さようならの時‐06
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「ゆ……許し……」
鋼材で殴られ、ジェイソンに肌を余すところなく引っかかれ、5人はもう身動きもできない状態になっていた。
骨は折れ、皮膚からも口からも出血し、誰がどう見てもやり過ぎだ。
それでも周囲の見物人や駆け付けた警官は、止めに入ることが出来なかった。
「なんで許さないけんと? おれ別に許さんでもいいし」
止めようとする者が出ると、ジェイソンの怒りの対象が移り取り囲む。無表情なレオンが子供の澄んだ声で「お前はならずものの味方か」と尋ねた時、皆が次は我が身だと思い知ったのだ。
意識があるのは、最初に猫人族のふりをして近づいて来た男だけ。他の者は生きているのか死んでいるのかも分からない。
皆が感じたのは、動物の子供が狩りの練習をしているのと同じという事。
興味本位で飛びつき、ひっかき、噛み、逃げる様子を面白そうに追いかけて仕留める。まるでおもちゃのように弄る。獣人族の恐ろしさも思い知った瞬間だった。
「おれのご主人、もう死んどる。もうご主人許すことできん」
レオンにとって、ご主人は絶対だ。ご主人への侮辱は、レオンにとって一番許せない悪だった。
レオンが獣人族かどうかは関係なく、他人が何に重きを置いて生きているのか。この悪者達が少しでも推し量って生きていれば、こんな事にはならなかっただろう。
「あ、有り金ぜ……んぶ、渡します、から」
「自分が助かりたいけっち謝る奴は、ぜったい許さん。ご主人とおれのために謝っとるんやないけ、ぜったい許さん」
気が済む、済まないの問題ではない。お金が貰えるから我慢してやろうという気も毛頭なかった。
ただ、レオンの一方的な弄りは、会話によって中断された。それを好機と判断した警備隊が機転を利かせた。
「き、君! その悪者達は、他にも悪い事をしているんだ! 物や金を盗られた者、大切なものを壊された者、そういった人達のために、裁きを受けさせないといけない!」
「身柄を拘束し、罪を全て自白させて償わせないといけない! 後は我々に任せて貰えないだろうか!」
警備隊の言葉は、レオンを納得させるに十分だった。自分以外にも悪者を懲らしめたい者がいる。そして、この悪者が償うべき相手がいる。
そうなれば他の者にも、悪者に鉄槌を喰らわせる権利がある。レオンは譲る事を決めた。
「分かった。つぐなうお金、足りんかったらおれにゆってね。おれ、始末屋さんしよるけん、なんとかしちゃる」
レオンは血しぶきが飛んだローブにガッカリしながら、警備隊に「お金ぜんぶくれるっち言った」と報告する。
5人の所持金では賠償金に到底足りないと思われたが、警備隊は「助かるよ」と礼を言って5人を担架に乗せ去っていった。
「……泊まるとこ、どこ?」
無邪気な子供に戻ったレオンが、役所の職員に宿の場所を尋ねる。職員は小刻みに頷きながら、震える手でメモを差し出した。
「はてる、でいんじあ」
「ほ、ホテル、デリンジャーです」
「あ、これはじゃなくてほだ! これ、り! おねいさんのひと、ありがと!」
礼儀正しく頭を下げ、レオンは教えて貰ったホテルを目指す。地図では役所から僅か徒歩1分。
レオンが通りを歩けば、大河が割れるように人が左右に避ける。みんな優しいなどと頓珍漢な事を言いつつ、レオンはホテルの扉を開いた。
「いらっしゃいます! おれ、おきゃくのひと!」
「いらっしゃ……ひっ、ふ、服、血が」
「うん……汚れた。これ、綺麗になる? おれのご主人からもらったけん、いつも着たいと」
「ぼく、け、怪我しているの?」
「おれ、怪我しとらんよ。ジェイソンもしとらん」
白いローブに血をべっとり付けた子供が入ってくれば、誰だってギョッとするものだ。フロントの若い女は、レオンの血ではない事に少しホッとしながらすぐにリネン係を呼んだ。
「あなたが役所から連絡のあったレオン・ギニャさん?」
「うん! ここ泊まれるっち聞いた。安全やけ心配いらんところっち聞いとる」
当初は1人で旅する獣人族の子供、という情報だったが、「血まみれの」とは聞いていない。安全を最優先する子供が血まみれとはどういうことなのか。
それは本人ではなく役所に訊ねる事に決め、フロント係は駆け付けたリネン係にレオンの恰好を見せた。
「この子のローブの血、取れますか?」
「えっ、血!? えっと……ん-、ちょっと黄ばみが残るかもしれないけど、漂白してみましょう」
「ほんと!? 汚れなくなる!?」
「やってみないと分からないけれど。任せてくれるかな?」
「うん!」
レオンはその場で嬉しそうにローブを脱ごうとし、ハッと気づいてやめた。
「服、着とかないけん! ぬいだら、おれぱんつだけになる。人がおるとこでは服着ときなさいっち、ご主人に言われとる」
「あー、下に何も着てないのね。まあ、子供だしそんなもんでしょう。大丈夫……」
「ぱんつは服に入りませんっち、言われとる。ご主人に言われたけん、おれ脱げん」
レオンはため息をつき、悲しそうに血痕を見つめる。
「あいつらヒトデナシやけん、おれ服着とかんでよかったやん。ならず者やったら人の前やないけん、服ぬいどったらよかった……」
「あ、あ……えっと、じゃあお部屋に案内するので、そこで脱いで渡してくれるかい?」
「うん!」
レオンはどうにか書けるようになった自身の名前を記帳し、鍵を受け取ってリネン係の後に続く。フロント係は、ぴょんぴょん飛び跳ねながら階段を上っていくレオンを見送りながら困り顔で笑う。
「……どういうこと?」
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大浴場で体を綺麗にし、レオンは食堂で料理の到着を待っていた。ティアと一緒の時もあったが、レオンは1人で風呂に入れるようにもなった。
ピッピラではもっぱら水浴びで、とりあえず川に飛び込んで泳げば終わりだったのだが、今では風呂なしの生活など考えられない。
入浴の際は、人の前でも服を脱いでよし。むしろ服を着たまま浴槽に入ってはいけない。レオンはそのルールを気に入ったのだ。
「すべてのめぐみに、感謝します。いただきます。はい、これジェイソンの分ね」
レオンはジェイソンと仲良く鶏肉を分け合い、美味しそうに口へと運ぶ。
美味しいと言って嬉しそうにしている姿は微笑ましいものの、役所の前での凄惨な事件も、ホテルにやって来た時の恰好の事も、知れ渡っている。
声を掛けてくれる者はおらず、ホテルの従業員さえも遠巻きに見ている。ナヌメアで和やかに過ごしていたレオンは、まさか自分に原因があるとは思っていない。
次第に気持ちは沈んでいき、ついには食べ終わる前にナイフとフォークを置いてしまった。
「なんか、みんなあんま仲良しにならん町みたいやね」
「……」
「ご主人おらんけ、おれ寂しい。ジェイソンおるけど、おれ……」
レオンの目から涙がこぼれ、甘辛いソースを絡めた小麦麺の上へと落ちる。遠巻きに見ていた者も、子供が1人ぼっちで泣きながら食事を取っていれば、さすがに気の毒に思うところ。
周囲の者が声を掛けようかと悩んでいた時、フロント係がレオンを呼びに来た。
「あ、あの……レオン、さん」
「……はっ、おれ、泣いとらんよ!」
レオンは目を擦り、何でもないと言った表情を見せる。フロント係はレオンに客人だと告げ、食事が終わったらロビーに来て欲しいと伝えた。
「誰やろ。ドワイトのひとかな」
頭にティアを思い浮かべ、一瞬もしかしたら生きていたのかもと考えたが、首から下げた袋にはティアの骨が入っている。
行儀よく「ごちそうさまでした」をし、食器をわざわざ厨房へ返却した後、レオンはロビーへと向かった。
そこにいたのは、2人の子供と、1人の女性だった。
予想よりレオンが幼過ぎたのか、困ったような顔を浮かべてはいたものの、女性が思い切って口を開く。
「あの、噂で聞きました。あなた……悪者を代わりに成敗してくれるんですよね」




