第十話 魔王城IV 『さぁ、行こうか』
「要するに」
ぷぅ、と頬を膨らませたユリーカが、じと、とした目で俺を睨みつつ、びし、と指を俺に突きつけて言った。この一コマだけで擬音三つ使えるユリーカさんマジユリーカさん。
「ヴェローチェの為にレックルスの力使うんだ?」
「なにも要約出来てねえな脳味噌ピンク」
「髪だから! ……まじめに教えてくれないと怒るよあたし?」
うぃーっす。こちら現場のシュテンでっす。
本日は地下帝国の空中に浮いている城の地下牢に来ていまーす。ダウンアップダウン。ややこしいね。まあ、そんなことはともかくとして。
ヴェローチェさんの牢獄の前に一足先にやってきていた俺に続いて、バーガー屋とユリーカも階段を降りてきた。さっきここにくる前に投げたレックルスへの疑問の答えは、「魔力さえ何とかなればやれるんじゃないか」とのこと。
そもそも考えたことなんかなかった、らしい。
だからこそ、俺はやれると思った。
「真面目も真面目、大真面目さ。その発想自体がなかったっていうのであれば、むしろやる価値があるってそう思わねえか? ヴェローチェさんが割と手詰まりなこの状況、今じゃどうにも出来なくても、なにかしら手がかりが掴めるかもしんねえ。……それに、これを思いついたのは、なにもヴェローチェさんたった一人の為じゃねえんだぜ?」
「……ぇ?」
牢獄の前、石畳の廊下。
獄内に居るヴェローチェさんと、右手の感覚を確かめゲートの展開を試しているバーガー屋をおいてユリーカと話す。ほかに人が居るとはいえ、俺の言いたいことに気がついたのか。ユリーカは少し眉を寄せて、そっと俺の耳元に寄った。
「……まさかとは思うけど」
「ああ。会いに、行こうぜ。お前をちょうど救ってくれた両親に。そうすりゃ、戻ってきてから合流出来る可能性もぐっとあがるってもんよ」
「……それ、は……そう、だけど」
「何の話ですかー……?」
「っ!」
「おう、ヴェローチェさん。牢獄はもう良いのか?」
あわてて飛び退いたユリーカと俺の間に、ふわりと舞い降りるヴェローチェさん。やけにあっさりと脱獄した辺り、例のヤタノちゃん戦で見せた魔法で抜けてきたのではないだろうか。
「まるで好きで居たみたいに言いますねー」
「こんな軽々脱出出来んのに、好きで居た訳じゃねえっつうのは何とも説得力に欠けると思わねえ?」
「それは……別に、出たい理由がなかったからですー」
「じゃあ今見つけられた、と」
「っ、それはっ……」
幾ばくか慌てたように顔をあげると、否定の言葉が見つからないようで目をそらす。
でもまあ、当たりってこたぁ。
「良かったじゃねえか」
「……え?」
「さっきまで随分死んだ目してたしよ。似合わねえし、今の方が良い。慌てるヴェローチェさんっつーのも、まあ珍しいことには変わりねえけどさ」
「え、あの……う、うるっさいですねーっ……!」
「はっは」
元気になったようでなによりだが、これ以上喋ると正面からの突き刺すような視線がマジできっつい。仲が悪いというか、バーガー屋の野郎に境遇を聞いたら余計に扱いにくいの何のって。
ユリーカ呼んだのは失敗だったんじゃねえかこれおい。
「で、シュテン。どうするつもりなのよ」
「時間遡行……してみようじゃねえの」
にか、と笑って、言ってやった。
「時間、遡行……って?」
「過去にもどろうきゃんぺーん」
「……そんなこと、出来るの?」
「バーガー屋の力次第、だが。ぶっちゃけやれると思うぜ? 根拠はあるんだ」
「……そなの?」
両手を腰に当てて、きょとんとした目でユリーカはシュテンを見つめていた。
先ほどシュテンに問いをぶつけられたレックルス同様、そもそも時間を遡るなどという発想そのものが無かったらしい。
そういう状況も相まって、ふとシュテンは考えた。レックルスの古代呪法・座標獄門は、一度行った場所になら行けるというもの。王道RPGではよく主人公たちが中盤以降に使えるようになる魔法だが、ゲートのように双方向への移動を可能とするのはレックルスしか居ない。
しかし、一度行った場所になら行ける、というのであれば。例えば美しい花園だった場所が今焦土に変わっていても、その地点へは行けるということだ。
ということは、大事なのは彼が行った座標であって彼が思い浮かべている景色とは何の関係もない。
「ということは、現在のその場所にしか行けないように見える……が」
「……が?」
「そもそもレックルスが使っている座標獄門っつー古代呪法は、時間差攻撃や次元の狭間に敵を陥らせることが出来るものだ。つまり、正方向へは時間を動かすことが可能であるということ。……ならワンチャンねーかなーと思ったんだ。俺にゃロジックは分からねえ。だからレックルスに聞くのが一番早い。そして聞いてみりゃ、理由は分からんがやれそうだと言ってきた。なら、やれるんだろう」
「……魔力さえあれば、ね。ところでシュテン」
「何だよ」
「あんた普通にレックルスって呼んでたけど、それはいいの?」
「忘れろ」
「えっ」
「忘れろ」
右手の感覚を確かめるように、掌を握ったり開いたり繰り返しているレックルスの背後でそんな会話をしていた二人。腕を組み、珍しく真剣な表情で眉を顰めながらのシュテンの言葉は、全くもって真面目とはかけ離れたものだった。
「……ったく、本当にしょうがねえ野郎だなコイツぁ。ま、いい。説明してやる」
聞こえていたのだろう。レックルスは一つため息をつくと振り返った。
黒い球体状のゲートを右手に浮かせながら、それを左手の指でさし示す。
「俺の古代呪法・座標獄門は元々、サリエルゲート家に伝わる呪法だ。元々こいつの運用方法は戦の時に大規模な軍勢を一瞬で別の場所に移すことだった。つまり、時間短縮が出来れば出来るほどいいってことだったわけだ。そして代々研鑽を重ね、今はとうとうゲートを開けばそのまま別の場所に移動できるようになった。……ところがだ」
右手の球体を少し拡大して、レックルスは左手をゲートの中に突っ込んだ。
「ん?」
「あ」
ユリーカとシュテンが声を上げると同時。ゲートの出口が形成され、そこからようやく彼の左手が出てきた。つまり、時間差が出来ている。
「……ユリーカちゃんもシュテンも、俺のゲートは通ったことがあるはず。けれど通過は一瞬に感じたはずだ。……つまり俺のゲートの内部では時間が流れない。変なラグが生じてるわけだ」
「……何で?」
「おそらく……魔素の影響だろうな。次元の狭間に入ると、その時点で内部の魔素に干渉される。狭間の魔素ってのは俺たちが居るこの場所よりも遥かに濃密で、強い力を持ってるんだ。……それこそ、狭間を形成できるほどに。これは絶対に他言無用だ。サリエルゲート家の秘密だからな」
「分かったわ」
「や、ユリーカちゃんはいいんすよ。シュテン、余所で言ったら殺す」
「あいよ」
「狭間っつーのは、単純に空間が広がってるわけじゃない。魔素が絶えず湧いては消える魔の泉だ。その中に全身突っ込む訳だから、存在自体が圧縮されちまう。……それと一緒に、存在の時間もな。……だから、ゲートを開く位置さえ過去に指定出来れば、存在の時間を押しとどめたまま過去に送りことが出来るかもしれない」
「逆コールドスリープみてえなもんか」
「は?」
「いや、何でもねえよ」
からからと笑うシュテンに、レックルスは首を傾げた。説明とは全く関係ない言葉が出てきたが、それでシュテンが理解出来たというのならそれもまたいいだろう。首を傾げているユリーカも、「まあ出来るんならいっか」と深くは考えていないようだった。
「……問題は、俺の魔力が足りねえことだが」
「わたくしに貯蔵庫になれ、とは……シュテンも随分と人使いが荒いですねー……」
「ほかに頼める人もいねえんでな。すまんが」
「……まさか、こんなことになるとは思わなかったですー」
ふ、と力ない笑みを見せるヴェローチェ。
その裏側にどんな感情があるのか、シュテンには知る由もない。けれど、よくユリーカとシュテンが過去に向かうというこの作戦を許してくれたなと、彼は考えていた。
「シュテン」
「あん?」
「わたくしは、魔王軍に居たいんじゃないんですー。味方が、欲しかっただけなんですー……。どうして、自分が人間で、こんなことになっているのか……ちょっと嫌な予感さえ、します……。車輪が居るのが心配ですが、きっとシュテンなら大丈夫だと信じています。……宜しく、お願いしますー」
「おう、任された!」
実際、ヴェローチェの心中は微妙なものであった。
確かに、過去に戻るというのは面白い試みだ。けれどもしそれが成功したとして、果たして得られるものがあるのだろうかと。そして、車輪まで送り込むメリットがあるのかと。
だが結局、今のままぼうっとしていても、することはない。
ならば、この機会に自分が見込んだ妖鬼がどの程度のものなのか、図るのも悪くない。そのくらいの余裕が……いや、この場合は自棄だが、そういうものは、あった。
「車輪の部下にはならない、そう誓ってくれるんですよね?」
「まあ、そのくらいはな。しっかしお前さんらも結構めんどくさい関係よね」
「うっさいですー」
ヴェローチェが軽く鼻をならしてそっぽを向くのと、ほぼ同時くらいだったろうか。
レックルスから声がかかったのは。
「……出来た、んじゃねえか?」
「ん? どした?」
「シュテン、さっき俺の手に触られたろ?」
「ああ、そうだな…………あれ? いつだ? いつ触ったお前?」
「……今、ちょっと前のお前に触れてみたんだよ」
振り返れば、ゲートの中に手をつっこんでいるレックルスの姿。
その手が抜かれた瞬間、シュテンは"思い出す"。
さっきユリーカと話している最中に手だけが伸びてきて驚いた"記憶"を。
「おっそろしいな、因果の逆転じゃねえか」
「……やれそうだぜ、シュテン。時間っつー軸は、魔素の中ではあまり関係ねえみてえだ。使いこなせれば俺自身滅茶苦茶強くなれそうではあるんだが、……余りにも魔力の持ってかれ具合が洒落にならねえな……これ……それに、ヤバい。次元の狭間から凄まじい魔素の暴走が確認された。洒落にならない事態になる可能性は捨てきれねえ」
はあ、とため息を吐くレックルス。確かに、今の一回だけでレックルスから感じる魔力が三分の一以下に削られていた。
「まあそれでも……ユリーカちゃんの願いの為なら、やってやるさ」
「そうか、お前さんも相変わらずだな」
地下牢前の廊下、床に描かれた魔法陣。これで、ある程度の安定を図れるらしい。
向かうのは、今からちょうど二百年前。多少の前後はしてしまうらしいが、それも数日単位ときた。なら、やることは一つだ。
「よっし、行くか! ユリーカ、準備できたかー?」
「あたしは別にいつでもいいけど?」
「そか、ならやるぜ」
ぱん、と拳を突き合わせて。
「さあ、遊びに行ってやろうじゃねえか! 二百年前に!」
シュテンは魔法陣の前に立つ。
続くようにしてユリーカも、どこか不安げな表情をしつつも隣に来た。そして、少しだけ弱ったように、舌を出す。
「本当にパパとママに会えるんじゃないかって思うと……ちょっと緊張しちゃうな」
「ま、それはそうだろうさ。楽しもうぜ、それも併せてよ」
「うん」
レックルスが魔法陣の中心にしゃがみ込み、手をかざした。
「お前らを送り込んだら、俺はすぐにその一ヶ月後を狙ってゲートを開く。おそらく、時間は一瞬だ。それを逃したら、因果干渉の影響でなにが起きるか分からねえ。俺たちも持ち場を離れずすぐに展開するが……それを逃すと導師の魔力も持たねえし、何よりお前らが次元に干渉されて危険だ。ちゃんと……帰ってこいよ」
「誰に言ってると思ってんだ。俺ぁ愉快な理不尽が服着て歩いてる男だぜ」
「それ自分で言うのかよ」
あきれたような、困ったような笑いを浮かべてレックルスは言った。
あくまでそれなりの、しかし十分な信頼。
準備は、整っている。
「シュテン。……その。祖父によろしくですー……」
「おう、任せとけってヴェローチェさん。過去を変えるようなこたぁ……まあうん、あんまりするつもりはねえ。今のとこは。……けどちゃんと、ヴェローチェさんの現状を何とか出来るよーにせいぜい色々聞いてくるさ」
「……はい。よろしく、頼みますー……」
こくりと頷いて、ヴェローチェは定位置である魔法陣の右へ。
そして、気合いついでに深呼吸を一つして、魔法陣に魔力を放出し始めた。
「……さすが導師っつか。尋常じゃねえ魔力量だな。これなら……たぶんいける。だがくれぐれも気をつけろシュテン。因果の逆転でさっきお前に触れたのは、あの程度の改変なら次元の干渉を免れるからのはずだ。……一ヶ月後の帰還が出来なけりゃ、不純物のお前とユリーカちゃんになにが起こるか分からねえんだからよ」
「分かった分かった」
「本当に、ユリーカちゃんを頼むぜ」
「お前らにとっちゃ一瞬の出来事だろうが。気にすんなよ」
「……ああ」
徐に頷いて、レックルスは黒いホールを展開する。
――古代呪法・座標獄門――
その瞬間、ばりばりと青白い電流がゲートの中から迸った。
ぐんぐんと大きさを拡大するゲートの、その奥に。尋常ではない魔力を感じて、シュテンは思わず唇をつり上げた。
「いいねえいいねえ、過去への邂逅ってのもなかなかの浪漫じゃねえの」
「ちょっと、怖いかも」
そんな彼とは反対に、同行予定のユリーカは少し不安げだ。無理もない。過去に行くなどという発想がそもそもなかった世界の魔族だ。何が起こるか分からない漠然とした不安は、本来持ってしかるべきもの。
と、その時。
「ぁ……ぐっ……!!」
「ヴェローチェさん!? おい、無事か!?」
「シュテン! 早く行け!! 深淵に飲まれてえか!?」
「っ…………行ってくるぜ、ヴェローチェさん!」
にわかに苦しみだしたヴェローチェに近寄ろうとしたところを、レックルスに制されて。それならばすぐに行動すべきだと、シュテンは迷うことなくゲートの中に身を踊らせた。だが、それは。
「おいシュテン!! ユリーカちゃんと一緒に行かなきゃ離ればなれに……!! ユリーカちゃん、早く!」
「う、うん!!」
飛び込んでしまって数瞬の間。慌てたように、ユリーカも覚悟を決めてゲートの中につっこんだ。同時に、一度ゲートが閉ざされる。
膨大な闇魔力の奔流がとどまり、ヴェローチェは大きく息を吸った。
「……行ったか。導師、すぐに今送り込んだところから一ヶ月後に向けてゲートを開ける。…………やれるか、おい」
「……別に。問題ないですー」
彼らにとっての一ヶ月、ヴェローチェとレックルスにとっての一瞬が、始まった。
グリモワール×リバース~転生鬼神浪漫譚~
巻之肆『導師 車輪 魔王城』




