第19章 北方連合成立 周辺地域篇
西方諸国、都市国家・エクヴォリス市の港
アスファリフ率いる傭兵軍団は、海賊船に乗ってエクヴォリス市へと到着した。
エクヴォリスは西方諸国でも反帝国派の政治家が取り仕切る都市国家である。
シルーハ人であるアスファリフだが、シルーハ王国から破格の報酬で引き抜かれるまではこのエクヴォリス市の傭兵将軍として働いていた。
もちろん、エクヴォリス市の議会の承認を得ての転出で、その際シルーハはエクヴォリス市へも議員達への賄賂を含めて相当の金を払っている。
そのエクヴォリス市はアスファリフの拠点とも言うべき都市国家であった。
アスファリフは主にここエクヴォリスにて軍を率い、西方諸国の内、親帝国派の都市国家や王国と戦い、日々腕を磨いてきたのである。
「まあったく、こんなに逃げたのは久しぶりだぜ~」
長い船旅を終え、桟橋を伝って埠頭へと降り立ったアスファリフは思い切りのびをしながら言った。
「仕方ありません負けは負けです」
「ま、その通りだな!帰ってこれただけでも良しとしなきゃな!」
慰めの言葉を掛けてきた斥候頭に、伸びを終えたアスファリフは頷きながら答えると、周囲を見渡した。
続々と船から下りる重装歩兵傭兵達。
出発時と比べればその数は半減しているが、傭兵とは言え敗戦でもアスファリフに付き従ってくれる股肱の臣達である。
エクヴォリス市の伝手を使ったとは言え、アスファリフが自分の名前で集めた傭兵達であり、彼らも名高いアスファリフの指揮下ならばと遠いシルーハや西方帝国で戦うことを承知した練達の兵士達である。
「遠い所まで引っ張り出した挙げ句に苦労させちまったな…」
次いで運び出されて来た金貨の入った箱を眺めつつアスファリフは小さい声で言うのだった。
あの金は今回の戦いで命を散らした兵士達の家族に手渡す物。
国や雇い主にとっては換えの利く傭兵であっても、その家族にとってみれば代りの無い父であり、兄であり、夫であり、親族であり、友人である。
今回は負け戦であったが故に死者も多く、契約金や雇用金はほぼ全て彼らの家族への弔慰金となる予定であった。
もちろん、生きて帰った傭兵達の給料を除いての話であることは言うまでも無い。
「まあ、せしめる金があっただけましっちゃ、ましかね」
「違いありません」
斥候頭の生真面目な口調に苦笑を漏らしつつ、アスファリフは腕を頭の上で組み、ぽつりとつぶやく。
「ふん、次は負けねえようにするだけさ…まずはシルーハをそっくり頂かないとな」
その思考の内には、ハルとアルトリウスの姿がある。
あの2人に勝たなければ西方で自分達傭兵の明日は無いだろう。
「またその際はお声を掛けて頂けますか?」
「もちろんだ!…まずはここから帝国に揺さぶりを掛けてやる」
再度の斥候頭の声に、アスファリフは快活に答えるのだった。
フレーディア市街、大通り
かつてハルにその不衛生さと雑然さを評されて“黒い街”と呼ばれたフレーディアであったが、それも既に過去の話となった。
石畳で舗装された大通りに、排水路、地下水道によって汚水は奇麗に排除され、上水道の整備が進んで今や帝国の都市と遜色ないまでに発展したフレーディア市。
その大通りを、護衛の騎兵に取り囲まれた家畜用の檻馬車が進んで行く。
中に居るのは家畜では無く、ダンフォードという、ある意味家畜より始末に負えない人間ではあったが…
伸び放題に伸ばされ薄汚れた髪と髭、痩せこけた身体、矢が突き立ったままの壊れた鎧を身に纏い、目だけはぎらぎらと異様な光を放っていたが、腕は妙な方向へ曲がっている。
その姿は正に敗残兵と呼ぶに相応しい酷いモノで、このフレーディアを支配した名残はひとかけらも残っていなかった。
「死ねっ馬鹿王子っ!」
「恥知らず!」
「お前のせいで息子は死んだんだっ!」
「私の子供を返してよっ」
「爺さんは病気だったのに…むごい殺し方しやがって!」
次々と自分に浴びせられる罵声や悲鳴じみた抗議に、ダンフォードは痛む手首を抱えて聞くことしか出来なかった。
反論しようにもきつく締められた首輪が邪魔で思うような大声が出せない上に、沿道に集まったフレーディア市民達はすさまじい勢いで悪口雑言を浴びせかけてくるので反論の遑が無いのだ。
思うさまの罵声と怨嗟の声を受け、野菜くずや泥団子を投げつけられてすっかりボロボロになった馬車とダンフォードは、フレーディア城へ入る前に水を北方軍団兵達によって四方から浴びせられた。
既に冬も間近いフレーディアの水は冷たく、凍えそうになったダンフォードであったが、現れた人物の姿を見て怒りに打ち震えた。
「ベルガン!」
「…お久しぶりですな、ダンフォード王子」
「貴様ぁ…」
「…無残な姿になりましたな…」
「誰の…誰のせいだと思っているんだっ!!」
吼えたダンフォードの言葉を優しげな声が受け取った。
「…少なくとも、自分のせいであるとは思われていないようですね?」
「この方が…あのアルフォード英雄王のご子息とは…嘆かわしいです」
ベルガンの後ろから現れた2人のうら若い美女を見てダンフォードの言葉が止まる。
典型的な北方美人の2人を見たダンフォードは、自分の姿と比べて気後れしたのだ。
「初めまして…セデニアのディートリンテと申します」
「ポッシアのトルデリーテです」
「うっ…」
次いで2人の出自を聞いて思わず唸るダンフォード。
その様子を見て冷ややかな視線を送っていた2人の目が更に細められる。
「…どうやら心当たりがあるようですね」
ディートリンテの言葉で冷や汗を吹き出させたダンフォードが狭い檻の中を後ずさった。
他でも無い、この2部族を壊滅させてしまったバガン率いるハレミア人を呼び込んだのは自分なのである。
「檻から出せ」
ベルガンの命令で北方軍団兵が檻を開き、中に繋がれていたダンフォードを無理矢理外へ引っ張り出して跪かせる。
必死に抵抗するが、手首が折れている上に長時間閉じ込められて運ばれてきたことからすっかり体力を無くしているダンフォード。
北方軍団兵に敢え無く押さえ込まれた。
引きだされてきたダンフォードの視界の端に燦めく金属の輝きが映る。
「ひっ…」
「…部族の恨み!」
「ぎゃああああああああ」
抵抗出来ないダンフォードの脇腹にディートリンテの短剣が深く刺さり、ねじ込まれた。
「ぐええええええ…」
「一族の無念を…っ」
だらだらと涎を垂らし、痛みに耐えかねているダンフォードの腰に今度はトルデリーテの短剣が柄までゆっくり埋まった。
最早叫び声すら上げられず、びくんびくんと短剣が自分の身体に滑り込む激痛に身体を反応させるだけのダンフォードを見て、ベルガンが冷たく命じる。
「刺さった短剣を抜かれないように手枷を嵌めろ。終わったら地下牢へ放り込め、傷の手当ては一切するな」
「はっ」
こうして地下牢へ放り込まれたダンフォードであったが、翌日には死体となり、広場に晒されることとなったのだった。
南方大陸、アルトリウスの廃棄砦
相変らず雨が降り続く南方大陸のアルトリウス廃棄砦。
その司令官室として設えた部屋では、カトゥルスが眉間にしわを寄せて地図を眺めていた。
本国からの増援がようやく到着したのみならず、群島嶼からヤマト剣士が義勇兵として入ってきており、兵力的には一時に比べて随分状況は好転している。
そうしてカトゥルスの手元にあるのは、南方派遣軍の残軍1万5千に第6軍団、群島嶼派遣から転用された第7軍団の1万4千、加えて群島嶼のヤマト剣士1000名である。
また本国から増援に寄越された第6軍団が埋もれていた街路を修復し使用出来るようにしたこともあって、補給状態も好転していた。
更には、カトゥルスの献策で武器防具用に腐食防止の油や群島嶼の蝋が支給され、また濡れた衣類や手入れ布の類を素早く乾かすために乾燥室も砦内に設けられている。
更には群島嶼の雨衣も多数用意され、戦場の環境は随分と良くなっていた。
「司令官殿、そろそろ出た方が良いのではないかのう?」
「これは…剣士隊長、いや、それはそうなのだが、何分慣れぬ土地であることもあって、どの辺りまで攻勢を掛けるべきか迷っていた」
見慣れない青い群島嶼風の鎧に弓、箙を背負った老齢のヤマト剣士、秋瑠源継が本陣へ入って来るなりのんびりと言うと、カトゥルスが気さくに応じる。
群島嶼は南方大陸の諸部族とは抗争を繰り返していたことから、熱帯地域での作戦行動に慣れており、ヤマト剣士達は非常に使い勝手の良い兵士であった。
その為、個々の武勇と相まって1000名という少数でありながらも、主力と位置付けられ、源継も軍議への参加を認められている。
「ふむ…では、この川の線までで如何かな?」
「なるほど…」
源継が示した地図上の地点は、現在ゴーラ族が陣を張っていると思しき場所であるが、確かにその近辺には小川があり、境目としては分かり易いものである。
ゴーラ族主体の南方諸族連合軍は5万程であることが掴めていた。
カトゥルスが指揮を執り始めてからは特に目立った罠や策略を仕掛けてくることも無く、伏兵にあったことも無いので、ひょっとしたら何らかの事情でゴーラの指導者が代わったのかもしれない。
また当初スキピウス率いる帝国の南方派遣軍を壊滅させた時に見られたシルーハ系の兵士達もおらず、兵数も幾らか減じている。
加えてカトゥルスは帝国領の近隣に住まう諸族に対しては宥和政策を打ち出し、商業上の便宜を図り、一旦スキピウスが全面禁止した帝国都市への出入りも認めた。
これによって乾燥地帯に住まう諸部族は態度を軟化させ、遂には彼らを離反させる事に成功し、ゴーラ族主体の熱帯部族に敵を限定することが出来たのである。
流石に一度こじれた関係はそう簡単には改善しないが、とにかく直接敵対しないまでの関係に持っていくことが出来たので、南方のみに集中する事が出来る。
そしてカトゥルスは立て籠もった砦を主体に着々と反撃の機会を狙っていたのであった。
数日後、砦南門前
「国境画定のためにこの先の小川から北は帝国領と宣言し、何人たりとも帝国の許可無く国境を踏み越えさせてはならない。その為にも今この砦に迫っているゴーラ戦士団は完全に撃ち破る!」
勢揃いした帝国軍3万余を前に、カトゥルスは力強く宣言した。
シアグリウスは砦の守備に居残り、スラは今回カトゥルスの副官として従軍する。
「出撃っ!」
3万の帝国軍が足音も高らかに出撃した。
モースラ樹林北端、オールオ川支流付近
帝国軍が出撃したことを悟ったゴーラ戦士団は真正面から挑んだが、正面切っての会戦方式で戦えば帝国軍は強い。
アルトリウスの廃棄砦の直ぐ南の平原で対峙した両軍は、敵を見るなり交渉すらせず正面衝突へと移った。
ゴーラ戦士の蔦や蔓で編んだ鎧や盾に矢はあまり効果が無い。
投げ槍も同様で、投射兵器については、蔦や蔓で編まれた鎧や盾が緩衝効果を発揮してしまうのだ。
それ故に帝国兵は今回投げ槍を装備から外している。
「いいか!今までのことは忘れろっ!正面から戦えば我々に敵うものはいない!」
ゴーラ戦士団の甲高い鬨の声を聞いて怖気を震っている兵士達を最前線で励まし、カトゥルスが声を張り上げる。
「今こそ我等がここで失った名誉を取り戻せっ!」
槍を振りかざして迫るゴーラ戦士達だったが、整然と大盾の隊列を組み、規則正しい号令で進撃してくる帝国兵に困惑していた。
今まで不意を突いた時の帝国兵は脆く、まともな抵抗を示したことは少ない。
確かに正面から打合った事は無いが、不正規戦の時の軟弱振りが嘘のような頑強な抵抗と鋭く整然とした攻撃に、ゴーラ戦士達は戸惑いを禁じ得ないのだ。
ゴーラ戦士達は思い切り突っ込んで石槍の穂先を大盾に突き立てるがさして効果は無く、また石斧を叩き付けても大して動揺しない帝国兵の戦列。
ゴーラ戦士達は狂ったように武器を叩き付け続けた。
しかしそれでも動揺すること無く少しずつ前に出る帝国兵達は、時折攻撃の合間を縫って大盾の間から剣や槍を突き出してはゴーラ戦士を血祭りに上げる。
何時もであれば投げ槍を撃つ隙を突いたり、こちらが突撃した際に出来る動揺に付け込んで戦列へ雪崩れ込むことが出来たのだが、今回帝国兵は投げ槍を使ってこない上に隙や動揺も無い。
「突撃!」
頃合いを見切ったカトゥルスの号令で正面から帝国兵が盾を構えたまま突撃をかけると、戸惑ったままたちまち戦陣を撃ち破られるゴーラ族戦士団。
帝国兵の剣で首を討たれ、腹を刺されて倒れるゴーラ戦士達が続出し、一部では敗走が始まった。
そして戦線全面において押しまくる帝国兵。
それでもなお南方の剽悍な戦士達は挫けず帝国軍の戦列へと再度挑みかかったが、迂回してきた群島嶼のヤマト剣士隊に本陣を衝かれ、今後は後方がにわかに崩れた。
「今じゃ!かかれいっ」
秋瑠源継の号令で刀を振りかざし、驚くゴーラ戦士の横合いから乱入するヤマト剣士達に、あっという間にゴーラ戦士団の本陣が壊滅させられた。
源継は先頭切って飛び込むと、正面に居たゴーラ戦士団の戦士長へと挑みかかる。
「群島嶼ヤマト剣士総帥、秋瑠源継!」
「ぬう?群島嶼の剣士が何故…!」
「名を名乗らんか、馬鹿め!」
そう吐き捨てつつ慌てて槍を構えた戦士長の首筋をすり抜けざまに刀で打ち据えて頸骨を砕き絶命させると、その先に居たゴーラ戦士の脇腹を刀で突く源継。
更に返す刀で横から迫っていたゴーラ戦士の顔を横に払い、その後方で狼狽えていたゴーラ戦士の腋を切り下げる。
次いで後ろから迫っていたゴーラ戦士の槍を搗ち上げざまに眉間を叩き割った。
「むん…動きがワルイわい…年は取りたくないもんじゃ」
びゅっと刀を勢い良く振って刀身に付着した血糊を飛ばすと、周囲を見回す源継。
ゴーラ戦士団の本陣内に動いているゴーラ戦士は最早おらず、立っているのは味方のヤマト剣士だけである。
「…帝国兵の鎧兜は堅くていかんが、コヤツらの蔦や蔓など屁でもないわい」
息のある敵戦士にとどめを刺しながら、源継が言う。
そうこうしている内に前線からわっと喊声が上がった。
帝国軍が最後の突撃を掛けたのだろう、ちらほらと逃げてくるゴーラ戦士達が現れ始める。
「どれ、もう一戦するか…者ども、逃げてくる者とて容赦するでないぞっ」
おう
野太いヤマト剣士達の声が周囲に響いた。
こうしてあっという間に包囲され、斬り立てられたゴーラ戦士団は降伏すら許されず、殲滅され、モースラ樹林北端の戦いで帝国南方派遣軍はようやく勝利を上げる事が出来たのだった。
カトゥルスはこの後石碑を国境線に沿って建造し、帝国の南方大陸における国境線を画定させることが出来たのである。




