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第16章 戦乱の風 東部山塊越(その1)

前話の最後、元老院での皇帝とルシーリウス卿の遣り取りを追記しました。

宜しくお願いします。

 アルマール族の城邑、ヘオン


 鎧兜を身に着けたグーシンドは、最近改修したばかりの帝国方式で建造された城壁の上を歩いて敵を見渡していた。

 1年前までは木造の壁であったヘオンの城壁であるが、グーシンドが早めに申請を出していたせいもあって街並みと一緒に帝国からやって来た技師の指導の下、石造りへと転換が進んでいたのである。

 城壁、街路、下水道が整備され、これから上水道を整備するという段階で水道橋の建設を始めた矢先、山岳を越えてシルーハの軍勢が進軍を開始したとの一報が入ってきたのだ。

 シルーハ側に“あの”ダンフォード王子がいることは掴んでいたし、それをシレンティウムにも報告していたグーシンドは戦時体制を取っていたこともあって素早く籠城を実施するとシレンティウムへ一報を送る。

 もう間もなくシルーハ軍が峠を越える。

 戦いは間近に迫っていた。



 アルマール族は元々帝国に好意的であったこともあって、文化の導入が早く進み、今やその居住地域の文化的発展は帝国の辺境地方と変わらない水準にまで達していた。

 農業、鉱工業、製造業、商業がここ数年で格段の進歩を遂げ、貨幣の浸透で経済活動が活発化し、更には部族戦士達がほぼ全員帝国風の戦法を身に付け北方軍団兵となった。

 グーシンドが率いるヘオンの戦士達1000名も、帝国風の鎧兜を装備し、その戦法をシレンティウムで身に付けた北方軍団兵である。

 その北方軍団兵を率いてヘオンに立て籠もっているグーシンドが言われたのは、出来るだけ敵を攻撃しないでおくこと。

 ヘオンへ間近に迫った時だけ反撃するようにとハルから言われているのだ。


「さて、アキルシウス殿のお手並み拝見と行きますか…」


 残念ながら招集部族からは外れていたので、イネオン河畔の戦いには参加出来なかったグーシンドは、今日の戦いでハルがどのような作戦の妙を見せるのか楽しみにしているのである。

 それは配下の兵士達も同じ。


「あ、見えました…シルーハ軍です!」


 見張りの兵が槍で示す先には、雑然と行進してくるシルーハの南方歩兵達が見え始めていた。





一方シルーハ軍を率いるダンフォードは、アルトリウスの首の指示に戸惑っていた。


『…様子がおかしい、進軍を止めよ』

「ああ、何言ってる?もうすぐヘオンだぞ?すぐに攻囲戦に移るんじゃ無かったのか?」


 首の言葉に不満たらたらのダンフォードが態度悪く答えるが、アルトリウスの首はいつものような説教をせず、深刻そうな声を響かせる。


『うむ、そのつもりであったが、些か様子がおかしい、様子を見ようぞ』

「馬鹿言え、早く占拠しないとシレンティウムの援軍が来るから、何よりも優先してヘオンを落とせと言ったのはお前だろう?」

『…状況が変われば作戦も変わる、それこそ危険となれば退くことも考えねばならん』


 ダンフォードのうんざりしたような声にもめげず、アルトリウスの首は再度注意を促し進軍を止めるよう提案するが、ダンフォードは唇をかみしめ、震える小さな声で言った。


「…絶対それは無いぞ、もう俺には後が無いんだ」


 再三に渡る忠告に耳を貸さないダンフォードに、それでもなおしつこく進軍を止めるよう言い続けるアルトリウスの首に、とうとうダンフォードの短い堪忍袋の緒が切れた。


「うるさい!黙ってろっ!!」

『………』


 そしてもう間もなくヘオンの郊外に出るという場所。

 その森が途切れる寸前の場所でアルトリウスの首が諦めの声を響かせた。


『…遅かったか』

「ん?何だ?」


 それまでと違った様子の首の声に怪訝な表情で振り返るダンフォード。


『…だから進軍を止めよと言ったであろうが…』


 自分の忠告を全く聞き入れようとしなかったダンフォードへ揶揄する様な声を出すアルトリウスの首の声の響きが消えるかどうかと言うところで、突如森から喊声が上がった。

 次々と森の中から矢が驚き慌てふためくダンフォード軍の戦列に降り注ぎ、弩の直線的な矢が兵の鎧や盾を食い破る。


 そして森の中から周辺の草木を兜に仕込んだ北方軍団兵が湧くように現われた。


「な、なんだと!?」

『ぬかったわ…まさかこちらへ辺境護民官が主力を向けてくるとは…これは見抜けん。ダンフォードよ、退け、今は退いて峠で体勢を立て直すのである』

「ああっ!?なんだこらっ!そんなこと今更できるか、ぼけっ!」

『ぼ、ぼけとは…随分な…おわっ!?』


 収められている箱を放り出され、味方のフリード戦士やフリンク戦士を率いて前へ出るダンフォードの姿を見送りながらアルトリウスの首が歎息する。


『うぬ…我が怨嗟の志もこれまでか…』


 気配で後方にも敵が回り込み始めたことを察し、アルトリウスの首はつぶやくような声を響かせた後は沈黙した。

 南方歩兵は突如現れた北方軍団兵に驚き慌て、反撃することも出来ずに右往左往して矢や弩に身体を次から次へと撃ち抜かれて絶命してゆく。

 破れかぶれになって北方軍団兵に向かってゆく兵士も居るが、槍を跳ね上げられて敢え無く斬捨てられるばかりで効果は全く無い。


 弓と弩の弦が鳴る音、矢の飛翔音、手投げ矢の刃音、そして剣戟の音が混じり始める頃にはもう戦いは決着に向かい始めていた。

 碌に抵抗することすら出来ず南方歩兵1万は全滅し、後はダンフォードの率いるクリフォナムの戦士達が正面の北方軍団兵と切り結んでいるだけである。

 それも横合いから矢を射込まれ、後ろから手投げ矢を撃ち込まれての戦いで、勢いはあるが勝ち目の薄い戦い。

 南方歩兵が全滅すると文字通り包囲されたダンフォード達は、周囲を囲んだ大楯の壁に絶望的な突撃を繰り返すのみ。

 そして次第にその勢いも失われてゆく。


「降伏しろダンフォード!」

「うるさいっ!偽王の言うことになど従うかっ!死ねっ」


 荒い息を吐きつつもダンフォードはハルの降伏勧告に耳を貸さず、近くに落ちていた槍を拾って投げつける。

 しかし槍は力なくその手前で地に落ちた。


「…極力捕らえよ、手に余るようならば討って良い」


 ざざっと距離を詰めて迫る北方軍団兵に、ダンフォードに付いているクリフォナムの戦士達が挑んでは討たれ、血に染まった屍をさらしてゆく。

 ついに残るのはダンフォード王子1人となった。


「……一騎討ちを…一騎討ちをしろっ!」


 見苦しく剣を振り回しつつハルを見据えて叫ぶダンフォードにハルが呆れて言葉を返す。


「かつて父親のそれを汚したお前が言うのか?」


 そう言いつつもハルは一騎討ちに応じるべく前へと出た。

 向き合う2人。


 最初に見えたのは何時のことだったか。

 あれから随分時間が経った。

 その間にダンフォードが起こした事件は、多くは無いがどれも無視出来ない損害を北の地に与えてきたのだ。

 それをここで断ち切らなければいけない。


「お前さえいなければ…クソッタレっ喰らえっ」


 大ぶりの斬撃を繰り出してくるダンフォード。

 ハルはそれをかわし、時には刀で弾いて防ぐ。

 何合目かの打ち合いでダンフォードのそれなりに力の籠った一撃がハルに加えられるとハルは軽くそれを避け、刀の峰でダンフォードの隙だらけの手首を思い切り打ちすえた。

 骨の折れる音が高く響き、ダンフォードが絶叫する。


「捕まえろ」


 刀を油断無く収めつつ、ハルが命令し北方軍団兵が縄で手首を抱えて地面を転げ回っているダンフォードをぐるぐる巻きに縛り上げた。


「畜生おおうううううっ!!!」

「ダンフォード王子、あなたの帰還を待ち望んでいる人がたくさんいる。自分が帰ってくるまで大人しくシレンティウムで待っていて貰いましょうか」

「ぐおおおお、殺してやるううっ」


 絶叫しているダンフォードを素っ気なく見たハルは短く兵士達に命じる。


「……連れて行け」





 シルーハを裏側から破り、ルグーサを落としてシルーハ王国の領土を横断しユリアルス城をシルーハ側から攻めて帝国領へ入るというアルトリウスの戦略に乗ったハルは直ぐさまシレンティウムを4万余の軍で出発しヘオンに向かった。

 途中、ダンフォードが1万程度の軍を率いてルグーサを出発し、北へ進撃し始めたとの報告を楓が送り込んだ陰者から受け取り、ハルはアルトリウスと相談して伏兵をしかけることにしたのである。

 作戦は見事成功、ダンフォード軍は壊滅し、ハルと北の地を悩ませ続けたダンフォードを捕らえた。



 シルーハの軍はほとんどが帝国東部へ進出しており、シルーハの首都パルテオンには1万から2万程度の守備兵しかいない事が商人達の話や東照からの情報で分かっている。

 シルーハが急遽臨時召集を掛けたとしても弱卒の南方歩兵が主体であるし、そもそも農繁期にそれ程多くの兵は召集出来ない。

 しかも今の戦いでその召集兵も撃破した。


 更に後方は東照帝国の黎盛行が4万の東照軍を率いて国境付近まで出張ってくれることになっており、東照軍がシルーハを後方から牽制してハルの後を追わせないようにする作戦である。

 国境を破るわけでは無いし交戦するわけでもないが、東照と仲の良くないシルーハはこの4万の軍を意識して何らかの予防措置を取らざるを得ないであろう。

 残置の軍はシルーハが動かないことを確認した後、シレンティウムからアルトリウス街道でヘオンに運びこまれた補給物資を受け取ってルグーサを放棄し、ユリアルス城へと向かう事になっていた。


 一見綱渡りの作戦であるが、アルトリウスは十分勝算があるとみている。

 それは軍の配置だけでは無くシルーハの政治体制にも弱点がある事を知っているからだ。


『シルーハに王はいるが権限は帝国皇帝以上に無い。あそこの基本は大規模商人の寄り合いであるので、不利になれば必ず意見が割れる、さすればそれだけで国が動かなくなるのだ。また派閥構成が複雑であるので、自前の常備軍がいると力関係がより一層に複雑になるのであるな、故にシルーハは軍を嫌いいつでも切れる傭兵が主体なのである。騎兵は一朝一夕に養成出来ないので多数を擁しておるが、それ以外の兵や将官は召集兵や傭兵が基本なのである。海軍に至っては商船しか無い、それを転用するのであるから軍嫌いも徹底しておるのである』


 アルトリウスは作戦の危険性を指摘した者達にこう解説して納得をさせ、東照と連絡を取って後方の安全確保を依頼したのである。

 しかもこの道順で進めばユリアルス城までは帝国領を通らないため、要請や権限付与が一切必要ないという最大の利点があるのだ。

 その大戦略を組み立てたアルトリウス、実は今回ハルに同行している。

 尤も都市を離れるには制限があるため、アルトリウスは小鳥程度の大きさにまで姿を縮め、ハルの肩に乗って移動していた。

 姿はかつての戦装束であるが、白の聖剣は自分では持てないのでハルが背負っている。


『うむ、この立ち位置もなかなか良いのである』

「…楽してるだけじゃないですか?」


 満足そうに自分の肩で胸を張るアルトリウスに、ハルは見えないながらもその様子を察して文句を言うが、当の本人は悪びれた様子もなく言葉を返した。


『そうとも言うのであるなっ』

「先任…」


 呆れたようなハルの声にアルトリウスは少し笑いを含んだ声で言葉を継いだ。


『ま、お主の嫁に縊り殺されぬようにせねばいかんから、先任としての助言を行うに最も適した場所、と、しておくのである』

「…そうですね」


 アルトリウスが面白そうに言ったのには訳があった。

 アルトリウスが小さくなってハルの肩に乗って移動すると言うことが分かった時、エルレイシアが激しく嫉妬して、ハルが宥めるのに苦労したからである。

 アルトリウスの係を作って、その兵士か将官に運ばせると言う案もあったが、ハルとアルトリウスが離れ離れになる危険性から却下され、最後は結局肩の上へ座ることになったのである。

 エルレイシア曰く「私も肩に載せて貰ったことが無いのです」だそうで、おかげでハルはアルトリウスを肩へ載せる前にエルレイシアを肩へ担いで行政庁舎のバルコニーへ出るという恥ずかしい行為を強要されたのだった。



 ヘオン郊外の戦いに勝利したシレンティウム軍が戦場の後片付けをしていると、アルトリウスがハルをある場所へと誘った。


『ハルヨシよ、ちとあっちへ行ってくれんであるか』

「どうかしましたか?」

『うむ、懐かしいような…それでいて忌むべき感覚がするのである』


 複雑な表情をしているアルトリウスの誘導に従いハルが歩みを進めると、そこには黒い箱が無造作に転がっていた。


『ほう、本体か…久しいな…それも神となったか…ははっ!何たる境遇の違いであることか!』


 黒い箱がアルトリウスと同じ声を感嘆した様子で響かせた。

 驚くハルを余所に、アルトリウスがごく平静に言葉を返す。


『貴様、我の首か?』

『いかにも…我が貴様の身体から落とされた首…帝国に仇為す災厄の首、しかし我の宿り人はお主の良き宿り人に負けたようだな、貴様の勝ちだ』

『宿り人では無い、この者は我の優秀な後輩であるぞ…しかし首よ、勝ちも何も無いであろう。我も貴様もアルトリウス。同じくして生まれながら違った思いを抱いて時を過ごしただけのことである』


 諦念の雰囲気を多分に含んだ首の言葉に、アルトリウスが諭すように応えた。

 しかし首は硬い雰囲気を崩さず声を響かせる。


『違いない…しかしお主らが北の地で繁栄の種を蒔いている時、我がダンフォードと共にあってお主らに災厄と不幸を呼び込み、北の地に混乱と破壊をもたらし、悲しみをまき散らしたのは事実、そうして敵対し、敗れた我を如何にするのであるか?』


 その言葉に、情けない気持ちと怒りの気持ちが混ざった複雑な感情の発露した声色でアルトリウスが答える。


『やはり貴様の入れ知恵か…あの馬鹿王子にそこまでの知恵が回るとも思えなんだのであるがこれでようやく合点がいった』


 確かにアルトリウスの首がもたらした災厄は帝国にこそ及ばなかったが、北の地には十分以上の悲劇と混乱を巻き起こしていた。

 それを自分とかつて同じであったモノが起こしたという事実に、アルトリウスは大きな衝撃を受けたが、その始末は付けなければならない。


『ハルヨシよ…こやつを滅してくれ』

「先任…」

『…自分の責任を免れんとする気持ちは無いが、こやつは我とは全くの別物であるから、気にすることは無いのである。聖剣で突けば一撃であろう…頼む』

「………しかし」


 ためらうハルに首のアルトリウスが声を掛ける。


『……ふふふ、面白い、実に面白いヤツである…!しかし、残念ながら我こそは災厄の首、不幸と呪いを振りまくモノである…然りとてアルトリウスには違いなし、恥も誇りもあるのだ。これ以上惨めな思いをさせてくれるな』

「分かりました…」


 首のアルトリウスが発した言葉でようやく覚悟の決まったハルは、静かに白の聖剣を背中から抜き放つと一気に箱へと突き立てた。

 がつんと固い物が貫かれる音が箱の中からすると同時に、黒い霧がどっと吹き上がり、愉快そうなアルトリウスの声が響き渡った。


『ふあはは、我の無念果たせずっ…しかし晴れやかな気持ちである!』


 黒い霧は一気に渦を巻くと色を黒から金色に変え、一筋の光となって天へと消えた。

 そして、残った小さな光る玉がアルトリウスの小さな身体に吸い込まれると同時に、 一瞬、強い光がアルトリウスの姿を見えなくする。

 ハルが眩しさに負けてつぶっていた目を開くと、その前に浮かぶアルトリウスの姿があった。

 心なしか色合いが濃くなったようだ。


『済まぬな…我の不始末、詫びの言葉も無いのである…』

「先任の思いは分かっているつもりです…あの時のような、先任のような悲しい思いを抱く人が出ないようにしたいですね」


 そう話す2人の周囲に、戦場掃除をしていた北方軍団兵達が集まってきた。

 アルトリウスの首が昇天した時の光を見て不審に思ったのだろう。


『ふふ、そうであるな…では何としても此度の戦を上手く終わらさなければいかん』

「はい」


 ハルは兵士達に手を振り、異常無いと言うことを知らせながらゆっくり歩き出した。

 明日は敵地へ侵攻である。


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