常識ある村-03
女は暗闇の中、まさか先客がいたとは気づかなかったのだろう。村の男が潜んでいたらどうなっていたことか。
レオンは小声で「話題になっている旅の者だ」と告げ、ちょっと考えた後で「村の外では疲れた時や、汚れた時にお風呂に入るんだ」と付け加えた。
自身が「女を誘って回る女狂い」と言われた事を気にしているのだ。
「も、もし妻にするというのなら、もう今頃捕らえられているはず……ほんとうに、大丈夫、なんですか」
「うん」
『吾輩もレオンも、人族と番うつもりはない』
「おれは狐人族、レオン。こっちはジェイソン。安心していい、それより今の状況を教えてくれるかい」
ジェイソンが小屋の外で見張りをし、レオンは他所の村で買っていた蝋燭を取り出す。ようやく見えた互いの顔に照れ合うも、女はレオンの耳に釘付けだ。
「狐人族を見た事がないのかい」
「む、村の人以外は、たまに来る商人くらいしか……会わないので」
「そうなんだね。それで?」
レオンは女から状況と自身の気持ちを聞き出した。おおよそは村の者から聞いた通りだったが、女の話を聞くうちにこの村の歪な実態も浮かび上がってきた。
「成程ね、うん、なんとなく分かった」
『吾輩は全く分からぬ、男女の棲み処を分ける必要があるのか』
「そこはちょっと分からないんだけど……人口が増えないようにってのは理由の1つに過ぎないかもね」
レオンが冷静に分析する中、当事者の女はずっと黙り込んでいた。レオンの隙をついて逃げるつもりなのか、それとも言えない事があるのか。
そんな時、小屋へと駆けてくる足音が聞こえてきた。
「誰かいるのか!」
村の若い男だ。レオンは女に隠れていろと言い、小屋の扉を開けた。
「何か」
「うわ、え、何だお前」
「この村に来た旅の者だ、何か用か」
「あー、いや」
男はレオンの方を見ず、用はないとでも言いたげに立ち去ろうとする。レオンは男に思っていた事を質問した。
「女が嫌だ、結婚したくないと言ったら、あんたはどうするんだ」
「そんなの関係ねえべ。男は女を見つけて捕まえねえと、結婚できない決まりなんだぞ」
「お前は結婚したい、女は結婚したくない。なぜおまえの考えが当たり前に通るんだ? 女が結婚したくないという考えはなぜ無視される」
「はあ? 知るかよ、常識だろうが」
男はさっさと女を探しに戻りたいのか、特に考える様子も見せない。レオンは男の腕を掴み、もう1つの質問を投げかけた。
「男女別々の家に住むと言い出したのは、男か、女か」
「は? 知らねえよ。同じ家で他人と過ごすわけねえべ」
「結婚した相手でも? 好きな相手と一緒の家に住まないのか」
「何語ってんだべ、子孫を残すために必要だから結婚すんだぞ、子供さ生ませて仕事させねえと」
人口を一定に保つためには、ある程度の若者が結婚し、子供が生まれないといけない。それが難しくなった時期が、このような風習を生んだ。
とにかく年齢制限をして焦ってでも強引に結婚させる。人口が増え過ぎないよう、結婚しなければ村から追い出す。
一緒に住まないのは、認め合った夫婦ではなく、諍いが絶えないから。
15歳になってようやく、男は女が住む地域に足を踏み入れる事が出来る。普段から男女が接点を持たないから、恋などしたことがない。
しかしその頃にはすっかり村の常識に染まり、女は性欲のはけ口でしかなくなっている。
レオンはため息をついた後、自身が考えてそれらの事がおおよそ当たっている事を確信した。
「もういいだろ、腕を放せ」
「断る。今夜はおれの話を聞いた方が、後のあんたの人生にとってもいい。この村の常識だからと当たり前に従っていた間、すっかり使わなくなった頭で理解しろ」
「な……」
『動くな、吾輩の爪はよく切れる』
「ひっ……」
『男のこんな発言を聞いていたなら、女が結婚を嫌がるのも当然だな』
突然首筋に爪を当てられ、更にはふさふさしたものが耳元でささやく。男は驚いてその場にしりもちをついた。
「まず、お前達にとって常識だからと言っても、悪い事は悪い事だ。お前らの常識には善悪の判断が欠けている」
「は?」
「嫌がる奴を強引に妻にする。これは世界では非常識であって、犯罪になる町もある」
「え? じゃあどうやって結婚するんだべ」
「相手と分かり合い、互いの良い所悪い所を認めて、改めて、合意の上で結婚しているよ。だから結婚して一緒に暮らす」
男にとっては衝撃だった。そんな事、考えた事もなかった。村の常識に当てはめると、そんな事は当然出来ないし、許されない。誰もが「好きな人」「一緒に暮らす」などという発想も持たなくなっていた。
村長の息子だけが、相手を指名して結婚する。それ以外は決められた生き方をするしかない。
「それに、他所では男も女も体を綺麗にするために風呂に入る。結婚しているしていないは関係ない。仕事を選ぶ権利もある程度はある」
「そんな事が許されるのけ? うちは漁師だ、俺も当然漁師をやってんだど」
「おれの親は旅人じゃない。村から出る事も自由だ」
男はいつしか女を探す事も忘れ、外の世界の話に真剣に聞き入るようになっていた。常識、当たり前、当然、それらの言葉に操られていた男は、自身がどれだけ厳しく辛い環境にいるのかも自覚していなかった。
他所と比べなければ、自分の立ち位置は分からない。男は外の世界に憧れを持つようになっていた。
「だけどよ、村の外に出ても……俺は知らない事だらけだ」
「漁師としての腕があるなら、大きな町で魚を売る事は出来ると思う」
「そうか……でも、どごさ別の村があんのか分からね」
村の外に目を向けないためか、他所の知識を持っているのは村長の家系の男だけだという。他でも村独自の風習はあったが、ここまで徹底して外界と隔絶させている村はなかった。
レオンはちょっと考え込み、女に出ておいでと伝えた。
「え、女がいるのけ?」
「安心しろ、お前とは結婚させない。結婚したくないと言っているから」
レオンがそう言うと、部屋の物陰から女が顔を出した。男は驚き、反射的に女に手を伸ばそうとする。レオンがそれを遮った。
「あたしはこの人の話を聞いて、自分がいかにおかしい状況に身を置いているか分かった」
「2人共、村がこんな状態で良いと思うか」
「あたしはもう嫌。男から逃げ続け、決められた事を決められた通りにこなすだけなんて。月に1度男が子作りに通ってきて、嫌がる母を強引に押し倒す姿、本当に恐ろしかった」
「女はそんな事を考えてたんだなあ……知らなかった、これが当然だとばかり」
女は16歳、男は18歳。男は最近結婚を考えたというが、女は1年以上、月に1度男から逃げ隠れる夜を過ごしてきた。
互いが村の常識に縛られていた事を謝罪し、村を出たいと言い始める。男も、もう嫌がる女を追いかけ回してまで、強引に自分のものにする気はないという。
「仕方ねえ、決まりだ、っつっても……外じゃそんな事してねえって知ったらよ、なんだか女が可哀想になってきた」
村には村のやり方があり、生活がある。旅の途中で立ち寄っただけのレオンがそれを壊す権利などない。実際、レオンは狐人族の常識や正義で生きている。
だが、悪くもない人が理不尽な目に遭う事を見過ごすのは、正しい事なのか。2人共この村の悪習の被害者だ。
レオンは悩んだ後、2人と世間話をし、村人である2人が村を変えるのなら何も問題ないと考えた。
「じゃあ、行こうか」
「え?」
「自分達だけ良ければいいか? 2人が村を出るなら止めはしない。でも2人を連れてのんびり次の村を目指すつもりはない。実際、出るための準備も、方法もないだろう?」
「じゃあ、どこに行くんだよ」
「その辺で、この村の常識がいかに非常識かを大声で話せばいい。おれが一緒だから大丈夫さ、それで駄目なら見捨てたらいい。それと」
「?」
「出来れば風呂に入らせてほしい」




