第7章 都市再整備 振興計画篇(その1)
更に数日後、シレンティウム行政府
怜悧な灰色の目をした、30代半ばの男、トゥリウス・シッティウスは年若い辺境護民官とその顧問官であるという亡霊に目通りしていた。
「初めまして、トゥリウス・シッティウスです。この度はお招き頂き、有り難うございます。」
「いえ、遠い所をよくおいで下さいました。私が辺境護民官のハル・アキルシウスです。」
『我が顧問官のガイウス・アルトリウスである。』
「先任のお話はアダマンティウス守備司令官・・・今は第二十二軍団軍団長でしたな、彼からうかがっています、宜しくお願いします。」
シッティウスは、特に怯えた様子も無く丁寧にアルトリウスへ礼をする。
シレンティウムと名付けられたかつての廃棄都市へは3日前に家族ともども到着していたが、住居の手配を受けた後、都市を見て回りたいと目通りまで3日の猶予を願い出た。
時間は十分あったとは言えないものの、シッティウスは3日で都市とその周辺の様子について概要を把握し、行政府へとやって来たのである。
素人にしてはよく治めているといったところであるが、自分が来たからにはより一層の発展を為し遂げるという強い決意を持ったシッティウスであった。
シッティウスは年若い群島嶼人の辺境護民官と挨拶を交わしながら、ここに至るまでの事を思い出していた。
帝国内で貴族の所領と公領の境を巡って争い、裁定に勝って貴族領の削減には成功したものの、自分は総督職を追われて故郷の街への引退を余儀なくされた。
しかし執念深い貴族は、その後裁定をひっくり返して所領を回復させたにもかかわらず、シッティウスの引退先を突き止め、執拗な嫌がらせを繰り返した。
上司から煙たがられてクビ同然の引退をさせられた上に、自分の仕事の成果をも否定され、おまけに嫌がらせとあっては堪ったものでは無い。
報奨金や給金の蓄えは十分あり、シッティウスの生活は金銭的には余裕があったが、趣味の著作に没頭しようにも周囲がそれを許さない為実に楽しからぬもので、ここ最近は特に鬱ぎがちであった。
執拗な嫌がらせから家族は身の危険を覚えて外へ出られなくなり、買い物にも一族総出で出かけざるを得ない始末で、そんな窮屈な生活に辟易していたところへ舞い込んだ北方辺境からの手紙を読み、シッティウスは身を振わせた。
まだ自分を必要としてくれる場所が、ある。
その手紙には、以前関所の行政を預かった際に知り合ったアダマンティウスの口添え状が付いていたが、自分はあの老将にも手厳しい仕打ちをしたはずで、そのように買われているとは夢にも思っていなかった。
ハル・アキルシウスという奇妙な名の辺境護民官からの手紙には、至言を尽くして北方辺境の廃棄都市シレンティウムへ自分を行政担当官として招聘したい旨が綴られており、シッティウスの卑屈になった心を解放した。
自分の能力に自信もあり、総督であった際に行った事は、結局貴族の横車で無駄にはなったとはいえ、間違いではなかったという自負もある。
最近の帝国の風潮にきな臭いものを感じてはいたが、至当な行政権限を行使しただけでこの様な境遇に追い込まれてしまった事に不満があった事は事実で、それらを排したいという辺境護民官の意思ある言葉に心動かされた。
シッティウスは直ぐさま一族にこの件を諮り、祖父や父、義父らの承諾を得、故郷を捨てて北方辺境へ移住する事に決めたのである。
悲惨で非文化的な生活を覚悟してやって来た北方辺境であったが、意に反して街道は整備され、関所からシレンティウムまでは兵の屯所まであり、安全に旅する事が出来た。
しかも到着したシレンティウムは自由な活気に満ちあふれており、建造物は帝国の技術をもって造られてはいるが、北方諸族の文化を色濃く反映した異国情緒溢れる美しいもので、家族共々シッティウスを驚かせた。
家族達はシレンティウムの様子を見てそれまでの悲壮感を消し、ようやく安住の地に到着した事を喜んだのである。
「・・・聞いていたようには見えませんね。」
『うむ、物腰は普通であるが・・・』
前評判をアダマンティウスから聞き戦々恐々であった2人は、感慨にひたっていたシッティウスが少しばかり間をおいた事もあり、思いがけないその丁寧な態度にひそひそと囁き合う。
そこにシッティウスのぴしりとした声が割って入った。
「早速ですが・・・色々手を加えさせて頂きたいのですが宜しいですか?」
「は、はいっ」
思わず背筋を伸ばすハルに、シッティウスはよろしい、と前置きした上で話し始めた。
早くも主導権はシッティウスに移ってしまう。
「ここに来るまでに一通り市内を見させて頂きましたが・・・都市は美しいですが、内実は酷いですな!」
「・・・どのようにですか?」
早速の厳しい言葉に、面食らうハルを見ながら、シッティウスは言葉を続ける。
「まず、蛮族・・・この者達に物々交換を止めさせて下さい。市内での取引は全て通貨で行うこととします。もし通貨が無いようであれば持ち込んだ商品を一旦行政府で買い上げ、買い物はその通貨で行わせるように致しましょう。物品価値の平準化を図らなければ、商品に対する価値観の違いから争いやトラブルが頻発する恐れがあります。今はまだ近隣諸族のみの取引ですから顕現化しておりませんが、これが他国や帝国の洗練された商人達が入り始めると、シレンティウムの族民達は草刈り場の草と化し、一方的に利を吸い尽くされてしまいます。悪賢く、利に聡くあくどい者だけが得をする都市にはしてはなりません。」
『なるほど・・・』
シッティウスの提言に頷くアルトリウスには、かつて自分が治めたハルモニウムで同じ問題が起こったことを思い出した。
その時は対応を誤り、不満をためてしまうことになったが、今回はこの有能な行政官吏が是正措置をとるのだろう。
腕を組み、感心するアルトリウスをそのままに、シッティウスは能弁を振う。
「青空市場自体は問題ありませんので、これはむしろ積極的に活用して、周辺とシレンティウムの交流を活発化させましょう。売れる物があるとわかれば、労働意欲の向上にも繋がりますし、シレンティウムを通して他国の文物に触れる機会を持ち、触発される人間が出てくるでしょう。」
「そうですね・・・」
帝国の文物にあこがれてシレンティウムを訪れるものは確かに増えている。
都市を見ただけで、クリフォナム人の職人や工人は自分達には無い技術力を見てとり、帝国から来た技術者や職人に師事を請うものが増えているのである。
退役兵達が都市へ入り始め、土木工作技術のみならず、冶金、縫製を始めとする日用品に使用される技術の底上げもこのところ著しく、またその技術に興味を持って習い覚えようとする者も北方辺境各地から集まり始めていた。
今までは帝国にまで行かなければ習えなかった技術が、シレンティウムで学べるとあって、帝国へ苦労して留学していたクリフォナム人の技術者や職人達が戻ってきてもいるため、シレンティウムの工芸区画はにわかに活気を帯び始めた。
帝国内で様々な迫害や差別を受け、また習俗や風習の違いから苦労していた者達も、まがりなりにも北方辺境の一部であるシレンティウムで学び、働く方が日常生活の面で遙かに楽なのだ。
同じ理由から帝国で技術を身に着け、帝国内で働いていたクリフォナム人やオラン人達もシレンティウムへと移りつつある。
「工芸区については、そう遠くない日に、日用品や衣服は材料以外はこのシレンティウムで生産できるようになると思います。人口が増えれば需要も増え、需要が増えれば供給が拡充するのは自然の理です。ズルや不正、粗悪品や詐欺については目を光らせる必要がありますが、このまま自由にやらせましょう。」
いつの間に取り出したのか、自分が記した覚え書きを眺めながら話していたシッティウスは、ふと気が付いたように顔を上げてハルに尋ねた。
「都市参事会はどうなっていますか?」
「いえ、まだそこまで話が進んでいません。一応、族長や村長達に集まって貰う事はありますが、都市参事会にはしていません。」
都市参事会とは、帝国の都市に設置される議会の事で、元老院の縮小版であるが、その性質は元老院に比べて市民に近く、どちらかといえば市民代表といった位置付けになる。
かつて帝国の元老院もそういうものであったのだが、その規模が大きくなるにつれて変質し、貴族や有力者の場になってしまったのである。
都市参事会に権限はないものの、総督の諮問機関であり、市民の要望や意見を汲み上げる大事な組織でもある。
州総督権限を付与されただけで、未だ帝国州にはなっていないシレンティウムであるので、設置が必要不可欠な訳ではないが、そろそろ都市の人口も1万人に達しようとしているシレンティウムの市民意見を聞く為には有効な方法である。
ハルの答えに、シッティウスは一つ頷くと口を開く。
「それは早急に手を付けて頂けますか?今までの族長、村長身分の者に、退役兵の中から元将官身分であった者を便宜上選びましょう。他の都市同様、任期は3年、選出区分は街区ごとにしますが、方法は帝国人は帝国方式の選挙で、クリフォナムやオランの民は長老会で選出された族長を議員にします。」
「全体で選挙をしないのですか?」
ハルが疑問を呈すると、シッティウスは当然だといわんばかりの態度で答える。
「いずれは帝国方式に変えていきますが、今はまだそれぞれの部族による選出方法で構いません。いきなり全てを帝国方式で実施しては、無用の混乱と反発を招きます。最初は小さく些細なところから帝国方式を導入し、大事なところや風習で譲れないところは、大きな齟齬や非効率がない限り、そのまま従来通りやって貰えれば構いません。もちろん、クリフォナムの方式が帝国より優れている部分についてはその方法を導入します。尤も、残念ながら行政においてクリフォナムの方が優れているというものは、ほとんどありませんが。」
シッティウスはそう言いつつ手元の資料をめくる。
「法整備は一旦終わっているようですね。しかしそれを実行する官吏が足りません。幸いにも治安官吏はルキウスどのが養成と整備を行ってくれておりますのでこちらは問題ないでしょう。肝心の行政官吏ですが、これは私が何人か知り合いを引き抜いてきますので、この者達を軸にしてこの都市の目端の利いた者を採用し、行政官吏の養成を行いましょう。現在シレンティウムの行政府の構成はいかがなっておりますか?」
「今はドレシネスというオラン人の長老が筆頭で戸籍を作っていますが、他は全くいません。まだ徴税もしていませんしね。」
「なるほど・・・分かりました、一応私が行政長官と言うことでシレンティウム市の行政全般を司ることとしますがよろしいですか?」
ハルの答えに、一旦資料をめくるのを止め、しばらく考えた後にシッティウスが言うと、ハルは当然であると頷きながら答える。
「はい、その為に来て頂いたのですから、宜しくお願いします。」
顧問官ではなく、行政全般を司って貰おうとシッティウスを招いたのである。
そこで初めてシッティウスはニッコリと笑みを浮かべた。
「有り難うございます、権限の有るのと無いのとでは効率に雲泥の差が出てきますのでね、腕の振るい甲斐があります。ではドレシネス殿は戸籍長官、ルキウス殿は治安長官としましょう。2人の長官の職分については、今まで通りで構いませんので、これからも引き続きお任せ致します。行政機構については模式図を持ってきましたので、これを参考にして形作ってゆきましょう。」
シッティウスは持っていた資料から図面を1枚抜き出すと、ハルに示した。
そこには帝国の都市一般で用いられている行政府の機構図や組織図が記されており、役職だけが記入されている。
シッティウスはハルからペンとインクを借り受け、そこに氏名を記していった。
最高行政官 ハル・アキルシウス(辺境護民官)
顧問官 ガイウス・アルトリウス
都市参事会議長
行政長官 トゥリウス・シッティウス
財務長官
商業長官
工芸長官
按察長官
農業長官
戸籍長官 ドレシネス
治安長官 ルキウス・アエティウス
「まあ、追々この図は埋まっていく事でしょうから、とりあえず空欄の職官は私が兼務させて頂きます。辺境護民官殿、この図の右隅へ署名をお願いできますか?」
「あ、はい、分かりました。」
ハルは、シッティウスから受け取ったペンで図の右隅へ署名した。
シッティウスはインクが乾くのを待ち、図面をハルの机の後壁へぺたりと貼り付ける。
その瞬間、糊やピンによらず貼り付けられた図は静かに強い光を帯びた。
「これでシレンティウムの行政府が発足しました。」
シッティウスがそう言うと同時に光は薄いものへと変化した。
それと同時に図の右上部へ、今日の日付がじわりと浮き出はじめ、直ぐに他の文字と同じ濃さになった。
この図は帝国の神官によって神聖な祝福が与えられている。
名を記された者はその職を全うする事が出来ると信じられており、逆に職を放棄したりすれば呪いがかかると言われているものである。
その職にある者であれば修正や書き込みも可能であるが、汚れず消せず、破れない不思議な効力を持つ図面で、この図面が行政庁舎の最高官の部屋に張られた時が、行政府の発足の日時とされる。
シッティウスはアダマンティウスに依頼し、北方関所での待ち時間を使ってコロニア・リーメシアの街へ早馬を走らせ、知り合いの神官からこの図を手に入れていたのだ。
『行政組織図であるか・・・懐かしいな、その場所に我もかつてそれを貼り付けたが、残念ながら我の死と共に消えてしまったようである。』
アルトリウスが壁で淡く光る図を眺めながら、感慨深げに言った。




