第十六話 スプリングヒルズIV 『OKN48』
それじゃあ、また。
簡素な挨拶だけをして、ひっそりと『シャノアール魔導具店』をあとにしたシュテンとユリーカ。いつの間にか仲良くなったようで、力いっぱい手を振るタリーズに対してユリーカも若干名残惜しそうに、姿が見えなくなるまで振り返していた。
とはいえ、ここでシュテンとユリーカが噂になる訳にはいかない。
わりとあっさりとティレン城の外壁付近までいくと、そこから二人は跳躍した。時計塔の陰に隠れて見えづらいその位置なら、目撃も最小限に抑えられるだろうと踏んで。
ティレン城の外に着地したシュテンのそばに、三対の黒翼を羽ばたかせて着地したユリーカの表情は、あまり輝いたものとは言えなかった。
「……よかったのかな、あれで」
「むしろあれ以上俺たちがいてもこじれるだけだしな。現状、最良の選択だったと思うぜ? 事情ははっきり分かった。行きたくて行った訳じゃねえ……ってな」
「それはそうかもしれないけど、でも……」
本当にあれだけでよかったのかな。
そのユリーカの最後の呟きは、しかしどうすることも出来ない一打だ。
余計なことを重ねすぎれば、その分妙なことも起こりやすい。シュテンはまだ関係が薄いから良いかもしれないが、ヴェローチェなど最悪歴史から消えかねない。
「……それにしても、タリーズってどうしたんだろう。この後」
「それが何も残ってないのも不気味ってこった。まあユリーカの心配も分かるし、しばらくの間はお前さんの故郷を探しつつこの辺りを張った方がよさそうだ。グラスパーアイがシャノアールに接触してるってこたぁ、おそらくまた魔王軍がこの場所を現れてもおかしくねえはずだ」
「そう、ね。シャノアールはそのまま行けば、魔王軍に入るはずだった訳だし」
「ま、そういうこった」
一ヶ月というのは、長いようで短い。ゲートが開くのは一瞬かもしれないし、もう少し長いかも分からないが、それだって、少なくとも三十日前後にはあの黒い草原に待機している必要があるだろう。
だからこそ、一日一日を大切にしなければならなかった。
「あのままシャノアールが魔王軍に進んで入ることはないだろうから……まあ問題があるとすればそのグラスパーアイとやら、か」
どこかで聞いた名前のような気がする。
魔界にくるよりも、前に。
「シュテン?」
「ん?」
「なんか、難しそうな顔してたから。あたしでよければ、話聞くから」
「ありがとよ。……や、グラスパーアイって名前をどこで聞いたっけなと」
シュテンの記憶の中には、当然グリモワール・ランサーIもある。
しかしながらそこに出てくる四天王の"理"は、"理"の名の通り大量に公国魔法を使役する"理"を熟知した魔族の魔術師、という印象しかなかったし、何より本名を聞いたのはこの世界に来てからだった。
「あたしたちの世界ではもう二年前に死んでるし……気にかかるの?」
「まあな」
相変わらず明るくなりきらない空を見上げて、首を捻った……その時だった。
「兄貴いいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
「あん?」
ティレン城とは正反対の森の中。その道なき道を、スプリンター宜しく凄まじい速度で接近する人影。この世界で、自らを兄貴呼ばわりする野郎など一人しかいない。
「うわこわ」
「なぁんで逃げるんっすかあああああああああああ!!」
相変わらずふざけたリアクションを取るシュテンに、ユリーカも困った笑み。
しかし、確かに必死な形相の厳つい鬼が泣きながら全力ダッシュしてきたら、逃げたくもなるかもしれない。などと思いかけてふと気付く。
気付いた時にはシュテンも既に動いていた。
走ってきた一号の横をすり抜け、その大斧を一閃。
凄まじい金属音とともに、"追っ手"の凶器を弾き飛ばした。
「……へえ。さっきの根性無しとは違って、結構骨のありそうないい男じゃないのさ」
「挨拶代わりに鎖鎌たぁ、ずいぶんじゃねえのよ。しかしこの時代にはずいぶんと同族に会う機会が多くて何よりだ」
森の奥からゆったり歩いてくる影は、鎖を振り回しつつ軒並み周囲の木々を切り刻んで進んでくる。かろうじて見えるのは二本の黒角。おそらくは、またしても妖鬼。
ユリーカも一号を庇うように前に出て、カトラス二刀を召喚する。睨み据えた先で、ようやく薄暗い日の光を浴びてその姿が露わになった。
竜の鱗を使用した頑丈そうな鎧は、ところどころ関節部分がはだけていて妖艶だ。
やたらとでかい強調するような胸と、くびれた腰。プロポーションは抜群ながら、如何せん目つきが相当に悪い。常時周囲を恨んでいるかのようなその瞳。
そして強気に歪んだ口元が、どこか意地悪くも感じてユリーカは身構える。
が。
「……おいそこの大斧野郎。なにをじろじろ見てやがる」
「OKN……!?」
「誰がオカンだ!! あんたみたいな歳のガキはあたいには居ないよ!!」
「ちょ、OKN! 久しぶりだな!!」
「その呼び方やめろってんだよ!! しかもああ!? 久しぶりィ!? 会ったこともないってのあんたなんかたぁな!!」
ぶん、と投擲された鎖鎌の分銅を軽く弾いて、シュテンはげらげらと笑って彼女を指さす。
「ぎゃははは! マジでオカンは若ぇ頃不良だったんだな!! いやぁ、昔はやんちゃしてたなんつーこと言ってたけど、話半分に聞いて悪かったよ」
「しかも強ぇしこの妖鬼!? だからオカンじゃねえっての!! あたいはなぁ、泣く子も黙る最強の女イブキだっての!!」
「知ってる知ってる。あれだろ、酔っぱらうとすぐにその辺のもの積み上げるイブキだろ?」
「なっ……だから何故それを知ってんだテメエ!!」
「未来からきた、あんたの息子だよ俺ァ」
「未来だァ? んだふざけてんのかオラァ!!」
縦横無尽に襲いかかる鎖の応酬。しかしシュテンは動じずあっさりとその大斧で攻撃をいなしていく。そんな攻防を見つめながら、ユリーカはため息を吐いてカトラス二刀を打ち消した。
「ほんとうにお母様なのかしら。確かに親子と言われたら納得出来る組み合わせではあるけど……」
「山の男衆まで積み上げやがって! 最近はなにで塔建ててんですかぁ!?」
「塔建てるって言い方やめろこんバカが!! お前なんか塔すらたたねえくせに!!」
「言いやがったなオカン!! 何で俺が経験ねえって知ってんだよ!?」
「経験なさそうな顔してっからだろクソガキ!!」
「クソガキにあしらわれてるオカンはその辺どーなんだよコラァ!!」
「うるっさい何でこんなばけもんみてえな強さなんだよどこの妖鬼だテメエ!」
「だからあんたの息子だっつってんだろうが!!」
「山のバカ共は引っかかっても、あたいはそんな詐欺には引っかからねえよ!」
「山の爺様方詐欺られてんのかよ!?」
「木陰に隠れて『あたいだけどお金ちょーだい』って言い続けて旅の資金貯めたからなあたいは!!」
「クズじゃねえかうちのオカン!!」
「あたいが楽しむためならいいんだよ!! いいか、あたいの信条はなぁ!!」
「"誰よりも愉快な理不尽を"だろ!? 知ってんだよこのアバズレェ!!」
「なっ……」
最後に豪快に大斧を振り払ったシュテンの言葉に、一瞬硬直するイブキ。
鉄鎖は彼女の右頬を撫でるように通過し、ぱちくりと目をしばたたかせて。
「……え、マジで息子?」
「だからそう言ってんじゃねえかよ!」
「……そうかぃ。あたいも、子供作んのかねぇ」
「まあかなり先の話だがな」
「あ、そ」
特に興味はなさそうに、イブキはシュテンの言葉をあしらって、鎖鎌を引き戻した。
「そこの豪鬼族が絡んできたから徹底的にぶちのめしてやろうと思ってたんだけどね」
「やめたれて」
「……しかしまあ、流石はあたいの息子かね。魔法なんてこすいもんさえ無けりゃ、あたいは負けたことなかったんだけどねぇ」
「……ああ。妖鬼は魔法弱ぇからな」
それに関しちゃ仕方がない、とばかりに頷いて。
「それで、あたいの未来の息子が何でこんなとこでほっつき歩いてんだい。隣の女は何だ、嫁か? あたいが未来でおっちんだから挨拶にわざわざ過去まで来たなんて、そんなバカな話はないだろうに」
「それはオカンの言う通りバカな話でしかねえよ」
「……ふーん、ちょっとも動揺しないんだ? あたしそんなに魅力ないですかー? お母様みたいな男好きのする体がいいんですかーーーー!?」
「なんでお前ちょっとキレてんだよ……」
過去に来てからちょくちょくユリーカのすねる回数が多いなと、一人思って。本当に情欲発散してやろうかとそこまで思考が及びかけて慌てて首を振った。
しかし目の前のかなり露出の多い女性のスタイルを見てもなにも思わないあたり、やはり自分はこの人の息子なのだなと納得する。
「オカンに会えたのはぶっちゃけ偶然だ。っつか、オカンこんなとこに居たのか」
「あたいは旅の最中さ。のんびりと色んなとこを見て回ってる。世界がこんなに広いのに、山にこもるなんざもったいない」
「……あー、シュテンのお母様だ」
「しかしあんた随分可愛い堕天使だね。ほんとにこいつの嫁じゃないのかい?」
「違いますっ……!! あ、あたしはほら仲間というか。あ、でもその笠あたしの手作りです。お料理とか、家事とか、得意です」
「言ってることがちぐはぐさねこの堕天使。……ま、整理がついたら、何年後になるかは知らないけど挨拶にでもおいで。実感はねえけど、あたいも女だ。息子や孫の顔が見たくなる時もくる……かもしんねえし」
今の風来坊なあたいにはわからんさね。とぼりぼりその紅蓮の長髪を掻いて、イブキはシュテンに向き直った。
「それで? あんたの方はじゃあ何でこんな過去に居るんだい」
「最果ての村ラシェアンって場所を探していてな」
「ああ、あたいはその帰りだよ」
「なにぃ!?」
「なにって、遊びに行きたいじゃないか、せっかく魔大陸に来たんだ。なんだい、せっかくだから案内してやろうか?」
「マジで? さんきゅーオカン」
うぇーい、と拳をつきだしたシュテンに、呆れた顔をしながらイブキはそれを小突いた。なんだかんだで親子だなあと、ユリーカはそんな二人を微笑ましく見て。
「お、オイラは……ラシェアンを探してたらこの女に遭遇して……知ってるっつうから脅そうとしたら逆にこう……」
「頑張ったな一号。でもこの人俺のオカンだ。死ななくて良かったな」
「ええっ!?」
ようやくあがった息が整ったらしい一号の肩を叩いて、シュテンはサムズアップ。
両目が飛び出した一号を見てゲラゲラ笑うシュテンとイブキ。
「……さて、そいじゃああたいも暇だし、変な縁だし、ラシェアンまで案内してやるよ。二日もあればつくさね」
「二日か。まあ何も問題はなさそうな日程だな」
「ん。そいじゃ出発――ん?」
鎖鎌を器用に背負って、イブキが背を向けたその瞬間だった。
「おいお前ら!! そこでなにをしている!」
ティレン城の警邏にでも見つかったか、とユリーカがカトラス二刀を召喚すると、そこに居たのは予想外の者たちだった。
全員が、魔族。
それも、統一された鎧を身に纏った屈強なオーガの三人であった。
「隊列を乱すなと言っているはずだ!! さぁ――」
何かを言う前に、シュテンが前方へと躍り出た。一も二もなく一瞬で武装を弾かれた彼ら二人を狩ると同時、ユリーカが十人張りの強弓を取り出してそのオーガの一体を木の幹に張り付けにする。
「ナイス、ユリーカ」
「尋問するのは一人で十分だしね」
意識を刈り取ったシュテンが、鬼殺しを担ぎ直して言うとユリーカも楽しげに笑って弓を消した。代わりに一本のレイピアを召喚すると、木の幹に張り付けにされたオーガの首筋にそれを当てて。
「あんた、魔王軍よね?」
「ひ、ひぃ!?」
「何でこんなところに居るの?」
「え、や、ティ、ティレン城攻めが始まったからに決まってんだろ! テメエらこそなんなんだ!」
オーガが叫んだ瞬間、その頬の真横にレイピアが突き刺さる。
「質問してるのは、あたしなんだけど」
「おぉう……"車輪"先輩怖ぇ」
瞳からハイライトを消して、まるでゴミでも見るような瞳で剣先を弄るユリーカ。
「次は、喉ね」
「ひっ……」
「ティレン城攻め、誰がやってるの?」
「こ、"理"様が……」
「そう。兵力は?」
「……総数四千。オーガ千、ドラゴニュート千、ハイリザード千、ワイバーン五百、デビル三百、デーモンロード二百……」
「……流石は最盛期の魔王軍か。もういいわ、さよなら」
「がっ!?」
レイピアの柄でオーガの頭部を殴りつけて昏倒させると、彼女は一つ息を吐いて周囲を見やった。
「聞いての通りだけど、シュテン。どうする?」
「まあとりあえず……城門の様子を窺うのが先決だろうなあ。オカン、一号。悪ぃけどちょいとつきあってくれ」
「ま、暇だから構わねえけど」
「了解っす兄貴!」
力強く敬礼する一号と、耳をほじりながら頷くイブキ。
ほぼ出戻り状態だが、シャノアールとタリーズが心配だ。
早々に未来を決定づけそうなイベントの到来に、ユリーカとシュテンの拳に力が入った。




