第十七話 ティレン城Ⅲ 『たった一日だけの縁』
ティレン城塞は、そこまで大きな城ではない。
とはいえ人間が魔族の侵攻をくい止めるための強力な牙城であることに間違いはなく、そうであればこそ詰める騎士たちも皆一線級の者たちであった。
しかし、そんな彼らでさえ。
魔王軍五千という大規模侵攻は前代未聞の一大事であった。
大小様々な魔族は、地を行く者も空を舞う者もわんさかと居る。異形のデーモンやワイバーンが、今にも空中からかみつかんばかりに浮遊していた。
それら一体一体が、山野にでも現れれば冒険者協会に緊急討伐依頼が飛ぶような猛者たち。そんな化け物どもが大挙して押し寄せる絶望感は、おそらく筆舌にしがたいものだろう。
まるで百鬼夜行。五千もの魔族と、ティレン城の勇猛な騎士たちとが激戦を繰り広げていた。倒れた屍の数は既に山を数え、城壁にも既に数十のデーモンたちが攻撃を仕掛けている。このままではあっという間に門を破られ、善良な市民たちに甚大な被害を及ぼすであろうことは想像に難くない。
「そっちにデビルが行ってしまった!!」
「うわ、やめろッ……ああああああああ!!」
「落ち着け、まだやれる!! 遅れを取るな!! 持ちこたえるんだ!!」
どす黒く染まり切ったおぞましい空色は、まるでこれからティレン城の向かう絶望を示しているかのようで。デビルやデーモンロードが空を舞う度に吹かれる炎の渦で、次々に戦友が葬られていく。
黒と赤のコントラストが、騎士の戦場を汚していく。
「ヒャッハー!! 殺せ殺せェ!!」
「ひっさびさの殺しだぜ、テメエらァ!!」
「ゴゥアアアアアア!!」
「ギャオウォオオオオオオオ!!」
人語を解する魔人たちの鼓舞に、ワイバーンやデビルといった魔族たちも応えて耳をつんざくような雄叫びをあげる。魔人に統率されたその化け物たちの咆哮が、さらなる恐怖をあおり続けて。
「や、やめろ……もう、やめてくれっ……!!」
「切っても切っても沸いてきやがる……!!」
「おい、大丈夫か!? 返事をしろ!!」
「……ぁ……ぉ……」
四人でかたまって行動していた四人のブレイヴァーたち。
その元に迫るワイバーン十頭の黒い影に、先頭の男が歯噛みする。
「くっそおおおおおおお!!」
「バカ、隊列を乱すんじゃねえ!!」
後衛の叫びも手遅れ。
燃え盛る火球をまき散らすワイバーンに向かい、電撃魔法を放つ。
が。
「ガアアアアア!!」
「そんなっ……無傷……!?」
振り向いたワイバーンはまるでけろりとした表情を崩すことはない。
しかし瞳には怒りの色がともり、口から漏れる炎は今にも臨界を超える寸前で。
何発の電撃を放とうと、意に介すことすらないそのワイバーン。
だが、それでも男は魔法を撃ち続けた。がむしゃらに、全てを捨てて。
守りたい仲間が居て、渡してはならない場所があって。そして、
勇気の源が、あるから。
「第三砲撃魔導・改――混沌冥月II!!」
黒き奔流が男の上空を通過した。
凄まじい勢いで襲いかかったそのストームを、ワイバーンはかわす術すら持っていない。一撃の元に葬り去られたワイバーンは消し炭と化して地面に落ち、しかしその奔流はただ直線に終わるに至らない。
一匹のワイバーンを貫いたかと思えば、急カーブを描いてほかのワイバーンを背後から急襲、そのまま数匹の魔獣を打ち倒して、ようやく魔力の波動が消え去った。
「心配はいらない!! 空中の魔族は何とかしよう――」
振り返れば、城門の上に悠然と立つ一人の青年。
彼こそが希望、彼こそが前線で戦う騎士たちの勇気の源泉。
「――このボクがね!!」
「シャノアール!!」
「シャノアールが来たぞおおおおおお!!」
「まだ……まだ戦える!!」
シャノアール・ヴィエ・アトモスフィア。
彼という援軍が来たことによって、騎士たちの心は奮い立つ。
俄然勢いを取り戻した彼らに、今度は魔族の側が押され始めた。
さらに。
「第二構成魔導――秘奥結晶」
シャノアールの前方に現れ、輝く巨大なプリズム。
ただただ空中に浮いたそれに向かってシャノアールは、
「第三砲撃魔導・改――混沌冥月II!!」
先ほどの黒蛇のような魔導を撃ち放った。
するとどうだろうか、結晶に反射して、三十にも増殖した混沌冥月がまるで生き物のように縦横無尽に空中の魔族たちに向かって襲いかかる。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「ごああああああああ!!」
断末魔の悲鳴をあげながら散っていくデビルやデーモンロード、ワイバーン。
今回の魔王軍で最危険視されていた彼らを次々に葬り去るシャノアールの勇姿はまさしくティレン城の英雄であった。
しかし、英雄の功績などというものは前線でしか理解されないもので。
その実力を恐怖する者が居ることも。
そして、
「ほう。シャノアールは誘いを断ったということか……?」
利用しようと考える者が居ることも、忘れてはならない。
「……さっすがヴェローチェのじいさんってとこか。バリ強ぇじゃんか」
思わず感情を吐露したシュテンの周囲には、数人の魔族が控えていた。
鎖鎌を片手に戦況を睨む女妖鬼イブキ。
両手両足の格闘武装に身を包んだ豪鬼族一号。
そして、このメンバーでの最大戦力堕天使ユリーカ。
随分と前衛に偏ったパーティだなと内心苦笑しつつ、全力で魔法を発動するシャノアールの方に目を向ける。
ティレン城と、その外にある広野での戦いはかなり熾烈だ。今でこそ猛威を振るうシャノアールだが、彼には前衛の援護がない。下手をすれば落とされるし、魔力切れの恐怖がずっとついて回るだろうことは想像に難くない。
広野付近にある森林の木陰から覗く戦線は、しかしやはりというべきか人間に不利な状況が続いていた。
そこでふとシュテンは気づく。
シャノアールの表情が、優れないということに。
「シャノアール……あいつ、なんか」
「顔色が悪いよ……何かあったのかもしれない! 助けなきゃ!!」
「待ちな、お嬢ちゃん」
シュテンの考えていることを察したか飛び出そうとしたユリーカを、イブキが腕を掴んで引き留めた。
「なんでよ!」
「……状況はあたいにもわかんねえけど、魔族に味方される英雄ってのは、都合が良くないんじゃあないかい?」
「ぁ……」
そう言われてユリーカも気づいた。
そもそも早々にシャノアールの元を去ったのは、自分たちが魔族であるからで。シャノアールが上層部から因縁をつけられない為に、数日と跨がずティレン城を後にしたのだったと。
「まあでも、これやっぱどう見ても転換点には違いねぇやな。シャノアールの魔導に問題がない上に、怪我をした様子もねえってとこを見ると……やっぱタリーズが心配だ」
「……っ! ど、どうすんのよシュテン!」
「落ち着けユリーカ。そんなにすぐポンポン出てくる訳でもねえしな……とりあえず、一号とオカンはシャノアールの付近にくる魔族をひっそり狩っててくんねえか? その隙に俺とユリーカで城内に潜入する」
「分かったっすよ兄貴!! シャノアールって野郎を守るんすね!?」
「なんだい、連れて来られた挙げ句露払いかい」
「なんだよオカン、不満なら……不満そうな顔しろよ」
「あっはっは!! こぉんな大量の猛者が居るんだ、是非ともあたいの餌になってもらうよ!!」
「あ、シュテンのお母様だ」
豪快に両手を打ち合わせるイブキ。
一瞬、二人に任せて大丈夫なのかと不安になったユリーカだが、この人選しか無いということくらいは分かっていた。
そもそも閉ざされた城門の中に入れるのはユリーカだけ。その上でタリーズを見つけられるのもシュテンとユリーカだけ。さらに言えば過去の世界で殺しをやるのは余り上策とは言えず、加えて笠を被っているシュテンと翼を隠せるユリーカで無ければ街の中で目立ってしまう。戦中でピリピリしている状況に、余計な火種を入れるのは愚中の愚だった。
「……よろしくね、一号。おか……じゃなかったシュテンのお母様」
「うぃっす!!」
「あたいまだ四十八なんだがね……こんなでけえ息子が居るのは違和感しかないよ」
分銅付きの鉄鎖を取り出し、イブキは隣に居る豪鬼族を一睨み。
「行くよ、そこのボケナス!」
「だ、誰がボケナスっすか!!」
戦場に躍り出た二人を見送って、ユリーカはシュテンへ向き直った。
「じゃあ、あたしたちも行かないと!」
「そうだな」
頷き、駆け出す。
たった一日だけの縁を救う為に。
「居たか!? ユリーカ!!」
「こっちにも居ない!! ああもう、どこ行っちゃったの!?」
ばん、と勢いよく扉をけり飛ばしてシュテンは叫んだ。
正直シャノアールには悪いと思うが、今はそれどころではない。
またしてもあっさりと潜入に成功したシュテンとユリーカは、シャノアール魔導具店へと忍び込んでいた。そして、家の中にはタリーズは居ない。一通り探し回り、ちゃんと自分たちだと名乗りながらかけずり回ったにも関わらず、だ。
「……誰が来ても出ないようにってシャノアールから言われて隠れてんなら別だが」
「それならむしろ安心出来るけど。どっち道、ここに居る意味あんまりないよ」
軽くあがった息を整えながらユリーカが放った言葉に、シュテンも頷く。
いずれにしたってタリーズの姿が見えないことには変わりないのだ。これで自分たちの杞憂であれば御の字。だが、問題は。
「……調度品が幾つか割れているのが、とっても気になるけどね」
「とりあえず、決め打ちだ。ここにタリーズは居ないものとして、とりあえず出るか」
「そうね、……うん、分かった」
割れた壷の破片を踏みつぶし、ユリーカとシュテンは外へと躍り出る。
数段だけの階段を飛び降りて路上に足を踏み入れると、周囲を見渡して通行人の女性を発見した。
「すまない、ちょっといいか?」
「な、なんですかあんたたち急に」
「さっきあそこの魔導具店から誰か出て来なかったか?」
「さっき……ああ、魔族の子供が居たからね、危ないからって憲兵が連れていったよ」
「っ?!」
少々歳のいったその女性は、どこか安堵したような表情とともにそんなことを口にした。目を丸くするだけのシュテンとは違い、ユリーカがかみつかんばかりの勢いで問いつめる。
「危ないって……相手は子供でしょ!? 調度品とかも割れてたし、スゴく抵抗したんじゃないの!? あの子……喋れないのよ!? それなのに……なんで……!!」
「そんなこと言われても魔族だろうに。外部の魔族と交信でもされたらたまらないじゃない。だから連れていかれた。ほっとしたわ」
「ふざけっ……!」
「ユリーカ、行くぞ」
「え、ちょ」
「そういえばあんたら見ない顔だね……まさか魔族だったりするのかい……?」
「ちっ」
ユリーカの首根っこを掴んだシュテンがティレン城塞の中央に向かって駆け出す。
逃走したシュテンを見て何かを察したのか、後方でその女性が騒ぎ立て、周囲に居たらしき兵士たちがわらわらとメインストリートに出ばってきた。
「ちょ、放してってば! 走れるから!」
「ほいっ」
「っとと。……ごめん、あたしのせいでバレたかも」
「気にするない。そっちのがふつうの反応だ。魔族だから交信するとか……眷属じゃああるまいに」
「タリーズ……無事かしら」
駆ける、駆ける、駆ける。
その速度は、人間などとは比べものにならない。
ぐんぐんと近づく本丸を睨みながら、ユリーカはぽつりと呟いた。
「あたし、さ。昨日いろいろお話したんだ。あの子、喋れないでしょ? だからと思って、物語とかね。知ってるものを話してあげたり、あたしが未来から来たこととか……あたし、思ったよりしゃべるタイプみたいで、結構、ひたすら……」
「でね、あたしの話、タリーズはずっと嬉しそうに、楽しそうに、笑って聞いてた。あたしが言葉切れると、裾掴んで続きをせがむの。それがまた可愛くて、ずっと、話してて……」
「……そんな子が!! 連れていかれる意味なんてないじゃない!!」
「それが平和を脅かされる側の人間の心理ってこった」
「っ!?」
「魔族ってのは魔族ってだけで強大だ。少なくとも人間にはそう見える。対等だなんて思っちゃいないし、ちょっとでも油断したら殺されると信じてる。そんなもんだ、わかり合おうとすらしないんだ。魔族が飼ってる人畜のこと考えたら……なにも言えねえだろうさ」
「……寂しいね、なんか」
「人間だって魔族だって、会話も出来る知性ある者同士なんだがな」
隣を駆けるシュテンを見れば、大して気にしている様子はなさそうだった。
自分が考えすぎているのか、魔族としておかしいのか。
ぐるぐると巡る思考とともに、タリーズへの心配が胸を苦しめる。
「いずれにせよ」
「えっ?」
「タリーズに聞かせてやるネタが増えて良かったじゃねえか。囚われのヒロインを救う為にユリーカが頑張ったこと、教えてやれ」
「……うん!」
ここを通す訳にはいかない、と現れた門番に履いていた下駄をぶつけると、着地と同時にあっさりとそれを再度履いて回転、本丸の門を蹴破った。
それが、手遅れであるとは気づかずに。




