第九話 魔王城III 『導師、その歪な人生』
ヴェローチェ・ヴィエ・アトモスフィアという少女は、この十五年間とにかく孤独な人生を送ってきた。
自らを産んだ母は、出産が命と引き替えであったし、父は狂魔術師という言葉がこれほど似合う男は居ないというほどの有様で。三代に渡って引き継がれた魔導のせいで莫大な力を手にしながら、彼女の周りには味方は一人も居なかった。
魔王ですら、ヴェローチェの持つ力にこそ興味を示せどそれ以上にはならない始末。
故に、"三代目導師"ヴェローチェ・ヴィエ・アトモスフィアは仲間を、味方を、頼れる相手を探していた。たった一人で、何も話せる相手も居ないままに。
誰にも認められない敵だらけの魔界と、滅ぼすべき敵と教えられた人間の巣窟である地上とを行き来して、魔王軍の政治まで押しつけられながら、ただ一人懸命に。
『人間の癖にいい気になりやがって』
『まだ五十にもなってないガキが』
『よせよ、聞こえたら消し飛ばされる』
『……おお怖ぇ。何なら一人で特攻させりゃ人間削れんじゃねえの』
耳を、塞いだ。
魔王軍の導師たるべしとして、ただ呪法だけをたたき込まれて。その力を振るえれば少しは自分の生きる意味が見つかるのではないかと張り切れば、仲間のはずの魔族たちからは憎悪や敵意すら感じられて。
味方であるはずの父は狂乱したまま、上司であるはずの魔王は見向きもしない。
たった十五。その年月の短さは魔族たちが一番よく分かっているはずなのに。なのに、何故こうも辛く当たるのか。その理由くらい、分かっていた。
"人間"だから。
そんなこと、選べるはずもないというのに。
"ヴィエ・アトモスフィア"の名と、アメジスト色のこの瞳がある限り、人間にとっては迫害の対象だ。そうでなくとも幼き日に、何も分からないまま共和国と王国でさんざんに暴れ回っているせいで公国の冒険者協会ではSS級賞金首。幼少に刷り込まれた意識のせいか人間に帰依しようとは思っていないが、何れにしたって居場所などどこにもなかった。
だから、魔王軍で戦うしかないのに。いつ背中を刺されるかも分からない環境で。
それでも懸命に生きてきて、ようやく出会えたはずだった。
ようやく、巡り会えたはずだった。
己と対等に、そして人間分け隔てなく、ヴェローチェのしていることにも嫌悪を示さない強者という、途轍もなく条件に見合った魔族に。
彼ならきっと、自分の良いパートナーに……信頼出来る、大切な部下に出来る。
そう、信じていたのに。
「信じて……いたのに……か……」
天井に染み込んだ水滴が一つ、うずくまる少女の側に音をたてた。
膝をいっそう強く抱えて、ヴェローチェは一人物思いにふける。
出ようと思えばいつでも出られる牢獄の中で、彼女は動くことさえも億劫だとばかりにみじろぎ一つすることなくただただ地面の石畳を眺めていた。
「わたくしは結局……何がしたかったんでしょうねー……」
初めて出会えた、仲間になり得る存在だったから。
だからあれだけ譲歩をして、だからあれだけ目こぼしをして、だからあれだけ……何があっても見逃してあげたのに。
それでも揺らがない彼と、強引に戦いにまでもつれこんで。
勝ったらようやく一緒に居られると信じて。仲間が、ほしくて。
なのに。
なのに。
どうして。
「どうして……車輪が……全部……全部……」
思いの丈を吐き出せば、結局すべての終着点はそこにあった。
"車輪"ユリーカ・フォークロワ。
ヴェローチェの陰口を叩き、色目を使い、小馬鹿にする魔族たちは皆ユリーカを慕って歩いていく。ヴェローチェの方など見向きもしないまま、ただただ盲目的にあの眩しい少女へと靡く。
自分に魅力が無いからとか、彼女が可愛いからとか、いくらでも思うことはあった。
けれどもその全ての根底にあるのは、"自分が人間だから"という一点。
だから、同格にあるはずの"車輪"は全てを手に入れて。
対を為すはずの自分は、たった一人ようやく見つけた理解者になりえる存在すら奪われて。
「っ……ぁ……」
気づけば、地面にこぼれた水滴は天井からの漏れ水ではなくて。
絶対に弱みを見せないと心に誓った強がりが、決壊しかけていて。
悔しくて、悲しくて、どうしようもなくて。
だから。
だから。
「どうして……みんな……なんで……わたくしは……」
――魔族では、ないのですか。
心の弱さだと振り払った。いつもいつも、かぶりを振った。
そんなたらればに何の意味もないからと。そんな空想妄想に、何の価値もないからと。
でも、けれど、それでも。
それでもやっぱり思わずには居られない。どうしたって弱さがすぐに顔を出す。
もしも自分が魔族であれば、こんなことにはなっていなかったのではないかと。
明るい未来と、素敵な過去と、充実した現在が。
当たり前のようにほかの魔族が手にしているそれが、自分のもとにも配られていたのではないかと。そう思わずにはいられなかった。
「お爺様……貴方はどうして魔王軍に入ったのですか……貴方は、何を思って人間から……魔族に鞍替えをしたのですか……わたくしは……わたくしには……最初から選択権などなかったというのですか……」
祖父シャノアール・ヴィエ・アトモスフィア。
偉大なる魔導師としか、ヴェローチェは聞いていない。
凄まじい力を持ちながら、先代"理"のグラスパーアイと共に地上を戦い抜いた魔王軍きっての最強の魔導師。
そう言われてはいる。
けれど、その力を振るった形跡こそあれど、彼がどんな人物であったのか。どうして魔王軍に入ったのか、どうして人間を裏切ったのか。そのことについては、何も知らない知らされていない。
もし祖父が魔王軍に入ることなく人間として生きていたら。
そうだったらそれはそれで、幸せだったのではないだろうか。
魔族なら魔族に、人間なら人間に。
どちらかの色に、はっきり染まっていたかった。
今のこの汚い灰色の自分は、どこに向かえばいいのかすらも分からない。
どこに向かっても、全てを奪われてしまいそうな気がして。
「……どうすれば、いいのですか……」
故に、もう何もかもどうでも良かった。
魔王からしばらく牢獄での謹慎を命じられたことも。魔族たちからどんな目で見られることも。
別に、逃げなどしない。逃げるような気力もない。魔王城内から出れば流石に魔王も感知出来ると踏んだのだろうが、今なら自分の塔に居たって逃げなどしない。
「……けど、でも……やっぱり……」
いや。
何もかも、というのは、嘘だ。
誰が敵になってももうどうでも良いから。だから、せめて。
せめてあの妖鬼くらいは……車輪に奪われたくなかった。
たった一人見つけた、人間も魔族も関係のない風来坊。彼も結局、同じ魔族の少女のもとに行くのかと。そう考えるだけで、苦しかった。
だから。
だから。
「いやレックルスにおっけーもらったってマジで! 開けてちょってお前さっき俺のこと見たろうがよおい! 見たけどダメぇ!? テメエの脳味噌はあれか、カチコッチンのフリーズドライか!! もういい見てやがれ、俺をなめんじゃねえこの見事なショルダーをもって素敵に無敵にtackleしてやる! うるせえ邪魔すんなシュテンショルダーバスター!! ひゃっはー見たか鉄格子なんて目じゃねえぜ……っとと……うのおああああああああああああああああ!!」
ばぎゃん、と鉄格子のひしゃげた音と、そのまま階段を鉄が転げ落ちてくる音。
それと併せて、何かけたたましく体を打ちながら転がり落ちてくる音。
最後に一際大きな音が響いて、何かが地下牢に落ちてきたことはヴェローチェにも理解できた。……いや、本当は、もっと分かっていた。あんなキテレツな言動で、鉄格子にタックルかまして扉もろとも落ちてくるような愚か者を、ヴェローチェは一人しか知らないのだから。
けれど、今、彼がこんなところに来るのはあまりにも、残酷で。
「……てて。ま、どうせバーガー屋も来るだろうし大丈夫だろ。魔王さん来たら死ぬけど。助けてユリーカみたいな感じで背中に隠れるのもなんかあれだし……いっそ殺して逃げるか? いやいやいや魔界出る前にそりゃもうあり地獄のように地下へと引きずりこまれるに違いない……地下帝国だけに」
かつん、かつんと石畳を下駄が蹴る音。
来るな。もう、お前はユリーカについたんだろう。
そう喉まで出かかって、それでも声にはならない。
期待してしまっているのか、ここまでされて、それでも。
そんなぐるぐると巡る思考。
苦しくて、嫌で、どうしようもなくて。
これ以上自分に絶望を突きつけないでくれと、願いながら。
でも、それでも。
「ういーっす。さっきは混沌冥月炸裂してたけど、この地下牢無傷かよやべーな」
「……よく抜け抜けと戻ってこれましたねー」
「や、そんな白い目で見るなよ。あと手をかざすなよオチかねないから」
「……何の、用ですか……」
唇を噛みしめて、きつくシュテンを睨み据える。
相変わらずの緩さと、適当さ。
ぼりぼりと、着流しから露出した胸元を掻きながら彼はどこか難しい顔をする。
何が言いたいのか。もう、出てってほしい。嫌だ、否定してほしい。
相反する感情が摩擦を起こして、胸のうちで強い熱を持つ。
口を開けばくすぶりに引火してしまいそうで、うまく喋ることさえできやしない。
だというのに、シュテンはいつものようにのんきで。
「ヴェローチェさんにさ、聞きたいことがあってよ」
「……今更、なにを」
「何でお前さんの爺さんが、魔王軍に入ったのか」
「っ……!」
息を、飲んだ。
何故、それをシュテンが知っている。
少し逡巡して、すぐに気がついた。車輪は大してヴェローチェに興味もないだろうから、おそらくレックルスあたりから聞いたのだろうと。
そのヴェローチェの予想は半分合っていて、不正解だ。ヴェローチェをユリーカほど意識している相手は居ないのだが、それを説明してくれるほど親切な者はここには居ない。
「そんなの……わたくしが知りたいくらいですッ……! 物心ついた時には"偉大だったらしい"祖父も居ない、父は狂ってどうしようもない、母は既に亡くなって……何でわたくしは……なんで、魔王軍で……こんな……。っ、それを聞いたところで、シュテンには関係のないことですー……!! 何故、今そんなっ……!」
「関係なくはねえな。今回のこと、俺無関係なんていえねーだろ」
「……ならッ……!! どうしようもない、味方も居ないこんな場所で……!! わたくしに関係があるというのなら……! どうして、貴方は……!!」
――車輪の味方なのですか。
そう、言おうとして。
す、とまるでヴェローチェの言葉を制止するかのように伸ばされた。
「なんか勘違いしてるっぽいけどよ」
「……何が、ですか」
「や、俺ユリーカの配下でも魔王軍に入るつもりも欠片もねーから。どうにも魔王軍の連中は早とちりだけどよ、何、はやり? 揃いも揃って長命の癖に。ヴェローチェさんだってまだ子供だろうに。ビバ、未来」
「……ぇ?」
車輪の味方ではない。
その言葉が、妙にすとんと胸に落ちた。それが自分の願望であったから。
しかしまるで説得力に欠けて、 一瞬二の句がつげなくなって、ヴェローチェはそのアメジストの瞳を丸くしたままフリーズする。でも、なら、ユリーカと共に居るというのは、いったい。
だが、そんなことよりもまるで突拍子のない言葉が放たれて。
今度こそヴェローチェは、言葉を失うのだった。
「なぁ、ヴェローチェさん。もし、俺がその爺さんに"何で魔王軍に入ったのか"聞いてくるっつったら、どうする?」
「……はい?」




