常識ある村-04
レオンは2人を連れて小屋を出た。
遠くで数人の男の声が聞こえる。隠れている女を探し出すのだろう。
理由が如何にせよ、なぜこんな珍妙なしきたりにしてしまったのか。それも今日の夜で終わりだ。レオンはそう確信していた。
「みんな、聞いてくれ!」
男が大声で叫んだ。
決して通らない声ではない。しかし、今日の晩に限っては誰も出てこない。
そもそも既婚女性は男と話が出来ないため聞こえても応対できないし、未婚でも15歳~20歳の女は罠にはまるようなものだ。
男達だって、焦った男の作戦だろうと、ニヤニヤしながら聞いているに違いない。
「だめだ、みんな聞いてくれねえ」
「あたしが叫んでも一緒かな」
「ま、男は血眼で駆け寄ってくるだろうけどね」
「や、やめておくわ」
「明るい時間の方がいいんじゃないか?」
「まあ、寝てる人もいるだろうから、それでもいいんだけど。昼間でも海に出ていたり畑に出ていたりで聞けない人は出るよ」
レオンは木片を幾つか集め、瓶から油を垂らした。そこに蝋燭火を近づけたなら、まるで焚火のように燃え始める。
「これで、どこで誰が話をしているか分かりやすい。耳を塞いで、大声出すから」
2人に耳を塞がせ、ジェイソンもご丁寧に前足で耳を押さえつけている。深呼吸したレオンは、狼の遠吠えよりも大きな声を村中に響かせた。
「非常識な村に住む皆さん! 外の世界の常識を知りたくないですか!」
レオンの大声が聞こえたのか、遠くで「どこだ」「待て」と叫んでいた声も止んだ。真夜中の大声は良く響き、どこかで家の木戸が開く音がした。
「この村の人は、みんな騙されている! 男も、女も、みんなだ! 村の外では、男も女も、自分が好きな相手と結婚することが出来る! 男も女も一緒に住んでいる!」
「だ、誰か来た……」
「あ、安心してけれ! 近寄ってきたら俺が守ってやるべ! もうこの村で悲しい思いするこたあねえ」
「は、はい」
『吾輩も、必要あらばこの爪で二度と近寄れぬ体にしてやろう』
「お、おう」
ジェイソンが猫型なのは2人とも知ったうえで驚いていない。狐耳の男が現れた上に、あまりにも自分達の常識にない話が続いたせいか、「外の世界の猫は喋るものだ」と間違った認識をしていた。
レオンの大声に「うるせえぞ」などと言い返す声も上がったが、レオンはお構いなしに村の実態と他所の村の違いを話し続けた。
暗闇の中、鈍い火の粒が揺らめく。その数は徐々に増えていき、港の中には入ってこないものの、そこそこの人数がいる事が分かる。
「親と同じ仕事しかしてはいけない? 結婚相手は20歳までに探せ? そんなおかしな決まりは他所にない! ……生まれながらに決められているなんて、外の世界では馬鹿にされる事なんだ」
「仕事が出来る男の人、見た目がかっこいい人、優しい性格の人、女だって結婚相手を選べるのが外の世界なの!」
「お、俺もこの人の話を聞いてよーぐ分かった! 他所はもっと人がいて、勝手につく明かりもあって、すんげえ暮らしをしてんだ! これ見てみろ」
男は四角い紙きれのようなものを掲げて振る。焚火の中に浮かび上がるその仕草に、数人の男が近づいてきた。
「な、なんだこりゃ! これ、この村でねえか! 描いたにしちゃあ、そっくりだ」
「これはどこなんだべ? えらくでっかい家だな、村長ん家よりでっかい」
「なして男と女が子供さ連れて歩いてる! こんな絵描くなんて非常識でねえか」
男が見せたのは、レオンがこの村や旅の途中で撮った写真だった。
村人は写真機の存在を知らず、真実を知った2人もそれが何なのか理解するのに時間がかかったくらいだ。
「これが外の世界だ。子供は学校ってのに行って勉強するし、やりたい仕事が何かを友達と語り合う」
「親の仕事さ継ぐんでねえのか? 漁師の子供が牛さ飼ってもええのけ?」
「土地神様に怒られるぞ、家計が絶えてしまうでねえか」
この村は監視社会。自分の考えで行動する事など許されない。土木は嫌だ、漁師にはなりたくないなどと我侭を言えば、村中から非難されてしまう。
話題のない村の中で恰好の餌食となり、一生白い目で見られ何十年も言われ続ける。
外は地獄のような世界であり、海の果てにあるのは草木も生えない死の大地。
時々来る商人は、腐った大地では野菜が採れないからはるばるやって来ている。
そのような嘘ばかりを教わり、村人は何代も信じて生きてきた。
「腐った大地で生きてきたような奴が、お前らよりも大きく育つと思うか? そんなに恵まれた土地に住んでいてそのなりか?」
村人は小柄で痩せた者が多い。レオンの言葉に村人達は押し黙った。
「体格だけじゃない。おれの持ち物や服、そんなに貧しく荒れ果てた土地で手に入ると思うか」
「そ、そう……言われりゃ、俺達あんなもん作れねえよなあ」
「男と女が分かれて住むのも、この村だけらしい! この村はずっと都合の悪い事を隠し、みんなを騙してきたんだ!」
「おいおい、なして一緒の家に暮らす?」
「お互い好きな人同士で結婚するから、他人同士でも分かり合って一緒に暮らしているんだ。まあ、上手くいかない場合もあるけれど」
村の常識とはまるで逆。そんな世界があると考えた事もなかった村人のざわめきは、打ち寄せる波の音よりも大きくなっていた。
『レオン、動揺させるには十分だが。こやつらがとんでもない事を常識と思い込むには、相応の理由があるはずだ』
「うん、そうだね。村の外の事を知られては困る奴がいるんだ。村人に嘘を信じ込ませ、いいように扱うため……」
『ふむ。そのような立場にあるのは、群れのボスであろう』
レオンとジェイソンは村長がやって来るのを待っていた。
いくら旅人の戯言だと主張しても、もう村人達は外の世界の存在に気づき始めた。真実を突き止めようと動き出せば厄介だ。
町や村、世界にはこんな小さな島や隣の島だけではなく、人が1年歩いても端から端まで行けない大陸の話。
美味しいお菓子の話、美しいドレスの話。そんな話をしてもまだ、村長は来ない。
「この場に現れる気はない、って事か」
『この程度の情報が外から入って来る事は、ある程度想定していたのかもしれぬな』
「世界が戦争や飢餓で一度大きく衰退したって、ご主人が言っていた。そんな大昔の話を、さも見てきたかのように言っている……なんて言ってきそう」
『ふむ。だが、過去の事であっても不都合な話はあろう。レオン、村長が恐れるのはどのような事態か分かるか』
「そうだね、みんなが騙されていたと気付く事、かな」
レオンは村人が真実を知って、村長を責める事が一番まずい事態だろうと考えた。しかし、ジェイソンの見立ては違った。
『村人が真実に気付き、村長の座から引きずり下され、この村で生きていけなくなる事ではないか』
「外の世界の方が発展していると、知っているのに?」
『それでもわざわざこの村にいる。村人を騙している。その理由は村長が村長でいられなくなれば分かる事だ』
「なるほど。じゃあ、とっておきの真実がある」
レオンは村長を選挙で選ぶ村の話を始めた。村長をしたい者が立候補し、村をより良く出来るのは誰かを選ぶ。一番支持者が多かった者が次の村長になる。
そこまで言った時、ようやく話を中断させようとする者が現れた。
「おい! でたらめな事を言ってくれるな! いいか、そのような馬鹿げた事をしてきたから、かつて世界は滅びかかったんだ!」
現れたのは村長だった。40代手前くらいだろうか、1人だけ明らかに身なりが違う。
痩せた村人ばかりが集まる中、村長だけはずいぶんと恰幅がいい。
『……あの毛皮、港町で売られていたものだな』
「ああ。あの髪型も港町でよく見かけた流行りのものだ」
村長だけは外との交流がある。レオンとジェイソンはそれを見抜いていた。
自分だけは外の恩恵をふんだんに受けつつ、村人には厳しい生活を強いる。それはレオンが言うところの「ならず者」に十分該当するものだった。




