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第17章 決戦(その5)

 シルーハ軍本陣


「将軍!前線が破られました!」

「ちっ…!どんな手を使ったか知らねえが、ちょっとやばいな…」


 伝令の報告を受けるまでもなく、シルーハ軍の前線が北方軍団兵に大きく破られた上に、陣の右翼と前線から崩れ始めている様子が見て取れた。

 相変らずこちらの左翼は優勢に戦いを進めてはいるが、正面と右翼から本陣を攻め立てられる状態になっては勝ち目が無い。

 左翼に投入した南方歩兵も、敵の右翼を包囲しつつあるものの、正面を破られては意味を為さないので、アスファリフは引き上げさせたシルーハ軍左翼の傭兵騎兵と潰走したシルーハ騎兵をまとめ、本陣の右翼に配置しなおした。

 アスファリフは更に予備に取っていた南方歩兵5000を正面へ投入する伝令を出し、戦線の維持を図る。


 そこへハル率いるシレンティウムの重装騎兵が突入してきた。

 構えた陣から少し斜めに外れた角度から突入してきたシレンティウム重装騎兵は、その重さと突撃力を存分に生かし、あっさりシルーハ本陣の戦列を破り、たちまち3列目まで達した。


「おお!?こりゃたまらん!…騎兵にすぐ側面を突くように言えっ!」


 その勢いを見て、戯けを含みつつも珍しく焦った声を出したアスファリフは直ぐさま配置しなおした騎兵に命令を出す。

 突撃の勢いを減じたシレンティウム側が一旦距離を取ったところにシルーハ騎兵が現われた。

 ほっと安堵したのも束の間、今度は壊滅した正面の重装歩兵傭兵が本陣へと雪崩れ込み、たちまち混乱が広がる。


「おらあっ!しっかりしろ!てめえらっ、びびってんんじゃねえよ!!まだ負けてねえぞっ立て直せっ!!」


 アスファリフは黒の聖剣を振りかざし、潰走していた重装歩兵傭兵をどやしつけてる。

 アスファリフの声を聞き、若干北方軍団兵から離れた事もあって敗走しようとしていた重装歩兵傭兵の目に生気が戻ってきた。


「よおし、それで良いんだっ!陣を組み直せ!!槍を失ったヤツは本陣へまわれ!」


 迫る北方軍団兵を南方歩兵が一瞬食止める時間を使い、素早く陣を構え直すアスファリフは更に予備の最後、南方歩兵5000を本陣の正面へと配置し直した。


「…なんだ、結局こっちの左翼もやられたかよ…やっぱ南方歩兵は駄目だなあ」


 ぼやいたアスファリフの視線の先には、アルトリウス軍団の援護を受けて持ち直した第23軍団が折角投入した2万もの南方歩兵を押し戻している姿があった。

 いくらアルトリウス軍団の援護を受けたとは言え、自分達の半分以下である1万に達しない敵を押え込めない南方歩兵にアスファリフは思わずため息をつく。


「全く、まさかやられちまうとは…ここいらが引き際か」


 アスファリフは素早く周囲の地図を思い浮かべ、最近陥落させたばかりの砦や小都市をいくつか思い描く。

 そしてその中でも海岸に近い一つの小都市を思い出した。


「…あそこなら何とかなるな…よし」





シレンティウム軍騎兵団


「またスイリウスさんに助けられましたね」

『うむ、戦術に幅が出来たという意味ではそうであるな、全くたいしたものである』


 現われたシルーハ騎兵に対するため、戦列を組み直しながらハルが言うとアルトリウスが重々しく頷きながら相づちを打つ。

 シレンティウム側の右翼もそのスイリウスの発明による連射式弩で持ち直し、南方歩兵を押し返した。

 連射式弩は故障が多いのが難点ではあるが、何とか戦争前に数を揃える事が出来たので持ち込む事にしたのである。

 山越えやシルーハ領踏破、それにユリアルス攻めなどで素早さが求められた今回の戦いに重量がありかさばる上に取り回しの不自由な重兵器や火炎放射器は帯同出来ず、その穴を幾ばくなりとも埋める目的で開発され、持ち込まれた連射式弩はその威力を十分に発揮したのであった。


「このまま敵騎兵を撃破して押し込みます!」

『うむ!だが油断はするでないぞ?』


 ハルの言葉に勝利を確信して言うアルトリウスの顔には笑みが少し浮かんでいる。

ハルは再び現われたシルーハ騎兵に騎兵団を指向させると、一気に突撃を掛けた。

 対するシルーハ騎兵も負けじと突撃を始め、たちまちその中間地点での激突が開始される。

 勢いはシレンティウム騎兵にあるが、数は未だシルーハ騎兵が勝っており、こちらも混戦での膠着状態となる。

 また正面はシルーハ軍本陣手前で敗走してきた重装歩兵傭兵が立ち直ったとは言え、すぐ間近に北方軍団兵が迫っており、シレンティウム側の弓矢や手投げ矢の攻撃を受け始めている。

 そして、本陣正面に僅かな空白が生まれた。

 左翼の南方歩兵がついに潰走を始め、正面へ投入した南方歩兵が敗退したのを尻目に、アスファリフは決断を下す。

 本陣の右方で始まった騎兵同士の衝突が激しくなり、シレンティウム軍の中にシルーハ軍本陣へ目の向いている者がいない事を見て取ったアスファリフの目がきらりと輝いた。


「今だ!前面突破!」


 アスファリフの命令で、本陣に集まっていたシルーハ軍の残軍が一気に右翼方向へとかけ始め、騎兵同士が衝突している戦場へと雪崩れ込んだ。


「なっ!?」


 驚愕するハルを余所にシルーハ軍は騎兵の横合いに突っ込み、たちまち混戦が乱戦へと変わってしまう。


「行け!脱出だっ!!騎兵は先行!歩兵は後続しろっ、走って走って走りまくれっ、足が止まったら最後だぞっ!!」


 アスファリフがそう叫んで兵士達を鼓舞し、そして行掛けの駄賃とばかりにハルへ黒の聖剣で斬りかかる。


「うわっ!?」


 がいんっっ


 慌てて背中に鞘ごとくくりつけてある白の聖剣を抜いて受け止めたハルに、アスファリフが凄みのある笑みを向けた。


「ははは、今日は一杯食わされたが、この次はこうはいかないぜ!」


 白の聖剣と黒の聖剣が激しく数度ぶつかり、その度に黒い煙と白い光が生じる。

 その剣を見たアルトリウスが驚き、ハルの肩からアスファリフへ声を掛けた。


『ぬうっ!アスファリフとやら…その剣、どこで手に入れた!』

「あん?…おおっ?小さいな!気付かなかったぞ。あんた、守護神になったとか言う、何もさせて貰えなかった英雄アルトリウスだな?」


 ハルと鍔迫り合いを演じながら、僅かに驚き、そして笑みを自分に向けるアスファリフに、アルトリウスは怒りの声を返す。


『その名で呼ぶので無いわ!自分で言うのは良いが他人に言われると腹が立つのであるっ…それより質問に答えよ!』

「わははは、あんたはリキニウスより面白みがあるな!まあ良い、今日は見逃してやるっ、さらばだ!」

『待て!』


 アルトリウスの制止やハルの剣撃をものともせず、アスファリフはくるりと器用に馬首と剣を返して脱出するシルーハ騎兵に紛れてしまった。

あっという間に脱出してしまったアスファリフに、ハルは一瞬呆然とするが、未だ残って抵抗を続ける南方歩兵に気付き、直ぐさま指示を下した。


「残敵を掃討しろ、敵の本軍は追わなくて良い!」


 その命令を受けて南方歩兵に襲いかかる北方軍団兵を眺めつつ、アルトリウスがハルの肩で腕を組みながら言う。


『ううむ、本隊を逃してしまったか…』

「…ええ、厳しい戦いでしたし、敵の方が疲弊をしていたとはいえ数も随分多かったのですから仕方ありません」

『確かに、しかしこれでは不完全であるな、シルーハ軍は十分余力を残しているのである。もう一度叩いておかなくては安心して帝都へ向かえぬのである』




 2週間後、海沿いの小都市



 リーメシア州に所属していたその都市は帝国風の大理石造りの小さいながらも美しい港町であったが、コロニア・リーメシア攻囲戦の最中シルーハ軍の別働隊によって陥落し、焼き討たれてしまった。

 街は3日3晩燃え続け、その煙の筋ははるか遠く、コロニア・リーメシアの城壁からも見る事が出来たほどである。

 そうして戦争の犠牲になった街であるが、現在は無人となったその小都市に4万弱のシルーハ軍が集まっていた。

 そしてその小都市の外側をシレンティウム軍が包囲している。



 港にほど近い本陣を構えた建物でアスファリフは少し憔悴した顔を部屋に入って来た斥候頭へと向けた。


「…来たか?」

「はい、間もなくです」

「ははは、まさかこんな展開になるとはなあ…まあ、仕方ねえっちゃ仕方ねえ」


アスファリフが港を見下ろせる窓へ近づくと、水平線に近い場所、遙か遠くに白い帆が見えた。

 シルーハが用意した脱出用の船舶である。

 シルーハの商船団に、アスファリフが繋ぎを作っていたセトリア内海の海賊達も含まれているその船団は続々と現れ、どんどんと近づいてきた。

 そしてすべるような速度で港に近づくと、停泊を始める。

 岸壁にはシルーハ騎兵と南方歩兵が並んで乗船を待っていた。

 シルーハの正規軍の乗船と撤退が終われば、今度は傭兵達が乗船する事になっているが、これからの身の振り方を考えてアスファリフは暗澹たる気持ちになる。


「あ~あ、金払いの良かった将軍職はクビになっちまったしなあ、まあ敗戦の生け贄にされるよかましだがね」

「…しかし、契約金を返せとは、シルーハは今後傭兵を雇いにくくなるでしょうな」


 壁により掛かって撤退の様子を眺め、そう愚痴ったアスファリフに斥候頭が答えた。

 作戦失敗の責任を問い、シルーハはアスファリフに違約金の支払いを求めてきたのである。

 戦争に勝てるかどうかは多分に運を含んでおり、いかな傭兵と雖もそこまでは面倒を見切れない。

 傭兵に払うお金は兵を雇う事に対しての契約金であり、支払いである。

 戦争に勝つ事までは本来契約に含まれていないのだ。

 その常識を破れば今後シルーハの呼びかけに応じる傭兵は減るだろう。


「…まあ、もう戦争する気無いんじゃナイのかね?…尤も金を返す気は無いぜ、死んだ傭兵達もたくさんいる、家族に金をやらなきゃならんからな」


 アスファリフの言葉に頷く斥候頭。


「まあいずれにしても戦いには負けてしまったさ、あの帝国相手にして良くやった方だとは思うが、まあ、負けっちまえば何にもならねえ。一旦出直しだな」

「…それは仕方ありません。我々は評判第1ですから」

「違いない!その評判がどうなるかはしばらくたってみないと分からんが」


 斥候頭の言葉に破顔するアスファリフに、別の部将が声を掛けた。


「将軍はどうされるのですか?」

「あん?どうもしないがシルーハにゃ戻れねえからな、西方諸国にでも行くか」


 今回雇った兵士達も大半が西方諸国の傭兵達である。

死んだ傭兵達の家族に弔慰金の名目で契約金を渡してやらなければならない。

 そして目標も出来た。


「再戦出来るようにどこかへ渡りを付けておくか…それとも1個国を手に入れちまうかな…西方諸国あたりなら何とかなりそうだが」

「そうですか…では自分達を是非お連れ下さい」


 アスファリフがつぶやいているとその言葉を漏れ聞いた斥候頭が声をかける。

 その言葉を聞いたアスファリフは周囲に居並ぶ部将達を見て不敵に笑った。


「…ははは、そうか、イイね、じゃあ行くか!」


 包囲しているシレンティウム軍は攻めてこない。

 恐らく撤退を察知しているはずだが、帝国領内からいなくなれば良いと考えているのだろう、対戦前の顔合わせでハルがそう言っていたのを思い出すアスファリフ。

 撤退は順調に進み、シルーハの正規兵達は商船に乗り込み終え、次いで傭兵達が海賊船へ乗り込み始めていた。

 アスファリフは自分達も乗船するべく本陣として使っていた部屋を後にし、岸壁へ向かう。

 その後方には斥候頭を始めとした歴戦の傭兵部将達が続いている。


「次は負けないぜ辺境護民官!」


 船に乗り込んだアスファリフは、遠くで陣を張っているシレンティウム軍に向かって拳を衝き上げるのだった。




 セトリア内海沿いの小都市郊外、シレンティウム軍本陣


『去ったか』

「ええ、滞りなく撤退していったようです」


アスファリフ率いるシルーハ軍を破ったシレンティウム軍は戦場掃除を終えると直ちに追撃へと移った。

 しかし、余力を十分残しているシルーハ軍に無闇にかかっていくような事はせず、慎重に後を追い、そしてシルーハ軍が落ちた小都市へ入るのを見計らって包囲したのである。

 アスファリフが見抜いたとおり、ハルは撤退すれば都市を攻める事も無いと考え今まで待っていたのだ。


『うむ、これで取り敢えず帝都のあほ貴族共に対抗出来るようになったのであるな』

「ええ、シルーハとの正式な講和はまだですが…最早盛り返すほどの力は無いでしょう、恐らくアスファリフ将軍も罷免されるでしょうし」


 最後の船が桟橋から離れるのを見送り、ハルは肩のアルトリウスに答える。

 最後の船の船縁にアスファリフだろう、拳を衝き上げている部将がいるのが見える。


『ふん、負け惜しみか…はたまた再戦の申し込みか?』

「…出来ればもうやりたくありませんね」


 ハルがしみじみと言った。

 今回の戦いでは第23軍団を中心に結成以来初めて多数の死傷者を出したシレンティウム軍。

 特に第23軍団は大損害を受けており、ベリウス指揮の下、他の軍団の負傷兵と共に一旦シレンティウムへ送り返す事が決まっていた。

 アルトリウスはしばらく無言で桟橋から離れていく船を見送っていたが、その姿がぼつぼつと水平線に消え始めると徐に口を開く。


『あ奴とは当分戦わずに済むであろうが、今度はあほ貴族共である』

「帝都に立て籠もられては厄介ですが…」

『それは心配なかろう、敵は有象無象とは言え10万の大軍である。恐らく我等を侮って野戦に打って出てくるのである』


アルトリウスの言葉に大きく頷きハルが言葉を発した。


「そうであれば…アダマンティウスさんの応援も間もなくですから、取り敢えずは何とかなりそうですが」


 アダマンティウスはコロニア・メリディエトでの戦勝を受け、帝国軍の残軍と共に既にハルと合流すべく移動しているとの報告が届いていた。

 それによるとシレンティウム軍の第22軍団と工兵団5千の合計1万2千、それに帝国軍3個軍団の残軍1万2千余りが南下してきているのだ。


『後は帝都の様子とユリアヌスとやらが何処で何をしているのかであるな』

「一応、連絡を取って貰ってはいますが…」


 ハルの言うとおり、ユリアヌスに対してはシレンティウム側からも越境許可の関係があって何度か連絡を取ろうと試みていたが未だ果たせていない。

 遠いセトリア内海西岸にて作戦行動中であった事は知れているが、その後の連絡が取れないのだ。


『いずれにせよ、あほ貴族共を討ち破らねばならん、一旦コロニア・リーメシアで休息を取り、策を練らねばならぬのである』

「分かりました…では、転進!」


 ハルの号令でシレンティウム軍は攻囲を解き、反転してコロニア・リーメシアへと向かった。


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