さようならの時-01
「ご主人、だいじょぶ? 病院のひと、呼ぶ?」
「ううん、平気よ」
ナヌメアでの滞在は、更に2か月伸びた。同じ病室にいた者達は全員退院し、入れ替わりで来た者も良くなって退院していった。今、大部屋にいるのはティアだけだ。
ティアの骨折もほぼ完治となっているが、まだベッドから動けずにいた。
「はよ元気なって欲しい。おれ、何でもするけんね」
「有難う。あなたがいてくれて本当に嬉しいわ」
ここ数日は体調も気分も優れず、ベッドから起き上がる事も出来ていない。レオンとの会話で目を開けている事もつらい。
レオンには隠していたが、ティアには持病があった。治る見込みはないと言われ、現在入院中の治療院でも対処のしようがないないものだった。
――体の調子も悪いし、どこまで行けるか分からないけど。少しでも近づいてみせる
かつてレオンにそう語ったティア自身、本当のところ長い旅は無理だろうと思っていた。このナヌメアにたどり着いたのも、レオンのおかげで想定以上に遠くまで来られたくらいだ。
レオンは荷物持ちだけでなく、ちょっとした身の回りの事も世話してくれた。
お金の計算は出来なくても、相応のお金だけ持たせたならお使いだって出来る。話し相手になってくれ、自分を頼ってくれる事で張り合いもあった。
しかし、病気は進行する。いくら順調でも限界は訪れる。
「ご主人、おれ、何かできん?」
町の大きな治療院であれば、もしかするといくらか効果のある治療を受けさせる事が出来たかもしれない。幸い、レオンはティアが治療費も旅費も困らない程稼いでいる。
だが、爆発騒動に巻き込まれた事で、それも叶わなくなってしまった。
馬車の揺れはティアの骨に悪影響を及ぼすため、骨折が治るまでは移動も出来なかった。
医療の整った町までおよそ1週間。骨折は治ったものの、今のティアは馬車での移動に耐えられない。動きようがなくなってしまったのだ。
「おれ、おしごと探してくるね」
ドワイトは1週間前に別の町へと旅立っている。レオンは寂しさで夜泣きし、深夜に1人で病院を訪れるようになった。不憫に思った職員は、レオンを特別に入れてくれるようになった。
ティアはレオンと一緒のベッドで眠り、嬉しそうにするレオンを見つめては、これからの日々を不安に思う事が増えていた。
「ドワイトさんから教わった事、しっかり守るのよ。自分が危なくなる事は絶対しないで」
「だいじょぶ! おれ、ご主人に買ってもらった宝物があるけん! 絶対負けんもん」
ドワイトはレオンに悪者退治のノウハウを一通り教え込み、悪人とは何かを懇々と説いた。実際に悪者を始末するところまで、全て実践させた。
ドワイトが師匠になってからの3か月弱で、レオンは一通りの事が出来るようになった。後は自分で考え、自分でやっていく経験が必要となる。
ドワイトとは、また数か月後に遠い西の町で再会する事になっている。ティアが一緒なら大丈夫と判断しての事だったが……生憎その翌日から、ティアの体調は急激に悪化した。
ティアも、もしかしたら自分はこのまま何事もなく旅に戻れるかもしれない、そう思っていた矢先の悪化だ。
「ドワイトさんに連れて行ってもらうべきだったかな」
「ん?」
「レオン、よく聞いて」
ティアは喋るのもつらい体に鞭を打ち、レオンに自身とこれからの事を話し始めた。話せるうちに話しておかないと、このまま何も言えないかもしれないと不安になるくらい、厳しい状況だった。
「私、病気なの。お医者さんからは治らないって言われてる」
「骨が折れとるの、もう治るっち言われたやん。お医者、嘘つき? ならずもの?」
「骨折だけじゃないのよ。本当は……旅を始めた時から、あんまり命は長くもたないって分かってたんだ。だから、せめて故郷で最期を迎えたかったの」
ティアは自分がもう助からない事、最後に何か1つくらい生きていてよかったと思える事をしたいと思っていた事。
レオンと出会い、最後の1つとして、レオンの面倒を看ると決めた事。
それらをレオンに伝えた。
「最初会った時、体あんまし良くないっち、言いよったやつ?」
「覚えていてくれたのね。うん、本当は重病人なの」
レオンは衝撃を受け、言いようのない絶望を感じていた。ご主人と一緒に旅を再開できると信じて疑っていなかったからだ。
更に、自分が認めたご主人様は、もうじき死んでしまう。レオンはそれが悲しくて、涙を流してティアに抱きつく。
「おれ、どしたらいい? おれご主人おらんくなるの、いやだ」
「私も嫌だなって思ってる。レオンに言うべき話じゃないんだけど……あんな奴にコキ使われて、故郷に帰る望みも邪魔されて……ほんっと、悪者って大嫌い」
ティアは、今まで誰に弱音を吐く事もしなかった。殆どすべての事を諦め、故郷に帰る以外、残された時間を淡々と過ごすしかなかった。
死にたくないとは思っていたものの、生きる事に執着してもいなかった。
そんな気持ちが表れていたのか、得意な歌も評価される一方、どこか寂しげなところがいいと言われる事もあった。
しかしティアはレオンに出会った事で、今は明確に生きたいと思っている。自分がレオンを遺していなくなる事を、悔しいと言えるようにもなった。
「ご主人、泣かんで?」
「ごめんね、もっと……もっと健康な人に拾われたかったね」
「おれ、ご主人が他の人なの、ぜったいやだ。ご主人がいいと」
「有難う。最期が迫った時、まだ自分を必要としてくれる人がいるって、とても幸せだなって、思ってる。レオン、私、幸せよ。本当に有難うね」
レオンは悲しみと共に、怒りがこみあげていた。
仕事を請け負った時、町を歩いている時。おとな達は「あんな事件が起きなければねえ」と言って同情してくれた。
ああ、あのならず者たちさえいなければ。レオンは毎日そう思うようになった。
ティアを失いたくない。
ティアにとっての悪人を成敗したつもりだったが、それだけではない。
自分からご主人を奪う悪人。今更ながら自分にとっての悪人であったと気付いたのだ。
「ぜったい、治らんと?」
「うん、治らない。レオン、お願いがあるの」
「おれ、何でもするよ?」
悪人から守れなかった悔しさで、レオンは滝のような涙を流している。そんな2人を見ているのが辛く、看護師は部屋の扉をそっと閉めた。
「私が死んだら、骨を1欠片でいいから……故郷に持って帰って欲しいの」
「死なんかったら、っく、いいやん……! いっしょ、ふぇっ、帰ったら、いいやん」
「もしもの時の事よ。大丈夫、まだ頑張るから」
そう言って、ティアは深く息を吐き、思い切り吸い込む。そして気合を入れるように「よし!」と叫んでから、力を振り絞って立ち上がった。
「ご主人! 寝とかなだめっちゃ!」
「どうせ治らないし死んじゃうなら、このままベッドの上で何も出来ずに死ぬのはいや」
ティアは久しぶりに自身の服に着替え始めた。と言っても季節は移ろい、相応しいものがない。洒落っ気がないとため息をつきながら、ティアは旅用のローブを着込む。
「私、退院する。そして、レオンと一緒に広場で歌を歌うの。歌ってお金がもらえたら、今日は美味しいものを食べる。私の奢りでね!」
幼いながらも、レオンはティアが自分に心配をかけないために無理をしていると分かっていた。それでも、久しぶりに見たティアの迷いのない眼差しに気づき、深く頷いた。
悪人への怒りはある。しかし、今はティアのために無邪気に振舞うのが1番だと感じていた。
「無理せんでね? でも、おれご主人と一緒で嬉しい!」




