第19章 北方連合成立 北の護民官就任篇
西方帝国レムリア州、レムリア山道南口関所
「本当に来たよ…予定より随分早いな、こりゃたまげた…おい、直ぐにマルケルス将軍へ伝令を出せ」
「はっ」
関所当番を預かる当番隊長の命令で兵が走る。
「はあ、すげえ…本当に軍団だよ…」
別の兵士が呆れたような声を出したので、隊長は視線を足音が聞こえた関所の先の山道へと移す。
そこには全員徒歩であるが、冬期装備にガッチリ身を包み、軍団旗を掲げた北方軍団兵が隊列を組んで堂々と行進している姿があった。
やがて関所へと到着した隊列。
その先頭を歩いていた小柄な若い男が後方に停止を命じると、関所に向かって声を張り上げる。
「北の護民官、ハル・アキルシウスと護衛兵の第21軍団総勢1500名!帝国への越境許可を求めるっ!」
「…遠路お疲れ様でした、既に越境許可は下りています。門を開けますので少々お待ち下さい」
「了解した。厄介になります」
思ったより物腰の柔らかいハルの態度に、関所当番の帝国兵達は拍子抜けした。
クリフォナムの英雄王を一騎討ちで破り、北で40万の蛮族を殲滅した北の勝利者。
シルーハの傭兵将軍で西方諸国において名を上げていた雷撃のアスファリフを寡兵で破り、貴族派貴族軍を壊滅させた、帝国内戦勝利の立役者がやって来ると怖気を振っていた兵士達は、怪訝そうに互いの顔を見合わせる。
盗賊や騙りの類いでは無いかと最初は疑った兵士達だったが、北から越境してくる者自体がそもそもいないレムリア山道、その上群島嶼人が北の地にいる事は非常に珍しい、と言うか北の護民官以外にあり得ない。
またこの峻険なレムリア山道をわざわざ1500名もの兵士を連れて、しかも北の護民官であるという擬装をして、ましてや冬に越境してくる様な理由のある者いるまい。
早々に本物であると確信した兵士達。
ほとんど人が通ることの無いこの砦に詰めている兵士はわずか50名、その当番兵士達が慌ただしく動き始める。
北の護民官がレムリア山道を踏破してくるから出迎えをするようにという通知は来ていたが、実際誰も本気にしていなかったのだ。
加えて関所への到着予定日は明後日である。
関所は正規編制であれば2000名の兵が駐留出来るように造られているので、広さには余裕がある。
準備といっても休息場所となる大部屋を掃除しておくくらいしか無い。
当番兵達は普段使わない大部屋を掃除する良い機会と思って、掃除だけはしてあったので、あとは小所帯なので武器も食糧も一緒に保管してある倉庫から食糧を出して炊き出しをするくらいである。
関所へ入ってきた北方軍団兵の身体の大きさに驚きつつ、その手助けを受けながら部屋の仕分けや炊き出しの準備をする帝国兵達。
そうこうしている内に国境警備隊北中管区隊長のマルケルス将軍が馬で駆けつけてきた。
「北の護民官殿…遅れて申し訳ない。予定では明後日というお話だったので…」
「いえ、こちらも無理を言って日程の読めない山道を使いましたので仕方ありません。思ったよりも早く着けますね?」
「………」
ハルの思わせぶりな言葉に、黙り込んでしまったマルケルスへハルは言葉を継いだ。
「帝都までの道案内は将軍が?」
「あ、はい、私が承ります…では日程を少し調整致しまして、明後日昼頃に出発をしようと思うのですが、構いませんか?」
「宜しくお願いします」
物思いに耽っていたマルケルスはハルの声で我に返り、慌てて取り繕うように予定について述べると、ハルはにこやかに答えるのだった。
帰り際、護衛兵士達の1人に帝都への手紙を託すマルケルス。
詳細は自分が北の護民官を帝都へ案内した際に意見具申する他無いだろうが、とにもかくにもこの事実を早急に報告しなければならない。
「…まさかレムリア山道が軍道の用に足りるとは…盲点だった。早急に対策を取らねばなるまいな…」
マルケルスは関所の見張り台から見送るハルへにこやかな笑顔を返しながらつぶやくのだった。
見渡す限りの大平原が広がる帝都周辺平原を行進する第21軍団の北方軍団兵達は、見る物全てが珍しく感じられるのか、農地の造りや、街道の構造、道標や用水路に到るまでじっくり見ながら進む。
ハルがそう意図したこともあって、歩みはゆっくりであった。
しばらく、というか、レムリアの山塊を越えたあたりからずっと遙か遠くに霞むように見えている帝都。
その威容がようやくはっきり捉えられるようになってくると、北方軍団兵達はその規模をシレンティウムとそう変わらないものだと思い込んでいた。
しかし、進めど進めど帝都には到着出来ない。
街道はどんどん太くなるが、結局その日のうちに帝都へは到着しなかったことに北方軍団兵は驚き、興奮する。
翌日も、更にその翌日も、目には見える帝都は一向に近くなったと言う感覚が持てないまま北方軍団兵達は進み続けたのだった。
帝都北大門
「…これが帝都…の門?」
「でかい…」
「シレンティウムの何倍あるんだこれ…」
ようやく到着した北大門で、その大きさと壮麗さ、手入れの行き届き具合に圧倒される北方軍団兵達は、ぽかんと門を見上げるばかりであった。
「さあ行くぞ、シレンティウム軍団の晴れ舞台だ、しゃきっとしろ!」
ハルの檄が飛び、呆けていた兵士達の顔に生気が戻る。
ゆっくりと北大門の扉が開き始めた。
その中にはシレンティウムに比すべくも無い、すさまじい数の帝都市民がそれこそ黒山の人だかりとなって沿道を埋め尽くし、周囲の建物の窓という窓から、新たな北の英雄とその精強な軍兵を一目見ようと身を乗り出していたのだ。
帝国軍元老院衛兵儀仗隊のラッパが一斉に鳴らされる。
「第21軍団前進!」
地響きのような歓声に包まれつつ、ハル率いる北の護民官軍は帝都へ入った。
市民達の熱烈な歓迎を思う存分浴びた北方軍団兵達は、皇帝宮殿に付属する、近衛兵宿舎へと入った。
今までも警備兵程度の近衛兵は居たが、ユリアヌスの代になって人員装備を充実させ、宿舎も改築を行っている。
ユリアヌスはいずれ近衛隊を半個軍団程度まで増強するつもりであったが、今はまだ帝国軍本隊の再建に尽力しており、その余裕が無いことから、建物だけが完成していたものを北方軍団兵の宿舎へと転用したのである。
皇帝宮殿、皇帝執務室
「全く…やってくれたな」
皇帝執務室へ挨拶に出向いたハルへ、ユリアヌスはのっけから厳しい表情を向けた。
しかしハルは特に悪びれた様子も無く答える。
「そうですか?」
「…まあいい、これでレムリア山道の価値は色んな意味で高まった。巧く整備すれば一般人も通れるようになるだろ」
「そうして下さると助かります。しかし、これでいつでも帝都に非常事態があった時はこちら側から北方軍団を差し向けられますよ?」
半ば諦めたように言ったユリアヌスであったが、続いたハルの言葉にぎょっとした顔を見せ、ゆっくりと口を開く。
「…トロニアには何個軍団を置くんだ?」
「取り敢えず2個軍団1万4千と守備隊1000を考えています」
「…なるほど、分かった」
帝都守備を預かる第1軍団と第4軍団と同数である事を聞いて取り敢えずは納得するユリアヌスであったが、有名無実となっている帝都守備隊を再建することを内心で決めた。
「全く、お前は一筋縄じゃ行かないな、尤も、周囲の人間を上手く使っているんだろうが…」
「そうですね、私はいつも周りの人に助けられてます」
ユリアヌスの言葉にそう答えようやくそこで2人の顔に笑みが浮かぶ。
「ま、国同士のしがらみは仕方ないが、仲良くやろう」
「こちらこそよろしくお願いします」
翌日、帝都中央街区・元老院議場
市民派貴族や今回の内乱に参加しなかった領地持ちの貴族、更には引退した元高位文官や高位軍人達からなる元老院。
現役の官吏や軍人の姿は議場から消え、また貴族派貴族は一掃されていることは言うまでも無い。
元老院議場は、普段以上の厳かな雰囲気に包まれていた。
その中央壇上で、新たに元老院議長となったクィンキナトゥス卿が議員達に向かって熱心に演説を行っている。
今までのハルの功績を滔々と述べているのだ。
「…以上の功績から、辺境護民官ハル・アキルシウスを北の護民官と為し、北方の安寧秩序を托す事を承認したい。これは帝国皇帝ユリアヌスから我ら元老院への依頼であり、また我ら元老院が恩を知る帝国臣民を代表して為さねばならぬ皇帝への依頼であると思う」 演説を終えたクィンキナトゥス卿が壇上から降り自席へと戻ると、議員達が満場の拍手で迎えた。
「では、ハル・アキルシウスを北の護民官に任ずる事に賛成の者はご起立願いたい」
クィンキナトゥス卿が採決を宣言すると、元老院議員全員が拍手と共に立ち上がった。
ハルの北の護民官就任が承認されたのである。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
臨席していたユリアヌスが隣の臨時席に座っていたハルへ、祝福の言葉を述べながら握手を求めると、ハルははにかみながら応じる。
それを見ていた議員達が次々とハルの元へとやってきた。
「北の護民官殿、私カルウスと申します…実は…」
「北の護民官殿、私は…」
「護民官殿っ、私の話を…っ!」
どっと押しかけてくる議員達を驚きの目で眺めつつ、ハルはそれでも丁寧に応じてゆく。
「全く…利がありそうだと思うとこれだからのう…帝国人の腐敗は高位の者からじゃな」
執政官として臨席していた大クィンキナトゥス卿が呆れたようにハルを囲む議員達を見て言うと、息子のクィンキナトゥス議長が応じた。
「全くですが…まあ、そんな輩にどうこうされてしまうような者でもありませんし、今日だけの話です、大目に見ておきましょう」
「うむ…それでも後ほどアキルシウス殿に声を掛けた連中を抽出しておくのじゃぞ?」
「分かっておりますよ、先代議長」
にやっとしながら答えた息子を見て、大クィンキナトゥス卿は満足そうな笑みを浮かべる。
この後は盛大な祝宴が皇帝宮殿で催される事になっている。
参加者はそれこそ帝都市民なら誰でも参加出来る形式になっており、今より更に、そしてより深く、あくどく、狸や狐が様々な動きをするだろう。
「まったく、アキルシウス様々じゃな」
「ははは、お陰でこちらは詳しく自力で調査を入れずに済むので助かります。立ち上がったばかりの帝国の改革とユリアヌス帝、ここで潰す訳にはいきませんからな」
「ま、良いだろう…わしは北で骨休めとゆくか」
頼もしそうに息子を見て、次いで未だ騒ぎ立てている見苦しい元老院議員達を見てから大クィンキナトゥス卿が言うと、ふと思い出したようにクィンキナトゥス議長が言葉を発した。
「そういえば、クラウディア殿下が陛下へシレンティウム大使にしろとねじ込んできたそうですが?」
「ふむ…クラウディア殿下がのう、尤もわしゃ譲る気など無いぞい」
「陛下が旧シルーハ領の視察へと先週追い出したそうですが、無駄に行動力だけはある方ですので、大事にならなければ良いのですがね…」
呆れと諦めの入り交じった様子で話す息子の言葉に苦笑しつつ、大クィンキナトゥス卿が言った。
「もう良いお年なのじゃし、それ程無分別でも無かろう」
「しかし…アキルシウス殿はクラウディア殿下好みだと思うので、些か心配です」
「ああ、確かにのう…」
元老院議員達の余りのしつこさに笑顔が少し引きつってはいるがにこやかに応対し続けるハルを見て、大クィンキナトゥス卿は納得した様に頷く。
あれで群島嶼制圧戦争で帝国軍を苦しめ、更には辺境護民官として幾度の戦いでひけを取る事無く勝ちを収めてきたのであるが、それを自分から誇ったりは一切しない。
帝国の軍人とはまたひと味違った武人として洗練された作法を身に着けている、実にクラウディア殿下好みの人物であった。
「ま、会わせなければ良いじゃろ。実際クラウディア殿下はここに居らんのだしの」
「それはそうなのですが…」
一抹の不安を消せないまま、祝賀式の会場へと移動し始めたハル達を追って移動するクィンキナトゥス議長であった。




