた2500余りの騎兵が揃っていた。

 黒い箱の見立て通り敵は矢玉が不足しているようで、ダンフォードが敢行させた騎兵突撃に対して矢や手投げ矢を嵐のように降り注ぐ帝国式の対騎兵攻撃を行ってこなかった。

 ダンフォード軍にほとんど損害らしい損害も無く、シレンティウム軍は混乱し、未だ陣を張り切れずにいる。

 黒い箱が密やかに声を出す。


『このまま手をこまねいていれば帝国軍は野戦陣地を築き上げてしまう。そうなれば脱出は不可能である。脱出するのであれば今を置いて他に無いであるぞ、逆に今こそ好機である』

「おい、本当に大丈夫なのか?相手は5万だぞ!」

 ダンフォードが悲鳴じみた声を出すが、落ち着き払った声が黒い箱から響く。

『心配するな、5万の大軍とは言えフレーディアのような大城邑を包囲しようとすれば陣は薄くなる。部分によってはこちらと同数程度しかおらぬ。それに散々騎兵でひっかき回してやったのだ、敵は狙いが絞りきれず隙も出来ておるだろう』

「そうか、分かった……」

『で、どこへ行くのだ?帝国か?シルーハか?それとも東照か?』


 黒い箱のしつこい問い掛けに、ダンフォードが短い堪忍袋の緒を切った。


「シルーハへ行くが…貴様には言いたいことがある!」

『……なんと?』

「フリンク族への逃避行、ハレミア人の引き込み、フレーディア奪還、確かに貴様は役に立ったが、口うるさいし、全てを俺にやらせようとするその根性が気に喰わん。しかも今回はちっとも役に立っていない!」

『……仕方なかろう、あくまで世を動かすのは人である。第一我は首だけぞ?自分で動けるわけは無い、それに助言は数多くしただろう?従わなかったのはお主ではないか』

「うるさいっ!お前がこの窮地を作ったんだ!」

『………』


 絶句した黒い箱を見て取り、満足そうに前を向くダンフォード。

 言い負かせたと思ったらしい。

 しかし、黒い箱の中ではしゃれこうべがぽそぽそと愚痴っていた。


『やれやれ、アルフォードの子息というから期待したのだが、とんだ食わせ物である。やはり人選を誤った……とは言え、我に他に選択は無かった故にな…次はどうするか…』


「よし、火を放て!」


 アルトリウスの助言を受けたダンフォードの指示で松明を持った騎馬戦士達がフレーディアのあちこちへ放火して回る。

 たちまち燃え広がる火に、族民達は狼狽え、あちこちで叫び声や悲鳴が上がった。

 放火を阻止しようとして殴り倒される男、家から逃げ出したところで馬に撥ねられる子供連れの女、松明を取り上げようとして戦士に斬り捨てられる族民の男達。

 逃げ惑う人々に燃えさかる炎が市街に溢れ、フレーディアの城下町はすさまじい勢いで炎に呑まれていった。


「ふん…行くぞ!」


 ダンフォードの命令で正門が開かれる。

 突如燃え上がったフレーディアに目を丸くしているシレンティウム軍の姿が目に入り、ダンフォードはにやりといやらしい笑みを浮かべた。


「ふふん、驚いてやがるな……突撃!」





 ダンフォードは正門を開き、苛烈な突撃を仕掛け南東へと逃げ去った。

 燃え上がるフレーディアの城下町の姿に動揺しつつも気を引き締め、また同じ騎兵の突撃かと構えていたハル達だったが、2500騎の騎兵は方向転換すると部族戦士団の内、槍などの対騎兵装備を持たない者達が守る部署を突破し一気に包囲網を抜けたのである。

 元々ハレミア人相手と決まっていたので、部族戦士団も取り回しの良い剣装備の者が多く、槍を持っている者がまばらであったこともダンフォードには幸いした。

 ダンフォードはアルトリウスの指示通り、大胆な方向転換で一気に距離を詰め、剣装備の部族戦士達を押し破り、そのまま逃走してしまったのである。

 ハルは慌てて追撃の騎兵を出したが、いきなり初日に脱出を企てるとは思っていなかったので、対応は後手に回った。

 それにまずは燃えるフレーディアを何とかしなければならない。

 ハルはダンフォードの追撃を騎兵のみに任せ、本隊は火災の消火と市民の救助に回さざるを得なかったのである。



 火災を何とか収め、市民の救護活動を行っていたハル達。

 しばらくして追撃に出ていた騎兵が逃げ戻ってきた。

 途中、森に入ったところで不意の待ち伏せを受けたのである。

 3方向から攻撃を受け、命からがら逃げ帰ってきた戦士長の報告を受け、ハルはその作戦の要領の良さにダンフォードでは無くアルトリウスの臭いを感じ取った。


「先任が相手じゃ仕方ないか……どうにもやりにくいな」

「方向から考えるに、シルーハへの脱出を計ったようです」


 ハルの独り言に呼応するように、クイントゥスが報告を追加する。

 いずれにせよ、ハレミア人は撃滅し焼かれてはしまったがフレーディアは奪還した。

 ダンフォードの脱出を許し、アルトリウスの首の存在が明らかとなったことですっきりしない部分もあるが、取り敢えずの戦勝である。



 ハルはフレーディアへ入ると直ぐに負担を掛けた部族戦士に報償を支給し解散させた。

 ガッティとランデルエスは本拠地へ戻り、シレンティウム軍だけがしばらくの間フレーディアへ駐屯することとなったのである。

 街は火災によって酷く痛め付けられており、復興に人手が必要となったので、ハルは軍団の兵士達を使ってしばらく復興に尽くすこととしたのだ。  

 ハルは直ぐに周辺部族へフレーディアの奪還を喧伝すると共に、ダンフォードへの注意喚起を行うべく伝令騎兵を派遣し、また地下牢に囚われていた人々を解放し、殺害された宮廷官や戦士達の弔いを行う。


 ハルの素早い措置によって、徐々にフレーディアは落ち着きを取り戻し、復興が進められ始めたのだった。



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