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第16章 戦乱の風 帝国東部諸州篇

 コロニア・メリディエト、市長室


 アダマンティウスは伝送石通信でハルが無事シルーハ領へ侵攻した知らせを受けて満足そうな笑みを浮かべたが、次いで帝国側の城門にある執務室の外に厳しい視線を向けた。

 その眼下には、アスファリフ率いるシルーハ軍に敗れ、退却してきた帝国軍3個軍団の残余が集結していた。

 数こそ大きく減じてはいるものの統制はきっちり取れており、コロニア・メリディエト市への入城を求めて整列しているが、強引に押し通ろうとする様子はない。

 しかしながらアダマンティウスはその入市を断わり、指揮官のみが来市するように通知をしていたが、未だ返事が無い。

 帝国軍としてはこのコロニア・メリディエトに立て籠もり、シルーハ軍が帝都に進出するのを牽制したいのだろうが、ここは最早帝国とは異なる地となりつつある、シレンティウム同盟辺境護民官領であるのだ、かつての同僚とは言えおいそれと帝国軍を入れるわけには行かない。

 アダマンティウスが視線を執務室の外へと向けていると、背後にあたる扉から声が掛かった。


「アダマンティウス市長、帝国軍のロングス第1軍団軍団長が面会を求めて南門に来ておりますが」

「…来たか」

「はい、ロングス軍団長と2名の軍団長が副官を伴って城門前へ来ております」

「そうか、軍団長達は市へ入れ、ここへ案内せよ。しかし兵士は都市の中には入れないように。かつては帝国の関所だったとは言え、今やコロニア・メリディエトは辺境護民官の管轄する市だ、疲れている帝国兵には悪いが郊外に野営をして貰うように手配せよ…その為の資材や食糧は与えて良い」

「了解しました」


 伝令兵が自分の命令を持ち帰ると、アダマンティウスは執務室にいた2名の人間に向かって口を開いた。


「さて、ロングスか…些か頭の固いところはあったが、手堅い用兵で定評があったはずだが、何の用があるのか…」

「まあ、普通に考えれば一時的な兵の保護と食糧や燃料の提供と言ったところですが、いくら辺境護民官の管轄市とはいえ、それぐらいの用件であれば副総司令官に次ぐ地位にある第1軍団長自ら出向くまでも無い事です。他に意図があるかもしれません」


 アダマンティウスの言葉に応えたのは、シレンティウムで守備隊の指揮を執っているはずのクイントゥス。

 その姿はアダマンティウスも同様であるが軍装であり、剣を既に帯び、いつでも出陣できる準備が整っている。


「その他の意図というものが問題だ…果たして何を要求するのか…」

「私が同席しても良いのですかね?」


 アダマンティウスがそうつぶやくと、もう1人の人物、こちらも軍装に身を包んだ小クィンキナトゥス卿が尋ねる。

 その姿はシレンティウムで農作業をしていた時の者とは一変しており、表情も打って変わって厳しいものを含んでいた。

 小クィンキナトゥス卿の言葉に、アダマンティウスは僅かに頷きつつ答える。


「構いません、むしろこちらからお願いしたい」

「分かりました、帝国軍相手であれば、私のささやかな肩書きも通じるでしょうからね」


 小クィンキナトゥス卿が答えると、アダマンティウスは次いで視線をその横のクィントゥスへ向ける。


「クイントゥス、その方も同席せよ」

「分かりました」

「うむ、では、まず話を聞くとしよう。それからこちらの提案を呑ませなければな」


 クイントゥスの返事を聞き、アダマンティウスは表情を改めて机の文書を見遣りながら椅子に座り直すのだった。





 帝都、市民街区


「や、やめてくれっ」

「うるっせえっ、おらっ!どけっこのカスが!!」


 怒声と共に槍の石突で雑貨店の店主が腹を突き倒されて血反吐を吐き、またその隣では店を庇おうとした女将が数人のごろつき共に暗がりへと連れ込まれていた。

 食料品を主とする棚の商品は既に鎧兜を身に纏ってはいるがごろつきとしか言いようのない連中に食い荒らされ、破壊され、更には商品を持ち去られて惨状を晒している。

 それを買い物に来た市民達は遠巻きに震えながら見ているばかりであり、とても助けにいけるような雰囲気では無い。


 その後ろには騎乗したごろつきが数名控えており、にやにやと悲鳴を上げる女将を眺め、死にかけている店主が痙攣している様子を見て爆笑していた。


 再び悲鳴が上がるが、それはこの場所だけでは無いのだ。

 あちこちで怒号と悲鳴、叫び声に泣声が交錯していた。

 大通りのあちこちで同様の光景が繰り広げられ、帝都はかつての活況と平和さもどこへやら、まるで山賊か蛮族に占拠されたかのような暴力と略奪が支配するすさまじいものとなっていたのだ。



 ヴァンデウスは領地から召集してきた私兵を率い、帝都の大通りを我が物顔で闊歩していた。

 かつてアキルシウスという治安官吏に叩きのめされた時に付いた身体と心の傷もすっかり癒え、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてヴァンデウスは悦に入り、周囲を眺め回す。


 今や軍総司令官の地位にある自分に逆らう者は帝都にいないのだ。


 ヴァンデウスが貴族の権威を笠に着て威張り散らすことを敢えてせずとも、その意図を汲んだ獰猛な私兵達が帝都市民達を威嚇し、あるいは理由無く叩き伏せる。

 怯えて逃げ惑う帝都市民達を腹の底からの笑声で眺めるヴァンデウスの顔はこれ以上無く満足感に満ちていた。

 父親であるルシーリウス卿は、息子の能力よりも身内での権力独占を狙ってこの人事を通したが、それは帝都市民にとって最悪の結果を生んでしまうことになったのである。

 ルシーリウス家やその他の貴族派貴族が帝都へ引き連れてきた私兵達は、統制も訓練も無く、また自制心や順法精神などを持ち合わせていない無頼集団であり、帝都中で乱暴狼藉の限りを尽くした。

 その数は帝都市民百万に比べればせいぜい10万程度であり、また正規の訓練など受けたことも無いやくざ者が大半である。

 しかしその10万の無頼が帝都に雪崩れ込んだことで街の様相は一変したのだった。



 領地とは言ってもルシーリウス家の領地は広いし、色んな者が住んでいる。

 盗賊、山賊、ごろつき、ちんぴら、色んな言い方があるが、そんな者も大勢いる。

 かつては退役兵などにその統制をさせていたが、決してその待遇が良いとはいえず、集まってくる退役兵も半端者が多くなってしまうのは自明の理であった。

 ルシーリウス家では私兵は一種の暴力者集団として割り切って考えており、帝国軍のような規律や品行を求めてはいないので、実力はあるがその領地内でも忌み嫌われているのが実状で、治安は主に彼らが維持していたが、その治安を乱しているのも主に彼らであるのだ。

 そんな悲惨な者達が帝都に乗り込んできた。


 帝都は暴力を日常の生業としている者達特有の陰惨さと容赦無さが遺憾なく発揮される情勢下となり、それを取り締まるはずの治安官吏達は無力化されているため、市民を守る者は無く、すさまじい暴力と無秩序の嵐が吹き荒れる事となった。

 治安官吏に代わって詰所に屯するその無頼集団がやることは、警邏の代わりの略奪。

 放火こそしないものの、目に入った市民を掠って慰み物にするだけに飽き足らず、家へ乗り込んで破壊の限りを尽くすなど正にやりたい放題であった。

 盗人に鍵を預けるを地で行く様相に、帝都の治安と雰囲気は一気に悪化し、私兵達による帝都市民への略奪暴動が頻発する中、帝都市民はひたすら情勢の好転を願って身を縮めている外なくなったのである。




 シルーハ王国首都、パルテオン・施政評議会


 壮麗な王宮とは対照的に、質素な黄色い日干し煉瓦で作られたシルーハの施政評議会会館は、街の交通の便が最も良い場所に立地はしているものの、その造りからはとてもこの国を左右する者達が集う場所とは思えないものであった。

 この地域に国が成立するより早く、周辺の10都市に基盤を持つ大規模商人達が都市間交易の利害調整を図る場として設けられた商人組合が前身である。

 そして組合は交易路の安全確保を目指し国を造り上げた。

街から道、道から周辺地域、周辺地域から地方へと次第に勢力を広げ、気が付いた時にはセトリア内海東岸で威を張る大国になっていたのである。

 その組合議場が設けられたオアシスを基礎に発展したパルテオン市であるが、名目上の王が置かれるようになってからはより一層発展する。

 しかし古よりこの地域を動かしてきたのは王では無く、10人衆と称される大規模商人を頂点とした商人達。


 そして商業利益の拡大を目指すのがこの国の本質である。


 表向きの王はセトリア内海地域の覇権確立を目指していると標榜しているが、彼に力は無い。

 この国を真の意味で動かしている商人達が欲しいのはセトリア内海沿岸地域の覇権では無く、商権と商圏。

 ある意味覇権とは似て非なるものを目指しているのがシルーハの商人達であるのだ。


 その簡素な、しかし不思議な威圧感のある建物に集まった10人の商人達は、いずれも一廉の実力を持つシルーハの大商人達である。

 代替わりや、その時代に応じた実力を持つ者との交代を繰り返しつつも、10人の枠は変わらず維持されてきた。


 豪華さとは無縁の会議室。


 しかし床に敷かれた地味な織物は帝都では富裕貴族以外はとても手の出ない豪華なシルーハ織物である。

 また部屋に設えられている調度品はどれも絢爛さは無いが、品の良い高級品で統一されており、用意された飲食物も白糖や高級な素材をふんだんに使用した一級品ばかり。

 その床へ直に座るのはいずれも豪奢なシルーハの前袷の衣服に身を包み、立派な髭を蓄えた男達であった。




「街道沿いの砦や街が次々と落とされている…東照は本気だ!」

「…ルグーサの辺境護民官軍も不穏な動きを見せている…先程街道沿いの狼煙台が南下を知らせる煙を上げた。しかし途中で途切れた…」

「辺境護民官軍は既にルグーサから南へ出発したようだ…」

「なんと!目指すのはここしか無いではないかっ」

「だろうな、ルグーサ郊外の砦も軒並み落とされた、今頃は本格的な出陣準備中だろう。動きを見る限り東照と連携していることは間違いない」

「…商売が繋いだ縁か?はっ、こっちはお陰で大損だ!!」

「…些か東照を虐めすぎたきらいはあったが、まあ、しかたあるまいよ」


「…首都守備隊長は、東照と辺境護民官が一緒に攻め寄せた場合は、1週間保たないと言っているのじゃろう?」

「しかし、それは籠城すれば良いと言うことだろう?籠城は商売に差し支えるのであまりやりたく無いが…」

「命に代えられん。生きていれば損も取り戻せる。死んでしまっては商売も出来ん」

「いかにも!」


「しかしまずいな、まさか北の辺境都市にここまでしてやられてしまうとは…商売と言い、戦争と言い、あそこには損させられてばかりだ」

「そもそもあの都市が興らなければ大金を使ってまでやる必要の無かった戦争だ、全く、目の上の瘤とは正にあの都市のことだなっ」

「あの都市が無ければ今まで通り東照も損を承知で我々と商売を続けなければいかんからのう…全くもって邪魔な蛮人どもじゃ!」


「邪魔と言えば…東照の黎盛行め、あの狸親父!」

「まさかあの衰えた東照がここまでするとは予想の範囲を越えていたな…」

「あ奴めは衰えた本国とは対照的に、西方府を繁栄に導いておる。侮れんわい…尤も今回の行動はわしも予想は出来なんだがな…」


「…アスファリフを呼び戻す他あるまい、あ奴に預けた軍があれば辺境護民官と東照も打ち破れよう」

「…しかし、間に合うのか?北の街道は辺境護民官が塞いでしまっている、伝送石通信も南回りだけだ」

「それでもやむを得まい、我々ははっきり言って滅びの瀬戸際にいるのだぞ?このまま手を拱いているわけにもいかないのだ。ティオンを通じ、ユリアルスへ早馬を飛ばすか、海路を使う他無いだろう」

「それ以外に無いか…」

「ないじゃろう…」


「いざとなれば、古来からの計画通り、王には死んで貰う」

「ああ、その為に我々の国に敢えて置いた王だ、ようやく役に立つ時が来たのかもしれんな」

「…そして我々は生き残ると、そう言うわけじゃな」

「はは、シルーハの本質はここ施政評議会の10人衆にあるのだからな、当然だろう。国や王が代わろうとも我々は変わらない。たとえこの地が帝国の一部となろうとも、だ」

「…では、万が一の時は…」

「…もちろんだ」


「しかし、戦がここに及ぶのは出来るだけ避けたい。アスファリフを早急に呼び戻そう」

「ああ、そうだな」

「では…一刻も早い通商の回復を願い、帝国と東照を討ち破るため、アスファリフを召還しよう」


「異議無し」

「うむ賛意を示す」

「同じく」

「同意」

「同意は当然じゃな、仕方あるまい」

「同意する」

「賛成だ」

「ま、そうだな、賛成だ」

「やむを得まい、賛同しようぞ」


「では…合意によりアスファリフを召還し、辺境護民官と東照へ充てる事とする…皆に等しく利のもたらされんことを!」





 コロニア・リーメシア郊外



「あ~面倒くせえな…畜生、攻城戦かよ…」


アスファリフ率いるシルーハ軍は、帝国軍をポータ河畔で討ち破った後、早速そこから東進してコロニア・リーメシアを取り囲んだ。

 コロニア・リーメシアには帝国軍第3軍団の敗残兵達が約3000余り逃れてきており、市長であるパーンサの手で都市守備兵に組み込まれている。

 総勢5000名余りの帝国兵による市の守りは固く、また山越えを考慮して攻城戦装備をしてこなかったアスファリフにとってはなかなかに攻め難い状況であった。

 まともな城壁も無い港町、ポゥトルス・リーメスは既に陥落させてあるが、ここコロニア・リーメシアを落としておかなければリーメシア州での拠点が確保出来ない。

 一応、アスファリフはポゥトルス・リーメスが使えるようになったので、シルーハ本国へ重兵器や攻城戦具の輸送を依頼したが、間に合うかどうかは微妙なところであった。

 アスファリフは主力でコロニア・リーメシアを包囲して攻め立てると共に、周辺の町や村へは分遣隊を派遣して攻め落とし、また食糧などを略奪して自軍の物資確保に努めると共に、コロニア・リーメシアへその際の戦果や煙を見せて孤立感を誘う作戦に出る。

 日増しに増える焼き討たれた周辺の町や村の煙の筋に、コロニア・リーメシアの市民は不安を募らせ、兵士達は士気を削がれており、動揺が広がっていた。

 しかも、コロニア・リーメシアへ新しく入ってきた知らせは帝都から出陣した帝国軍がポータ河畔で敗れてしまったというもの。

 これで援軍の望みは絶たれたのだ。




「…ここで開城したところで事態が好転するとは思えない、ましてや一旦は抵抗しているのだ、略奪だけでは済まないだろう」


 苦渋の表情で言葉を絞り出すパーンサ市長に、都市参事会議員や守備隊長達も言葉が無い。

 市長の言うとおり、召集兵と傭兵が主体であるシルーハ軍に容赦が有るとは思えないのだ。

 召集兵はそもそもが貧しい者達であり、自分達が略奪されたり虐げられたりすることに慣れてはいるものの、その経験を持って手心を加えるなどと言うことは無い。

 得てしてそういう立場にある者達ほど暴走した時は歯止めが利かないものだ。

 傭兵などは言うまでも無く、略奪のプロである。

 奪うのが生業であり本道である者達に、容赦などと言う言葉は存在し得ない。

 そんな者達に都市を差し出せばどのような憂き目に遭うか、煙の筋を数えるまでも無いことで、パーンサ市長は降伏という選択をするつもりは無かった。

 それに、パーンサ市長はある手紙をアダマンティウスへ送ることに成功していた。


「たとえ敗れようともここで降伏はしない、まだ物資もあるし、アダマンティウス将軍を通じて要請を送った北の護民官が動くかもしれない、諦めるのは早いと思う」

「しかし…本来州総督で無ければ送れない越境要請を私たちで送って良かったのか…?それにその事を知っている辺境護民官が動くかどうか…違法な要請で動けば辺境護民官も罰せられるだろう。そう思えば動かないかもしれない…」


都市参事会議員がぽつりと言うが、パーンサ市長は努めて明るく言った。


「それは信じるしかない…虫が良すぎるかもしれないが、それ以外に道はないだろう?」

「………」


 パーンサの言葉が正しいことを沈黙で示した都市参事会議員へ、再びパーンサが口を開いた。


「越権行為とは言えこの非常時、責任は私が取るから心配しなくて良い」

「…それは…いや、責任は全員で被るべきだ」




 本来ここリーメシア州の総督代でしかないパーンサに辺境護民官へ救援要請を送ることは出来ない。

 その権限はあくまで州総督の権限であり、また州総督の要請でなされなければならないからであるが、パーンサはシルーハ軍が国境を突破した時点でこの要請の準備を始めた。

 そしていよいよ都市が包囲される段階になって、この要請をアダマンティウスの下へと送ったのだ。

 北の護民官が動いてくれるかどうかは賭けのようなもので、ましてや正式な要請とは言えないパーンサからの要請を受け、果たしてどう判断するかは神のみぞ知るといったところであったが、出来る限りのことはしなければという思いが彼の越権行為を後押ししたのである。


「帝国軍が南方とポータ河畔で敗れた以上、最早望みは北の護民官以外にない」

「…致し方ありません、いずれにせよ今私たちに出来るのは待つことだけです」


 守備隊長の暗い言葉に頷くパーンサであった。


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