真実
横たわったライブラは死んでこそいないものの、体を小刻みに振るわせる。今にもライブラの命の、魔力の灯火は燃え尽きようとしていた。
「さあ、話を聞かせてもらおうか。私たちは魔術の技術を保有していない。そこに依然変わりはないとだけ言わせてもらおうか」
カナリアはライブラの応急手当てをして、対話を試みていた。
「……嘘をついても無駄です。私は感じました。そこの青髪の女から発せられる魔力の奔流を……」
ライブラは葵のポケットに向けて指をさした。葵はハッとしてポケットをまさぐる。
「もしかしてこれのことなんじゃ……?」
葵はポケットの中身を出した。それは葵がリオから託された魔術結晶であった。
「それはなんですか……?」
「これはリオちゃんにいつか使う時が来るからってもらったんだ。早めにラボにでも渡そうと思ってたんだけど、忘れちゃってて」
葵は「えへへへ~」と気恥ずかし気に頭をポリポリと掻いた。
「全く、私は最低ですね。倒すべき敵を見誤っていたようです……」
ライブラはふらふらな脚で立ち上がり、天を仰いだ。今にも倒れそうなその姿に思わず葵は支える。
「リオはめんどくさがっているように見えてかなり好奇心旺盛な子でした。あの子もきっと貴方たちと同じで本当は戦いなんて望んでいなかったのでしょう」
ライブラは言葉を絞り出す。そこにはどんな感情が混じっていたであろうか。
「それでも私たちは戦わなければならないんです。それが母様の下す命令ですから……」
三人はその言葉を聞いてハッとした。星座の乙女人形たちを倒しても終わりではない。あの時、スコーピアスを倒した時のことを考えれば、むしろここからが本当の戦だということを。
「できるならその母という人について教えてはくれないだろうか」
「もちろんです。しかし母様は私たちにすらその正体は分かっていません。わかっていることは私たち星座の乙女人形を製造した大魔導士ということでしょうか」
ライブラはそれから自分の知っている限りすべてを話した。しかしどれもその女の正体を特定するに足りない情報ばかりだった。
「なるほど……だから今ならあの時カナリア司令が言っていたことわかる気がします」
その時だった。
「……まずい、来ますッ!!」
瞬間、空が裂けた。快晴だった空に大きな陰りができる。そこから現れたのは紛れもない、あの時の姿だった。
途轍もない覇気があたり一帯を包み込む。空は紫色へと変貌し、そのオーラは四人の奥の奥、本能に「逃げろ」と訴えかけていた。
「我の華々しい舞台に相応しい前奏に、とでも思っていたが、少々遊びすぎてしまったようだ」
女はライブラに視線をやる。その不気味で邪悪な視線だけでライブラは恐怖で震え上がっていた。
「あなたはいったい誰なんですか!!そもそもいったい何がしたくて──」
「その場から離れろ神崎ッ!!」
雫のその言葉に葵が反応するときにはすでにそれは襲い掛かろうとしていた。葵はとっさにライブラをかばうように覆いかぶさる。
「これは私……いや、私たちからの願いです。あとは頼みました……」
「ライブ…ラ……ちゃん………?」
葵の瞳に映るライブラの顔は悟っているようで、それでいてどこか覚悟を持っているように見えた。その表情が何を意味しているかを理解するのは容易かった。
ライブラは思い切り葵を宙へ向かって蹴とばす。
「ライブラちゃんッ!!!!!」
葵は手を伸ばす。何とかライブラを救えないかと必死になって伸ばした。だがついぞその手が届くことはなく、ライブラは眩い光に包まれて跡形もなく消えてしまった。
「……そんな」
着地した葵はただ呆然とすることしかできなかった。目の前で葬り去られたその命のことを考えて、目の前で己をかばって死んだ仲間を見て、涙を流すことでしかその感情を表現できなかった。
「あわよくば同時にと思ったが、まあ良い。目的は達成された。出過ぎた真似の及ぼす結果、その身に深く刻むがよい」
女は高らかに笑った。
「ふざけんな!何が可笑しい!!一体命を何だと……ッ」
葵のこらえようのない感情が一気に感情のダムを破壊してあふれ出る。
「人の及ぼすところに我は現れず、人の及ぼさぬところにこそ我はあり。人の子よ、貴様は未だに気づかぬというのか」
三人は思考をめぐらせる。まだ気づかないところ、考えても考えても結論は出てこなかった。
「気づかぬというのならば我が知らしめてやろう」
そういうと、女の気配が一気に別物になった。姿形は変わらない。しかし明らかに人間そのものが変わったといっても過言ではなかった。
「……葵ちゃんっ!!」
葵はハッとした。それはとても懐かしい声色。今までなぜ思い出せなかったのだろうか、記憶の中のその人物と目の前の人物に見た目の差異はさほどない。年相応の老け方をしていて、それでいてしっかりと特徴を持っている。
「お母さんッ!?」
紛れもない。葵の母こと、神崎澄音そのものであった。しかし葵がそのことに気づくと、それを確認した澄音はすぐに前の気配に戻った。
「……まさか黒幕が神崎の母であったとは、奇妙なこともあるものだ」
呆然とする三人をよそに女は高らかに宣言する。
「我が名はバエル。アイギスの大元たる悪魔の一柱にしてゴエティアの書の最高序列の悪魔也ッ!!」
「……バエルだとッ」
カナリアの額に冷や汗が垂れる。序列一位。それがあらわすことはまごうことなき最強、それだけだ。しかしどれだけ見てもバエルの耳にアイギスのイヤリングは見られなかった。
「アイギスなどという不完全な粗悪品などを必要としない……完全な一体化を果たした姿。それが我……もはやメロフォージの生成に歌すらも必要としない完全な肉体。これこそ我が悲願をかなえるにふさわしいものだ」
「随分とペラペラと語っちゃって……お母さんの体を返してッ!!」
「ならぬ。神崎の血を持つ体こそ我の依り代に不可欠……その呪いに触れたのは神崎自身であるということがなぜわからん」
神崎の血、呪い、どれも葵に心当たりはなかった。
「まあよい。じきに分かるだろう……生きていればの話だが」
バエルは手を翳し純白のメロフォージを収束させる。
「我らにとっては挨拶程度の一撃、貴様らに止めることがかなうとよいな」
収束した光はやがて小さな球状と化し、ゆっくりと三人のほうへ向かって飛んでいく。
「弾速は遅い、だがかなりの威力だ。雫、対応できるか?」
「分かりません……しかし私の役目はウイングに貢献すること。ここでやらねば戦士の名が腐るというものッ」
雫は拳にめいいっぱい力を込めた。
「"とも"よ、私に力を貸してくれッ」
「はああぁぁぁあああッ!!」
拳と光球が衝突する。最初は拮抗していた。しかし少しずつ、雫は押されていた。
「……雫さん!!」
「神崎……必ず戻る……だから今は託すぞッ!!」
そういうと雫はさっきとは打って変わって、ものすごいスピードで押されていき……、次に葵が認識した時には、葵の背後で巨大な爆発が起こっていた。
「……そんな」
あの規模の爆発であれば生存はとてもじゃないが期待できない。葵が悲しみに暮れていたその時、さらに不幸が葵に降り注いだ。
「葵ッ!!一体外で何が……」
ウイング本部の扉が勢いよく開き、そこから出てきたのは琴音だった。
「琴音……どうしてここに!?」
「情報部がライブラの暴走が静まったのを確認した後、急にすべての機械がシャットダウンして……様子を見に来たんだけど……これは一体…………」
「とにかくこの場から離れてッ!!そうじゃないと──」
葵がその言葉を発そうとしたとき、直後尋常ではない速度の光弾が琴音のいた場所に着弾した。反応なんてできないほどの速度、これなら確実に……
「琴音ッ!!!」
爆発が収まり、やがて着弾地点周辺を覆っていた煙が消える。中から出てきたのはボロボロになったカナリアだった。
「カナリア司令!?」
葵は振り返る、そこには先ほどまで立っていたはずのカナリアの姿はなく、逆に葵の目の前に確かにカナリアの姿があった。
「カナリア司令!!どうして……」
琴音は必死に倒れたカナリアの肩を叩いて声をかける。
「私たちは戦う力を持った人間だ。戦えな…い人を守るのは……当然だろう??」
とぎれとぎれになった言葉がいかにカナリアの状態が深刻かを痛感させる。やがてカナリアは言葉を発さなくなった。
「「カナリア司令ッ!!」」
いくら呼び掛けても反応はない。しかもただ気絶しているわけではない。呼吸も、心臓の鼓動も一切の生命活動もカナリアは行えていなかった。
「これ以上犠牲は増やせない!琴音は早く中に戻って!!」
「無理だよ!葵を置いてなんていけない!!モニター越しで何もできずに親友が死ぬのを見るくらいなら私は大好きな葵と一緒に死ぬ!!」
「琴音……絶対勝って見せる。だからそこで私を見守っていて」
「……ダメだったときはみんなで天国でまた一緒にパーティしようね」
琴音の言葉に葵は何も返せなかった。
「女々しい戯言はもう聞き飽きた。命を懸けてくるがよいッ」
バエルのその挑発に葵は全力で乗っかる。
(もう先のことなんて考えなくていい……今はただ目の前の強敵を、みんなを守るためにッ)
葵は降り注ぐ流星のごとき魔術の悉くを切り裂く。しかしバエルは平然とした顔を保っていた。
「全力でぶつかるッ!」
「無駄な足掻きを……」
いい加減呆れたようにバエルはその手をふるう。するとそこにはさっきまではなかったはずの剣が出てきた。
「我が神剣……名前は何といったか。一向に思い出せんが、まあこの際どうでもよいことだ」
二人の剣が激しくぶつかり合う。火花にも似たメロフォージの輝きが飛び散る。幾度も交差する剣はぶつかり合うたびに刃こぼれを起こしていた。
「鍔迫り合い……まさかこのような機会が来るとは……存外アイギスというのもばかにならないものというわけか」
「このまま押し切るッ」
葵は剣にさらに力を込める。葵のほうが優勢に見えた、その時だった。
「体に刻むといい。敵の誘いに乗るとどのような結果を招くかを」
バエルは不敵に笑う。瞬間バエルの剣が轟音を立てて爆ぜた。
「……葵!!!」
葵の体が地面に強く叩きつけられる。その衝撃で身に纏っていたアイギスの変身が解けてしまった。ボロボロになった葵の姿をみて琴音は思わず立ち上がった。
「まだ…まだだ……まだ負けてない」
「……葵??」
「私はそれでもやらなきゃ……立ち上がらなきゃ……」




